第21話 優希のオムライス
喫茶店の営業を開始してから、初めての日曜日。
更衣室でウェイトレスの制服に着替えながら、ひと花はこの1週間を振り返っていた。
自分にしてはよく頑張れたほうだと思う。
お店のこともそうだが、それよりも特にうまくやれたのは、優希との接し方についてだ。
これまでのひと花は、優希と話をすると、胸がどきどきして頭が真っ白になってしまっていた。
けれども最近では彼と話をする前に深呼吸をして、意識的に冷静になるように努めているから、少なくとも表面上は平静を取り繕いながら優希と話をすることが出来ている。
「よしっ。
この調子で、優希くんともっと話せるようになって……。
そして、いずれは……!」
拳をぐっと握り込む。
ひと花はもちろん、まだ優希を諦めるつもりなんて毛頭なかった。
「……ふぅ。
でもその前に、お店の営業を軌道に乗せないとね。
今日もがんばろっ」
白黒の給仕服に着替えた彼女は、姿見でおかしなところがないか確認していく。
どうやら大丈夫のようだ。
着替えを終えたひと花は、フロアに出ようと更衣室のドアに手をかける。
そのときふと、彼女の脳裏に不安が掠めた。
「……そういえば最近。
お母さんの常連さんを、見なくなってきたわね。
大丈夫かしら?」
お店の来客数も右肩下がりだし、少し心配だ。
「……とにかく、頑張るしかないか」
ひと花はそう結論づけて、優希の待つ開店前の店内へと扉を開いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺はカウンターの中から、店内を見回していた。
日曜日午前の店内に、お客さんの姿はまばらだ。
4人掛けのテーブル席に、世間話が好きな年配女性がふたり。
あとは窓際の2人掛けテーブルでスポーツ新聞を広げて、競馬欄と睨めっこする初老男性客がひとり。
朝8時の開店からもう4時間が過ぎようというのに、本日の来客はまだたったのこれだけだった。
「うーん。
お客さん、来ないね」
「……だなぁ。
でもまぁ、たまにはそういう日もあるさ」
ひと花とふたり、暇を持て余しながら突っ立っている。
「あ、そうだ。
どうせだし、中間テストの勉強でもする?
私、勉強道具を一式持ってきてるわよ」
「うっ……。
店でまで勉強かぁ。
ちょっとそれは……」
「なに言ってるの。
優希くん、家でもそんなに勉強してないじゃない。
頑張らないと、赤点取っちゃうわよ」
ひと花の正論に、たじたじになる。
だがちょうどその時、振り子式のアンティーク壁掛け時計がボーン、ボーンと鳴り、正午を告げてきた。
俺はここぞとばかりに、話を逸らそうとする。
「ほ、ほら。
もうお昼の時間だぞ。
その話はまた、ご飯を食べてからな。
ひと花は、昼のまかないは、なにが食べたい?」
「……んもう。
露骨に話を変えたわね。
優希くんのために言ってるのに。
仕方のないひとねぇ。
んっと……。
じゃあ私は、オムライスをもらっていいかしら」
「わかった。
お客さんから追加オーダーとかも入る雰囲気じゃないし、ひと花はカウンターに座って待っててくれ。
すぐ作るからな」
カウンター内のコンロに火をつけ、フライパンを熱しながら別の容器に卵を割って溶いていく。
ライスに元々仕込んであった具を混ぜ合わせて、炒めつつケチャップで味を調えてから卵で巻いていく。
あっという間に、まかないオムライスの出来上がりだ。
「はい、出来たぞ」
「わっ。
さすがに手早いね。
ありがとう」
「どういたしまして。
じゃあ俺も、今日の昼めしはオムライスにしようかな」
自分の分も手早く作り上げていく。
皿を持ってカウンターを出てからひと花の隣に座り、まだ熱々のケチャップオムライスに匙を入れた。
ひと口食べてみる。
「……ふむ」
もぐもぐと口を動かしながら、ひと花のほうを見てみると、彼女はすでに半分ほど食べていた。
「ど、どうしたの?
こっち見て。
食べてるところをじっと見られると、落ち着かないんだけど……」
「いや、なんでもない。
出来はどうだ?
うまいか?」
「ええ、美味しいわよ。
優希くんは本当に、料理が上手ね」
「そっか。
ありがとう」
ひと花はこう言ってくれるが、俺は今しがた自分が作ったオムライスの味に満足が出来ていなかった。
たしかに俺が作ったこのケチャップオムライスは、そんじょそこらの店のものに引けは取らないと思う。
だが逆に言えば、引けを取らないだけなのだ。
決して、突出して美味しいという訳ではない。
よくよく味わって食べてみると、中のチキンライスはわずかに水分が多くてベチョっとしているし、小さなお米の塊も出来てしまっている。
外を包む卵も、トロトロで美味しいは美味しいのだが、火の通りが不均等で硬くなってしまっているところもある。
「……うぬぬ」
俺は少し前に食べさせてもらった那月さんのオムライスを思い出して、唸った。
あれは正に至高だった。
同じ厨房、同じ材料を使って、これだけの味の差が出てしまうのだ。
己の未熟を痛感してしまう。
たしか今日は、夕方頃に那月さんが店に顔を出してくれることになっていたから、そのときにでもコツを聞いてみようか。
「ごちそうさまでした。
ありがとう、優希くん。
美味しかったぁ」
俺がひとりスプーンを持って固まっているうちに、ひと花はペロリとご飯を食べ切ってしまっていた。
「……ああ、お粗末さま。
んー。
まぁ唸っていても、すぐに料理の腕が上がる訳でもないわなぁ」
さっさと食べてしまうことにしよう。
俺は考えるのはやめにして、食事を再開した。
◇
お昼の休憩を取ってしばらくすると、店にいた3名の来客も帰ってしまい、店内にお客さんはひとりもいなくなってしまった。
どうにも今日は、客入りの悪い日らしい。
「……客もいないし、立ってても仕方ないか。
ひと花、カウンターにでも座ったらどうだ。
コーヒーでも淹れるよ」
「うん。
じゃあお願いしようかな」
ふたり分のコーヒーをサイフォンで淹れ、片方をひと花に差し出した。
「ありがと。
いただきます」
俺は大きな窓から差し込んでくる陽光を眺め、どこからか聞こえてくる小鳥のさえずりをBGMにして、ひと花とカウンター越しに向き合って、香り高いコーヒーを啜る。
「……ずずっ。
はぁ、平和だなぁ」
「そうねぇ。
でもちょっと平和過ぎるかなぁ。
もう少し、お客さん来て欲しいわねぇ」
「そうだなぁ。
けど、こう言っちゃなんだけど、俺としては今だけはお客さんいなくてもいいかも」
「……はぇ?
どうして?」
コーヒーカップを置いてから、ひと花がこてんと首を傾げてみせた。
その仕草がなんだか可愛らしくて、俺はつい、思っていたことをそのまま口から滑らせてしまう。
「いや、だって、ひと花とふたりでコーヒーを楽しむこの時間を、誰かに邪魔されたくないだろ?」
「――んなっ⁉︎」
彼女の顔が瞬時に真っ赤に染まった。
「な、なな、なに言ってるのよ!
バカじゃないのっ。
わ、私は別に、優希くんとの時間なんて、じゃ、邪魔されたって平気なんだから!
調子に乗らないことね!」
またいつもみたいに早口で悪態をつき始める。
これはひと花なりの照れ隠しなのだ。
「ははは。
悪い悪い。
調子に乗った訳じゃないんだけど、つい、な」
「〜〜〜〜ッ⁉︎」
全身を赤くした彼女は、うつむいて押し黙ってしまった。
まったく照れ屋なことだ。
「そういえば……」
赤くなった彼女を微笑ましく眺めながら、俺のなかにはあるひとつの疑念が浮かび上がっていた。
ひと花は照れると悪態をつく。
それがようやく俺にも理解できた。
なら――
なら、俺が彼女に校舎裏で告白したときのあの悪態は、もしかすると、照れ隠しだったのではないか?
だとすると、ひょっとしてひと花が俺のことを好きだと言ったあれも、もしかすると……。
「ど、どうしたの?」
「……いや、なんでもない。
さすがにそれは、俺に都合よく考え過ぎか……」
小声で呟いてから軽く頭を振り、いましがた浮かんだ妄想を振り払った。
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