第28話 親父たちからの無茶振り、再び
日曜の夕方。
俺は喫茶店の営業を続けながら、カウンター越しにひと花と話し合っていた。
話の内容は、店の今後の営業方針について。
結局昨日の臨時営業でも、山田や豊崎を含めても5人しか来客がなかった。
今日もほぼ似たようなものだ。
お店の稼ぎは連日、赤字記録を更新している。
もう俺にも理解できていた。
営業時間を伸ばしたり、休日に臨時営業をするだけではダメだ。
もっと他の対策を取らないといけない。
「……取り敢えず、メニューを絞ろうと思う。
特にフード系だな。
仕入れに掛かるお金を減らしたいんだ」
コーヒー豆や茶葉は日持ちもするし、まだ元々店に備蓄されていた分が残っている。
けれども例えばサンドイッチに使うパンやレタスやトマトなんかはあまり日持ちがしないし、ここを削ればいくらか楽にはなる。
「でも、軽食を全部やめるわけにはいかないわよね?
なにを残すの?」
「それなんだけどな。
サンドイッチ類や、いままでほとんど出ていないカレーライスはバッサリとやめてしまって、オムライスなんかを残そうと思う」
ケチャップオムライスは、フードの稼ぎ頭だ。
これを削ることはできない。
あとはオムライスと似たような材料で作れて、単価もそこそこなナポリタンも残そう。
「うん、わかった。
あとは……。
作り置きできるコーヒーゼリーなんかは残しましょう」
「ああ、そうだな。
これで赤字が、少しでも改善されるといいんだけど……」
じゃないと生活していけなくなる。
まともに飯も食えないような暮らしを、俺はともかくひと花にさせるわけにはいかない。
俺は最早、なにかに縋るような気持ちだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ひと花との話し合いにちょうど区切りがついたあたりで、外から車の排気音が聞こえてきた。
喫茶店の駐車場に、高級車が止められる。
「はぁい、あんたたち。
来てあげたわよー」
カランコロンとドアベルを鳴らして入ってきたのは、俺の従姉の秋山那月さんだ。
彼女は時折こうして、忙しい自分の店の合間を縫って俺たちの様子を見に来てくれている。
「……って、どうしたの優希?
そんなに暗い顔をして。
ほら、ひと花ちゃんも、せっかくの美人が台無しよ?」
「いらっしゃい那月さん。
どうしたのって、見ればわかるでしょう」
手を伸ばして店内を指し示す。
「ははは……。
この通りです。
日曜日なのに、お客さんが誰もいません」
「なるほど。
あはは。
これはまた、見事なまでにガラッガラねぇ」
「いや笑いごとじゃないですって。
こっちは生活がかかってるんだから」
「那月さん。
いらっしゃいませ」
カウンターに腰を下ろした那月さんに、ひと花がお冷やを差し出した。
「ありがと。
あ、ブレンドを1杯もらえるかしら」
「はい。
ブレンド
オーダーを受けてコーヒーを淹れ、那月さんに差し出す。
彼女はカップから漂う深い香りを楽しんでから、ブラックのままズズッとひと口コーヒーを啜った。
「……ん。
おいし。
それで、どうするの優希。
ギブアップする?
あたしは叔父さんたちが海外から戻るまでの間、あんたたちの保護者を頼まれている。
もう無理だって言うなら、生活費は保障してあげるわよ?」
「え⁉︎
ほ、ほんとですか⁉︎」
俺は降って湧いた恵みに食いついた。
「嘘なんて言わないわよ。
叔父さんから、あんたたちがギブアップしたときに備えて生活費も預かってるし」
「なんだ……。
そうだったのか……」
あのバカ親父。
いきなり海外に行った挙句、生活費は喫茶店で稼げなんて無茶振りをしてきて何のつもりだと思ったが、いざと言うときの備えは那月さんに託していてくれたらしい。
なら是非もない。
「それならもちろん……」
一も二もなく、那月さんの話に飛びつこうとした。
だがそのとき――
「ま、待って!」
俺の言葉を、ひと花が遮った。
「ちょっと待って優希くん!
……那月さん。
そのお話、続きがありますよね。
聞かせてください」
ひと花はいつになく厳しい視線で、那月さんを見つめている。
すると那月さんは小さく息を吐いてから、ひと花に応えた。
「ひと花ちゃんは知っていたのね。
オッケー。
いま話そうとしていたところよ」
那月さんが持ち上げていたコーヒーカップをソーサーに戻した。
「優希、よく聞きなさい。
あたしはたしかに叔父さんから、あんたたちの生活費を預かっている。
でもこれを渡すには条件があるのよ」
「……条件?
ちっ。
またあのバカ親父、俺たちに無理難題を……」
「いいえ。
無理な話じゃないわ。
受け入れるか、受け入れないか、ただそれだけの話よ」
どういうことだろうか。
黙って続く話に耳を傾ける。
「叔父さんから聞かされている条件はひとつだけ。
優希とひと花ちゃん。
ふたり一緒の暮らしをお終いにすること。
それが条件よ」
「――な⁉︎」
「あんたが生活費を受け取った場合、あたしがひと花ちゃんの面倒をみる手筈になってるわ。
だから優希。
お前はもう、なにも心配しなくていい。
ただ生活費を受け取って、元の学生生活に帰ればいいのよ」
……なんだそれ。
那月さんから視線を外して、ひと花のほうを振り返る。
彼女はキュッと下唇を結んで、俺を見つめていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
ひと花はこのことを知っていたって⁉︎
どうして……!」
「……黙っていてごめんなさい。
お母さんからの手紙に、そう書いてたから」
巴さんから託された、あれか。
「い、一体なんのために!
なんなんだよ、あの手紙は。
那月さん!
そんな条件を俺たちに突き付けて、一体どんな理由があるんですか!
これじゃあ、まるで……」
生活費を受け取るなら、ひと花のことは諦めろ。
親父たちからそう言われている気がした。
俺はいきなりの理不尽に憤ってしまって、つい那月さんに向けて声を荒げてしまう。
「……ふぅ。
落ち着きなさい優希。
あたしに聞いても理由なんて分からないわよ。
あたしはただ、叔父さんたちから聞いた話をそのまま伝えているだけなんだから」
たしかに那月さんの言う通りだ。
彼女はあくまで、面倒ごとを引き受けてくれている立場。
感謝こそすれ、当たるなんてもってのほかだ。
「……すみません。
少し動揺してしまいました」
「わかればよろしい。
……でも強いて言えばそうね。
あたしがひと花ちゃんのお母さんの立場だったら、これだけお膳立てされているのに、自分の力で彼女のひとりも養えない男に娘を預ける気にはなれないわねぇ」
「か、彼女⁉︎
私が優希くんの⁉︎
な、那月さん!」
固唾をのんで成り行きを見守っていたひと花が、顔を赤くして声を裏返した。
「……さて。
もう一度聞くわよ?
優希。
あたしは叔父さんから、今後のあんたの生活費を預かっている。
いますぐにでも渡せるわ。
受け取る?
受け取らない?」
那月さんが懐から茶封筒を取り出して、差し出してきた。
◇
那月さんの問い掛けを受けて、黙考する。
とはいえ、答えなんてもう決まっていた。
ひと花とふたりで過ごしてきた日常。
幸せ過ぎたそれを手放すなんて、俺にはもう到底無理な話だ。
「……生活費は、受け取りません」
ひと花がほっと緊張を解いた。
那月さんがふっと笑ってから、生活費の入れられた茶封筒を懐にしまい直す。
「わかった。
じゃあ、今後のことはあんたたちでなんとかするのね。
がんばりなさい。
まぁ、なにかあれば、この那月お姉さんを頼りなさい。
多少の手助けくらいならしてあげるわよ」
コーヒーを飲み終え、代金をカウンターに置いてから那月さんが席を立った。
店を出て行こうと歩き出す。
「……待ってください!
那月さん。
お願いがあります!」
俺は立ち去ろうとする彼女の背中を呼び止めた。
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