第29話 看板料理を作りたい

「待って下さい!

 お願いがあります」


 立ち去ろうとする那月さんを呼び止めると、彼女は足を止めてこちらを振り返った。


「……どうした、優希?」


 親父から与えられる生活費は、さっききっぱりと断った。


 だが断れたのは、いまはまだ、幾らかの貯金が残っているからだ。


 このまま稼ぎがない状態が続けば、いずれ親父に頼らざるを得なくなり、そうすればひと花との同居は解消される。


 そんなこと、許容できない。


 だからもう、形振りは構っていられない。


 俺は前からずっと考えていて、でも遠慮していた願いごとを、思い切って那月さんに伝えてみることにした。


「厚かましいことは重々承知しています。

 でもお願いします!

 俺に……。

 俺に、オムライスの作り方を教えてください!」


 一歩足を踏み出して、頼み込む。


 俺の勢いに、那月さんが軽く仰け反った。


「なんだ、優希。

 いきなりだなぁ。

 いや、教えてもなにも、もう作れてるじゃないか。

 お前のオムライスは十分美味しいよ。

 その辺のお店と比べても、特に劣ってない」


 たしかに劣ってはいないだろう。


 それは自分でもそう思う。


 だが俺の作るオムライスには、欠けたものがたくさんあった。


 ケチャップライスの水っぽさや、味のムラ。


 トロリとしてはいるが、不均等に火が通って一部が硬くなってしまった卵。


 それに比べて、以前食べさせてもらった那月さんのオムライスは本当に美味しかった。


 ライスにはしっかりとケチャップと鶏肉の旨味が染み込んで、味ムラもベタつきもない。


 卵も隅から隅まで雲みたいにふわふわで、スプーンを沈めるとトロリとした絶妙な半熟加減。


 俺と同じキッチン、同じ材料で作ったのに出来上がったオムライスには圧倒的差があった。


 あのオムライスは、何度だって食べたくなる。


 だから那月さんのオムライスなら、喫茶店にお客さんを呼び込めるくらいの看板料理にだってなるに違いないと思うのだ。


「話はそれだけか?

 じゃああたしはもう行くぞ。

 あんまり自分の店を空けておくわけにもいかないんだ」


 再び那月さんが立ち去ろうとする。


「ま、待ってください!

 劣ってないだけじゃダメなんです!

 それじゃ売りにならない。

 那月さんの作るオムライスくらい、飛び抜けて美味しくないと……」


 にこやかだった那月さんの目が、すっと細まった。


 真面目な顔で聞いてくる。


「……へぇ。

 あたしと同じくらい、か」


 空気が肌を刺すような、鋭い迫力を感じた。


 再会して以来初めての、那月さんからの責めるような雰囲気に思わずたじろいでしまう。


 でも俺は、腹に気合いを入れ直してお願いする。


「は、はい……!

 それくらい美味しくないと、きっと名物にはならない。

 いまのままじゃダメなんです。

 なんとかして、お店にお客さんを呼びたい!

 だから、お客さんが何度でもリピートして食べたくなるような、そんな看板料理を作れるようになりたいんです……!

 お、お願いします!」


 無理をお願いしているのはわかっている。


 でもひと花との生活が掛かっているなら、引くわけにはいかない。


 那月さんに向かい、今度はしっかりと腰を曲げて頭を下げた。


「……ゆ、優希くん」


 ひと花は突然の俺の行動に面食らっていた。


 だが余計な言葉を挟まずに、成り行きを見守ってくれている。


 俺は頭を下げたまま、那月さんの返事を待った。


 ◇


 しばしの沈黙。


 那月さんの硬い声が、頭上に降ってくる。


「……言いたいことはわかった。

 別に、教えることは構わない」


「じゃ、じゃあ……!」


 頭を下げたまま、ちらりと目を向ける。


「待ちなさい。

 慌てないの。

 じゃあこちらからも聞くわ。

 優希。

 お前は教えを受ける対価として、なにを差し出す?

 あたしはこれでもプロの料理人だ。

 磨きあげた料理の腕は一朝一夕で身に付けたものじゃないし、誇りだってある。

 そのあたしに教えを請うからには、相応の対価を支払いなさい」


「そ、それは……」


 俺は返答の言葉に詰まった。


 差し出せる対価なんて、なにも持っていない。


 だが彼女の言っていることは至極当然だ。


 那月さんは名実兼ね備えた、一流の料理人なのである。


 ずっと昔から修行を続けているし、わざわざ渡仏してまで料理の知識や腕を磨き、きっといまだって日々の研鑽を怠ったりはしていないのだろう。


 だからこそ彼女は、ミシェラン2つ星シェフなのだ。


 そしいま俺は、那月さんが苦労に苦労を重ねて身につけてきた料理の技術を、都合よく伝授してくれと頼んでいる。


「……支払える対価はありません」


 歯を食いしばって答えた。


「……そうか。

 じゃあ話にならないな」


「でも!

 でも教えてもらえれば、頑張って身につけます!

 そして必ず、那月さんが満足するくらいのオムライスを作れるようになりますから!」


 都合がいいことは自覚している。


 でも俺には、こうして頭を下げて頼み込むしか術がない。


 ◇


 また少しの沈黙があった。


「……優希。

 頭を上げなさい」


「……お願いします!」


「わかった、わかった。

 教えてあげるわよ」


「ほんとですか⁉︎」


 バッと頭を上げる。


 那月さんは相変わらず厳しげな顔で俺を見ていた。


「……まぁ、元々あんたたちの境遇には、ちょっと同情してたところもあるのよ。

 叔父さんたちにも考えがあるんだろうけど、高校生に働けってのは、少し酷なんじゃないかなってね。

 ……ん?

 いや、そうでもないわね。

 あたしなんかは高校の頃にはもう、ホテルの厨房でバリバリ修行してたし……」


 ひとしきりぶつぶつと呟いたあと、彼女はようやく、ため息まじりに表情を緩めた。


「はぁ……。

 まぁとにかく教えてあげるわよ。

 なにかあればあたしを頼れって言った手前もあるしねぇ」


 那月さんが、店内の壁掛け時計を見た。


「えっと……。

 いま6時前か。

 よし、優希。

 今日はもう、お店を閉めなさい」


「は、はい。

 お客さんも入ってないですし、それは構わないですけど……」


「店を閉めたらすぐに取り掛かるわよ!

 いまからみっちり、オムライスの技術を仕込んであげる」


「那月さん……。

 あ、ありがとうございます!」


 もう一度しっかりと頭を下げる。


「こら!

 頭を下げてる暇なんてないでしょ。

 さっきの『必ずあたしが満足するオムライスを作れるようになる』ってセリフ、忘れてないわよ?」


 こうして俺は、店の看板とするためのオムライスの特訓を始めた。

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