第30話 それぞれのがんばり

 その日の夕方、俺は自宅のキッチンに立っていた。


 ひと花と相談して、次の週末まで喫茶店は閉めることにしていた。


 来客が見込めない状態で無理に営業を続けても、赤字がかさむばかり……。


 そのことがようやく、俺たちにも理解できたからだ。


 いま優先すべきは看板料理の特訓である。


 俺はオムライスの材料を確認してから、コンロにふたつのフライパンを乗せた。


 チキンライス用と、オムライスを巻く用のフライパンだ。


「えっと。

 たしか……」


 那月さんの教えを、口にだして反芻する。


「ケチャップライスは、ライスを冷ましてから使うこと。

 そしてケチャップは、ライスより先に炒めること。

 そうすれば、ベタつかずに味ムラのないケチャップライスが出来上がる」


「オムライスに使う鶏肉は、ひき肉がいい。

 もしひき肉がなければ細かく刻んで使う。

 これで塊の肉を使うより、ライスに味が馴染みやすくなる」


「卵は常温に戻して、混ぜ方はふんわり軽く。

 卵が冷えたままだと、流し込んだときにフライパンの熱が下がるし、混ぜすぎると白身特有のふわふわした食感が残らない」


 料理はまず知識だ。


 そして次に技術である。


 技術面で言うと、オムライスの場合はとくに、卵を巻く腕が味というか、食感の良し悪しを左右する。


 コンロに乗せたフライパンを火にかけて、十分に熱されるのを待つ。


「……よし、巻くぞ。

 強火で一気に。

 かつ均一に火を入れながら巻き上げる!」


 ここでもたつくと硬くなるし、フライパンの返しが微妙だと焼き上がりにムラができる。


 あの日、技を盗めといいながら見せてくれた、那月さんの手本。


 それをしっかりと思い返した。


 脳内に焼き付けたフライパン捌きを、トレースするように手を動かしていく。


「……くそっ。

 やっぱり、那月さんみたいに上手くいかないな」


 こればかりは何度も練習を繰り返して、自らに叩き込むしかないのだろう。


 俺はひとり、特訓を続けた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 優希がオムライスの特訓を続けている間、ひと花もひと花で、お店に客を呼び込むために動こうとしていた。


「んと……。

 チラシは何枚くらい、つくればいいのかな。

 こういうのって、どれくらい受け取ってもらえるのかしら」


 彼女が自室にこもって作っているのは、喫茶店の手書きチラシだ。


 優希はいま看板料理の特訓を続けている。


 きっと彼ならきっちりと、最高のオムライスを作り上げてくれるだろう。


 だがいかに看板料理が美味しくとも、閑静な住宅街に佇む小さな喫茶店の料理なんて、誰も食べに来てなんてくれない。


 宣伝と、ついでに付加価値がいるのだ。


 そこでひと花は、友人の山田や豊崎に相談した。


 すると彼女たちはこう返してきた。


『ならひと花。

 あんた自身が看板ウェイトレスになりなさいよ。

 美人なんだから、客寄せ効果抜群でしょ』


『こんなウェイトレスさんがいるって分かったら、みんなほっとかないよ!

 だってひと花ちゃん、可愛いからっ』


 ひと花は腹を括った。


 彼女は自らを付加価値として、お店に客を呼び込むことを決意した。


 これもすべて、優希とふたりの生活を守るため。


「うぅ……。

 でもやっぱり、ちょっと恥ずかしいなぁ」


 彼女は喫茶店の最寄り駅あたりで、ビラ配りをするつもりだった。


 しかもウェイトレス姿のままで。


 恥ずかしくはあるが、そうした方が視覚的に宣伝効果が高いと判断したからだ。


 背に腹はかえられぬのだ。


「……うん。

 やるぞっ。

 女は度胸!」


 ちなみに山田や豊崎も、ビラ配りを一緒に手伝ってくれることになっていた。


 豊崎はしぶっていたが、乗り気になった山田に強引に押し切られていた。


「あ、そうだ。

 亜美と裕子にも店の制服を着てもらおうかな。

 私ひとりじゃ恥ずかしいもんね。

 えっと、裕子は私の替えの制服でいいとして、亜美は小さいからサイズあるかしら……」


 たしか母親が昔、着ていたのがあった気がする。


 ひと花はそんなことを考えながら、チラシ作りを続けた。

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