第19話 ひと花と魚介豚骨ラーメン
平日金曜のお店帰り。
俺は喫茶店を閉めてから、ひと花と並んで帰路を歩いていた。
「今週は、思ったよりお客さん来てくれたね。
良かったぁ……」
「ああ。
目標の稼ぎも、楽々で達成してるしな。
なんとかなりそうだ」
今週平日の平均客数は19人。
具体的には月曜日から本日金曜日まで、31人、24人、15人、15人、12人という具合だ。
月曜の31人が最多でその後は減少傾向である。
とはいえ客単価は計算してみたところ、軽食込みで800円弱あったし、平日は6、7人もお客さんが入ってくれれば十分なように思える。
「とりあえずは初週は乗り切れそうだ。
あ、そうだひと花。
多少余裕もあることだし、たまには外食して帰らないか?」
時刻は20時半。
俺も彼女も腹ペコなのである。
「外食かぁ。
……うん。
たまにはいいかも」
俺たちはどこで夕飯を食べるか相談しながら、夜道を歩いた。
◇
相談の結果、なぜか俺たちはひと花の案内でラーメンを食べに来ていた。
喫茶店から徒歩数分の場所にあるこのお店は、濃厚な豚の背脂が特徴的な、どろりとしたスープが売りのラーメン店らしい。
「……なぁ」
「な、なに?」
「ほんとにここでいいのか?
もっとこう、別の店でもいいんだぞ。
ファミレスとかどうだ?」
「いいの。
私、たまにこのお店、お母さんときてたのよ。
美味しいんだから」
たしかにうまそうではある。
こうして店の前に立っているだけでも、長時間じっくりと煮込まれた豚骨の、独特で、ある種の臭みのある匂いが漂ってきている。
お腹がぎゅるると鳴いた。
「さっ。
入りましょう、優希くん」
「あ、ああ。
待ってくれよ、ひと花」
躊躇なく店の扉を開いた彼女に、俺も続いた。
◇
「へい!
らっしゃいっ!」
暖簾をくぐると、熱気にまみれた厨房兼カウンターの中から威勢の良い声が飛んできた。
ひと花と並んでカウンター席に座る。
「私のおすすめは、魚介豚骨の
スープの割合を、変えてもらえるの。
基本は魚介3の豚骨7なんだけど、そこはお好みで大丈夫かな」
メニューを眺めながら、ひと花が饒舌に語る。
思えばここしばらくの喫茶店営業を通じて、彼女も随分と俺に打ち解けてくれた。
指摘するとまたひと花は変に赤くなるだろうから言わないけど、俺はこうやってまた、彼女と普通に話せるようになったことが嬉しかった。
「俺はひと花と同じのでいいよ。
初めての店だから、どれがうまいのかわからないしさ」
「……そう?
じゃあ、えっとぉ。
すみませーん。
こっちにWラーメンふたつ下さい。
どっちも魚介4、豚骨6のスープ濃いめでっ」
「あいよー!
Wラーメン2丁はいりゃっしたぁ!」
大きな声で注文が受けられる。
程なくして俺たちの前に、ひとつずつラーメンのどんぶりが並べられた。
「うわっ。
これはまた、スープがすごいな……」
こってりを通り越して、なんかドロドロしている。
「んー、美味しそう。
それじゃあ、いただきまぁす」
ひと花は艶めく長い黒髪を後ろでひとつにまとめてから、箸を割り、熱々のどんぶりから麺をリフトしたかと思うとおもむろに啜り始めた。
本人が言う通り、食べ慣れているみたいだ。
その意外にも堂にいった食べっぷりに思わず見入っていると、彼女が俺の視線に気付いた。
「な、なに?
な、なにかおかしいかしら」
「……いや、なんでもない。
じゃあ俺も、いただきます」
ひと花に倣って俺も勢いよく麺を啜る。
とろみを帯びた魚介豚骨スープが麺に絡みついて、なんとも濃厚な味わいだ。
レンゲでスープを掬ってひと口飲んでみると、これが案外しつこくなく、ぎゅっと凝縮された豚骨の出汁と魚介の旨味が感じられる。
「……うん。
うまいな、これは!」
「えへへ。
でしょ?
食べすぎると太っちゃいそうだから頻繁にはこれないんだけど、お母さんの手伝いをしたあと、たまに一緒にここのラーメン食べるの好きだったの」
「そうなんだ。
じゃあこれからは、俺と一緒に来ような」
笑いかけると、ひと花が赤くなった。
「た、たた、たまにならよ!
そ、それなら、つつ、付き合ってあげなくも、な、ないかもっ」
それだけ言うと、彼女はうつむき気味になってまたラーメンを食べ始めた。
その様子を微笑ましく眺めてから、空腹だった俺は夢中になって麺を啜った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
自宅に帰ってきて風呂からあがると、ひと花がリビングのソファで横になっていた。
上下スウェットのラフな家着姿である。
こんな彼女は珍しい。
たいてい彼女はいつも家でもきっちりと着飾っていて、あまり隙を見せないのだが……。
「……ひと花?」
声をかけても返事がない。
学校と喫茶店の掛け持ちで疲れているだろうし、寝てしまっているのかもしれない。
俺は髪を拭いていたタオルを肩にかけ、ソファに横たわるひと花のもとまで歩いていく。
正面に回って顔を覗くと、やはり彼女は目を閉じてすやすやと眠っていた。
すぅすぅと小さく寝息を立てる度に、胸が薄く上下する。
俺は思わず彼女の寝顔に魅入ってしまった。
冬月ひと花。
学校一の、美人。
このところ身近になりすぎて、忘れてしまいそうになっていたが、彼女の容姿はその肩書きに恥じないものだ。
雪のように白い肌から目が離せない。
ほんのわずかに口が開いている。
ふっくらとした淡い桃色の下唇に、目を奪われた。
漂ってくるのはシャンプーの香りだろうか。
先に風呂に入った彼女からは、良い香りがして、なんだか俺は頭がぽぅっとのぼせてきた。
「…………はっ⁉︎
いかん、いかん」
いつまでも寝顔を眺めているのは可哀想だ。
「ひと花。
起きろ。
自分の部屋で寝たほうがいいんじゃないか?」
そっと肩を揺さぶると、彼女は薄く目を開いた。
「……んにゅ。
ふぁ……。
えっと……」
視線をさ迷わせる。
「あ……、優希くん……」
「よ、起きたか。
ソファで寝ると身体が痛くなるし、下手すると風邪引くぞ?」
「ん。
わかってる」
のろのろと身を起こしてから、彼女は自分の格好をボーっと見下ろした。
「……。
…………。
………………へ?」
ようやく居眠りをしていたことに気付いたようだ。
「あ、あわわ。
こ、こんなだらしない格好……!」
ひと花が跳ね起きた。
顔を真っ赤にしながら、オロオロし始める。
「み、みみ、見ちゃダメ!
あっち向いて!
……はっ⁉︎
も、ももも、もしかして……。
優希くん、私の寝顔、みた⁈」
言われた通り顔を背けて、頬を指でかく。
「いや、まぁその、なんだ。
…………ちょっとだけ、な」
ひと花が耳まで真っ赤になった。
「さ、最低!
女子の寝顔を眺めるなんて、信じられない!
デリカシーなさすぎよ!
優希くんのバカっ!」
彼女は自分の家着姿を隠すように、両腕で自分の身体を抱いてから、一目散に自室へと戻っていった。
呆気に取られた俺は、思わず小声で呟く。
「……ラーメン食べてるところはよくて、寝顔はだめなのかぁ」
女心はよく分からん。
俺は頬をかいたまま、彼女の去って行ったほうに顔を向けた。
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