第18話 巴さんのお客さん
6時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
これにて月曜の授業はみんなお終い。
あとはホームルームが終われば晴れて放課後だ。
生徒たちがガヤガヤと騒ぎ始める。
「ねえねえ、ひと花ちゃん。
今日こそは帰りにどっか寄って帰ろうよぉ」
「ごめんね、亜美。
しばらく家のほうの用事で、放課後は暇がないの。
せっかく誘ってくれたのに、悪いんだけど……」
隣の席に、女子生徒たちが集まってくる。
俺はいつものように、素知らぬふりを決め込んだ。
「えー。
ひと花ちゃん、付き合い悪いよぉ」
「こぉら、亜美。
ひと花も家庭の事情だって言ってるでしょ。
無理いわないの」
「だってぇ……。
じゃあ裕子ちゃんが付き合ってよぉ」
ちらりと横目でみたひと花は、むくれるクラスメートを困った顔で宥めている。
俺は学校が終わったら喫茶店に直行するにしても、ひと花は1時間くらい遅れて入ってもらってもいいかも知れない。
そうすれば彼女も、学校帰りに友達と少しお茶をするくらいの時間は確保できるようになるだろう。
うん。
これについては、今度提案してみよう。
そうこうしていると、担任の教師が教室の前の方のドアを開けて入ってきた。
「お前らぁ。
さっさと席に戻れー。
ホームルーム始めるぞぉ」
ひと花の周りに集まっていた女子たちが、各々自分の席へと戻っていく。
なんとなしにその様子を見ていると、ほっと息をついたひと花と目があった。
「――ッ⁉︎」
相変わらず挙動不審な彼女は、顔を赤くしてキョロキョロと視線をさ迷わせてから、わざとらしく教壇へと顔を向けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時刻は夕方17時半。
平日の喫茶店営業開始から1時間ほど経っている。
店には既に5組、計7名ものお客さんが入っていた。
またこの1時間のうちに、チラッと顔をのぞかせて、コーヒーを1杯だけ飲んでサッと帰ったお客さんも3名いる。
あわせて10名もの来客だ。
これは割と繁盛した客入りと言っても、過言ではないのではなかろうか。
――カラン、コロン。
考えているそばから、またドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
ひと花が明るい声色でお客さんを迎え入れる。
「よぉ!
ひと花ちゃんじゃないかい。
偉いねぇ。
平日なのにお手伝いかい?」
どうやら来客は、店の常連さんのようだ。
「あ、お久しぶりです。
手伝いという訳じゃないんですけど……」
「そうかい、そうかい。
じゃあ、おじさんはアメリカンを貰おうかな。
ところで……」
常連さんが、キョロキョロと店内を見回した。
「えっと、ママはいないのかい?」
まただ。
どうも今日は、昨日から店を開けていることを聞きつけて常連さんがやって来てくれているみたいなのだが、みんな口を揃えて一言目には「ママは?」、「巴ちゃんは?」と尋ねてくる。
「実は、お母さんはいないんですよぉ」
「ええ⁉︎
そうなの?
残念だなぁ……。
じゃあ、明日はママいる?」
「それがですね――」
ひと花が巴さんが年単位で海外に行ったことを伝えると、常連さんはあからさまに落胆した表情をみせた。
「……そっかぁ。
残念だねぇ。
あ、うん、わかった。
とりあえず、さっき注文したアメリカンを持って来てくれるかな」
「は、はい。
ありがとうございます。
アメリカン、ワン、入りまぁす」
「了解ぃー」
オーダーを受けてサイフォンに手を伸ばす。
その後も営業終了の時間まで、ひっきりなしに巴さん目当ての常連さんが来店し続けた。
◇
最後のお客さんを見送って、シャッターを閉める。
「ひと花、お疲れさま」
「ゆ、優希くんも」
「いやぁ、結構忙しかったなぁ。
結局、何人くらいお客さん来たんだろう。
あ、コーヒー淹れるよ。
カウンター座ってくれ」
「あ、ありがとう。
あとで集計してみるけど、多分30人くらいかな」
平日の営業時間は16時半から20時までだから、たったの3時間半で30人もの来店があったことになる。
仮に客単価を安めの500円と見積もっても、今日だけで1万5千円もの売り上げだ。
コーヒー豆や紅茶の茶葉なんかは備蓄されていた分がまだあるし、売り上げから軽食の材料仕入れを差し引いてもかなり残るだろう。
当初の目標と考えていた平日1日3千円の稼ぎなんて、余裕で上回っている。
「しかしどうなることかと思ったけど、案外楽勝でやっていけそうだなぁ。
この調子を維持できるなら、平日は毎日店を開けなくてもなんとかなるかも知れないな」
「う、うん。
だといいね」
ミディアムローストのコーヒー豆から、芳しい香りがふんわりと漂ってきた。
サイフォンに抽出したふたり分のアメリカンコーヒーを、温めておいたカップに注ぐ。
「はい、ひと花。
熱いから、気をつけてな」
ソーサーにカップを乗せてカウンターごしに差し出すと、ひと花はボーっと俺の顔を見つめながら手を伸ばしてきた。
「……なんだか不思議。
お母さんの喫茶店で、閉店後にこうやって、お母さんじゃなくて優希くんにコーヒーを淹れてもらうなんて。
うふふ。
こんなこと、ちょっと前まで考えもしなかったなぁ」
彼女の伸ばしてきた指と、ソーサーを持つ俺の指がわずかに触れ合った。
「――あっ⁉︎
ご、ごめんなさい」
「わ、悪い!
俺のほうこそ。
――って、熱ッ⁉︎」
動揺した俺は、思わず淹れたてのコーヒーをこぼしてしまった。
指先に熱いコーヒーが掛かってしまう。
「痛ぅ……。
くそっ。
こぼしちまった。
ひと花はコーヒーかかってないか?」
「え、ええ。
私は大丈夫だけど、優希くん!
はやく冷やさなきゃ!」
「ああ、そうだな。
あちちっ……」
流しの蛇口をひねって、流水で赤くなった人差し指を冷やしていく。
「あーあ……。
これはちょっと、水ぶくれになりそうだなぁ」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
ひと花が席を立って、更衣スペースへと向かう。
しばらくガサゴソと何かを探す音がしてから、彼女は救急箱を持って、また戻ってきた。
「これ!
消毒液と、絆創膏あるから!」
「……火傷って、絆創膏貼るんだっけ?」
「そんなの、私もわかんないよ!
いいから、こっちきて!
指をだしてっ」
「あ、ああ……」
剣幕に押された俺は、カウンターの中から出て促されるまま隣に座った。
するとひと花は不器用な手つきで、水ぶくれが破けて赤くなった箇所を消毒し、絆創膏を巻いてくれる。
肩を寄せ隣り合って座った彼女は真剣な表情で、俺の手を目の高さまで持ち上げ、他に火傷はないか探している。
ふたりの距離はかつてないほどに近い。
二の腕がふれあい、呼吸音まで聞こえてきた。
妙に気恥ずかしくなってしまった俺は、まだマジマジと指先を見つめている彼女に背を向けながら、ボソボソと呟く。
「な、なんか、照れるよな。
こういうの……」
「…………へ?」
ひと花がキョトンとした。
「いや、だからさ。
な、なんというか、……近いし」
けれども次の瞬間には、頭から湯気をふきそうな勢いで、顔が真っ赤に染まっていく。
「な、な、な……。
なにを……⁉︎」
持ち上げていた俺の手を、バッと振り払った。
そのままガタガタッと席を立って、カウンターの一番端の席に座りなおす。
「ちょ、調子に乗らないでくれるかしら⁉︎
ほんの少し絆創膏を巻いてあげただけじゃない!
か、勘違いしないことね!」
めちゃくちゃ声が上擦っている。
なんとなく俺は最近わかり始めてきたのだが、もしかするとひと花のこの態度は、照れの裏返しだったりするのではなかろうか。
「ははは。
大丈夫。
勘違いなんかしてないって。
それより、絆創膏ありがとうな。
あと、コーヒーこぼれちまったから、新しく淹れなおすよ」
「〜〜〜〜ッ⁉︎」
彼女は真っ赤になったまま、押し黙ってうつむいた。
その様子を眺めながら、俺はふたたびコーヒーサイフォンへと、絆創膏の巻かれた指を伸ばした。
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