第17話 喫茶店、営業開始!

 時刻は日曜朝の8時半。


 今日は喫茶店の初営業日だ。


 いまは俺とひと花のふたりだけだけど。那月さんも午後から顔を出してくれることになっている。


 ひと花と一緒に開店準備を終えた俺は、シャッターに手を掛けた彼女の後ろ姿を、カウンターの中から見守っていた。


「じゃ、じゃあ……開店するわよ!」


「ああ!」


 ガラガラガラっと大きな音を立てて、シャッターが押し上げられていく。


 薄暗かった店内に澄んだ朝の空気と光が入り込んできて、途端に店の一番奥まで明るくなっていく。


「さぁ、今日から営業開始だ!

 ひと花、がんばろうな」


「う、うん。

 が、がが、かんばりましょう!」


 営業時間については、平日16時半から20時、日祝8時半から20時までとすることにした。


 ちなみに土曜はお休みである。


 ただしこれはひとまずのもので、今後様子を見て変えていく可能性はある。


 平日は学校が終わったら、買い物をしてから店に直行するつもりだ。


 そして休日は結構早起きをすることになるけど、俺もひと花も、もともと朝は早いほうなのでそんなに辛くはない。


「……さて。

 開店したからって、すぐにお客さんが来るわけでもないだろう。

 朝ご飯でも食べながらのんびり待とうか。

 ひと花、こっちに座ってくれ。

 いま、トーストを焼くよ」


「あ、ありがと」


 長さ60センチほどもあるノーカットの食パンを、刃の部分がギザギザになったパン切りナイフで、程よい厚さに切っていく。


 手を動かしながら、カウンター越しにチラッとひと花を流し見た。


 いまの彼女はウェイトレス姿だ。


 全体的には黒を基調とした制服で、襟や半袖の袖口の部分なんかは白。


 腰には同じく白のショートエプロンを巻いて、頭にフリルをつけたオーソドックスなウェイトレス姿である。


 モノトーンの配色が、美人なひと花によく似合っている。


「な、ななな、なに?

 優希くん、さっきから私のことジロジロ見てる。

 こ、この制服。

 どこか、へ、変かしら?」


 どうやら視線に勘付かれたようだ。


「別に、おかしくないんじゃないか。

 ……というか、似合ってると思う」


 照れ隠しにぶっきらぼうな口調で言い放ち、そっぽを向いた。


 ひと花は顔を真っ赤にして、うつむいていた。


 ◇


 切り分けた食パンをトースターに突っ込で、焼きあがるまでに、コーヒーを淹れることにする。


 淹れ方は昨日のうちに、那月さんに教わってある。


 なんでもコーヒーの淹れ方には大きく2種類あって、それは『ドリップ式』と『サイフォン式』に大別されるのだそうだ。


 ドリップ式とは、紙や布のフィルターにコーヒー豆を入れてからお湯を注ぐ方法で、サイフォン式とはコーヒーサイフォンという器具を使い、沸騰した湯の蒸気圧を利用してコーヒーを淹れる方法だ。


 特徴としては前者は淹れ手による腕の違いが味に出やすく、後者は誰でもバラつきの少ない均一な味のコーヒーを抽出できる。


 ちなみにこの喫茶店では、サイフォン式を採用していた。


「ひと花。

 コーヒー豆はなにがいい?」


「ん、んっと。

 じゃあブレンドで」


 ブレンドコーヒーと一括りに言っても、これも店によって様々な豆の配合がある。


 巴さんのレシピによると、うちのブレンドはマンデリンとコロンビアをベースにブラジル・サントスとキリマンジャロを少量ずつ配合した、コク重視のコーヒーとのことだ。


 ほかにもバランス重視、キレ重視、香り重視と、様々なブレンドがあるらしい。


 ちなみにブレンドする豆は、多くても4種までなんだとか。


 あとブレンドの場合、複数の豆をまとめて挽くのか、それとも個別に挽いた豆を後で混ぜるのかという違いもあったりする。


 なんでも挽いた後で混ぜるほうが、手間は掛かるけれども豆が均一に混ざるらしく、店ではこちらの方法を採用していた。


 今回は昨日のうちに準備しておいたブレンド豆があるので、それを使う。


「っと、サイフォン、サイフォン……」


 コーヒーサイフォンとは、上部がロート状に、下部が丸底フラスコのようになったガラス器具だ。


 この器具でコーヒーを淹れる手順だが、まずフラスコに湯を入れてヒーターで沸かしておく。


 次にロートにフィルターをセットする。


 斜めにならないよう注意してセットしたら、今度は挽いたコーヒー豆をいれる。


 うちの場合は1杯160ccあたり豆10g。


 今度はロートを、フラスコにセットする。


 このときフラスコのお湯が完全に沸いていると、一気に噴き上がってくることがあるから注意だ。


 しばらくするとフラスコの湯が、ロートに上がってくる。


 3分の1ほど上がってきたところで、竹べらで素早く湯と豆を何回か混ぜ、お湯が完全に上がってきてから25秒待つ。


 そこでヒーターからサイフォンを離せば、ロートからフラスコに抽出されたコーヒーが降りてくるという寸法だ。


 ◇


 淹れたてのコーヒーと一緒に、トースト、サラダ、ゆで卵をひと花に差し出す。


 これが朝のモーニングセット、450円。


「さ、どうぞ」


「うん。

 いただきます」


 促すと彼女は、まずコーヒーカップを手にして、鼻先に近づけた。


「……うん。

 いい香り。

 お母さんのコーヒーの匂いがする」


 そのまま、ひと口啜った。


「味もおんなじ。

 おいしい……」


「そっか。

 良かったよ。

 娘のひと花がそう言ってくれるなら、安心だ」


 俺も自分用のモーニングセットを作って、カウンターの中でいただく。


 香り高いコーヒーを、ひと花と一緒に楽しんだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 エンジンの音がして、外の駐車場に車が停められた。


 軽快な身のこなしで降りてきた女性が、ドアベルを鳴らして店に入ってくる。


「はぁい、あんたたち。

 那月さんが来てあげたわよ!」


 顔を見せてくれた那月さんは、俺を見るなりため息をついた。


「……って、優希ぃ。

 お前なんて辛気臭い顔してるんだ」


「あぁ……。

 那月さんか……。

 いらっしゃい……」


「ほら、ひと花ちゃんも!

 そんな顔してたら、せっかくの美人が台無しだ」


「……でもぉ……」


 元気いっぱいの那月さんとは対照的に、俺たちは項垂れていた。


「なんだなんだ?

 どうしたの。

 那月お姉さんに話してみなさい」


「実は……。

 お店を開けたはいいけど、午前中の来客はゼロでした」


 なんと日曜だというのに、8時半から12時過ぎ現在まで、ひとりもお客さんが来なかったのだ。


 これは由々しき事態である。


「はぁ。

 なんだ、そんなこと?」


「そ、そんなことって、那月さん……。

 俺たちには死活問題なんですよ。

 だって、この店の稼ぎが俺たちの生活費になるんですから……」


「ああ、聞いてる聞いてる。

 なんでも店の粗利を生活費に充てるらしいね。

 ふふふ。

 叔父さんも相変わらずだ。

 ……よっ、と」


 壁に貼ってあった額を手に取った彼女を、ひと花が不思議そうな目で見る。


「……那月さん。

 それはなにしてるんですか?」


「ああ、これはな。

 食品衛生責任者の許可証を貼り替えてるんだよ。

 こいつは店舗の掛け持ちができないから、あたしの店のほうの切り替えに手間取っちゃったんだけどね。

 っと、よし!

 これで今日から、あたしがこの店の衛生責任者だ。

 あとでしっかり、君たちに衛生観念について叩き込んであげよう!」


「なんだか那月さん、楽しそうだなぁ」


「お、お手柔らかにお願いします」


 そうこうしていると、またドアベルがカランコロンとなった。


「おや?

 ほら、ふたりとも。

 お客さん、来たじゃないの」


 OL風の女性の二人組。


 初めての来客だ。


「……ッ⁉︎

 ひと花っ」


 跳ね起きてから背筋を伸ばして、ひと花に目配せをすると、彼女も俺を見つめ返してこくこくと頷いた。


「い、いらっしゃいませー!

 お好きなお席にどうぞー」


 ひと花がトレーにお冷とおしぼりを乗せて、窓際の2人掛けテーブル席まで注文を取りに行く。


「また注文が決まりましたら、お声をお掛け下さい。

 ごゆっくりどうぞー」


 さすが、いつも巴さんを手伝っていただけあって、落ち着いた接客だ。


 彼女を眺めながら、カウンター席に腰掛けた那月さんに話しかける。


「ふぅ……。

 初めてのお客さんだ。

 な、なんか緊張しますね」


「ふふふ。

 初々しいじゃない。

 取り敢えず優希。

 あたしにブレンドを1杯淹れてちょうだい。

 昨日教えた通りに淹れられてるか、確認してあげる」


「う……。

 お手柔らかにお願いします」


 こうして俺たちの喫茶店営業が幕を開けた。

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