第3話 海外赴任なんか聞いてない
週が明けての月曜日。
俺は昼休みの校舎裏で、ひとりぽつんと突っ立っていた。
「……冬月、来てくれるかなぁ」
昨日の晩、冬月ひと花が巴さんに連れられて、うちに来たことを思い出す。
その夜も結局、俺と彼女は一言も言葉を交わさず、ただお互いの存在を意識しながら沈黙して、親父と巴さんの仲睦まじい様子を眺めているだけだった。
だがこれではいけない。
実感はまったく湧かないものの、親同士が再婚すれば俺たちは家族になるのだし、あの告白の日から続く気まずい空気は今のうちに払拭しないといけない。
「冬月と家族かぁ……」
口に出してみても、違和感しかなかった。
家族というよりは同居人と考えたほうが、まだしっくりくる。
「……とにかく、話をしないと」
という訳で俺は、もう一度、冬月ひと花を校舎裏に呼び出したのである。
◇
……ざっ。
砂を踏む足音がして、校舎の向こうから彼女がやってきた。
呼び出しをスルーされなかったことに、ひとまず胸を撫でおろす。
「は、は、春乃くん!
き、きき、来てあげたわよ!」
冬月は顔を赤くして、声を上擦らせている。
「……何度も呼び出して悪いな。
来てくれてありがとう」
「そ、そそ、それはいいわよ……。
それよりも用件は、なに?」
話しながら俺は、ちょっと別のことを考える。
ああ……。
久しぶりに冬月と言葉を交わせた。
やっぱり彼女はいまも俺と目を合わせようとはせず、ぶっきらぼうな口調ではあるが、久々の会話だ。
なんというか、楽しい。
そっぽを向く冬月を、ちらりと盗み見る。
耳を赤くしてお腹の前で両手の指を突き合わせながら、キョロキョロしている。
落ち着きのない彼女を見ていると、なんだか俺も心が浮き足立ってきた。
いやこれは、胸が踊っているのか。
冬月以外には感じたことのない気分。
やっぱり俺って、こいつのことが好きなんだなぁ、なんてしみじみと実感する。
「それで、話なんだが――」
「わ、わかってるわよ。
こ、こく!
告白の続きなんでしょう?」
「……あ、ああ。
そうだけど、よく分かったな」
どうやら冬月も俺と同じことを考えていたようだ。
こんな状況になったんだから、まぁ当然か。
「ふ、ふん。
もちろん分かるわよ。
まったく春乃くん、あなたも諦めの悪い人ね!
で、でもいいわ。
そんなに私のことが、す、すす、好きだっていうのなら、おつ、お付き合いしてあげても――」
「すまん、冬月!」
なにかを早口で捲し立てている彼女に、パンっと手を合わせて、頭を下げた。
「な、なに⁉︎」
「あの告白のことは忘れてくれっ!」
「……へ?」
平謝りしながら片目でちらっと見上げると、冬月はぽかんと口を開けていた。
「虫のいい話だってのはわかってる。
前言を撤回するなんて、男らしくない真似だってことも……。
ただ言い訳をさせてもらうと、まさかお前が親父の再婚相手の連れ子で、俺と一緒に暮らすことになるだなんて知らなかったんだ」
「……はぇ?」
「冬月もあれからずっと俺と話してくれないし、迷惑掛けちまったと思う。
ぶっちゃけ俺のこと嫌いなんだろ?
でも出来れば俺は、お前と仲良くしていきたいんだ。
親父はお袋が死んでから、ずっと男手ひとつで苦労して俺を育ててくれた。
きっと巴さんだってそうなんだと思う。
だから俺は、親父たちの再婚を祝福してやりたい」
「…………はぁ」
「そんなときに、俺とお前の不仲でふたりの邪魔をしたくないんだよ。
だからもう一度頼む。
本当に虫がいいとは思ってる。
でもどうか、あの告白は、なかったことにしてくれ!
そしてせめて、親父たちの前だけででも、俺に普通に接して欲しいんだ」
◇
……。
…………。
………………静寂が訪れた。
まるで、あの告白の日の焼き直しだ。
「……冬月?」
恐る恐る声を掛けてみた。
固まっていた彼女は、開けっ放しだった口を閉じ、俯いて地面を睨みつけながら、肩をプルプルと震わせている。
「あ、あのぉ……。
それで、返事は?」
冬月がバッと顔をあげた。
キッと俺を睨みつけてくる。
彼女はその鋭い眼差しとは相反して、目を真っ赤に染めていた。
目尻には、いまにもこぼれそうな大粒の涙を浮かべている。
「お、おい、冬月。
ま、まさか。
……泣いてるのか?」
「……⁉︎
泣いてないわよ!
なんで、私が泣かなきゃならないの!
バカじゃないの!」
「い、いや、でもどうみてもお前、それは……」
「うるっさい!
このバカ、アホ、間抜け!
こっちみるな!
ウスラトンカチ、おたんこなす!」
冬月が手の甲で、ぐいっと目をぬぐった。
弾いた涙の粒が、陽の光をキラキラと反射して飛んでいく。
というかウスラトンカチって……。
いつの時代の悪口なんだよ……。
目を真っ赤にした彼女が、一度ずずっと鼻を大きく啜ってから背を向けた。
「もう……ッ。
もう知らない……!
好きにすればいいじゃないの!
うぇ、うぇぇ」
だっと駆け出す。
「お、おい……!」
冬月ひと花は、捨て台詞を残してあっという間に走り去っていった。
「って、行っちまった。
……なんだよ。
ったく、わけわかんねぇ……」
校舎裏にひとり置き去りにされた俺は、ガシガシと乱暴に頭をかいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日の晩。
俺は珍しく早く仕事から帰ってきた親父とふたり、夕飯の卓を囲んでいた。
今日のメニューは『ふわふわ卵の明太子ソースオムライス』である。
うちは父子家庭だから昔から家事全般は俺の役目で、このオムライスも俺の手料理だ。
今日は結構上手くできたと思う。
「いつも悪いな、優希。
それじゃあ、頂きます」
親父が手を合わせてから、匙を動かし始めた。
「はぐっ……、むぐ、むぐ。
うん!
上手に出来てるじゃないか」
「だろ?
まぁ、店で食うやつほどじゃないけどさ」
「なぁに、謙遜しなくてもいい。
ちゃんと美味しく作れている。
これなら、巴さんのお店を任せても安心だなぁ」
「……店?
なんの話だ?」
「いやなに、こっちの話だ。
お前はまだ気にせんでいい」
それだけ言ってから親父は会話をやめ、一心不乱にオムライスをかき込みだした。
なんだかよくはわからんが、ともかく俺も温かいうちに食べてしまおう。
出来たてほやほやの黄色いオムライスに、スプーンの先端を沈めて卵を割り、ソースやライスと一緒にすくいあげて、口へと運んだ。
とろとろの卵が舌を包み込む。
パラパラと
「……うん。
うまい」
満足気にうなずきながら、夕飯を楽しんだ。
◇
食後、ソファに深く腰を沈め、背もたれに体を預けながら、親父とふたりリビングでのんびりする。
ふと気になって、尋ねてみた。
「そういや親父。
いつも帰りは遅いのに、今日は随分早かったな。
どうかしたのか?」
「ん?
ああ、別に大したことはないぞ。
父さん、近く海外赴任になるから、日本での仕事は減らしていってるんだ」
「おう、そっか。
……。
……?
――って、はぁ⁉︎」
いま親父が聞き捨てならないことを言った。
「というか海外赴任ってなんだよ!
聞いてないぞ!」
「……あれ、言ってなかったか?
ははは。
すまん、すまん。
巴さんには大分前に伝えたんだが、お前には言うの忘れてた。
父さんな、5日後からドバイだ」
「ド、ドバッ⁉︎
な、な、な……」
いくらなんでも急過ぎる。
あまりのことに二の句が継げないでいると、親父は飄々とした態度で、しれっとまたとんでもないことを言い出した。
「ああ、そうそう。
巴さんは連れていくけど、お前とひと花ちゃんは日本に残れ。
この家にふたりで暮らす手筈になってるからな」
「……は?
はぁああ⁉︎」
「ふふふ。
あんな美人とひとつ屋根の下で同居だ。
嬉しいだろ?
父さんに感謝しろよぉ。
あ、でもいくらムラムラしても、手は出すなよ?
海外赴任から帰国したら、俺と巴さんは籍をいれることになってる。
そうしたら、お前とひと花ちゃんは家族になるんだからな」
あまりのことに、口をパクパクさせてしまう。
あの冬月ひと花と同棲⁉︎
「な、なんだよ、それ……」
俺は軽くパニックを起こし、絶句したままその場にへたり込んだ。
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