第2話 再婚相手のお子さんは……

 昼休憩を告げるチャイムが鳴る。


 教師が出て行くのと同時に生徒たちが騒ぎ始め、あっという間に教室はお昼の喧騒に包まれた。


 隣の席の冬月ひとも、友人たちと連れ立って学食へと向かったようだ。


 彼女が教室から姿を消すのを横目で見送ってから、俺は机に突っ伏した。


「はぁぁぁ……。

 もうだめだ……」


 盛大にため息をつく。


 昨日フラれたばかりの相手と、こうして机を並べて授業を受けることが、こんなにも居た堪れないなんて……。


 もう、本当に息苦しくてたまらない。


「ぁぁぁぁ……。

 俺は早まったかも知れない」


「よう。

 なにが早まったんだ?」


 背後から声がかけられた。


 気楽な調子のその人物は、うしろから俺を追い越してひとつ前の空き席に腰掛け、こちらを振り向いた。


「珍しく落ち込んでるじゃないか。

 どうしたんだ?」


 コンビニのレジ袋からサンドイッチを取り出して、頬張る。


 この男の名前は鈴木天彦あまひこ


 俺の友人である。


 見た感じは茶髪で若干チャラいが、付き合って見れば案外いいやつだ。


 ちなみにこいつは、顔がいいから結構モテる。


「ああ、なんだ天彦か……」


 俺は机に投げ出した身体を一旦持ち上げて、天彦の顔を眺めたあとに、もう一度突っ伏し直した。


「はぁぁぁ……」


「おいおい、ほんとにどうしたんだよ?

 辛気臭いため息ばかりついてると、女運も逃げちまうぞ」


「……はっ、女運ねぇ。

 いいんだよ、どうせ俺なんか……」


「ほら、とにかくわけを話してみろよ。

 なんか力になれることもあるかもしんねぇだろ?

 あれか?

 どうせお前のことだ。

 冬月ひと花がらみの悩みだろ。

 つーか、そろそろ告白する気になったか?

 なんなら俺が冬月を呼び出してやろうか」


「…………フラれた」


「……は?」


「だから、昨日フラれたって言ってんだよ……」


「お、おう。

 そっか……。

 って、はぁあッ⁉︎」


 天彦が大声を出した。


 教室中の注目が、俺たちに集まる。


 天彦は愛想笑いで場を誤魔化してから、俺の肩をぐっと引き寄せた。


「……どういうことだよ。

 詳しく話せ」


 顔を寄せてのひそひそ話だ。


「どうもこうもない。

 昨日の放課後、冬月を校舎裏に呼び出して、告白してフラれた。

 それだけだ」


「えっ⁈

 ちょ、マジで?

 フラれたって、お前、優希が⁉︎

 なんで?」


「なんでってお前なぁ」


「いやおかしいだろ。

 絶対冬月ひと花はお前に惚れてるって。

 なのにどうしてフラれるんだよ?」


「そんなこと俺が知る訳ないだろ。

 大体、俺がフラれたのはお前が……」


 喋りかけて口をつぐむ。


 いま一瞬俺は、自分がフラれたことを天彦のせいにしようとしてしまった。


 けど、これは誰のせいでもない、俺のせいだ。


 たしかに告白しろとけしかけてきたのはこいつだが、決断したのは俺なのである。


 自分で決めた選択の結果を、誰かに責任転嫁してはいけない。


「……っ」


 押し黙った俺をみて、天彦が苦虫を噛み潰したような顔をした。


 けどすぐにいつものヘラヘラとした表情に戻る。


「なに、心配すんな。

 冬月ひと花にもなんか都合があったんだろ」


「いや単純に俺のことが嫌いなだけだって。

 天彦も言ってただろ。

 冬月はいつも、俺にだけはやたらと当たりがきついってさ。

 はぁぁぁ……」


「嫌い?

 んなわけねぇと思うがなぁ……。

 とにかくまだ諦めんな。

 俺も応援してやっからよ!」


 バンバンと背中を叩かれる。


 応援もなにも、もう終わった話なんだと、俺は内心でもう一度ため息を吐いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 告白から数日が経った。


 いまは日曜日の夕方で、俺はひとり、リビングでごろごろして暇を潰していた。


 親父の帰りを待っているのだ。


 なんでも今日、再婚相手の女性をうちに連れてくるのだそうだ。


 お相手はともえさんという、40手前の女性。


 以前親父に引き合わされて、食事の席をともにしたことがあるので、俺も面識はある。


 どこかおっとりしていて、柔和な笑顔の似合う美人だった。


 まったく親父も隅に置けない。


 うちの家庭は、俺が小学校に上がる前に母親を病気で亡くしてから、ずっと父子家庭だ。


 だが親父はまだ40過ぎだし、もちろん枯れてもいないだろう。


 だから俺は再婚について、特に反対するつもりはなかった。


 むしろ新たな幸せを掴んで欲しいと願っている。


 とはいえ……。


「失恋したばかりで、親父の再婚を応援せにゃならんとはなぁ。

 はぁ……」


 なんとも遣る瀬無い。


 ◇


 ところであれから俺は、まだ冬月とは一度もまともに会話できていなかった。


 フラれたと言っても、あいつとは同じクラスで、さらに言えば隣の席なのだ。


 これからずっと会話がないままだと気まずいし、何度か俺のほうから挨拶をしたり、話し掛けたりはしてみたのだが、その一切のコミュニケーションを彼女に拒絶されていた。


 話しかけようとすると、顔を真っ赤にしながら瞬間湯沸かし器みたいに、一瞬で頭から湯気を立ててそっぽを向く。


 最近ではもう、目も合わせてくれない。


 この辛い状況に、俺はため息ばかりが増えていた。


「はぁぁ……。

 いつの間に俺、冬月にこんなに嫌われていたんだろう……」


 あいつと出会ったのは高校に入ってからだ。


 第一印象は、一言で言えば『女神』だった。


 入学から少しの間は、冬月は俺に対しても優しかったから、しばらくはその印象が崩れることは無かったのだが、いつからかあいつは俺にだけは冷たく当たるようになっていった。


「特に嫌われることをした覚えは、ないんだけどなぁ……」


 ぶつくさ呟きながらあれこれ考えていると、ドアの開く音がして、玄関から話し声が聞こえてきた。


「戻ったぞお」


「お邪魔しますぅ」


 ソファに寝そべっていた俺は、体を起こして立ち上がり、玄関に向かう。


 親父がひとりの女性を連れていた。


「お帰り親父。

 あと、いらっしゃいともえさん」


 挨拶をかわす。


「優希くんお久しぶりぃ。

 今日はお邪魔させて頂きます」


「邪魔だなんてとんでもないさ!

 さぁ優希。

 巴さんをリビングに案内してくれ」


 言われた通り、彼女をうちに招き入れようとする。


「あ、ひろしさん。

 待ってくださいな。

 まず優希くんに、娘を紹介しないと」


「おっと。

 そうだった、そうだった。

 喜べよ、優希。

 お前に同居人ができるぞ!

 しかも巴さんに似た、黒髪美人だぞぉ」


「……は?」


 娘を紹介?


 いったいなんの話だろう。


 そんな話は特に聞いていないが……。


 軽く困惑していると、巴さんが開けっぱなしの玄関扉に声を掛けた。


 それでようやく俺も気付いたのだが、ドアの裏に何者かが身を隠している。


 巴さんはその誰かの腕を掴んで、物陰から引っ張りだそうとしている。


「なに隠れてるの。

 出てらっしゃい」


「いやっ。

 い、や、だ!

 お母さん、離して!」


「ちょっと、ひと花。

 いまさら怖気付いちゃったの?

 お母さん、ちゃんと前もって説明してたじゃない。

 今日は寛さんの息子さんを紹介するわよって」


 …………ん?


 ひ、と……花……?


 まさか、な。


「で、でも、こんな⁉︎

 私、こんなの聞いてない!

 聞いてないわよぉ!

 こ、心の準備がっ」


「お母さんはしっかり言いました。

 あなたも納得してたじゃない。

 ほら。

 隠れてないで、出て、き、な、……さいっ!」


 巴さんが嫌がる人物を無理やり引きずりだした。


 姿を見せた彼女は、勢いあまってつんのめり、成り行きを見守っていた俺に、トンッとぶつかる。


「きゃっ。

 も、もう、危ないじゃないお母さん!

 転んだらどうするの。

 って……。

 ――はわぁ⁉︎」


 咄嗟的に支えた彼女が、顔を真っ赤にして飛び退いた。


 あわあわしながら、さっと母親の背に隠れる。


 というか、いまのは⁉︎


「な、な、な……」


 俺は目をぱちくりさせてから大きく見開き、驚愕の表情で彼女を見遣った。


「お、お前!

 お前は、……冬月ぃ⁉︎」


 親父の再婚相手、巴さんの連れ子。


 これから俺と暮らすことになるかもしれない相手とは、なんとあの冬月ひと花、そのひとだった。

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