第10話 下の名前で呼びたいです

 窓の外から朝の陽射しが差し込んでくる。


 今日は休み明けの月曜日だ。


 チュンチュンと小鳥がさえずる声を目覚まし時計代わりにして、ひと花は微睡みにぼやける瞳を開いた。


「ん……。

 ふわぁ……」


 ぼーっとしながら、昨日のことを思い出す。


 昨日、勇気をふりしぼって告白をして、あえなく撃沈した。


「……ぅぅぅ。

 もう!

 もうっ!」


 ベッドにうつ伏せに寝転び、枕に顔をうずめて、足をジタバタさせる。


 優希はひどい。


 そんな風に思いかけたひと花は、ぴたっと身悶えていた動きを止めて、考えだした。


「…………ちがう」


 本当に酷いのは自分だ。


 最初にあれだけこっ酷く彼のことをフッておきながら、今度はやっぱり付き合って欲しいとか言い出すなんて、自分勝手すぎる。


「うぅ……。

 これからどうしよう」


 呟いてから、ひと花はノロノロと身体を起こした。


 ベッドの上で女の子座りをしながら思う。


 もしかしたら昨日の告白はしなかった方が良かったんじゃないか。


 結局あれでは優希に呆れられるだけだ。


 挽回しなければ……!


 さもなければ、こんなわがまま娘を彼のような素敵なひとが、いつまでも好きでいてくれる訳がない。


 でも嫌われてしまった可能性を思うと怖い。


「ぅぅぅ」


 ひと花は唸りながら自問自答する。


 もしも嫌われたのなら、優希のことはすっぱり諦めるのか。


「……そんなの、嫌」


 諦められるわけがない。


 それにいまの環境なら、チャンスはいくらでもあるのだ。


 だったらこれからもう一度、彼に好かれるように努力をすれば良い。


 ひと花は切り替えていくことにした。


「……よし!

 とにかく登校のしたくしよ」


 気合いを入れて、ベッドから起き出す。


 ひと花はこう見えて、割と諦めの悪い女だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 一限目終了を告げるチャイムが鳴る。


 教材をまとめた教師が、教壇をおりて教室を出て行くと、俺の周囲はあっという間に生徒たちのガヤガヤとした喧騒に包まれた。


「おい、春乃!

 ちょっとこっちこい。

 あ、冬月さん、騒がしくしてごめんねー」


 隣の席できょとんとする冬月を残して、俺は集まってきた男子たちに廊下まで連行される。


「……お前!

 今朝のアレは、どういうことだよ!」


「なんだよ、いきなり」


「しらばっくれんじゃねぇよ。

 なんでお前が、冬月さんと一緒に登校してきてんだよ!」


「仲良く並んで歩いて!

 ちくしょう。

 隣の席といい、登校といい、お前ばっかりいい思いしゃがって……」


「俺だって冬月と歩きたい!」


 男子たちは口々に騒ぎ出した。


 というか、どういうことかと聞かれても、馬鹿正直に同棲始めました、なんて言う訳にもいかない。


 それに俺にだって、よくわからないのだ。


 実は今朝、家を出る前に俺は、冬月に別々に登校しようという提案をした。


 すると彼女は返事をせず、黙って俺の隣に立った。


 話しかけても冬月は顔を真っ赤にするだけで、言葉を返してくれない。


 結局そのまま俺たちは、教室までふたりで並んで登校してしまったという訳である。


 しかし、やっぱり訳がわからない。


 俺を嫌っているであろう冬月のために、良かれと思って別々の登校を提案したのだが……。


「はいはーい。

 お前ら、通行の邪魔になってんぞー」


 騒がしい男どもに取り囲まれて困っていると、天彦がやってきた。


「ほら、散った散った」


 ぶーぶー言いながらも、みんな教室へと戻っていく。


「……ふぅ。

 助かったよ、天彦。

 サンキューな」


「ん?

 ああ、気にすんな。

 それより俺も見てたぞ?

 仲良く並んで、冬月ひと花とご登校。

 はっはー、お熱いねぇご両人!」


「って、お前もかよ⁉︎」


 天彦は楽しげに笑いながら、バンバンと肩を叩いてくる。


「それで、お前たち。

 やっぱり付き合うことになったのか?」


「違うって。

 たまたまタイミングが合ったから、一緒に歩いてただけだっつの」


「まぁ、そういうことにしといてやるか。

 ともかく、ちょっとは進展があったみたいで良かった良かった」


 ちょうどそのとき、二限目の開始を告げるチャイムの音が響いた。


「昼めしのときにでも、詳しい話を聞かせろよ?」


「いや、今ので説明は全部だから」


 俺は天彦と連れ立って、教室へと戻った。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 昼休み。


 ひと花はクラスメートで友人の山田亜美や豊崎裕子らと一緒に、学食で昼食にしていた。


「ちょっとひと花ちゃん!

 朝のアレ、なに⁉︎」


 ひと花と対面に座った山田が、食堂の長机に身を乗り出した。


 山田は小柄だが、元気な女の子だ。


 興味津々な彼女の勢いに、ひと花が気圧けおされる。


「ほら亜美。

 落ち着きなって。

 ひと花が困ってる」


 山田の隣に座っている豊崎が、彼女を嗜める。


 豊崎は眼鏡をかけた理知的な女子高生である。


 ひと花ほどではないにせよ整った容姿をした豊崎は、一見モテそうではあるものの、その愛想のなさと男子に対する毒舌じみた物言いのせいで、実際にはあまりモテない。


「でもでもぉ。

 裕子ちゃんも気になるよね、ね!

 どうして春乃くんと一緒に登校してきたの?」


「そ、それはね……」


「私は別に気にならないなぁ。

 だって、春乃だよ?

 ひと花と釣り合うわけないじゃない。

 たまたま登校のタイミングが合っただけだって」


「む……!」


 ひと花が不機嫌な顔をした。


「そ、そうかしら?

 春乃くんって優しいし、よく見たら結構かっこいいと思うんだけど」


「春乃がぁ⁉︎

 ははっ、ないない!」


 談笑しながら、ひと花は今朝の出来事を思い返す。


 優希から別々に登校しようと提案され、思わず反発して一緒に学校までやって来てしまったけど、少し不味かったようだ。


 一時限目おわりの休憩からこっち、教室はずっとその話題で持ちきりなのである。


 どうやら優希のほうも男子生徒に妬まれて、絡まれているようだし、ちょっと迷惑をかけてしまったかもしれない。


「うーん……」


 これからは一緒に登校は、控えた方がいいのかも。


 唸りながら彼女はそんな風に考える。


 登下校は諦めるとして、じゃあどうやって優希との距離を縮めるのか。


「どうしたの、ひと花ちゃん。

 眉毛がこーんな感じに、ハの字になってるよ?」


「えっと……。

 なにかこう、男の子と仲良くなる方法はないかなぁって」


「――ぶふっ⁉︎」


 豊崎が味噌汁を吹き出した。


「ちょっと、裕子ちゃん!

 汚いよぉ」


「ごほっ、ごほっ。

 ご、ごめん亜美。

 それよりひと花!

 どういうこと?

 まさか、好きな男でもできたの⁉︎」


「べ、べべべ、別にそういうわけじゃないんだけど」


「んー?

 怪しいなぁ」


「もう、裕子しつこいよ。

 そんな事はいいじゃない」


「はは、ごめんごめん」


 会話をしながら、ひと花は考える。


 別々の登校を提案されたこともそうだが、やはりここ最近の一連の出来事で、自分と優希の間には少し溝のようなものが出来てしまっている。


 なんとかしてこの溝を埋めたい。


 だがいい方法が思い浮かばないのだ。


 頭をひねっていると、クラスのとある男女が近づいてきた。


「ひと花に亜美に豊崎じゃーん。

 あたしも、ここ座っていい?」


 いうなり女子生徒が、ひと花の隣に腰を下ろした。


「じゃあ、芽衣めい

 俺は先に教室戻ってるから」


「うん。

 またあとでね、かける


 そのやり取りを見て、ひと花はピコンと思い付いた。


「そうよ……。

 下の名前よ……!」


 バンッと机を叩いて立ち上がる。


「どったの、ひと花?」


「ありがとう芽衣!

 おかげで閃いちゃったわ!」


 名前で呼び合う仲になれれば、溝も埋まり、自分たちの関係性も一歩前進するに違いない。


「これよ……!

 これだわっ!」


 ひと花はどうやってこの思い付きを実行するか、計画を練り始めた。

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