第8話 ひと花、一世一代の告白
気付けば俺は、ソファで寝てしまっていた。
きっと親父たちの出立に合わせて、早起きをしたからだろう。
時刻はもう正午前だ。
「ふぁぁ……」
伸びをして起き上がる。
昼食を作らないといけない。
冬月のやつ、結局朝を抜いてるからお腹が空いてるだろうし、手早く作ってやらないと。
冷蔵庫を開ける。
「……あんまり食材がないなぁ」
漬物と卵、あとはチルド室に豚肉と、野菜室に幾らかの葉野菜ときのこ類。
全体的に量が少ない。
これは夕方あたり、スーパーまで買い出しに行ったほうがいいだろう。
「……冬月誘ったら、付き合ってくれるかな」
断られるだろうけど、一声かけてみるのもいいかもしれない。
「っと、それより今は昼めしの準備だ」
卵を3つ取り出す。
うたた寝してしまったせいであまり時間も掛けられないし、今回は手軽に出し巻き卵にしてしまおう。
「ふんふん、ふーん♪」
ボールに落とした卵と少量の出汁をかき混ぜる。
これは弁当にも入れられる、汁気の少ない出し巻き卵だ。
フライパンを熱して、解いた卵液を流し込む。
ジュッと小気味のいい音をBGMにし、少し前に流行ったポップスなんかを口ずさみながら、焦げないように卵を巻いていると、ふと、あることが思い起こされた。
「……そういえば、冬月と初めて話したときの弁当も、出し巻き卵だったなぁ」
高校に入学したてのあの頃を思い返しながら、昼食の準備をすすめた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
春乃邸は立派な戸建住宅である。
階数こそ二階建てと少ないものの、建物自体は大きく、各階の天井も高め。
1階にはトイレ、浴室、寝室のほかに、対面キッチンカウンターのあるダイニングルームと広々としたリビングルームがあって、リビングの大きな掃き出し窓からは、ガーデンルームや、その先の庭に出ることができる。
2階には4室あって、手前のふたつが寛の書斎と部屋、真ん中が優希の部屋、そして一番奥がひと花の部屋として割り当てられていた。
「はぁぁぁぁ……」
自室のベッドに身を横たえながら、ひと花は深くため息を吐く。
思い返すのはさっきの朝食のことだ。
せっかく優希が自分の分もご飯を用意してくれたのに、お礼を言うどころか頭が真っ白になって、結局なんにも言えずに部屋へと逃げ込んでしまった。
「はぁぁぁ……」
自己嫌悪に、またひとつため息がでる。
うつ伏せに寝転び、指で髪先をいじりながら、自らの態度を反省する。
このままでは優希に嫌われてしまうかもしれない。
それだけは、絶対に嫌だ。
「次こそは……。
次こそはちゃんと、春乃くんとお話をしてみせるんだから……!」
ひと花が決意を固めていると、階下から優希の呼ぶ声がした。
「……冬月ぃ。
昼めしができたぞぉ……」
バッと跳ね起きた。
ベッドの上で正座をして、乱れていた髪を、慌てて手ぐしで直していく。
「……降りてきて、一緒に食べないかぁ……?」
「は、はは、春乃くんが、呼んでる!
あわ、あわわ。
どうしたら……。
どうしよう……ッ!」
どうもこうもない。
階下におりて食事をともにすればいいだけだ。
なんということもないはずだ。
ひと花は自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと深呼吸をしていく。
数回息を大きく吸って吐き出すと、いくらか気持ちが落ち着き始めた。
「……よし!
いける!
今度こそ、絶対に逃げ出さない!
っと、その前に……」
姿見に自分を写して、確認する。
いまのひと花はラフな部屋着だった。
「こ、こんな格好、春乃くんには絶対に見せられないわね……」
彼女はいそいそと服を着替え始めた。
◇
階下に降り、ダイニングルームを覗きこむ。
昼食の準備を終えた優希と、こっそり顔を出したひと花の目が、ばっちりあった。
「え、あ、あ……。
そ、その……!」
慌てふためくひと花だが、さっき逃げないと覚悟を決めたばかりなのだ。
きゅっと下唇を噛んでその場に踏み止まった彼女に、優希が笑いかける。
「……ほら。
そこの椅子に、座ったらどうだ?」
柔らかな微笑みに内心ドキドキしながら、ひと花は無言で席についた。
優希が空のお茶碗を手に、腰をあげる。
「ご飯、どれくらい食べる?」
「す、すすす、少なめ……!」
ひと花は顔を真っ赤にしながらも、なんとか喉から声を搾り出すと、優希がご飯をよそって彼女に差し出した。
「ほら、これくらいでいいだろ?」
こくこくと頷きながら、震える指先でお茶碗を受け取ると、炊きたてのお米の香りがふわっとひと花の鼻腔をくすぐった。
そういえば昨夜の晩餐も途中で離席し、今朝も食べていない。
くぅ、と小さくお腹が鳴った彼女は、慌てて腹部を押さえて、俯いた。
「ん?
どうした、冬月。
腹でも痛いのか?」
「な、なな、なんでもない!
あなたには、関係ないことでしょ」
どうやらお腹の虫が鳴いた音は聞かれていなかったらしい。
ホッと安心したのと同時に、また暴言を吐いてしまった自分に気付いて、パニックになりそうになるものの、ぐっと堪える。
「そっか。
痛いなら我慢せずに言うんだぞ。
薬箱あるから。
じゃあ食べるとしようか。
いただきます」
優希が手を合わせてから、自分のご飯に箸を伸ばし始めた。
その姿を眺めてから、ひと花は用意された昼食に目を落とす。
ほかほかのご飯と、お漬物と、湯気の立つお味噌汁。
それと――
「あ、出し巻き……」
小さく呟く。
そういえば優希の作った料理で、初めて食べたのは出し巻き卵だったな。
ひと花はそんなことを思い出していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
高校に入ってすぐの頃、ひと花はひとりだった。
別にいじめにあっていた訳じゃない。
むしろクラスメートの中には、ひと花と仲良くしたいと思っている者もたくさんいたのだが、一見するとクールでレベルの高すぎる彼女の美貌が、周りを寄せ付けなかったのだ。
ひと花には人見知りの
といってもひと花は人当たりがいいから、近しくなった人間ほど、彼女が人見知りであることに気付かないケースが多いのだが、
中学校の頃は良かった。
小学校から繰り上がりで入学した中学は、知り合いだらけで友達もたくさんいたし、彼女がひとりになるようなことはなかった。
でも高校となると話が違う。
中学時代の友人たちは散り散りになり、残念なことにひと花と同じ高校に、仲の良い友達は誰もおらず、初対面の級友たちは遠巻きに彼女を眺めるだけで、話しかけようとはしてこない。
ゆえにひと花は孤立していた。
そんな彼女に最初に声を掛けてきたのが、隣の席に座っていた少年。
――春乃優希だった。
『なんだ冬月。
昼めし食べに行かないのか?』
『……お財布を忘れてしまいまして』
それがふたりが初めて交わした会話だ。
その頃ひと花は、毎日学食か購買のパンで昼食を摂っていた。
なのに昼休みの時間になっても席を立たない彼女を、彼が不思議に思ったのがきっかけだ。
『じゃあ、俺のをわけてやるよ。
一緒に食おうぜ。
いやぁ、まだ俺も昼めし食べる相手がいなくてさぁ』
言うなり優希はひと花の席と机をくっ付けた。
弁当を取り出し、蓋におにぎりとおかずを乗せ、箸の片方だけを差し出す。
『箸が片方だとちょっと食べにくいけど、勘弁なー』
『えっと、春乃くん?
そこまでしてもらわなくても、大丈夫よ。
ちょっとお昼を抜くくらい平気。
ダイエットだと思えばいいんだから』
『ダイエットって、全然太ってないじゃないか。
もう分けちまったんだし、一緒に食ってくれよ。
それか飯を我慢して、授業中にお腹を鳴らしたいか?』
『そ、それは……』
結局、押しに負けて、ひと花は優希と一緒にお昼を食べた。
その後も優希は隣の席からひと花に話し掛け、ふたりの距離は縮まり、楽しく会話する間柄になっていった。
◇
ひと花を取り巻く環境が、変わり始めていた。
いままでひと花を遠くから眺めているだけだったクラスメートたちが、彼女を囲んで話し掛けてくるようになったのだ。
きっと朗らかに笑いあう2人を見ていたのだろう。
ずっとひと花のことが気になっていた級友たちは、ここぞとばかりに彼女を取り囲んだ。
『ねえ、冬月さん。
ひと花ちゃんって呼んでもいいかな?』
『ひと花ちゃん、学食食べにいこうよー』
『うぇぇ……。
テストがやばいぃ。
お願い、ひと花ぁ。
勉強、教えてぇぇ』
冬月ひと花は才色兼備で、物腰も柔らかい。
人気者になる素養を充分すぎるほど備えていた彼女の周りには、いつしか人集りが絶えないようになっていった。
だがそれに伴い、遠のいてしまったものもある。
それは優希とひと花、ふたりの関係だ。
ふたりは隣の席にいても、他のひとに邪魔をされ会話をする機会が減っていった。
昼食を一緒に摂ることもなくなった。
だが、ひと花はずっと春乃優希を見ていた。
授業中、隣の席で頬杖をつくその横顔を。
休憩時間、廊下ですれ違う彼を。
登下校時、人波に紛れて消えていく後ろ姿を。
知らず識らずのうちに、彼女はいつも、優希を目で追いかけていた。
男友達と談笑する彼の笑顔に目が奪われる。
サッカーの授業、ボールを追ってグラウンドを走り回る彼から飛び散る汗に、胸が高鳴る。
優希から目が離せない。
遠くから見つめているだけで、心が暖かくて、幸せな気分になってくる。
家に帰っても、彼のことばかりを考えてしまう。
……気付けばひと花は、優希のことが好きになっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
思い出に耽りながら、ひと花は出し巻き卵を箸ではさみ、口に運んだ。
ぷるんと震える黄色い卵を口に含み、奥歯でぎゅっと噛み締めると、中からじわっと優しい味の出汁が溢れてくる。
あの始まりの日と寸分違わぬ懐かしい味。
目の前の優希を眺める。
なんだか頭がふわふわとしてきた。
ぼーっとしたまま見つめていると、彼が視線に気付いて顔を上げた。
「どうした、冬月。
食わないのか?
朝も食べてないんだから、しっかりと――」
「…………好き」
ひと花の唇から、自然と言葉がこぼれ落ちた。
「――んぐ⁉︎
ごほっ、ごほっ。
す、好き?
いきなり、なにを……って、ああ!
出し巻き卵が好きって話か。
そういえば、前にも――」
「違う。
出し巻き卵のことじゃないよ。
……私は、春乃くんが、好き」
ひと花の言葉に、時間の流れが止まった。
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