第32話 特訓の成果。ひと花への感謝

 土曜日のお昼。


 今日は那月さんが、俺たちの様子を見に来てくれる日である。


 家の駐車場にここ最近で見慣れるようになった車が止まり、両腕にダンボールを抱えた那月さんが顔を出した。


「はぁい、優希。

 ひと花ちゃんは?」


「いらっしゃい、那月さん。

 すぐにお昼にしますから、どうぞ上がってください。

 ひと花ならダイニングで待ってますよ。

 って、なんですか、その箱は?」


「ふふふ。

 これはねぇ……って、まだ秘密よ。

 それじゃあ、お邪魔しまぁす。

 あー、お腹すいたぁ」


 那月さんのお腹がきゅるると鳴る。


 だがさして恥ずかしがるような素振りも見せず、那月さんは俺に挑発的な目を向けてきた。


 その視線に、緊張の面持ちで返す。


「さて、優希。

 オムライス楽しみにしてるわよ?」


「……はい。

 お願いします!」


 実は今日の昼食で、彼女にオムライスを試食してもらえるよう、お願いをしておいたのだ。


 ◇


 リビングでひと花が、3人分の食事の準備をしてくれていた。


 テーブルには簡単に盛り付けられたサラダや、グラスに注がれた冷えた麦茶が置かれている。


 準備は万端。


 あとは俺がオムライスを作れば、昼食は完成だ。


「はぁい。

 ひと花ちゃん。

 だいたい1週間ぶり」


「こんにちは、那月さん。

 どうぞ、そこに座って下さい」


 促された那月さんが、ダイニングテーブルに腰を下ろすのを横目にしながら、俺はキッチンに立った。


 すでに卵は冷蔵庫から出して常温に戻してある。


 チキンライス用のお米だって、少し前から空気に晒して、表面の水分を抜いてある。


「じゃあ早速だけど、オムライスを作ってもらえるかしら?

 今日は朝から忙しくて、朝食を食べてる時間がなかったのよねぇ。

 だからもう、お腹ぺこぺこ」


 なんだか忙しい那月さんらしい。


 自分のお店の合間を縫って、こうして来てくれる彼女に感謝する。


「……はい。

 じゃあ、いまから作ります……!」


 那月さんにはたくさん面倒をかけた。


 だからこそ、彼女が満足出来るようなオムライスを作って、親身になってくれたこのひとに報いたい。


 俺は決意とともに、コンロに火を灯した。


 ◇


 ――渾身のオムライスが出来上がった。


 那月さんは黙々と手を動かして、出来立てのそれを口に運んでいく。


 彼女がもぐもぐと口を動かし咀嚼して、ごくんと嚥下するごとに、皿の上でほかほかと湯気を立てていたオムライスが姿を消していく。


 俺はなにも話しかけず、ただその食事風景を固唾をのんで見守っていた。


「……ふぅ。

 ご馳走さま」


 しっかりと味わい、すべて平らげてから、那月さんはゆっくりとスプーンを置いた。


「ど、どうでしたか?」


 気が急いてしまって、食べ終えたばかりの彼女に間髪入れずに尋ねてしまう。


 冷えた麦茶で食後の喉を潤していた彼女は、コップをテーブルに置いてからじっくりと考え、おもむろに口を開いた。


「……60点」


 微妙な点数だ。


 だがこの点では、那月さんの満足には程遠いに違いない。


 俺はうな垂れた。


「……そう……ですか」


 肩を落とした俺をみて、ひと花がおろおろし始める。


「ゆ、優希くん!

 げ、元気出してっ。

 わ、私は美味しかったと思うわよ。

 これなら絶対、お客さんも満足してくれると思うし!」


 心配そうな顔で、しきりに慰めてくれる。


「ああ。

 大丈夫だって」


 空元気を出そうとするも、俺の面持ちは沈んだままだ。


「……まったく。

 ほら、そんな情けない顔をするな。

 いまひと花ちゃんが言った通りだよ。

 このオムライスなら、十分に店の看板料理として通用するだろう。

 そんじょそこらの喫茶店や定食屋のオムライスより、ずっと美味しかった」


 うつむきかけていた顔を、バッとあげる。


「ほ、ほんとですか⁉︎

 でも那月さん!

 いま、60点って……」


「それはなぁ。

 あたしのオムライスを基準とした場合の点数だ。

 優希。

 あたしを基準にするなら、お前の前までのオムライスは30点くらいだったぞ?

 だから十分過ぎるくらいに上達している」


 ほっと息を吐きだす。


 満足とは言わないまでも、俺のオムライスは那月さんを納得させるだけの出来ではあったわけだ。


「……はぁぁ。

 びっくりしましたよ。

 でも60点か。

 正直ちょっとだけ悔しいです。

 だって俺、那月さんと同じくらい美味しいのを作りたかったから」


「こら。

 調子に乗るんじゃない。

 あんたみたいなひよっこに、ほんの1週間で追いつかれたりしたら、あたしの立つ瀬がないでしょうが」


「……ぐぬ。

 まぁ、それはそうですね」


「とにかく、あんたの作ったオムライスは美味しかったよ。

 これなら合格だ。

 自信を持って店に出すといい。

 ああ、それと……。

 優希、ちょっとそこのダンボールを開けてみな」


 那月さんが抱えてきたダンボール箱を開けてみる。


 なかにはぎっしりと卵が詰められていた。


「こ、これは……?」


「うちの店で使ってる、いい鶏卵だ。

 あたしからのプレゼントよ。

 あんたがちゃんとしたオムライスを作れるようになっていたら、あげようと思って持ってきたの。

 オムライスを看板にするなら、やっぱりいい卵使わなきゃね」


「な、那月さん……!」


 なんでも彼女は、これからもこの鶏卵を格安で喫茶店に卸してくれるらしい。


 本当に何から何まで、彼女には世話になりっぱなしだ。


「ありがとうございますっ。

 いつか絶対に、恩返しします!」


「ふふっ。

 そんなかしこまらなくてもいいよ。

 前に言ったでしょ?

 あたしは叔父さんにすごく世話になったんだって」


 そういえば前に、那月さんの口からそんな話を聞いた気がする。


「あたしはあたしで、あんたの世話を焼きながら叔父さんに恩返しをしてるだけ。

 だから気にしないでいい。

 ま、優希は弟みたいなもんだから、ほっとけないってのもあるんだけどね。

 っと、もうこんな時間か……。

 じゃああたしは行くわ。

 ふたりとも、明日からお店再開でしょう?

 がんばんなさいよ」


 那月さんは食休みもそこそこに、手を振って忙しげに去っていった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その日の夕飯は、久しぶりにオムライス以外の料理を作った。


 ひと花からのリクエスト、出し巻き卵だ。


「出来たぞー。

 ほら、ひと花のぶん」


「わっ。

 ありがとう」


「でも出し巻き卵で良かったのか?

 ずっとオムライスばかりだったのに、また卵料理じゃないか」


「いいのっ。

 卵ならたくさんあるんだし、うちにはもう、贅沢できるようなお金もないじゃない」


「うっ。

 痛いところを……」


 実はひと花の言う通りで、すでにタンスの貯金は残金10万円を切っていた。


 このままではやばい。


 明日からの営業再開で生活費を稼げなければ、こうしてひと花と夕食をともにできる、幸せな日常とはおさらばになってしまう。


 そんなのは嫌だ。


 こっそりとテーブルの下で拳を握り、気合いをいれる。


「そ、それに私。

 優希くんの出し巻き卵、す、好きなんだから!

 あと、優希くんのことも……」


 気付けばひと花が赤い顔をしていた。


「……ん?

 悪い。

 ちょっと気合い入れてて、聞いてなかった。

 もう一度たのむ」


 お願いすると彼女はむすっとし始めた。


「し、知らないわよバカ!」


 キツい目で俺を睨みつけ、ふいっと顔を背ける。


 なにがひと花の気分を害したのだろう。


 さっぱりわからない。


「……とりあえず、食べようか。

 いただきます」


 俺は手を合わせてから、出し巻き卵に箸を伸ばした。


 ◇


 食後。


 さっきまでの不機嫌さはどこに行ったのか、すっかり元の調子に戻ったひと花と、リビングのソファに並んで座る。


 ふたりして黙ってバラエティ番組を流し見しながら、俺はボーっとこの1週間のことを考えていた。


 思えばこのところオムライスの特訓にかまけて、彼女には迷惑ばかり掛けてきた。


 それもこれも、俺がひと花と離れたくないと言うわがままのせいだ。


 なのに彼女は店のビラまで作って配り、協力してくれている。


「……なぁ、ひと花」


 ひと花はソファの隅にちょこんと腰を下ろしている。


 どうやら彼女も俺と同じでうわの空っぽく、集中してテレビを観ているわけではなさそうだ。


「……ふぇ⁉︎

 な、なに?」


「いや、その、ちょっとな。

 なんというか、その……。

 最近、ありがとうな」


「ど、どうして感謝されてるのかよく分からないけど……。

 とりあえず、どういたしまして」


 それきりまた会話が途絶え、テレビの音だけが流れる。


 少しの静寂が流れてから、俺はまたおもむろに語りかけた。


「なぁ。

 お礼がしたいんだけど、なんかして欲しいこととかある?」


「はぇ⁉︎

 お、お礼……?」


 またふたりして黙り込む。


 少しの間をあけてから、今度は俺からではなく、ひと花から口を開いた。


「な、なら……!」


 そっと顔を向ける。


 すると彼女は、久しく見なかったくらい顔を赤くしていた。


「……なら?」


 先を促す。


「な、なら、優希くん!

 お礼がしたいって言うのなら……。

 こ、ここ今度、私を、デートに誘いなさいよね!」


 うつむき加減で目を瞑り、ひと息に話しきったひと花は、盛大に声を裏返らせていた。

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