第33話 営業再開の日曜日

 今日から喫茶店の営業再開である。


 俺はカウンターのなかで1週間ぶりの開店準備に追われながら、昨日ひと花から言われた言葉について考えていた。


「……デートに誘いなさい、か」


 もちろん俺からすれば、望むべくもない話だ。


 だから突然のことに面食らいながらも、俺は一も二もなく頷いた。


 すると言い出した側のひと花が、途端にあわあわと慌て始めて、結局は自室に逃げ込んでいってしまった。


 いまならわかるが、多分あれは恥ずかしくなって逃げたんだろう。


「……デートに誘え、とはなぁ」


 大事なことだから、2度呟いた。


 というか、それくらいびっくりしたのだ。


 だってデートだぞ?


 これじゃあまるで、ひと花が俺のことを好きみたいじゃないか。


「は、ははは。

 いや、まさかな……」


 思わず淡い期待を抱きそうになってしまう。


 だが調子に乗ってはいけない。


 俺はあの日、校舎裏で告白をして手酷くフラれたことを思い出し、頭を振った。


「……けど。

 たしかにひどい悪態をつかれたけど……」


 どうにも引っかかる。


 よくよく思い返すと、あのときのひと花はトマトみたいに真っ赤になってキョドっていた。


 彼女は挙動不審になると、悪態をついたり意味不明な態度を取るのだ。


 もうすでに、俺はそのことを知っている。


 だからこそ、こう思ってしまう。


『あの拒絶は、ひと花の本心だったのかな』


 と。


 ◇


 開店準備の手を止めて、ホールでテーブルの拭き掃除をしているひと花を見つめた。


 黒と白の、シックなウェイトレス姿。


 最近では気後れすることこそなくなってきたけれども、こうして意識して観察すると、やっぱり美人すぎる彼女にドキドキしてしまう。


 でも彼女の外見と中身は違う。


 見た目と異なり、ひと花には至らない部分もたくさんあることを、俺はもうちゃんと知っている。


 そして俺はそんな彼女のことが、以前にも増して愛おしくなっていた。


 ◇


 ボーっと眺めていると、テーブル拭きを終えて顔を上げたひと花とふと目があった。


「…………ッ⁉︎」


「……ふぇっ⁉︎」


 俺が小さく息を飲んだのと同じタイミングで、ひと花も声を詰まらせる。


 間髪入れずに赤くなった彼女は、キョロキョロと不自然に視線をさ迷わせてから、今しがた拭き終えたばかりのテーブルをまた拭きはじめた。


 なんだか微笑ましい。


 こうしたままいつまでも彼女を眺めたくなってしまうが、そうもしていられない。


 もうじき開店時間がやってくる。


 今日は俺たちの生活がかかった、営業再開の日曜日。


 なんとかこれから赤字を脱出して、ふたりの暮らしを続けたい。


 ここが踏ん張りどころなのだ。


 でももしお店がうまく回りはじめて、後顧の憂いがなくなったその暁には、もう一度、秘めたこの想いをひと花に――


 ……いけない。


 またひと花とのことを考えていた。


 いまは目の前の仕事に集中しなければ。


 俺は気持ちを切り替えて、開店準備の続きに取り組んだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 もうすぐ正午になろうとしている。


 午前中の来客は、ご近所の奥様方がふたりだけだった。


 頼まれたのはコーヒーを2杯のみである。


 その女性客たちも、小一時間ほど雑談に興じてからついさっき店を出ていった。


「……優希くん。

 お客さん、来ないね……」


「まだこれからだ。

 ……お昼になればきっと、オムライスを目当てのお客さんが来てくれるはず」


 玄関前の看板にはでかでかと『メニューリニューアルセール。オムライス298円!』と書いてあるし、ひと花のチラシでも同じことを宣伝した。


 ぶっちゃけ破格だ。


 だがしかし、赤字覚悟というわけではない。


 もともと俺たちにとって、店の稼ぎとは粗利のことで、光熱費や家賃その他諸々は全部親父持ちなのだ。


 となればこの値段設定でも、わずかながら稼ぎは出せる。


 だから今日から1週間は激安価格でオムライスを提供し、まずはとにかく、うちの看板料理を知ってもらうことから始める作戦なのである。


 それにオムライスを食べにきたお客さんが、利益率の高いドリンク類を注文することもあるだろうし、そうなれば儲けものだ。


 兎にも角にも、お客さんに来店してもらうこと。


 俺はひと花と話し合い、それこそが最重要課題だと気付いてこの戦略に打って出たのであった。


 ◇


 ぼーん、ぼーんと、壁掛け時計が鳴り響き、正午の到来を告げる。


 その時計の鐘の音をかき消すように、カランコロンと玄関ドアのベルが鳴った。


 カップル客の来店である。


 見れば大学生らしきそのお客さんたちは、手にビラを握っている。


 思わずひと花と顔を見合わせた。


 きっと彼女が配ってくれたビラをみて来店してくれたのだろう。


 ぱっと顔を明るくさせ、俺たちはうなずききあう。


「「いらっしゃいませー!」」


 ふたり揃って明るい声でお客さんを迎えいれた。


「へぇー。

 雰囲気のいい喫茶店じゃない」


 大学生カップルの女性のほうが、物珍しげに店内を見回している。


「落ち着いた感じ。

 こんなところにこんなお店があったんだね」


「別に、雰囲気なんてどうでもいいって。

 それよか俺は腹減ったよ」


 ふたり連れの客を、ひと花が窓際のテーブル席に案内する。


 ひと花のウェイトレス姿に見惚れてしまった彼氏さんに、彼女さんが肘打ちを叩きこんだ。


「ぐぇっ⁉︎

 な、なにすんだよ」


「……ふんっ。

 鼻の下を伸ばしてんじゃないわよ」


「くすっ。

 仲がいいんですね。

 こちらお冷やになります。

 ご注文のほう、お決まりになりましたら、お声がけください」


「あ、もう決まってます。

 オムライスふたつもらえますか」


 来た!


 聞き耳を立てていた俺は、ひと花からオーダーを通されるよりもはやく、コンロのフライパンに火をかける。


「あ、俺のオムライス大盛りで。

 てか、メニューにないけど大盛りって出来るの?」


「大盛り……。

 確認しますので、少々お待ちください」


 ひと花がキッチンを振り返ってきた。


 俺は腕で大きく丸をして返す。


「はい、大丈夫ですよ。

 えっと……。

 お値段が100円アップになりますが、よろしいですか?」


「うん。

 じゃあそれでお願い」


 なるほど、大盛りとか特に考えていなかった。


 100円増しという彼女の機転も、妥当だろう。


 もし今後、喫茶店の営業が軌道に乗れば、きっとこういう小さな想定外はたくさん起きるのだろう。


 けどその都度、ひと花と一緒に乗り越えていこう。


 そんな風に考えながら、俺はオムライスの調理に取り掛かった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 食事を終えて会計に立ったカップル客に、ひと花がレジで応じる。


「お会計のほう、1146円になります」


 こちらの大学生カップルさんは、どうやら俺の渾身のオムライスをいたく気に入ってくれたらしい。


 満足して、食後に男性がコーヒーを、女性が紅茶を追加オーダーしてくれた。


 食後のドリンクを、全品半額にしたのも効いているかもしれない。


「あー、満腹。

 マジめっちゃ美味かった」


「うん!

 お店も落ち着けて感じいいし、これはリピート決定だねー」


 漏れ聞こえてくる会話に手応えを感じる。


「そうだ。

 すみません、店員さん。

 セール終わったら、オムライスのお値段はいくらになるんですか?」


「あ、はい。

 普段は398円でのご提供になりますよ」


「398円⁉︎

 やっす、マジで⁉︎

 なぁ、奈緒。

 また絶対、来ようぜ!」


「うんっ。

 これはみんなにも教えてあげないと!」


 ひと花がお金を受け取り、お釣りを返す。


「ありがとうこざいます。

 こちら次回からご利用いただけます、100円引きのクーポン券になります」


「ありがとー。

 それじゃあご馳走さまでした。

 美人の店員さん、またねっ」


 お客さんたちが店をあとにした。


 それを完璧な笑顔で見送ってから、ひと花がキッチンの俺を振り向いた。


「……優希くん!」


「ああ、ひと花!」


 キッチンからホールに飛び出して、駆け寄ってきた彼女とハイタッチする。


「ばっちりだったね!

 さっきのお客さんたち、また来るって。

 それに知り合いのひとにも教えるって!」


「すごいぞ……。

 これは予想以上の結果だ!」


 ほっと息を吐く。


 ようやく希望が見えてきた気がした。


 もともと親父たちの支援を受けての経営だったんだ。


 薄利多売でがんばればやっていける。


 これなら俺は、ひと花とひとつ屋根の下で暮らす毎日を失わないで済む!


「はは……。

 ははは。

 良かったぁ……」


 なんだかずっと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまい、俺はカウンターの椅子にぽすんと座り込んだ。


 ちょうどそのとき、またドアベルが鳴った。


 お客さんのご来店だ。


 しかも今度はふた組同時である。


「いらっしゃいませー!

 優希くん。

 お客さん、また来てくれたよ!

 さぁ、立って」


 ひと花が手を伸ばしてくる。


「ああ!

 今日は忙しくなるぞ!」


 俺は差し出された彼女の手を取って、立ち上がった。

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