第24話 策を弄するタイプの女

 店舗前の通りで、しとしとと小雨が降っている。


 つい先日このあたりの地域も梅雨入りをしてから、足下の悪い日が続いている。


 俺とひと花は、誰も客のいない店内から窓の外を眺めて、ため息を漏らしていた。


「……ふぅ。

 最近お客さん、ぜんぜん来てくれないね」


 彼女の言う通りだった。


 少し前から営業開始時間を30分はやめ、閉店時間を1時間遅らせているというのに、売り上げの減少に歯止めがかからない。


 昨日などは1日でたったひとりしかお客さんが来ず、ついに売り上げ額が材料仕入れの金額を下回ってしまった。


 つまり粗利時点で赤字だ。


 このままでは、ひと花のために賑やかだった頃の店の風景を取り戻すどころか、日々の生活費すら捻出できなくなってしまう。


「……どうしたらお客さん、来てくれるのかなぁ」


「えっと……。

 そ、そうだ。

 なんなら俺が店の前で呼び込みでも――」


「でも誰も、お店の前の通り、歩いてないよね」


「うっ……」


 実はその通りなのだ。


 もともと喫茶店があるのは閑静な住宅街だし、こんな風に天気が悪いと、表を出歩くひとは極端に少なくなる。


「と、とにかく、なんとか考えるよ」


「……うん。

 でも優希くんひとりだけで考えなくていいから。

 一緒に考えよ」


「ああ。

 そうだな……」


 ふたりして頭を悩ませたけれども、どちらも喫茶店の経営なんて初めてだし、あんまりいい案は出てこない。


 結局その日は、閉店まで誰もお客さんはやって来ず、ついに営業開始以来初めての『来客数0』を記録してしまった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 週明けの学校は、どこか緩い空気に包まれていた。


 梅雨入りはしたものの、今日は珍しく五月晴れだ。


 白いブレザーの冬服も夏服に衣替えされて、男女ともに心機一転。


 中間テストも終わった教室では、生徒たちは勉強なんて忘れて賑やかで楽しい学校生活に戻っている。


 だがそんな中にあって、俺の気分は晴れなかった。


 なぜかと言うと、店の売り上げが気掛かりなのだ。


「「……ふぅ」」


 つい重く息を吐き出すと、隣の席からも同じようなため息が聞こえてきた。


 顔を隣に向ける。


 夏の制服に着替えたひと花の姿が目に入ってきた。


 今朝も家を出る前に見たのだが、やっぱり彼女の夏服姿はとても尊い。


 艶めく黒髪と整った容姿や白い肌はそのままに、活動的な白いベストが凄く眩しく目に映るのだ。


 なんとなくジッと見つめてしまう。


「あっ。

 え、えっと……」


 彼女もオロオロしながら、俺を見つめ返してきた。


「おい……。

 また春乃のやつが、冬月さんと……」


 途端に冬月ひと花非公認ファンクラブの男子が、ざわざわし始めた。


 あいつらは先日俺がやらかしてしまった『名前呼び捨て事件』以来、やたらと過敏に俺の行動に反応するようになっていた。


 ちょっと見つめ合っただけでこれだ。


「はぁぁ……。

 なんだかなぁ」


 愚痴をこぼして彼女との視線を互いに逸らしたところで、休憩時間終了のチャイムが鳴った。


 ガラリと扉を開けて、数学教師が入ってくる。


「みんな席につけー。

 中間テストの答案を返却するぞー」


 教室中から「うげぇ」と不満げな声があがった。


 文系クラスだけあって、やっぱりみんな数学が嫌いなのだ。


 でも今回の俺は一味違う。


「春乃っ。

 お前にしては、珍しくがんばったな!」


 採点された数学の答案を受け取る。


 71点。


 過去最高得点だ。


 席に戻り、隣のひと花にぐっと親指を立てると、彼女はほっと胸を撫で下ろしてから、優しく微笑んでくれた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 喫茶店から帰った俺は、自宅のキッチンに立ち、遅めの晩御飯を作っている。


「ね、ね。

 優希くん。

 今日の晩ご飯はなにかしら?」


 背中越しに家着姿のひと花が、まな板を覗きこんできた。


「ん?

 ああ、今日はだな……」


 今日のメニューは鮭とキノコのバターホイル焼きだ。


 敷いたアルミホイルに鮭の切り身を乗せ、その上に縦に割いたエリンギと石づきを落としたえのき茸を被せて、マジックソルトで簡単に味をつけてからバターを乗せる。


 あとはホイルで包んで、トースターに突っ込んでおけば出来上がりである。


「そろそろ買い物に行かなきゃなぁ……」


 先ほど確認したら、冷蔵庫の食材が底をつきかけていた。


「冷蔵庫、もう空だもんね。

 でも……」


 ひと花の言いたいことはわかる。


 今日も今日とて、お店は赤字だった。


「ああ、そうだな。

 節約しなきゃ、だな」


 まだタンスには15万円ほどの貯蓄があるから、いますぐにどうこうなるわけではない。


 だがこのところの喫茶店での稼ぎからして、このまま何も手を打たなければ、そのうち生活費が底をつくことは目に見えていた。


「……なぁ、ひと花。

 しばらく生活費を、切り詰めていこうと思うんだ。

 貧乏生活になって悪い。

 でも喫茶店の売り上げがよくなるまで、協力してくれないか」


「もちろんそれはいいんだけど……。

 じゃあなにを削って節約しましょうか」


「うーん。

 それなぁ……」


 元々俺たちは、特に無駄遣いはしていない。


 だから削れそうな生活費が、パッと思い浮かばなかった。


「あっ、そうだ。

 ねぇ、優希くん。

 しゃあこうしましょう。

 私、学食で食べるのやめて、これからはお弁当にする」


「……ふむ。

 それはありかもしれないな。

 どうせ俺は元々弁当なんだし、1人分も2人分もそれほど手間は変わらない。

 ただ……」


「……ただ?」


 ひと花がこてんと首を傾げて俺を見つける。


 その仕草が可愛らしくて、ドキッとした。


「い、いや……。

 ひと花と俺とが同じ弁当なのがバレたら、またクラスのやつらになにを言われるかなって……」


「なんだ、そんなこと?

 バレなきゃいいのよ」


 彼女はあっけらかんと言い放った。


 その態度に、もしかして俺は少し心配し過ぎだったのかなぁと、思い直す。


「まぁ、そうだな。

 生活費も心許ないし、背に腹はかえられない。

 よし。

 じゃあ明日からひと花も弁当な」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夕食と入浴を終えて自室に戻ったひと花は、おもむろにベッドにダイブした。


「はぁぁ……。

 今日も疲れたぁ」


 寝転がって全身の筋肉を脱力させると、足腰の気怠さが浮き彫りになり、1日の疲れが鮮明になっていく。


「ふぅ。

 明日から、優希くんと同じお弁当かぁ」


 心地よい疲労に身を任せながら、彼女はうつ伏せになって枕に顔を押し付けた。


 その表情が、にんまりとゆがんでいく。


「……うふふ。

 うふふふふ」


 優希とおんなじお弁当。


 まるで恋人のようだ。


 昼休みの教室で、彼と机をくっつけて一緒のお弁当を食べられたら、さぞや幸せなんだろう。


 ひと花はひとしきり、妄想に花を咲かせる。


「あーん!

 優希くんと一緒に、お弁当食べたいなぁっ」


 彼女はうつ伏せのまま足をジタバタさせた。


 でもそれは出来ない、……と一旦は思ったひと花だが、すぐに考え直した。


「……ん?

 あれ?

 別に出来ないわけじゃないわよね」


 むしろそうして一緒にお昼を食べれば、鈍感な優希へのアピールになるのではないか。


 クラスメイトたちは驚くかもしれないけど、みんなにどう思われようが特に気にしないし、なんなら周囲の目で自分と優希の関係を既成事実化してしまえばいい。


「これよ!

 これしかないわっ!」


 ひと花は腕立て伏せの要領で、バッと上体を起こした。


 この素晴らしい思いつきを、早速明日実行しなければ!


「そういえば……」


 先日、優希が油断して、教室で『ひと花』と呼びかけてきたことを思い出す。


「……うへへ。

 あれは良かったなぁ」


 あのとき優希は、誤魔化してくれと必死にアイコンタクトを送ってきていた。


 だがその目配せの意味にしっかりと気付いていたひと花は、敢えて誤魔化すことをせず、『優希くん』と名前で呼び返した。


 じつはこれも、優希との関係を周囲に見せつけたいと常々思っていたひと花の策略だった。


「……よし!」


 今回のお弁当でも、しっかりと自分と優希の関係を周囲にアピールしよう。


 そうしてまずは外堀を埋めるのだ。


 ぐっと拳を握りこみ、気合いを入れる。


 ひと花はこう見えて結構、策をろうするタイプの女だった。

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