「見知らぬ同僚さん」の話

はじまり

 かた、かた、かたたた。と自分の打つキーボードの音だけが響く。

 いきぐるしい。

 オフィスの隅にわだかまっている泥のように重苦しい闇が、体中に絡みついているようだ。

 最後に帰って家のベッドに眠ったのはいつだったか。栄養ドリンクが効かなくなって、カフェイン錠剤に頼り始めなきたのはどれくらい前か。

 眠たい。疲れた。だが、この仕事を終わらせなければいけない。そうでなければまた怒鳴られる。これをやらなければ同僚たちに迷惑もかかる。


 ……その、同僚たちは。どこにいるのだろう。


 ふ、と顔を上げて見回せば、沈黙したデスクトップが並ぶ、机の群れがある。だがそれしかない。無機質な照明に照らされる光の下に人の気配は一切ない。広いオフィスにいるのは自分だけ。真っ暗なフロアの中、ぽつりと灯る光の下には自分だけ。

 この案件はチームでやるはずではなかったのか。明日までに間に合わせなければいけないのに。

 誰も、いない。

 かた、とキーを打つ手が止まった。

 手伝うと言うだけ言って帰った同僚も、疑問点を訊ねても自分の頭で考えろとののしってくる上司も居ない。ひとり。きり。


「あ、」


 手が震える。胸の奥からわき上がってくる感情に頭を抱えてうずくまった。

 なんで、ここに……かんがえてはいけない。


「ちゃんと仕事しなきゃ終わらせなきゃでも間に合わないよどうしたら良いのわからないよ誰か答えてよ誰か手伝ってよだれか答えてよ誰か誰か誰か誰か!!!」


 普段なら声を出すだけでファイルで殴られるのにそれもない。

 答える人は居ない。誰も居ない。いないのだ。

 耳に響く声が自分の絶叫だと気づいても止められなかった。気が狂いそうな気持ちで意味のない声をはき出す。


 ピロン、とメールの受信通知音が響いた。


 それは、半ば反射だった。仕事のメールは即座にチェックしなければならないと、上司に手厳しく言い聞かせられていたからだ。

 アドレスは知らぬ物。しかしその、件名に釘付けになった。

 かちり、とクリックをして開く。かすむ目で文面をさらって。

 はちり、と目を瞬いた。

 簡単なことだった。


「そう、か。居ないのなら」


 呼べば、いいのだ。


 どぶりと、闇が色濃くなった。



 *



 オフィスは戦場だ、ととうは思う。

 歴戦の勇士たる正社員のゴミ箱には栄養ドリンクの空き瓶が何本も入っていて、隈がと

れないことを自慢し、会社のために残業に走っている。


「いやそれでもこれは人手が足りないだけよね」


  正社員として雇ってもらえたこの会社でなんとかやって行きたいのだが、最近の人手不足は深刻すぎた。

 なぜかお給料だけはきっちり支払ってくれるのだが、連日終電ぎりぎりが基本であるし、山のように押しつけられる業務外の仕事はかんべんして欲しい。

 だからあんな変な夢を見るのだ、と橙子は先日駅のベンチで寝こけていた時の悪夢を思い出す。

 しかし、まだやめる踏ん切りがつかないために、社畜として粛々と従うのみなのだ。


「深田くん、来客する人物を案内してくれないか?」


 たとえ、今日が訪問日だと教えられて急いで出迎えにいく羽目になったとしても。

 橙子は大慌てで仕事の申し送りをしたあと、いそいそとエレベーターに乗る。


「全く来客って言う割には雑すぎないかしら。ええとKTKサービス……っと。民間の調査会社? かしら」


 スマホで検索しざっと目を通したが、業務内容は警備のコンサルティングや防犯設備の調査と提案らしい。このビルは既に警備会社を雇っていたはずだが、さらに追加するとは相変わらずこの会社は人の使い方がへたくそだと思う。

 気になるのは「特殊案件」という文言だったが、深く調べる余裕はない。

 ちん、と一階についたことを知らせる音と共にスマホをしまった橙子は、一歩踏み出して硬直する。


 会社の顔らしく、明るくととのえられたエントランスにはそれなりの人がいる。オフィスカジュアルやスーツの男女が行き交う中、来客用のソファコーナーの傍らに、強烈な違和感をはなつ人物が居たのだ。

 一応着物の部類に入るのだろう。胸に連なった丸い飾りがついていて、足下は袴だが、動きやすいようにか裾を絞り、ご丁寧に草履を履いていた。

 長い髪は高い位置で一つにくくっているその顔は、まだ距離があるにもかかわらず整っていることが察せられられる。

 橙子は全力で該当する表現を探した。


「……やまぶし」


 よく天狗として紹介されている存在がこんな服装をしていたはずだった。

 がしかし、どれだけひいき目に見積もっても日中のオフィスには絶対あり得ない存在だ。

 あれだけの違和感というか不審者丸出しの服装をしているにもかかわらず、その傍らを通る人間たちが視線すらやらないのがおかしい。

 いやもしかして、関わりあいになりたくないから無視してるのだろうか。それにしては自然過ぎる。

 しかし妙な既視感があるのは気のせいだろうか。

 いやあんな山伏に知り合いなんていなかった。ぐるぐると混乱しながらも、橙子はなんとか本来の目的を思い出して、山伏から視線を外して来客を探す。ソファコーナーで待っているはずなのだが、はたして山伏の傍らに、所在なげに立っている青年がいた。


 年は多めに見積もってを20歳を越えるかこえないかだろう。ちゃんとスーツに身を包んでいるが、あまり板についているとは言いがたい。アルバイトの面接にきた、と言われた方がしっくりくる雰囲気だ。

 ただ、左腕に腕章のような物をつけていて、そこに描かれているのがついさっきスマホで見た会社のロゴだった。


 あれが、来客だろう。橙子がそう思って近づくと、青年がけだるそうにこちらを向いた。

 短く髪を切った彼は少々目つきが悪く剣呑な印象を与えるだろうが、意外にも面倒みが良く素直なことを橙子は知っている。世話になったのだ。

 どこで、か。夢だとばかり思っていた、妙な駅での騒動の中でだ。

 近づく途中で足を止めて硬直する橙子に気づいた青年、久次ひさつぐもまた目を見開いた。

 それは明らかに、初対面ではない反応だ。そこで橙子は思い出した、隣にいる山伏は彼の相棒であった静真しずまだ。


「あ、あれ。深田さん?」

「二人とも何やってるの!!!???」


 橙子は大声を上げて、はっとする。

 来社したサラリーマンや受付員の女性をはじめとした数々の視線が橙子に突き刺さっていた。

 考えたのは0.1秒。


「ちょっとこっち来てっ」

「おわっ?」


 がし、と二人の腕をつかんだ橙子は速攻でその場を離脱した。







 駆け込んだのは、ビル内にある非常階段だ。

 時折運動と称して利用する社員はいるがごく少数で、落ち着いて話をするにはちょうど良い場所だった。

 かつてない速度で二人の青年をひっぱり込んだ橙子は、ぜいぜいと息を切らしながらも改めて彼らを見る。

 やはりあのおそろしい駅で橙子を助けてくれた二人組だった。


「なんで、あなたたち、どうして居るの。あのとき助けてくれたわよね。と言うかなんで山伏!」

「落ち着いてくれ深田さん。俺も驚いてるから。というかここに勤めてるってどんな偶然だよ」


 困ったようになだめてくる久次の様子で、橙子は彼にとってもこの事態は想定外なのだと察した。

 だがしかし、これではっきりとした。あの奇妙な駅での記憶は実在して、彼らは間違いなく橙子を助けてくれた本人たちなのだと。

 今まで現実味のなかった記憶が今更襲いかかってきて橙子は震えたが、自分は仕事中なのである。

 つばを飲み込んで喉を湿らせた橙子は、ポケットに入れてきた名刺入れから名刺を取り出した。


「この間は、本当にありがとう。改めて名乗らせて。深田橙子です、今日の案内役を仰せつかりました」

「これはどうも、KTKサービスの三池みいけ久次ひさつぐ……です。この間のことは気にしなくていい。俺の仕事だったからな」


 ぎこちなく言った久次が、申し訳なさそうな顔をする。


「すいません。こういう挨拶は普段しねえ……じゃなかった。しないもんですから。へんだったらあやまります」


 橙子の名刺を、受け取った久次もスーツの内ポケットから名刺を出して渡してきた。

 スマートとは言えないが、きちんとマナーを覚えてきたのだろう。

 久次の名刺は意外にきちんとしたもので、会社名と調査課という部署が刻まれていた。

 彼らのまともではない姿を見ている身としてはあまりの普通さに違和を覚えつつ、橙子は名刺をもう一枚取り出して山伏姿の静真にも差し出した。

 

「よろしくお願いいたします」


 二人居ればそれぞれに差し出すのが常識だったからだが、差し出したとたん青年たちの間に奇妙な沈黙が降りて、橙子は戸惑う。


「あの?」


 うけとってもらえない名刺に困惑しつつも顔を上げれば、静真が言った。


「お前、俺が見えているのだな」


 かちん、と橙子は固まった。

  見えていることに確認をとると言うことは、この青年は認識できないことが普通と言うことでつまりは……。

 どんどん青ざめていく橙子だったが、静真が久次に肘で小突かれた。


「ばっか、その言い方だと語弊がありまくるだろうが。というかお前のせいで説明ややこしくなったぞどうしてくれる!」


 久次が顔を険しくしていたが、静真はことりと首をかしげるばかりだ。


「そもそも、お前はこの人間と知り合いか」


 信じられないとばかりに目を見開いた久次はすぐに眉を寄せた。


「おい忘れたのかよ前の前の仕事で助けた人だぞ!」

「人間の顔を覚えるのは苦手だ」

「異界駅の調査ん時! さんざん呪具を外して潜入しただろ。あんたが二人は重いって言って駅前で下ろしたんだろうが!」


 ふたりぶんの体重が重いのは当たり前だが、そう体重のことを連呼しないで欲しい。と橙子は黄昏れていると、静真がなにかを思い出したようにかすかに目を見開いて、橙子を見た。


「ああ、あのメモ使いが良い女か」


 がく、ときた橙子は悪くないと思う。

 頭を抱えんばかりの久次だったが、深く息を吐いた後、橙子に顔を向けて言った。


「すんません、だますつもりはなかったんだんですが、改めて。こっちは助手の天高静真。半分妖怪です」

「はんぶん、妖怪」

「久次、お前の助手になった覚えはないぞ」

「うるせえ、一人で仕事が出来るようになってから言え。あと名刺を差し出されたら受け取るもんだって教えただろ」

「そうか。ではもらう」


 律儀にうなずいた静真が橙子の名刺をさらっていく。橙子はあ、ちゃんと物がもてると言うことは肉体はあるのだな、と妙なところで感心する。

 不思議そうに名刺を眺めている静真の横で久次が言った。


「こいつは生きてるから幽霊じゃねえ。だが隠形おんぎょう……ええっと見えなくなる術をかけてるはずなんだ」

「……光学迷彩みたいな?」

「そんなもん。でなかったらこの格好のこいつを連れ歩きたくねえ。スーツにしろって何度も言ったのによ」


 本気で疲れた顔をする久次に、橙子は彼の不本意さも知った。だがしかし、当の静真は分かっているのか居ないのか眉をひそめてふてくされたように言った。


「洋装は仕込める場所が少なくてかなわん」

「てめえは仕込みすぎだし、隠密行動がとれねえだろうが」


 服に何を仕込んでいるかは聞かないほうが良い気がした。とはいえ、静真が生きているものであると橙子はほっと息をつく。死者に危害を加えられるという体験以降、反射的に硬直してしまうのは仕方がなかった。

 しかし、彼があんな往来がある中で注目されずにいたにもかかわらず、どうして橙子には見えてしまったのか。


「じゃあ、なんで私には見えるの」


 当然の疑問だったが、久次と静真は顔を見合わせていたが、静真が言った。


「一般人に見えん程度にするだけの弱い呪だ。最近死の淵にいた人間や怪異に深く接触した者には見える」

「……ちなみにその最近、というのは一二ヶ月で?」

「七日以内だな」


 あっさりと言われた橙子は真顔になった。死の淵には心当たりがある。しかしあれは既に一月以上前の話だ。つまり。

 おもむろに久次が言葉を継いだ。


「それで、俺たちが受けた依頼につながるんだが。このビルに出現する怪現象の調査だ。……あんた、一体どこで怪異に会った」


 その質問には答える前に、橙子は手元の名刺に記載されている会社名を見る。

 KTKサービス。


「……もしかして、KTKのKって」

「怪異のKだな。ちなみTKは調査解決だ」

「なにその無理矢理な略称」

「俺がつけたんじゃねえからな……」


 不本意そうな顔をする久次だったが。はっきり言ってめちゃくちゃ関わりたくない種類の調査だと橙子は思った。


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