たいじ

 見知らぬ同僚が現れるのはどこか。という問いに関しては簡単だ。

 前回橙子が呼び寄せられた時は、自分のデスクがあるフロアに出現していた。

 今回電話とはいえ呼び寄せられたのだから、同じ場所にいるはずと考えるのが自然だった。


 非常灯のみに照らされる廊下は薄暗く、空気はじっとりと湿って冷たい。

 社員の誰ともすれ違わないことに、橙子はすぐに気がついた。

 それに加え、電灯はふいにちかちかと点滅をくりかえし、冷気を漂わせる。

その中で、ずるずると這いずってくる女や、にたにたと笑う胴より顔が大きい男が現れた。

が、静真と久次が問答無用で切り捨ててゆくために、橙子は驚く間もなかった。

ひ、と声を出す前に終わっていた。


 一応は危害を加えてこようとしていたのだろうが、出会い頭に胴を切られたり、札を押しつけられたりして、戸惑った表情をしながらさらさらと消えていくのだ。いっそ哀れだった。


途中、久次にそっと立ち位置を入れ替えられた。なんだと橙子が思っていると、静真が見に行き、すぐ戻ってくる。


「何人目かまではわからん。が、年は40代後半、男だ」

「触ってないな」

「ああ」

「あとで供養してやらないとな……」


久次の言葉で、橙子はおおかたのことを察してぞっとした。


また少し進んだところで、久次に話しかけられた。


「ああそうだ。深田さん頼みがあるんだが」

「なに?」


 首をかしげる橙子だったが、久次が思い詰めた顔をしていたために身構える。

 一体何を頼まれるのかと思っていれば、久次は意を決したように口を開いた。


「あんたの身代わり符を作るために頭と肩に触らせて欲しい」

「え」

「女の人って知らない男にいきなり触られるのは嫌なもんだろ。だがあんたをこのまま怪異につっこませるのはまずいから、持っていて欲しいんだ」

「ああ、そういうこと」


 深刻に告げられた橙子は思わずクスリと笑ってしまった。

 虚を突かれたように目を丸くする久次に橙子はいう。


「あの駅ではいきなり抱き上げられたでしょ? 先に断りを入れてくれたから大丈夫だし、非常事態なんだからむしろ私がお願いしなくちゃいけないでしょ」

「そう、か」

「気遣ってくれてありがとうね」

「っ良いんならやるぞ!」


 橙子が礼を言えばほっといきをついていた久次が、ぶっきらぼうに言った。

 だがその顔は暗がりでもなんとなくわかるほど赤らんでいる。

 彼は21歳と言っていたはずだ。まだ初々しさが残るのがかわいいと思う。

 久次は何かを持った手で頭や肩を順になでた後、手にあったそれを渡してきた。白い和紙で作られたそれは、簡素だったがしっかり人型とわかる形をしている。


「これ身代わりの形代だ。害意にさらされた時に、身代わりになってくれるものだ。ただ簡易的なモノだから一度だけだと思ってくれ」

「ありがとう」


 橙子が素直にもらって懐に入れれば、久次はほっとした顔をする。

 その雰囲気に和んだため、橙子は廊下の先で名状しがたいものにやくざキックを繰り出す静真はそっと見なかったことにした。


 たどり着いた職場は、薄暗くよどんだ冷気がはびこっていた。

 フロアの照明はかろうじて付いていたが、照らされているのは空間の半分のみだ。

 残業をするときは、自分のデスクの上にある照明しかつけてはいけないルールがあるからで、橙子は今の今までそれを不思議に思わなかったことを後悔する。

 暗闇に沈む机の島と、薄っぺらい白の明かりに照らされる机の島の狭間に、その人型はいた。

 はっきり見えるにも関わらず、それが男なのか女なのかわからない。

 自分の目がおかしくなったのかと瞬きをして、気がついた。

その人型が居るデスクまで距離があるのに、その指がキーボードを叩く動作まで見えるのはおかしい。

 髪の影になっていて横顔も満足に見えないはずなのに、その目が瞬きもせずにパソコンの画面を見続けて居ることが分かってしまった。


 その姿は確かに橙子が遭遇した「見知らぬ同僚」だ。

 しかしこんなに様子がおかしいモノだったにも関わらず、もう一度合うまでそれがおかしいと気づかなかった自分に半泣きになった。アレと深夜まで残業していた己を、なぜ気づかなかったと百回くらい問い詰めたい。


 ごくり、とつばを飲んだ橙子が隣を見上げると、久次と静真が視線を交わしている。

 それだけで打ち合わせがすんだらしく、久次が橙子を守るように控え、静真がゆっくりと歩いて行った。

 きちり、と鯉口を切る音がする。

 しかし、それをかき消す乱雑な声が響いてきた。


「ちきしょう。なんでここにいるんだよ。ここに来るのは俺じゃなくてあいつのはずだろう。俺が頼んだことと全く違うじゃねえか」


 ぶつぶつといらだたしげなつぶやきと共に、橙子達とは違う入り口から男が現れた。

 20代半ばだが、着ているスーツには無残にしわが寄り、髪もくたびれたようにぼさぼさになっている。その顔も疲れが色濃い。

 静真もまた新たな人間の登場にその足を止めている。

 その男を知っていた橙子は声を漏らした。


「松村さん、なんで」

「知り合いか」

「一昨日から来てなかった同僚よ。一方的に突っかかってこられるから困る相手なんだけど」


 橙子は久次にこそりとささやいたが、がらんとしたフロアでは隠れる場所もない。すぐさまこちらに気がついた松村は、橙子に向かってずかずかと歩いてきた。


「深田! お前か! 俺をここに呼び込んだのは!」

「松村さん、どういうことですか。あなた休んでいたはずなのに」


 呼び捨てにされた橙子は、いつものことながら若干顔をしかめたくなったが、それでも冷静に状況を把握しようとする。しかし松村は全く聞く耳持たずに怒鳴り散らしてくる。


「どうせ笑ってるんだろう、え? 見知らぬ同僚をどうやって切り抜けたかは知らねえが、俺をここに呼んだんだ。お前も俺と同じ穴の狢だぜ?」

「松村さん、落ち着いてください。話が……」

「うるせえ! さっきから何度も何度ももういいかいとか言いやがって、どこに居るんだよ」


 全く話が通じない松村に途方に暮れる橙子だったが、その隣にいた久次が声を上げた。


「……なああんた、ここに人を呼び込む方法を知ってるな」

「は、なんだよこのや、ろう……」


 松村は声をかけられたことで、ようやく久次を認識したらしい。強い語気で迫ろうとしたが、その威勢はしぼんだ。

 橙子は久次が今までにないほど表情を険しくしていることに息を呑んだ。


「あんたに悪いもんがこびりついてるぞ。深田さんに見知らぬ同僚をけしかけたあんたは彼女が切り抜けたことで、呪い返しに合ってここに引きずり込まれたんだろうな」

「ば、ばか言うんじゃねえ! そ、そんな」

「あんた、何日ここでさまよってる?」


 松村が言葉を飲んで青ざめる。その動揺の仕方は肯定しているようなものだ。


「み、みんなやってるぞ。全部が全部つながる訳じゃない。嫌な上司や目障りな同僚が消えてくれたらめっけものの、ちょっとした気晴らしみたいなもんだ」

「それで実害が出てんだよ、てめえが実感してんだろ! 今あんたに聞こえている声は、俺たちには聞こえねえんだぞ!」

「ひっ」


 久次が怒鳴れば、松村は今度こそ絶句した。その顔色は恐ろしく悪い。

 あまり状況は飲み込めていない橙子だったが、これだけは分かった。


「久次くん、つまり私は松本さんが原因で見知らぬ同僚に巻き込まれたってことで良い?」


少しぎくりとした様子の久次だったか、答えてくれた。


「……ああ、何人か後ろめたそうな人が居たから、深田さんがいないところで聞いたんだよ。そしたら、見知らぬ同僚に遭遇させる手順があるって話を聞いて、もしかしてとは思ってた」


 納得した橙子は、松村を無感動に眺めた。こういう人間が居ることを知っている。もはや驚く気も動揺する気にもなれなかった。

 深く息をついた久次が、いらだたしげに頭をかく。


「短期間でこれだけの被害になった理由が分かった。嫌な信仰が生まれかけている」

「久次、これを滅するだけなら簡単だが」

「消滅させ損ねたとき、呪いで汚染されて別の何かが生まれる可能性があるな」


 久次の制止に静真が刀の柄から手を離す。

 一般人に斬った張ったは堪えると、橙子がほっと息をついた矢先。



 ……もぅ、……かい



 なにか、聞こえた。

 まるでおぞましいものを耳につっこまれたような悪寒に、橙子の腕に鳥肌が立つ。

 同時に、松村が大げさなまでに体を震わせた。

 血走った目で周囲を見回し、それを見つける。


「見知らぬ同僚……か?」


 今初めて気がついた、という顔で、デスクで作業をし続けるその影を見た松村は、憤怒の凝相で歩き出した。


「どうしたんですか、松村さん」


 異様な松村を制止しようとした橙子だったが、彼に思いきり押しのけられた。


「もとはといえばお前のせいだぞ深田ぁ! まるで俺が仕事が出来ないように扱いやがって! お前さえいなければ俺だって十分仕事が出来るんだ。こんな所に居続けてたまるか」


 橙子にわめき散らした松村は、これだけ騒いでいてもずっと仕事を続けている見知らぬ同僚にずかずかと歩いていく。


「もういいかい、もういいかいってうるせえんだよ! いいかげんにしろ!」


 松村は言うなり、かたくなに背を向け続ける見知らぬ同僚の肩をつかんで、振り返らせた。


 橙子は総毛立った。

 距離があるにもかかわらず、振り返ったその人型の顔が見えてしまったからだ。

 かお、と言って良いのだろうか。

それの肌はのっぺりと白く、まるで作り物のような薄っぺらさで、真っ黒なうろのような目が二つと、弓なりに描かれた口だけがある。そう、まるで黒のマジックでぐりぐりと描いたもののようで。


 橙子は給湯室で見た血まみれの人形を思い起こして、冷や水を浴びたような心地になった。

 その人型が、ゆうらりと、たちあがる。

 その黒いうろからぼたぼたと液体を流しながら、腕を持ち上げる。がたがたと震える松村に対して振りかぶった。

 手に握られているのは、限界まで引き出されたカッターの刃だ。

 悪意と、殺意に満ちた。


『み、ぃつ、け』


 その口は、弓なりに弧を描く。


「うああああああもおおおお!!!!」


 全力で走った橙子は、松村を突き飛ばした。ぱんっと軽い衝撃に背中を押される。


 同時に耳障りな金属音が響いた。

振り返ると、人型の手に握られていたカッターが固いデスクを突き刺している。


 だが、空振りだ。


 松村と共に通路に倒れ込んだ橙子は、すぐさま体を起こす。ちょうど、見知らぬ同僚の頭がぐりん、とこちらを向いた。ぷうんと生臭いものが漂う。

 その目のうろから血を流しながら、見知らぬ同僚はもう一度橙子達へカッターを振りかぶる。さすがにすぐには動けない。

 だがしかし、その胴をもっと鋭い刃が薙ぐ。


「チッ」


 流れた胴の間から、刀を振り抜く静真の姿が見えた。

 なんとか起き上がった橙子と松村だがしかし、半分にされた切り口からどろりとしたものがあふれ出し、橙子達に襲いかかる。

 その伸びてくるものの一つ一つにカッターやはさみ、とがったボールペンを持っている。


『ミツケタ、みつけた、ミツケタ、』

『みぃ、つけた』


 ぼこぼこと現れた口が、不協和音を奏で。

 バツンッ! と烈しい反発の音と共に、顔が弾かれる。

 黒々としたものにべったりと貼られているのは、朱色と黒の墨文字が描かれた細長い紙だ。

 それを貼った久次は、橙子を抱えるようにように立ち上がらせる。


「深田さん、こっちだ!」


 隣では静真が成人男性である松村を軽々と担ぎあげている。

 橙子達はうぞうぞとうごめくものを背に、フロアから離脱した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る