げんいん
「……深田さん。深田橙子さん、こっちに戻ってこい」
下の名前を呼ばれるのは久々だな。
橙子が思ったところで目を瞬くと、心配そうな久次がいた。ようやく悲鳴を上げていたことを思い出して咳き込む。
どうやら給湯室の入り口でへたり込んでいたようだ。しかし非情に残念なことに一面赤く水びだしになのは変わらなかった。
そんな橙子の背中をさすりながら、久次は申し訳なさそうに言った。
「ごめんな、イレギュラーが起きているのは分かっていたのに一人にさせた」
「あの、あれ、な、なに」
橙子が震える声で要領を得ない問いを絞り出したとき、ざぁと何かが引き上げられる音が響く。
はっと顔を上げれば、静真が無造作に白い物を引き上げる所だった。橙子が目を見たものだ。
ぼたぼたと白い物から赤い水が落ちるのに、橙子は肩をびくつかせたが、静真は顔色一つ変えなかった。
「粗悪な降霊術の依り代か。つまらんことをする」
「深田さん、あれは人形だ。大丈夫だ」
「……でもこれ血じゃないの」
落ち着かせようとしてくれたのだろうが久次は橙子の問いに、目を泳がせた。
やっぱりそうなのか、と背筋がぞくりとしたが、橙子はようやくまともに呼吸が出来るようになった。ただ驚かされただけで、アレは危害を加えてこない。それだけわかれば十分だ。
そうすると年甲斐もなく悲鳴を上げたことが恥ずかしくなってきた。
「もう、大丈夫、大丈夫じゃないけど大丈夫だから。……立つにはちょっと時間がかかりそうだけど」
「そうか。無理すんなよ」
言った久次は立ち上がると、静真が持つ赤くまだらに染まった白い布の塊を観察する。
よくよく見てみると、いびつではあるがタオルをゴムでしばり、人の形に似せてあるらしい。ご丁寧に頭部にはマジックか何かでぐりぐりと目が二つ書かれている。
あれが動いているように見えたのを、橙子は全力で記憶から消去した。
そして、その胴の部分が特に赤黒く染まっている上、赤い糸で乱雑に縫われている。
にもかかわらず、何かを突き刺したような傷跡が執拗につけられており、意味がわからない不気味さを助長させていた。
うえ、と橙子は顔をゆがめる。たが、久次は嫌悪に顔をしかめていたが、観察する様子は冷静だった。彼も普通の青年ではないのだと再確認した。
「だいぶいびつだが、これはひとりかくれんぼだな」
「なに、それ。さっき静真くんは粗悪な降霊術って言ってたけど」
「ものすごく悪趣味な一人遊びだよ。深田さん、コックリさんやエンジェルさんって聞いたことねえか」
「い、いちおうは。やったことないけど」
橙子が焦って付け足せば、久次は少し安心したような表情をうかべる。
「アレと一緒で、要は浮遊霊を呼び寄せる儀式の一種だ。だが、このひとりかくれんぼはコックリさんやエンジェルさんのように使役をするでもなく、ただ「呼び寄せる」だけのものだ。そもそも降霊術は素人が遊び半分でやっていいもんじゃねえ」
吐き捨てるように言った久次の顔に浮かぶ嫌悪で、橙子はこれがだいぶまずい物だというのは伝わった。
「すごく、詳しいんだね久次くん」
眉を寄せる彼に思わず漏らせば、久次はきょとんとしたあと気まずそうに目をそらした。
「まあ、俺の専門分野だからな。怪異相手は知識が勝負だから、詳しくもなる」
その言葉はぶっきらぼうだったが、冴えた明かりの下で見た久次の耳はほんのりと赤く染まっていた。
あ、かわいいな。と少々和んだ橙子だが、静真が人形もどきを無造作にひっさげて近づいてきたのには若干ひっとなった。
「久次、この依り代には何も宿っていないぞ。本体はすでに力を持って独り歩きしている。降霊術の終了手順は」
「諸説あるが儀式を2時間以内に終わらせること、ぬいぐるみは燃やすことだな」
「ぬいぐるみがここにある時点で儀式は失敗か」
「あとこいつをやるときには、塩水を使って、刃物をそばに置いておく。つまり、刃物がない時点で、かくれんぼはまだ続いてんだ」
しん、と久次の淡々とした言葉が給湯室に響いた。
「え、でもたかがかくれんぼでしょ。それでどうしてこんな惨状になるの」
橙子はあたりに散らばる血の混じった水を見回した。血があるってことはこれだけのものを流した人間がいると言うことだ。全く理解できなかった。
しかし久次は顔をしかめつつ、淡々と答えた。
「この儀式では、捕まえた時に刃物をぬいぐるみにぶっさすんだよ。それをルールと認識した霊が同じことを繰り返したとすればつじつまが合う。見知らぬ同僚からのメールが、かくれんぼの誘いになってたんだろう」
「何その悪趣味」
「だから言ったろ、簡単に手を出しちゃなんねえもんだって」
久次の言葉に、橙子はぐっとこみ上げて来る物をこらえた。
失踪者リストに上がっていた人間はあまり褒められた行いをしていなかった。それでも理不尽な状況に追い込まれて死んでいったと聞かされれば何も感じない訳ではない。
「そもそもひとりかくれんぼの手順自体気にくわねえんだ。空っぽの形代に自分の一部を詰め込んで名付けるなんざ、身代わりや分身を作っているようなもんだぞ……ってそういうことなのか?」
ぶつぶつとつぶやいていた久次は、はっと気づいたように顔を上げた。
「ひとりかくれんぼを失敗した一人目が取り込まれて、そいつの思念で変質したモノが「見知らぬ同僚」として形を取ったんじゃねえか。そんでもってかくれんぼを終わらせて帰るために、メールを送って人間を引き寄せてんだ」
橙子は久次の話の半分もわからなかったが、なんとなく違和を覚えた。しかし怪異に関しては門外漢であるし、その違和を具体的に言葉にすることも出来なかったために口をつぐんでいると、静真が言った。
「では。見知らぬ同僚とやらを切れば良いのだな」
「そうだな。ここでの時間がどれほど経ってるからはわかんねえけど、せめて魂だけは解放してやりてえな」
沈痛な表情で言う久次に、橙子は淡々としていても思わぬことがないわけではないのだな、と思った。
「んじゃ、まずは見知らぬ同僚を見つけにいくぞ。悪いけど、深田さんも今回呼ばれた人間だ。安全のために一緒にいてくれ」
「言われなくてもついていくわよ。こんなところで取り残されるのは勘弁だわ」
橙子が真顔で言えば、久次は表情を緩めた。
そのときじっと手を見つめていた静真が顔を上げる。
「久次、布を貸せ」
「なんでだ」
「手が汚れた」
「は? 自分の使えよ」
「汚したくない」
「はあ!? 俺のは汚して良いのかよ!?」
やっぱり手の汚れは気になっていたのかと思ったが、静真の傍若無人な物言いは理不尽で、橙子は思わず吹き出してしまい、気が抜けてしまった。
人を殺す存在がいると言われて恐ろしさがなくなった訳ではないが、それでも喧嘩の絶えない二人が居るだけで、なんとかなる気がしてしまうのだった。
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