しずま
「橙子さん、大丈夫か。話せるか」
久次に声をかけられた橙子は、スマホを握り締めたままのろりと顔を上げた。
全力疾走で戻ってきたらしく、息を切らしているが、橙子を見る表情は安堵がにじんでいる。
その後ろには足跡を見聞する静真もいる。
橙子はようやく、日差しの暑さを思いだして、からからに乾いたのどにつばを送り込んだ。
「ひさつぐくん、私がみたのはなんだったの」
彼らには見えていないと分かっていながらも、抱えきれずに尋ねたのだが、予想外に久次はまじめな顔で返答した。
「入り江が入り江……だからな。十中八九、ドザエ様だろう。通話ごしに聞こえたし。濡れた足音と、声が」
「ああ、ええとつまり。ここ、マレビト様の死体が流れ着いたって事」
「あっ」
しまったと言う顔をする久次の表情で、橙子はさぁ、と血の気が引いた。
だが、もう一つ気になることを聞かなければならない。
「こえってどういうこと?」
「その様子だと、聞こえて居なかったんだな。アレは誰かを探す男の声だった」
「うわぁ……」
久次の固い言葉に、橙子はもはやうめき声しか上げられなかった。
確かに足の大きさは、女性ではなく男性の大きな物だったな、と思い出す。
橙子が聞いたのは足音だけだ。そのような声など聞こえていない。
なぜ一番近いはずの橙子に分からなかったものが通話ごしの久次達に届いているのか。
おばけの理不尽さにはもはや泣きそうである。泣いているが。
聞こえていた方が良かったのか、聞こえない方がマシだったのか自問自答する橙子だったが、久次がいたわるように肩に手を置く。
「形代はどうだ」
「……どうぞ」
橙子が真白いままの紙の人形を渡すと、汚れも傷もないことを確認した久次はほっと息をつく。
「とりあえず無事だな。この様子だと気づかれてもねえ」
「とりあえず久次くん。そっちはどうだったの」
死んだ目で問いかけると、久次は少し迷うように視線をさまよわせたが、言った。
「旅館の人が言っていた通り、向こう側にある洞窟の中に古い祠があった。こう言う場合のセオリーは祠を荒らして祭神の怒りを買ったか、封じられたもんが解き放たれたかなんだが。祠は海風で痛んでいたけど、荒らされた痕は無い」
「……あのさ、ドザエ様って今までの話からするに、おばけのめちゃくちゃ強い奴。だよね。どうして神様ってことになったのかしら」
ドザエ様の裏の話を聞いた時から疑問だったのだ。そんな恐ろしいモノであれば退けたり排除したりする者じゃないだろうか。
「祟るモノだからだよ」
橙子が訊ねると、久次はやんわりとした表情で言った。
「
「……そういえば、菅原道真や、崇徳天皇も怨霊だったんだっけ」
「よく知ってるな。今でも祟るって有名なのは足利将軍の首、だな。そう言う神は祀り方を間違えると一気に祟り神としての側面がでる」
ひえ、と橙子は小さく声を上げた。なんとなく結びついてしまったからだ。
「あの、久次くん」
「おう」
「ドザエ様の成り立ちって恨むのもおかしくないようなものよね」
「ああ」
「それで、捜し物しているみたいなのよね」
「……そうだな」
「……その捜し物のせいの気がしてならないのですが」
「確かにそうだよなぁ」
橙子が神妙に言うと、久次は驚くと同時に感心に似た表情を浮かべた。
「というか橙子さん、怪異ごとめちゃくちゃ苦手なのにそこまで結び付けられるとはなあ」
「考察してないと怖くて頭がおかしくなりそうだからなの、察して」
「お、おうすまん」
考えるように指をあごに当てていた久次は、橙子を向いた。
「とにもかくにも、ドザエ様が悪いモノを振りまいているというのはわかった。より詳しくドザエ様の伝承を調べてくる。何を探しているのか。祭事はきちんと執り行われているのか。そこで変化があれば対処法が考えつくかもしれない」
「なるほどね。じゃあ二手に分かれましょ。私は旅館の人やここで知り合った人に聞き込みしてみるわ。何か聞いておいた方が良いことはあるかしら」
橙子がスマホのメモ帳を呼び出しつつ聞くと、久次が面食らった顔をした。
「え、だけど。橙子さん休暇だろ」
「追いかけっこしたあげく海水びっしょりで起きておばけパーティに強制参加なんてしたくないわ。無事に帰るためにも手伝うわよ。確実に行きましょう」
「え、ああ、じゃあ。そのどんな風習があるか。ドザエ様に関してのやってはいけないタブーみたいなものがあったらとかもたのむ」
「了解」
「あーでも、橙子さん一人だと心配だし、静真と一緒に行ってくれ」
「えっ」
橙子は思わず静真を見た。足跡を見聞して森のほうへと行っていた彼も、声が聞こえたのだろう、こちらを振り向いて軽く目を見開いている。
「お前は良いのか」
静真が念を押すように聞くと、久次も少々驚いた顔をするが平静に言った。
「聞き込みや資料漁りに二人はちょっと威圧的だからな。俺は一人でもなんとかなるけど、橙子さんは一般人だから心配だ」
「いや、でも」
橙子がなんとなく引っかかるものを覚えて聞いたのだが、久次は取り合わなかった。
「あのさ、橙子さん忘れてるかもしれないけど、あのドザエ様(仮)は今島の中へ入っていったんだけど」
「ぜひ一緒に行ってください静真さん」
橙子は全力で静真に頭を下げたのだった。
*
橙子は神妙な顔で、連れだって静真と旅館へと戻っていた。
道中、遭遇した住民に話を聞いている間も、静真は無表情で橙子の後ろに控えていた。
今まで3度、彼らと行動を共にしていたが、静真と二人きりになるのは初めてである。
「あの、臭いはもう平気です?」
「問題ない」
その証拠に、静真はすでに口を覆っていたハンカチを取り去っている。
「それは、よかった」
それきり、会話は途切れる。
愛想がマイナスを振り切れている彼に一体何を話しかけたら良いか。間を持たせる方法を橙子はめちゃくちゃ考えているうちに、旅館にたどり着いていた。
すると、ロビーには女将の池上と見知らぬ男性が話している。
しかし池上はたちまち橙子と静真に気がついて、驚いた顔をしつつも柔和に話しかけてきた。
「あら、あらら? おかえりなさい。お二人だけですか」
池上の好奇の眼差しに居心地の悪さを覚えつつ、橙子は曖昧に笑う。
「ええ、もう一人は祠に興奮しちゃって、ドザエ様について知りたいって島の歴史を調べるって行っちゃったんですよ。だから私たちだけでのんびり帰ってきたんです」
「……まあまあ、ドザエ様に興味を持っていただけるなんて」
ふ、と橙子は池上の気配が一瞬変わったような気がしたが、すぐに朗らかな表情で隣に居るがっちりとした体格に、白髪をなでつけた男性を紹介した。
「ああそうでした、こちらは更科さん、佐茅島の町長なんですよ。祭りの相談に来ていたんです」
「初めまして。深田ですこちらは天高さん」
「そっちの兄さんもよろしくな」
海の男、と言った雰囲気の更科が気さくに笑うが、静真はただこくりと頷くだけだ。
愛想のなさに更科は少々面食らっている。予想がついていた橙子はすぐにたたみかけた。
「あの、お祭りの相談をされていたって言ってらっしゃいましたけど、近々祭りがあるんですか」
「ああそうだよ。ずっと出来なかった祭りがようやく開催出来るものでねぇ。気合いが入っているんだ」
「それは随分間隔があきますね。ドザエ様にかんするお祭りなんですか?」
橙子が不自然にならない程度に興味を引かれた体で聞いてみる。
まさか、地元の人間に、この地の神様が危ないから調べているというわけには行かないしなにより信じてもらえるはずがない。
幸いにも更科も池上も気分を害した風もなく、むしろ嬉々として答えてくれた。
「ええ、そうなんですよ。特別な大祭なんです。島中に悪いもの引き取り、幸を届けていただいたドザエ様に休息を差し上げるために島を上げて祭りを行うんですよ」
「島民はみなだいぶ年寄りになっとるからなあ。天高くんのような若い男が居てくれたらいいんだけどなあ」
更科は言いつつ静真の背中を叩こうとしたが、静真は自然とよける。
肩すかしを食らわされた顔をする更科だったが、その前に池上が言った。
「深田さんは明後日までいらっしゃるんですよね。是非祭りに参加していってくださいな」
「あれ、観光客も参加しても良いのですか」
観光パンフレットに書いてなかった祭りだ。部外者が参加出来ない類いのモノなのではと思ったが、池上はにこにこと手を振った。
「どうしても条件が重ならないと出来ない祭りなので、外に喧伝は出来ないんです。でもドザエ様はマレビトだったので、旅で来てくださった方を歓迎しない訳がありませんよ。なにせこの島はドザエ様のご加護でなりたっていますからね」
「それなら、すこし覗かせてもらえたら嬉しいですね」
橙子がそう言うと、池上も更科も嬉しそうに笑った。
この島が好きなのだろうなあと、感じさせるものだった。
橙子が心の中に書き留めておいていると、更科が出口へ向かい始める。
「じゃあわしは他のもんに話してくるよ。じゃあマレビトさんがた失礼しますよって」
「あ、お話ありがとうございました」
橙子は見送ったが、静真がより不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。
放っておいたことを申し訳ないと思ったが、ぽつりとつぶやく声が聞こえた。
「なまぐさい」
淡々としていたが、嫌悪は少しにじんでいる気がした。
仕事に戻るといった池上が去って行くのを見送った橙子は、再び静真と二人きりになってしまった。
橙子はひとまず、久次にはスマホで無事に旅館へ着き、メッセージを飛ばしておく。
あまり通信のつながりはよくないが、無事に送ることは出来た。
だがしかし、正直今更バカンス、という気分にはなれない。
この島は一通り回りきっていたため、とくに行きたい場所もない。
困った。大変困った。
夕食までには帰ってくると久次は言っていたが、夕暮れまでそれなりに時間がある。
それまでどうやって時間を持たせるか考えていたがふ、と久次の様子が思い起こされた。
「あの、聞かせていただけるのなら、でいいんですが」
橙子が話しかけると、静真は無言で視線を投げてきたが、不機嫌そうな様子などではない。
ならばままよ、思い切って続ける。
「今回の久次くん。少し様子が変じゃないですか」
なんだか、熱心ではあるのだが、その熱心さに違和を覚えるのだ。
いつもならば、もうすこし慎重になるような気がするのにもかかわらず
静真との軽いやりとりが少ないように思える。
とはいえ明確な理由があるわけではないため、橙子はとりとめもなく考えていく。
「必死というか今回だけ違うみたいな。あんなおばけが歩いてるってわかってるのに、一人で行っちゃうし、焦ってるって感じで。もしかして私の気のせいかもしれないけど」
「あれが単独行動を選んだのは、この島民は平然と暮らしている。ならば島民と同じ行動をすれば問題ない。あるいは夜眠らなければ問題ないと判断したのだろう」
「なる、ほど」
「だが、今のあれは別のことにとらわれている気がする」
橙子ははっと、静真を見上げた。彼はほんのわずかだけ怜悧なまなざしをこちらに向けていた。
「だから俺がついてきた」
同じことを感じていたと橙子はほっとしたが、同時にそう言った静真はどこか得意げでなんだかおかしく思った。
「久次くんのこと心配なんですね」
「なぜだ。陽毬が久次を心配したからだ」
仲が良いなあと思った橙子だったのだが、その当然のような返答に面食らった。
静真は当然、といった雰囲気は冗談でも何でもないらしい。
とはいえ何か言うとすればそれしかない、と橙子は少々顔を引きつらせる。
「……陽毬さんのこと、本当に好きなんですね」
「陽毬は俺のすべてだからな」
予想以上の返答に橙子の方が顔を赤らめる。
浮き世離れした彼に戸惑うことになったが、そこまで愛されることはまぶしいと思う。
橙子も陽毬とは時々メッセージのやりとりをしていたために、彼女の人柄の良さは身にしみていた。
と、そこまで考えたところではっと気づく。
わからないのであれば彼女に相談すればいいのではないのだろうか。
橙子がいそいそとメッセージを売っている間に静真に話しかけられた。
「で、お前はどうするんだ」
「ちょっと陽毬さんに救援コールを出すんで待ってください」
「は」
自分の考えていることをそのまま口に出してしまい、はっとする。
顔を上げると何言っているんだこいつ、という顔をしている静真と対峙することになった。
そのとき、旅館の玄関が開けられて、久次が姿を現した。
「何してんの」
ぴろん、と橙子のスマホが鳴った。
橙子にはどちらも救いのように思えた。
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