じょうほう
橙子の前のつとめ先が霊障に悩まされていたときも現れて、橙子の精神を削りながらも解決してくれた。
要するに、橙子は彼がインチキでも何でもない本物の力を持っていることを知っているわけで。
そんな彼らがいると言うことは、必然祐子が話していた「妙なこと」もそっち案件である可能性が高いのだ。
「橙子、顔色悪いけど、大丈夫?」
立ち止まってしまった橙子を心配した祐子にのぞき込まれて、橙子ははっと我に返る。
祐子は久次に対して、警戒をあらわにしていた。これは久次の外見でなにか誤解をしかけている兆候だ。
「なんでもない。知り合いに会って驚いただけだから」
「知り合い?」
「うん。前にちょっと助けてもらったことがあってね。というかほら、仕事行かなきゃいけないんでしょ。早く挨拶済ませなきゃ」
命を、しかも二回。というところは全力でぼかした橙子は、祐子をせかそうとする。
しかしその前に、職員室のプレートが掲げられたドアから、壮年の男性が現れた。
この幼稚園の制服なのだろう。かわいらしいアップリケのついたエプロンには、「えんちょうせんせい」という名前書きがされていた。
「えんちょうせんせー!」
園児の一人に呼ばれた男性はにっこりと笑うと園児に言った。
「これから大人の話をしますから、見ちゃだめです。向こうで遊んで来なさい。はるみちゃんも。いいですね」
離しかけられたはるみは、びくんと体を揺らすと、ぎゅうと橙子の服をつかんだ。
その行動に橙子は少し驚いた。はるみの顔はうつむいていて見えなかったため、膝を突いて彼女をのぞき込む。
その顔は何かをこらえるようで、唇は真一文字に引き結ばれていた。
何かがいやなのだろうというのは分かるが、何かが分からない。だが園長と祐子が待っているのを感じた橙子ははるみに話しかける。
「ちゃんと迎えにくるからね、お友達のところにいってらっしゃい」
「……おともだち」
何気ない一言のはずだった。しかし、はるみの顔からすっと表情が消える。
だが目だけが異様に光を帯びているように思えて、橙子は息をのむ。彼女が、別の生き物のように思えた。
しかしそれも一瞬で、はるみは渋々といった雰囲気で頷くと、ほかの園児達と共に足早に去って行った。
ざわざわとした気持ちを抱えたまま、はるみの小さな背中を見送った橙子だったが、深いため息ではっと現実に戻された。
顔を上げると、園長が久次に困った顔で向き合っていた。
「三池さん、子供に乱暴な言葉遣いはやめてください」
「あ、すんません」
「保護者の方に見つかったら何を言われていたか。これはあなたのためを思って言っているんですからね」
「以後気をつけます」
神妙な顔をして頷く久次だったが、橙子には右から左へ流しているのがなんとなくわかった。橙子がそっと見なかったことにしていると、園長は再度ため息を吐いて久次に言う。
「ではもう一人の方と子供達を見ていてください。くれぐれもお願いしますよ」
「はい」
一応神妙な顔をした久次は、こちらに会釈をする一瞬、橙子と目を合わせる。
『あとで』
橙子が声に出さず口を動かせば、久次は軽く目見開いたあと、頷いた。
久次を見送った園長はこちらを、正確には祐子を向く。
「すみませんねえ。一応は事態の収束に尽力してくれているようなんですが。あまり素行は良くないようで。ご不快に思われるかもしれませんが、事態が収まるまでもう少し待ってくださいね」
申し訳なさそうに言うのは、久次に関してだろう。
橙子はなんとなく、あまり良い言い方ではないなと感じたが、口を挟む場面ではないと沈黙する。祐子は気にならなかった様子で首を横に振った。
「いえ、お気になさらず。一刻も早い解決のためですから。で、はるみのお迎えについてなのですが」
「その方がお電話で言ってらっしゃった、代わりのお迎えの方ですね」
「はい、妹の深田橙子です。しばらくはるみの迎えは彼女が来ます。なので夕方お迎えでお願いします」
祐子の紹介と共に橙子が会釈をすると、園長は軽く頷いた。
子供を相手にする仕事をしているだけあるのか、笑いじわが目立つ柔和な顔に見えた。
「私はこちらの園長をしている重野です。ではほかの先生に顔通しと念のために写真を撮ります。間違った方に園児を受け渡さないための処置ですから、気を悪くしないでください」
「姉から説明は受けていますので大丈夫です。しばらくの間よろしくお願いいたします」
橙子は言いつつ、どうやって久次に話を聞こうかと考えた。
しかし、その懸念はすぐに解消する。
重野に促された橙子が画像を撮られその場にいた保育士達に軽く挨拶をして、ひとまず保育園を辞去しようとしたときだ。
早い時間だったために、まだ登園してくる園児と保護者たちでごった返す正門口で橙子はこの後どうしようかと考えていると、背後がざわと騒いで振り返る。
すると母親達や園児たちがモーゼの十戒のごとく分かたれ、その間から秀麗な青年がまっすぐ橙子に歩いてきたのだ。
長い髪を一つに結うという男性としてはめずらしい髪型がよく似合うその青年は、シャツとスラックスにやたらとかわいらしいアップリケ付きのエプロンを身につけている。
久次の仕事仲間である静真だった。
久次がいるのであれば、彼もいるのではないかと思っていたが、そのエプロンのインパクトに橙子は軽く息をのむ。
その間が致命的だった。
静真は橙子の前に立つと、無造作に橙子の手を取ってにぎりこんだ。
そうしてぽかんとしている橙子に向けて真顔でいいはなったのだ。
「お前を待っている」
ざわ、と周囲の母親が騒いだ。ついでに橙子の胸もいやな風に騒いだ。
一連の行動は、どう見ても静真が橙子をナンパしているようにしか見えなかった。
しかし静真はやりきったとも言うように満足そうな表情であっさりと橙子から離れると、建物のほうへ戻っていく。
おそらく、身動きが突かない久次の代わりに、静真が伝言を持ってきたのだろう。
ありがたい。だがもうちょっと、ほんとうにあと少しで良いから時と場合を選んで欲しかった。
母親達の視線が体中に突き刺さるのを感じながら、橙子は逃げるように保育園を後にする。
しかし祐子は興奮した調子で詰問してきた。
「あの人よ!? 最近お母さん達の間で話題になってるもう一人! あの人共知り合いなの! というかなんであんたナンパされてるの!!」
「あの人には恋人いるし、そんな意図まったくないと思うわ。素でああなのよ」
それだけは強固に言い放った橙子だったが、
「でも、知り合いなのよね。ほんとあの人達と何があったの」
「……黙秘権を行使します」
祐子の追求を交わしつつ、橙子は静真に握りこまされたメモを見る。
握りこまされたメモには走り書きで時間ととある公園の場所が記されていた。
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