はらい

 吉良との会話から数日後。

 保育園内で一番広い遊戯室では、保護者達が食い入るようにスクリーンを見つめていた。

 そこに映るのは、夜間保育の光景だ。

 部屋の全体が見える位置からとられたその映像には、園長が園児の一人を立たせてヒステリックにまくし立てる姿が映っていた。


『……くん。どうしてこんな簡単なことができないのかなあ? ほかの子はちゃんとできるのにねえ。君がそんなだからここに預けられちゃうんだよ。それとも、また大事なお友達をなくさないとわからないかなぁ?』

『だめ、小鳥さん、なくなるのやだ!』

『お前がうまく出来ないせいだろうが』


 怯える園児をひとまずおいた園長は、周囲に座る子供達に向けてにっこりと微笑んで見せた。


『さあみなさん、目をふさぎましょう』


 その言葉に、園児達は機械的にうつろな顔で目をふさぐ。

 瞬間、打擲音が室内に響いた。

 保護者達が眉をひそめ、おぞましいものでも見る表情になっていく。


『悪い子なんだよねえ! 先生がこんなことを、しなきゃ、いけないのも! 全部! お前の! せいなんだ!』


 やがて映像が終わり、助手役を務めていた橙子が再生を止めると、不気味な沈黙が室内を支配した。

 誰も彼もが言葉を発せない中、神主が身につけるような着物に袴姿の久次が進みでる。

 そのような仰々しい衣装を持ってきた時には、密かに驚いていた橙子だったが、表情を鎮めて淡々と語る横顔は、ある種の侵しがたい雰囲気を醸し出していた。


「これがこの保育園にはびこっていた怪現象の正体でした。これ以上、俺たちが出来ることは何もないようです」

「ど、どうしてそんな映像があるのよ!? そのアングルじゃ、絶対撮れないはずでしょう!?」


 保育士のひとりが耐えきれなかったように叫んだ。

 確かにこの映像は、部屋を見渡せる棚に置かなければ撮れないし実際に置いていた。そんなところに堂々と撮影機器が置いていればわかると言いたいのだろう。

 それがなぜわからなかったと言えば、静真が認識を阻害する術をかけたからだ。橙子は教えて貰うまで堂々と置いてあった撮影機器に気づけなかった。

 「怪異じゃなくて普通の人間相手なら、こんな小手先の術でも効くからな」とたいそう悪い顔をしていた久次は、しかしそんな気配はおくびにも出さずに言う。


「申し訳ありません。この施設に関わる人間に口にすると、霊が出てこない場合がありましたので、内密にしました」


 今回の仕込みで助手役をしていた橙子は、しっかりと敬語を使う久次の努力に密かに感心していた。

 橙子と久次が画策したのは、証拠の映像を撮り、それを保育園の祓いの儀式をすると言って集めた保護者達の前で公開することだった。

 雇われている立場である久次達は、カメラをしかけてもらい夜間保育の証拠をとったとして、それを園長に突きつけるだけでは弱い。

 ただ怪しい職業の人間に因縁をつけられたということになりかねない。

 ならば言い逃れの出来ない不特定多数の人間に目撃させれば良い、ということになったのだった。

 そしてもくろみは当たった。


「どういうことだ! 園長!!」


 保護者の一人が声を荒げて糾弾する。それを皮切りにごうごうの非難が重野に集中した。この場には3分の2ほどの園児の保護者が集まっており、中には夜間保育に預けている保護者もいる。

 このような環境に我が子がおかれていたのだ。信頼していたにも関わらず、とうてい許せることではないと保護者達が怒るのは当然だった。

 だがしかし、重野は、まるで能面のような表情で小首をかしげる。


「何かおかしなことがありますか。私どもは誠心誠意、子供達を教育していただけですよ。多少熱が入ったことはありますが。子供はこれくらいやらなければ悪いことは分からないものです」

「どう考えても度を超しているだろう!」

「ですが、私どもの教育のおかげで、みな、よい子でしょう? 皆さんは私の教育方法に賛同したからこそこの保育園に預けたのではないですか」


 心底不思議そうにする重野に何人かの保護者が絶句していた。

 橙子もまた、うすうす分かっていたことだったが重野の異常さに眉をひそめる。

 それでも重野の横に居る保育士達は一様に青ざめている。彼女たちは皆重野の行き過ぎた教育を分かっていたのだ。

 がた、と立ち上がったのは、橙子の姉である祐子だった。

 彼女にだけは橙子からあらかじめ話していたとはいえ、衝撃はすさまじかったことだろう。

 しかし、決然とした様子で重野と保育士達を射貫いた。


「このことはしかるべき行政機関に訴えさせていただきます。もうここにうちの子を預けてはおけません」

「そうよ!」

 たちまち同意の声が上がる中、久次は頭を下げた。

「では、これにて祓いの儀を終わらせていただきます」




 *




 重野と保育士達を糾弾した保護者達がそれぞれの子供をつれて帰っていく。

 その光景を、橙子達は並んで見送っていた。

 すでに久次は衣装を脱ぎ、いつものジーパンにシャツという出で立ちに戻っている。

 大人達の険しい空気を察したらしい子供達は幾分大人しいが、それでも久次と静真に気づくと笑って手を振った。


「ひさつぐーしずませんせーまたねー!」

「またてんぐおしえてねー!」


 無言で手を振る静真に対し、橙子は別室でされていた預かり保育の光景を思い出して聞いた。


「静真くん、あの短期間で側転と三点倒立教えるなんてどんな魔法つかったのよ」

「技を身につけたいと言うから教えていただけだ。皆筋が良かった」

「まあ確かにはしゃいでたけどな……」


 久次が引きつった顔をしながら言ったのも無理はない。さすがに子供達のために残っていた保育士が哀れだったものだ。

 だが静真と共にのんびりと遊んでいた園児達の表情に憂いはない。

 そう園長や保育士が居なければ、こんなに普通なのだ。それを踏みにじった彼らに対して橙子は怒りしか覚えない。


「昔の俺は、あの子供達のようだったのか」


 ふと、子供達を眺めていた静真がつぶやいた。

 橙子が見上げると、彼の表情はいつも通りの無表情だったが。どこか子供のようにあどけない気がした。すると久次が肩をすくめた。


「そんなもんわかんねえよ。俺が出会ったのは今のあんただし。今は腹立つほど厚かましいぞ」

「……ふん」


 そう返事をした静真は少し、安堵がにじんでいた。

 橙子はどういう意味かと尋ねてみたかったが、同時に二人のプライベートな部分だとも感じていたので、好奇心をこらえた。

 代わりに、大きくのびをして話柄を変えた。


「今回の子供の異常行動は、過度にストレスのかかる環境での一瞬のパニック障害……ってことで解決だよね」

「まあ、報告はそんなところになるな。保育園自体はこれからが本番だろうけど」


 応じた久次は、次いで橙子に感心した表情を浮かべる。


「というか橙子さん、こう言っちゃなんだけどよく気がついたな」

「んー? もうちょっと早めに疑っておけば良かったと思うわよ。まあ、はじめからおばけじゃないと良いって思いながら観察していたせいかもだけど」


 久次達は、怪異の仕業だという前提で動いていたために、気づくのが遅れた。しかし彼らもまた、きちんと調査をすれば時期に気づいただろう。橙子ははじめから人間が原因かもしれないと考えて見ていただけ。それだけの話なのだ。


「それに、本当に怖いのは人間だからねぇ」

「……ああ、あの異界駅の」

「それは記憶から抹消したい」

「あ、橙子さんすまん」

「……にしても私の名前を呼ぶのも自然になったねぇ」

「えっ、あ」


 かっと頬を赤らめる久次に橙子は表情を緩めた。


「じゃあ今日は帰るわ。はるみちゃんは今日は家族だけで過ごさせた方が良いし。私も就活があるしね」

「そ、そうか。まあ今回は助かった。飯はちゃんとおごるから!」


 律儀に言う久次におかしくなりつつ、橙子は手を振って帰ったのだった。









 橙子を見送った久次は深く息をつく。

 姉と同年代のはずなのに、橙子と話していると居心地が良いのだがどうにも調子が狂う。

 しかしまた彼女のおかげで事態を解決に導くことが出来た。

 久次の苦手とする部分をすべて補うように立ち回ってくれたためにスムーズだったのだ。


「あのような者が仕事仲間になれば、任務が楽なのではないか」


 胸中を読まれたかのような静真の言葉に、久次は若干びくついた。


「橙子さんは一般人だぞ。今はちょっとチャンネルが開いちまってるけど。こっち側に引き込むにはかわいそうなほど普通の人間だ」

「しかし今の俺たちの任務達成率は低かろう。無事に完遂できたのは、あれがいたときだけだ」


 その通りだったが、久次は負けじと言い返す。


「静真、姉貴がもしこの仕事やるって言ったどうする」

「あのような怪異に弱い生き物をなぜ引き込まなければならん」

「橙子さんも一緒だよ」


 そう、久次が言うと静真は黙り込んだ。

 彼女の周囲で怪奇現象に引き寄せられているが、いずれ収まるはずだ。なにより彼女の恐がりぶりは見てて気の毒になるほどだった。

 もとより居る世界がちがうのだ。これっきりの縁だと割り切るのが一番だと思った久次は大きくのびをした。


「んじゃまあ、後はそこら辺の穢れを祓って、なんとなく丸く収められる言い訳を考えるか」


 今回は故意ではなかったとはいえ、会社の備品を壊してしまっている。さらに保育園の犯罪を暴いてしまったがために起きるだろう事情聴取などで会社に諸々の迷惑がかかるだろう。

 珍しくはないとはいえ、始末書を書かなければならないのは頭が痛い。

 それでも気分は悪くないと思っていると、静真が不思議そうな顔をする。


「うむ。そろそろ元凶が力を持ちかねん。勝負はこの数日だろうな」


 久次は、その言葉に、ぞわと悪寒を感じた。

 とても、いやな予感だ。


「おいまて。確かに橙子さんが怖がるからと思って、形を持ち始めていた怪異に関しては黙っていたが、もう原因だった夜間保育は終わったんだ。勝手に自壊していくだろう?」

「何を言っている、すでに形は持っているぞ。あの柵に突き刺さっていた猫からは人ならざる者の気配がした」


 不思議そうな静真に、久次は今度こそ顔色をなくした。

 久次は迷わずスマホを取り出すと、吉良宛に電話をかける。


『は……』

「おいあんた、保育園の柵に猫の死骸を突き刺したか!」

『あ、えはい!? なんでそんな残酷なことをしなきゃいけないんですか!? ぼ、僕はただゴミ袋を漁って死骸があったら門の前に置いてただけですよ! そもそも猫はあの保育園飼ってないよね!』


 吉良に怯えられながらまくしたてられた。

 久次は己の思い違いに気づき奥歯を強くかみしめた。


「そうだ、今まであった死骸は、あの重野が殺した保育園の動物だった」


 しかし、あの猫は違ったのだ。何の関係もない死骸だ。たった今殺されたような生々しい血を滴らせた。

 だから、まだ、終わっていない。

 ずん、と空気が冷たく濁る。

 ふ、と静真が顔を上げた。


「現れた」


 保育園から悲鳴が響き、久次と静真は身を翻した。

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