ほったん

 橙子は、久次と保育園からだいぶ離れたファミリーレストランで落ち合った。

 店内の隅の通路側に座る久次が、片手を上げて注意を引く。

 そちらに近づいていった橙子は、静真の姿が見えないことに気づいた。


「静真さんは?」

「あいつは保育園に残しといた。子供にも懐かれてるし、一人居れば大丈夫だろ」


 なるほどと納得した橙子は、あらためて久次の隣に居る男性に目をとめた。

 履き古したジーンズにシャツ。暗色の上着を着込んでいるのはおそらく目立たないようにだろう。

 年は橙子よりも多少上で、身なりを清潔にはしているようだが、全体的に垢抜けず、おどおどとした雰囲気をした男だ。

 既視感を覚えた橙子は記憶を探り、昨日公園に向かう前にすれ違った男だと気がついた。納得した橙子だったが、目の前の席が空いているにもかかわらず、久次が吉良の隣に座っているのに、おかしみがわいてくるのをこらえた。

 吉良が万が一にも逃亡しないようにするための対策だろう。とはいえなんとなく並んで座る様は奇妙だった。だがいつまでもとらわれている訳にはいかない。


「初めまして、吉良さんですね。私ははるみの叔母の深田橙子と申します」


 すると男性、吉良はぽかんとした顔になる。


「どうして僕の名前を」

「先ほどまで、弘人くんのお母さんにお話を聞いていたんです。弘人くんの友達だったきらきらさんは、あなたですね」


 久次がぽかんとする横で、吉良はくしゃりと泣きそうな顔で頷いた。


「その、とおりです。もしかして、はるみちゃんが言っていただいだい姉ですか」

「あはは、それはるみちゃんが話したんですよね。なんか恥ずかしいです」


 橙子が照れて苦笑いしていると、久次が身を乗り出してきた。


「すまん、橙子さんマジどういうことだ。こいつがドローンを飛ばして居たのは確認した。白で塗られていたから分かりづらかったが、静真が見つけた。あいつが昨日のやつをおかしいと思っていたらしい。小動物の死骸をおいていたのもこいつだった。それなのに保育園に連絡せずに警察にも突き出すなってどういうことだ」

「ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした!」


 テーブルに頭をすりつけんばかりに下げて謝罪する吉良に、久次が眉をしかめた。


「ああ? どんだけ子供を追い詰めたと思ってんだよ!?」

「すみません。ごめんなさい!」


 低くドスの利いた声で吉良に迫る久次に対し、吉良は頭を下げたままぶるぶる震える。

 このままではファミレスに居ることが出来なくなる。ヒートアップしかける二人を止めるために、橙子は割って入った。


「この人にはそれをする理由があったのよ。あの保育園で園児達が虐待されていたことを、外部に知らせるために。……ですよね、吉良さん」

「は……?」


 久次が絶句する前で、橙子が吉良に確認すると、彼は息をのんだ後ぼろり、とその目から涙をこぼした。

 まさか泣き始めるとは思わなかった橙子はぎょっとするが、吉良はぐずぐずと泣きながらもしゃべり始めた。


「ど、どうして、どうしてわかったんですか……」

「はるみが描く絵が、黒一色になっていたの。前は淡い色を好んでいたのに。それが以前見た虐待を受けた子供の絵に雰囲気が似ていたの」


不気味だ、という感情さえ排除すれば、そこには傷ついた子供の悲鳴が書き殴られていた。


「だからはるみから聞き出した情報をヒントに、午前中に弘人くんのお母さんに話を聞きに行きました。弘人くん、最近ようやくしゃべれるようになって言ったんですって。『もうえんちょうせんせいにぶたれない?』と」


 はるみと弘人が仲が良く、祐子が弘人の母親とまだ連絡を取っていたのが幸いした。昨日の夜の内に会う約束を取り付け、弘人の母親に話を聞けたのだ。

 久次が何かに思い当たったような顔をする。


「智紀にあった鬱血のあとって、まさか!」

「でしょうね。はるみちゃんにもあったわ。この三人に共通するのは夜間保育に預けられていたか否かよ」


 橙子は適当なドリンクを頼み久次達の向かい側に座る。

 弘人の母親が急な願いだったにも関わらず、なぜ応じてくれたといえば、彼女もまた、断片的ながら弘人が語る当時の話を聞いたことで園長である重野達をの犯行を疑っていたからだった。


「弘人くんのお母さんから、吉良さん宛に伝言を預かってます。『あの日は弘人を守ってくれようとしたのに疑ってごめんなさい』と」

「そんな、ことはいいんです……。僕は結局弘人を守れなかったんだから」


 ずびずびと鼻をすすりながら、吉良は語り始めた。


「僕は、その。在宅中心の仕事をしていて。日中に危なくない範囲でラジコンやドローンを飛ばすのが趣味なんです。勤め人とは違う時間帯に外へ出歩くことが多いから、そこで出会ったのが、弘人でした」


 そこからの説明は、橙子にとっては弘人の母親から聞いたものとおなじだった。

 ドローンに興味を持った弘人と仲良くなるのに時間がかからなかった。

 年の差は何十歳にも及んだが、それでも不思議と吉良と弘人は馬が合い、何時間でもつきあっていた。そこに時折はるみも加わっていたことは、祐子からも証言がとれている。

 きらきらさんと呼んでいた事までは知らなかったが、一度、公園で一緒になった事があったらしい。少々気をとがらせたが、話してみれば誠実そうだったため、あまり気にしなかったと。


 それはともかく、弘人の母親も、吉良の存在は助かっていたらしい。

 だからこそだろう。弘人の虐待に気づいたのは吉良だった。


「僕は、申し訳ないんですが、はじめは弘人の母親を疑ったんです。でも弘人の話をつなぎ合わせると、夜間保育の先生にやられている。と。体操や歌や書き取りの成績が悪いと、叩かれたり抓られたりするんだそうです。居合わせた子には『目をふさいで、知らない振りをしろ』と命じられるらしくて。話している最中も、よく弘人は目をふさいでいました」


 心あたりがあった橙子と久次は顔を見合わせる。

 その間にも吉良は膝の上で手を握りしめながら語り続ける。


「補充されているから、保護者達は誰も気づいてないみたいですけど、重野は保育園で飼っているインコやウサギを見せしめに傷つけていました。成績が悪くてよい子ではないから、こうして大事なお友達が死んでしまうんだ。といって。お父さんお母さんたちのお迎えが遅いのも全部きみ、たちが悪い子だから……って! だから弘人はお父さんお母さんにもいえないし、友達にもいえなかったといってました」

「周囲の人間はすべて、夜間保育の子供だけだったから、気づかなかったんですね」


 橙子が言うと、こくり、と吉良は頷いた。


「僕は、すぐに弘人のお母さんに話しました。しかし、僕は自分で言うのも何ですが、あんまり社会的信用がある人間とはとてもじゃないけど言えません。保育園になにか言われたのか、逆に弘人を暴行しているんじゃないかとお母さんに疑われて弘人に近づけなくなりました」


 それは、悪魔の証明だ。弘人はまだ幼く、さらに精神的なショックでうまくしゃべることが出来なかった。やらなかったという証明が何一つ出来ない。

 そんなかで保育園とうだつの上がらない成人男性どちらを信用するかなど明白だ。


「それでも僕は弘人に何かしら知らせたかった。だからサインを用意したんです」


 最後に会う機会に、こっそりと教えた。

 弘人が好きだったドローンに、光を反射するテープをつけて飛ばす。

 まだ、君たちを救うことはあきらめていないからと。弘人は気づいて、はるみをはじめとした夜間保育の子供達に口々に伝えられる。そうして「きらきらさん」は夜間保育の子供達の心の支えとして広がった。


「警察に行っても信じてもらえなくて、児童相談所に連絡してもだめでした。だからせめて警察沙汰になって、保育園に第三者の目が入れば気づいてもらえるかもと思って。物を壊してみたり、脅迫文を送ってみたり。重野が殺していた動物を晒したのは『お前がやっていることに気づいている人間がいるぞ』というアピールになればと。……今思うと正気の沙汰じゃなかったですね。でもそれしか考えつかなくて」


 気まずそうに頭をかく吉良に向けて、橙子は問いかけた。


「弘人くんがいなくなった時点で、関わらない選択肢もあったんじゃないですか」

「でも、はるみちゃんやほかの夜間保育の子は残ってるじゃないか」


 青年は不思議そうな顔をしてそう言った。ついで情けなさそうに眉尻を下げる。


「僕はあんまり強くないから、弘人みたいに苦しんでいるのを知っているのを無視したら罪悪感で死にたくなってしまうよ」


 へらりと笑う吉良に、橙子は口をつぐむ。


「……んだよ。なんだよそれ」


 しかし久次が耐えきれなかったように声を荒げた。


「あんたは、子供達を助けようとしたんだろ! 正しいことのはずだ! なのになんであんたが苦境に立たされてるんだよ!」

「それは久次くんもわかるんじゃないかな。だってはじめ吉良さんを問答無用で捕まえようとしたでしょ」


 ぐっと、久次は言葉を飲んだ。

 橙子だって、はるみが園長先生に異常に怯える場面を見なければ、そして実際にはるみや母親に話を聞かなければ信じなかっただろう。

 保育園ぐるみで園児虐待をしているとは。

 しかし当の本人はあまり気にしていないようで、吉良は気まずそうに言った。


「それに、僕がやっていることも犯罪だからね。全部終わったら罪を償おうと思う。だけど。あの保育園だけは道連れにします」


 気弱げだったにも関わらず、最後の言葉だけは、決意と恨みをにじませていた。

 吉良の覚悟を見た橙子は、久次に視線を向けた。


「久次くん。こんなことが分かったからには、私は一刻も早くあの保育園からはるみを引きはがしたい。だけど、あの保育園に雇われている君はどう動くかな」


 久次は何か考え込む様子だったが、顔を上げて橙子を見る。


「橙子さん、俺達はどうして依頼されたんだと思う」

「たぶんだけど、保護者へのパフォーマンスね。警察が捜査に来たら虐待がばれるかもしれない。けど民間警備会社のさらに言えばオカルトという不確かなものを扱う君たちなら、いくらでもごまかせると思ったんでしょう」


 ぎ、と久次のまとう空気が重くなる。まるで噴火寸前の火山のようだ。


「俺たちの、カメラを壊したのも」

「たぶん保育士側ね。指示されたかまでは分からないけど。だって園長がブラックやってるなんて絶対に知られる訳にはいかないもの」


 保育士のほとんどが隠蔽にかかわっているだろう。

 吉良がはらはらとした様子で見守る中、黙考してた久次は深く息を吐いた。


「ああくそ。そういう可能性もあるってのを忘れて先入観で考えちまってた。術者の名が廃るぜ。通りで気配のつかみ所がないわけだ」


 ばりばりと苛立たしげに頭を搔いたあと、久次は顔を上げる。

 その瞳は燃えるような怒りにあふれていた。


「KTKサービスは、怪奇現象の真偽も調べる。俺の今回の仕事は、あの保育園で起きている怪奇現象の調査と解決だ。原因が分かったんなら解決するのも仕事だ。まあ? 解決の仕方は指定されてねえから? どうしたっていいよなぁ?」


 そう、言った久次の表情は目つきの悪さに拍車がかかり、たいそうあくどく見えた。


「久次くんそういう表情、とっても似合うわね」


 思わず橙子が言うと、久次はきょとんとする。


「え、俺どんな顔してた」

「どうやって相手をいたぶり倒そうか考えてる顔」

「いっけね」

「まあ、今回に関しては私も同意なんだけど」


 しまったと言う顔になる久次に、橙子はほんの少しだけ唇の端を上げてみせる。

 腹を立てているのは橙子だっておなじなのだ。

 久次は腕を組んで考える姿勢になった。


「証拠はいくらでもとれるんだが、確実に逃げ場をつぶさねえと吉良さんの二の舞だよな。証拠の出所聞かれたら言い逃れも出来ねえし」

「証拠がとれるんなら、やりようはあるわよ。むしろ難関だったから助かるわ」

「え、マジ」


 久次が驚いた顔をするのに、橙子はあくどく笑ってみせる。


「ねえ、お祓いってさ。みんなで受けるものよね?」

「そうか橙子さん頭良い!」

「ああ、なるほど! そうだよな!」


 それだけで通じたらしい久次が顔を輝かせた。


「ええと、あのお二人さん?」


 吉良がおずおずと声を上げるのに、橙子は言った。


「今までうちの姪達を守ろうとしてくださってありがとうございました。後は私たちが解決してみせます」

「ほんと、ですか」

「ああ、俺たちは問題の調査解決が仕事だからな」


 久次もまた力強く言うのに、吉良はうつむいて、また涙をこぼした。

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