こんめい
公園で久次たちと別れた橙子は、家に帰る気にもなれず、祐子の家で過ごした後、時間通りお迎えに行った。
日中の騒動はけが人こそでなかったものの、さすがに職員の間では騒ぎとなっていたため、橙子は保護者達の反応が気になっていた。しかし、夕刻に橙子が迎えに行っても保護者達に不安の色はなく、平穏な帰宅風景に思えて面食らったものだ。
不思議に思ったが、むしろ久次と静真と親しく話していることのほうが目立ったようで、橙子は居心地の悪い想いをしたものだ。
そのような中、合間を縫ったらしく久次が現れて話しかけてきた。
「さっきは放り出すような形になってすまん」
「今回は謝られてばかりね」
面食らった顔になる久次に、橙子は苦笑しつつ続けた。
「かまわないわよ。はるみちゃんが関わっているわけで、私も黙って見てられないもの。できることがあるなら私も手伝うわ」
「正直めちゃくちゃ助かる」
「とはいえ君たちの仕事を手伝うんだし、バイト代出してくれると嬉しいんだけど」
ほっとする久次に、橙子は冗談で言ったのだが、意外にも久次はしまったとでも言うような顔に変わった。
「あ、そうだよな! どうすっか、経理に相談できないかな……」
「いやいや、そこまでしっかりしなくて良いわ。今度ご飯おごってくれれば。じゃあ連絡先交換しましょ。トークアプリでいい?」
「え、あ、わかった」
橙子はさくさくとスマホに久次の連絡先を登録する。
戸惑う様子だった久次だが気を取り直して言った。
「まず、注意事項だが、きらきらさんについて直接追求しようとしないでくれ」
「そうね。私もはるみちゃんも失明は困るわ」
日中の出来事を思い出した橙子は神妙に頷く。
「俺が知りたいのは、何が起点だったかだ」
「起点?」
「怪異騒動は理不尽なことも多いが、今回のケースは、あそこの園児の誰かが始まりであることは確かだ。だから誰が一番にきらきらさんを言い出したかが分かれば、後手後手に回る今の状況を変えられるかもしれない」
「分かった。つまりはるみちゃんにきらきらさん自体のことを聞かず、きらきらさんを誰が言い出したか、を聞けば良いのね」
「ああ。あとこれ、念のため渡しておく。もし暴れかけた時に貼り付けてくれ。連絡もくれるとありがたい」
久次に差し出されたのは、幾何学的な文様の描かれた札だ。相変わらず読めはしないが紙切れでも十分に心強いことは前回で学習していた。
「ほんとは俺たちが立ち会えれば良いんだが、子供って、他人がいるととたんに口が重くなるんだよな」
哀愁を漂わせる久次の話は、橙子には覚えがある。はるみがまさにそういうタイプだからだ。
「まだなかなか言いたいことがいえる年頃でもないからね。書いて訴えることもできないから難しいわよ」
受け取った札を鞄に入れた橙子が慰めたが、久次はそれでも気が晴れないらしい。
というよりも少々悔しげだった。
「いやでも、静真は一気に懐かれてるし」
そう言いつつ見た園庭には、帰る支度を終えた園児達に群がられる静真が居た。
「しずませんせーばいばい!」
「あしたもてんぐみせてね!」
「……わかった」
ぼそりと、静真が応えると、子供達は嬉しげに手を振って去って行く。
朝とは打って変わった人気ぶりだった。ただ単に静真の醸し出すかたくなな雰囲気に気後れしていただけなのだな、とよく分かる光景だ。
それは喜ばしいことだろうが、久次はなんともいえない顔で見ていた。
「さびしい?」
「い、いや別に寂しく、ねえし」
橙子が指摘すると、久次は一気に顔を赤らめる。
その様子がかわいくて思わずくすりと笑ったが、あまりからかいすぎても良くないと話柄を変えた。
「久次くんはこれからどうするの」
「……夜間保育は園児の人数が少ないから居なくて良いって言われるから、いったん帰る。霊障が起きるのが日中に集中してるからな……それも珍しいんだが」
「そういえば、おばけって夜にしか出ないイメージが」
「おば……ああうん。それでいいけど」
橙子が今気づいて言うと、久次が珍妙な顔になったが話は続けるようだ。
「普通はそうだ。あの世とこの世の境界が曖昧になるのは夜だからな。ただよほど執着していたり、力が強かったり、その特定の物に憑いている場合は日中にも現れる。普段は夜に録画機器をしかけて霊障の確認をするんだが、初日で録画機器が壊されていてな……マジどうしよう」
「……ちなみにいくらの物だったの」
「ぜんぶで7桁」
ずん、と落ち込む久次の答えに、橙子は聞いたのを後悔した。それは手痛いにもほどがある。
大丈夫だろうかと案じたが、久次は顔を上げた。
「普通なら数日ねばって警戒心が薄れた頃に記録できるんだ。だがそれが初っぱなから録画機器を壊すって反応が来たから、その次の日に一晩泊まり込んでみたんだが、何もなかった。園児の護衛をするだけで何の解決にもなってないんだよ。何でも良いから手がかりをつかみたいんだ」
「出来る範囲で頑張るわね」
久次の決意に、橙子は改めて自分の責任の重大さを感じた橙子だったが、ふと気になって尋ねた。
「そういえば久次くん。数日あの保育園に勤めているのよね。園内に乱暴そうな子って居る? 叩いたり、抓ったり」
はるみにあったという抓られたあとを思い出しての問いだったが、不思議そうにされた。
「そんなやつ居ないぞ? 俺に突撃してくるやんちゃなやつは居るけど、全体的に大人しいからな。なんでそんなこと聞くんだ」
「や、そのはるみちゃんのお母さんにね。そういうことされた痕があって気にしてたから」
橙子が事情を説明すると、久次が眉をひそめた。
「……そういえば、智紀にもあったな?」
「智紀くん?」
「俺が今日助けた子供。腕に抓られたみたいな痕があった。ほら、あいつだ」
振り返ると、玄関の向こうに見える教室には、保育士と共に園児が数人おり、その中に橙子も見覚えがある少年がいた。
「親御さんがどうしても迎えにこれねえから、今日も夜間保育なんだってさ」
久次は少しいらだちを抑えたような声音で言った。
その少年の横顔があまりにも感情を移しているように思えなくて、橙子は少し息を詰める。だが同じく抓られた痕がある子供がいたという事実に引っかかりを覚えて、考え込みかけた矢先、おずおずと服をひかれた。
帰る準備を終えたはるみが寂しげに見上げている。
「だいだい姉。帰らないの?」
「あ、ごめんね! はるみちゃん。じゃあ久次くん、また明日。何か分かったら連絡するから」
「あ、ああ。またな、その……橙子さん」
「ばいばい。ひさつぐせんせー!」
久次のぎこちない呼び方でもはるみは満足らしい。
かすかに微笑みさえ浮かべて手を振ったはるみと共に、玄関を出る。
園庭には迎えに来た親に駆け寄る園児達と、その保護者の話す声で満たされている。
夜に向かう前の夕暮れに、その光景はひどく平和で、橙子は少し心を和ませた。
とすん、と、軽い音がした。
柔らかく湿ったものを貫いた音だ。
橙子は何気なく振り返り、ぞっとする。
保育園の中と外を隔てる壁は、大人でも乗り越えるのが難しい高さの上に槍のような装飾が並んでいる。
その装飾の先端に、串刺しになった猫がいた。
もう、命が失われていることは明白だった。だらりと舌をだし、毛皮を赤黒く濡らして、腹部からしたたる血が、刺さった鉄棒を伝って、壁を赤黒く染めていく。
あんな小さな体でも、あれほど血を持っているのか。
あの軽い音は、猫を突き刺した音だったのだと気づいたとたん、どっと冷たい汗が吹き出した。
橙子は天を突くような槍に突き刺される猫は、まるで見せつけるようだと思った。
同時に保護者から悲鳴が上がり、園庭は一気にパニックに陥った。
青ざめて立ち尽くす者、慌てて子供から見えないようにする者、おぞましげに視線をそらすもの大人達の反応は一様に忌避だ。
にもかかわらず、怯えてもおかしくない園児達は、ただじい、とまだなまなましく血を滴らせる猫の亡骸を見上げていた。
「きらきらさんだ」
「だいじなものをとってったんだ」
「かなしいね」
「かなしいけどしょうがないね」
「きらきらさんがほしがったんだもの」
園児達のぞっとするような能面に気がついた大人は、青ざめて居る。
おそらく、話としては園から説明されていたのだろう。しかし直接は見たことがなく、目の当たりにして真に迫ったということか。
二度目とはいえ、生々しい猫の死骸とまたおかしくなってしまった子供達に橙子もまたどうして良いか分からずにいると、久次達が保護者達をかき分けて現れた。
猫の死骸を見つけると眉をしかめたが、迷わず近づいて見聞する。
その横顔には、動じた気配はない。
2,3言、言葉を交わした後、周囲を振り返った。
「誰かこの猫がいつ刺されたか分かるか。あるいは刺される場面を見た人は!」
「あの、たぶん、私。刺される音は聞いた」
橙子がおずおずと手を上げると、久次はちょっと驚いた顔の後、納得の表情になる。
「橙子さん、本当に……」
「三池さん、天高さん。何をしてらっしゃるんですか」
びくん、とはるみが震えるのを感じた。
橙子が振り返ると、保育士と共に園長である重野が現れた。
柵に突き刺さる猫の死骸に目を見張ったが、すぐにやんわりととがめるように久次と静真に視線を移す。
「子供達や親御さんの目があります早く片付けてください。あなた方はそのために居るんでしょう?」
「そうだけど、必要なことを調べなきゃなんねえし、もう少し」
「いいえ、子供達の精神的な安寧のほうが大事です。それにあなた方も分かったでしょう。これはおかしなものが原因です。一刻も早くその原因を取り除いてください。早期解決が出来ると聞いていたのに、その言葉は嘘でしたか」
「相手次第では、対応策を練るのに時間がかかると……」
「言い訳ですか。あなたたちはここに居る子供や保護者さん達の不安に配慮出来ないと? 警備のお勤めをしているにもかかわらず、それは改めた方が良いのではないですか。若いからと言って許されることとそうでないことがありますよ」
重野の話の運び方に、橙子は眉をひそめた。一見正しいことに聞こえはする。だが押しつけるような物言いは、ひどくこちらの罪悪感をえぐるようだ。
久次はあまり応えた風ではなかったが、重野が蕩々と語る口が止まらないために、面倒そうな顔をする。その表情に重野の表情がゆがみ、負のループにはまろうとした時、ずっと猫を観察していた静真が久次を振り返った。
「久次、この死骸で痕跡を追うのは難しい。下ろすぞ」
「あなた、人の話に割り込むのは」
「うるさい。原因は切る。だから黙っていろ」
気色ばんだ重野の言葉を、静真は一刀両断すると、軽い動作で壁を蹴り、柵まで上がる。
相変わらず身軽だと橙子はぽかんとする。
久次は軽く驚いた顔をしていたが、おかしそうに笑うと声をかけた。
「待て静真、素手であんま触るな」
「ただの骸だぞ。札なぞいらん」
「そうじゃねえよ衛生面の問題だ。新聞とビニール袋借りてくるから、その後しっかり供養するぞ」
「わかった」
静間が柵の上で頷くのを見てから、久次は重野に頭を下げた。
「ということで、重野園長、俺たちはこれを処理しますんで。橙子さんまた明日な」
「あ、うんまた明日」
久次が園の方へと走ってゆくのを見送った橙子は、ぎゅ、と手を握られたことで視線を下にやる。
橙子の手を握ったはるみがうつむいていた。
「おや、はるみちゃんだね? 今日は夜の保育はないんだったね」
話しかけられたものの、応えないはるみに、重野はわずかに眉を寄せた。
「はるみちゃん、ちゃんとお話するときはしなきゃだめですよ」
すこし、とがめるような声音に、はるみがびくん、と体を震わせた。
はるみという少女は引っ込み思案で大人しい。だから驚いたともとれる反応だ。
しかし、橙子はぎゅう、とはるみに握られる指の強さに息をのむ。
はるみは顔はうつむいたまま、ぺこっと頭を下げた。
「ごめんなさい。せんせーさようなら」
「はいさようなら。――保護者の方達もお騒がせいたしました。どうぞ気をつけてお帰りください」
重野が園庭で立ち尽くす保護者達にいえば、ぎこちない空気の中でも、帰宅していく。
橙子もまた、はるみの手を引いてこのはな園を後にした。
園が見えなくなるまで、はるみの手から力は抜けなかった。
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