さいき
「本当に、よかったよ橙子さん。海水もほとんど飲んでなかったみたいだし」
「長く溺れていたにしては驚異的だってお医者さんにも言われたわね」
橙子は本土にある病院の一室で退院の準備をしていた。
すでに退院の支度を終えた久次が、顔を出しに来ている。
どうして自分が助かったのか、橙子はいまいちわかっていない。
佐茅島から飛び降りた橙子は、気がつくと小型船の甲板にいたのだ。
小型船は、橙子が島民達に捕まる寸前に入れたSOSが久次の師匠……
おかげで橙子達は漂流することなく無事に島から離れられたのだ。
「というか、道隆さん女性だとは思わなかったわ……それと、ずいぶん押しの強い、そう強い方だったわね」
「ああ、師匠は本当にすまない」
ものすごく申し訳なさそうな顔をする久次に、橙子は苦笑してみせる。
「いやでも、私たちに対する警察の事情聴取があんなに軽くすんだのも、あきらめてた荷物の回収も全部道隆さんが手配してくれたおかげでしょ。こうして入院までさせてくれたし」
「結局、橙子さんは巻き込んじまった形だからな。危うく溺れさせちまうところだった」
かなり申し訳なさそうにする久次に、橙子はちょっと困ってしまった。
「良いのよ。私だって手を離しちゃったし、だって久次くん、救命処置をしてくれたでしょ」
「い、いやそりゃ当たり前だし! 俺のおかげ、と言うより、かよさんの置き土産みたいなものだったしな。それにしてもまさかかよが橙子さんに乗り移るとは」
「……おばけが、私に……とりついていたのよね……」
今の今まで全力で忘れようとしていた事実を思い出して頭を抱える。
橙子が見ていた夢はドザエ様ではなく、かよの記憶であったらしい。
「あああいや、そんな暗くなんなって、橙子さんのおかげでドザエ様は鎮められたんだからな!」
久次に慌てて言いつのられて、橙子はなんとか持ち直した。
「ところで、佐茅島のほうはどうなりそう?」
「さっきも言ったとおり、橙子さんがかよを引き合わせられたおかげでドザエ様は鎮まった。これから旅行者に厄が押しつけられることはない」
「……何十年かに一度、旅行者が消えることもなくなるのね」
「そのご遺体も、出来れば見つけてやりたい。……ただあの島からドザエの恩恵もなくなったから徐々に衰退していくだろうな」
ドザエとかよになぞらえられた旅行者は少なくない数が居なくなっていただろう。
そのことを考えれば、橙子は佐茅島の人々に同情する気はなれなかった。
「ドザエ様に怯えないですむようになっただけましだと思うわ」
「そうだな。あの島はもとに戻っただけだ。神によってゆがむ前の状態にな」
会話が途切れる。橙子は見舞いに来た久次の師匠である道隆との邂逅を思い出した。
「それにしても、私がどうしてこんなにお化けに遭遇するようになったか道隆さんに教えてもらえたのは収穫だったわ……いやもう取り返しがつかないってことなんだけどね」
道隆彰は、50歳とは思えないアグレッシブな女性だった。てきぱきと入院の準備を整えた上、警察や島に対しての折衝までしてくれた。
そして、道隆は橙子をまじまじと見るとこう言ったのだ。
『一回衝撃を受けた結果、チャンネルが合いやすくなっちゃったみたいだねえ。ラジオの周波数て……いや今の子はWi-Fiって言った方が伝わりやすいかな? いろんな通信波を拾うようになってる上、あなたの人好しな性質を察した奴らよってたかられて、怪異ほいほいになったようねえ。これはもう下手に封じる方が危ないわよ』
「一度拾いやすくなったら、今まで気づかなかったものまで見えるようになってる。つまりは……」
道隆との初面談の時に同席していた久次も申し訳なさそうにされた。
「あんたのその体質、どうにか出来たら良かったんだがな。師匠がそう言うんならたぶん封じたほうが悪化する」
「まあ、おいしいケーキが箱に入れられて匂いが感じられてても、パッケージでわかっちゃえば買いに来るのと似たようなもんよね。どうしようもないとわかっただけでも十分よ。ただ、こんなことが続くんなら普通の職業につくのは厳しいかなあ」
橙子がやれやれと方を落としていると、久次が戸惑いの表情を浮かべた。
「橙子さん、嫌じゃないのか」
「うん? まあおばけはご遠慮申し上げたいわよ? でもさ、かよさん、あの一瞬だけだけど悲しさとか、無念とか、やっと出会えた安堵とか感じると……うん。元は人間なんだなあって。思うと少しは同情しちゃう……やっぱり無理だわ。理不尽だわ」
何せ夢見は最悪、しかも、窓バン壁ドンしていたのは、今まで犠牲になった妹背様達の集合体のようなものだったのではないかと言う話だ。
橙子に危険を知らせようとした結果、あのような怪奇現象に見舞われたらしい。
もう少し穏便に教えて惜しかったと心底思う。
「あんまり、怪異に心を傾けない方が良いぜ。あれはもう理から外れたもんだからな」
だが久次にまじめな顔で言われた橙子はつい笑ってしまった。
「と、言いつつ。久次くん。最後までドザエ様を穏便に鎮めようとしていたよね? 道隆さんにも注意されてたでしょ」
橙子がどの口が言うか、と言う気分で指摘すると、久次は決まり悪そうに視線をそらした。
「そりゃあ……まあ。割り切れねえし。全部が全部悪しきものって訳でもねえから。理不尽におとしめられたもんは、せめて少しでも救ってやれたら、とは思うぜ」
「うん。理不尽だ、と思ったけど私もそう感じたのよ」
とはいえこれからもずっと怪異に遭遇することは確実らしい。
幸いなのは、対処できる人間や会社とつなぎがあることか。お化けに関してはもう泣くほどご遠慮申し上げたいが、一生の付き合いだと悟ってしまえば腹も決まると言うものだ。
「まあ、道隆さんに『困ったら割引料金で相談引き受けるわよ』と明るく言われたし」
「俺たちにとっては恩恵になるが、橙子さんにとっちゃ、良いもんじゃねえしなあ」
頭を掻く久次に、橙子はふとある考えが脳裏をよぎった。
これはあとは自分の覚悟の問題か。
橙子が考えていると、病室の戸が開かれて静真が現れた。
「準備はまだか。陽毬が待っている」
静真は島を出ると完全に復帰して先に帰宅しており、今日出迎えに来てくれたらしい。久次もまた橙子と同じように経過観察入院をしていたため、共に帰宅の日だったのだ。
あの日の今にも倒れそうな顔をした静真を覚えていた橙子は、淡々とした静真の通常運転ぶりに逆にほっとした。
「静真さんは元気そうでよかったです」
そう言うと、静真ははちり、と面食らったように瞬いた。
そんな妙な生き物を見るような目で見られる理由がわからず、橙子は眉根をよせる。
「どうかしました?」
「……いいのか」
何が良いのかわからず首をかしげていると、久次が察して苦笑した。
「静真、怖がるやつもいれば、怖がらないやつもいる」
「……だが、恐れていただろう」
静真にそう言われた橙子は、なんとなく彼が挙動不審な理由を理解した。
「まあ確かにちょっとビビったけど。静真さんが理由なく暴力を振るうことはないって知っていたし」
とはいえ、あの神社での豹変ぶりもまたに焼き付いていたため、橙子は2人に向けて聞いた。
「結局、静真さんが神社で大暴れしたのってどうしてだったの。島民を切り抜けなきゃだめだったというのはわかるけど」
「それ、は」
静真が言いよどむ中、久次が言った。
「あそこが一応祭事の場だったから、感応しやすいところで暴走ってところじゃねえの」
「俺はそこまでやわではないぞ」
「じゃあなんで? 根拠なく暴力を振るわない理由を納得するためにも、教えてほしいけど」
言いよどむ気配を察知した橙子が逃げ場をふさぐように問いかけると、静真はぎゅ、と眉根を寄せると久次をちら、と見た。
「倒れているのを見たら、かっとなった」
そう言われて久次は少し驚いた顔をするが、納得したようだ。
「まあ、俺が戻んなかったら姉貴が泣くからな」
「……お前がいなくなるのもいやだった」
小さく本当に聞き取れるか、という声量だったが確かに橙子と久次の耳には届いた。
橙子はやっぱり、という気分で静真を見た。
静真は少しの困惑と決まり悪さを覚えているようだ。
ごくごく普通の相手を気遣う言葉だったが、久次や静真の話を聞くと彼らにとっては大きな変化と驚きを感じさせるものだったのだろう。
久次は静真をぽかんと見返した。
まるで思ってもみなかったような表情だった。
「えっあっ、そう、か」
と、まごつきながら言葉を重ねた久次だったが、じんわりと照れくさそうに笑う。
「お前もずいぶん、変わったな」
「……別に。お前ははいつになったら高所に慣れる」
「うっせー個性だ、個性」
軽口を叩きあう2人を橙子はほほえましく眺めた。その気安さは彼らには彼らなりの絆があるのだろうと感じさせる。
連れだって病室から出ると、手続きを終えた陽毬と合流し、病院を後にする。
「橙子さん、今日のおゆはん、おうどんなんですけど食べて行きますか?」
「わあ、いいんですか!」
橙子は陽毬のうどんという、魔法の言葉で戻ったことをよく覚えていたため、食べられるのなら乗らないわけがない。
いったいどんなうどんなのだろうと橙子はそわそわしていると、久次が問いかけてきた。
「そういえば、橙子さん師匠と長く話してたけど。なんだったんだ」
「あーそうね。ちょっと就職活動を」
「えっ」
目を丸くする久次が気色ばむ。
「就職活動って、KTKサービスに!? ま、まさか師匠に強引に言いくるめられたんじゃねえだろうな? 橙子さん怖がってたじゃねえか」
橙子はどこから話したらいいか考えた後、言った。
「私の体質は貴方たちの仕事には役に立つんでしょう。なまじ特殊な事案だから事務員も常に募集中だって聞いたの。道隆さんも社員になればタダでお化け対策法も教えてくれるって約束してくれたのよ」
「橙子さん師匠はそんなに甘くない。しかも橙子さんみたいな怪異ほいほいは絶対遭遇しづらい怪異を引き寄せるために出動させられるぞ」
久次に真顔で言いつのられた橙子は顔を引きつらせた。まあ十中八九そうだろうな、とは思うのだが。
「……実は前よりもお給料が良くて、完全週休2日制ってとっても好待遇なのよ」
「お、おう。でもなあ」
久次がぐっと眉間にしわを寄せるのは、橙子のことを案じてくれているからだ。
たしかに橙子にとって怪異は恐ろしい。お化けも全力でご遠慮申し上げたい案件だ。
その中心に自ら飛び込むなんて前の自分では考えられなかったものだ。けれど、彼らのような……真摯な久次のような人が居ればきっと大丈夫だと思えるのだ。
「それに、役に立つかはともかく。1人くらい知ってる人が居ても良いんじゃない?」
陽毬がいるために橙子がぼかして伝えると、それでも久次は察したようだ。
はっとした顔をしながらも、くしゃくしゃと顔をゆがめた。
「橙子さん、ほんとお人好しだなあ」
「ま、でも久次くんが守ってくれるんでしょ。今回みたいに」
「いや、俺今回、橙子さんを危険にさらしてばっかりだったと思うんだけど」
「ん? 知ってるわよ。私に対する救命措置を施してくれたの久次くんでしょ。ちょっと遅かったら危なかったって」
冗談めかして言うと、久次はぶわっと顔を赤らめた。
「い、いやいや俺はじ、人命救助をしただけだからな」
「そんなに慌てなくてもわかってるわよ。ね。助けてくれたでしょ。そこは信頼しているわ」
「ええとどうも……」
赤らんだ頬を掻く久次は、その後ろでにこにこしている陽毬と何をしているんだと言わんばかりの表情を浮かべる静真が居た。
「姉貴なんだよ!?」
「うふふ、久次がとってもかわいいなあと思って。仲良い人がいてくれてうれしいわ」
「……っ! ……っ!?」
「橙子が居れば仕事がはかどるぞ」
「うっせえ静真! その通りだけどそれどころじゃねえの!」
もう隠しようがないほど真っ赤にした久次は八つ当たりのように静真に言葉をぶつけた後、橙子に向き直った。
「ああ……ええっと。橙子さん。はら、決まってんなら俺からもう、言うことはなくて……正直、その。うん。助かります」
「正式採用はこれからだけど、そのときはよろしくね。先輩」
笑いながら言うと久次もこほんと咳払いをしてから、照れくさそうに笑い返してくる。
「よろしくな橙子さ……」
「久次、とっとと帰るぞ。うどんが待っている」
「おい静真! ちょっとは空気読めよ!?」
久次と静真が言い合う中、くすりと笑った橙子は、ふ、と潮風を感じる。
振り返ると、小高い丘の上に立っているせいか、遠く水平線が望める海が見えた。
あんなことがあったとは思えない。だがしかし。アレは夢でも幻でもないのだ。
そんな、中で橙子が思うのは。
「とりあえず、しばらく海は遠慮するわ……」
「同感だな」
遠い目をして呟く橙子に、久次もまた神妙にうなずく。
凪いだ海は、ただただ静かにそこにたゆたっていた。
〈了〉
こちら怪異専門解決会社 道草家守 @mitikusa
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