いつわ
橙子が逗留している旅館に着くと、飛び入りの客だったにも関わらず、久次達の快くチェックインをさせてくれた。
「今は時期が時期なのでお客さん少ないので大歓迎ですよ! 一泊二日と言わず、何日でも泊まって行ってくださいね」
提示された金額も橙子と変わらず格安だった。
無事にチェックインし、自分達の部屋を確認した久次と静真は迷わず橙子の部屋にやってきた。
橙子は二人部屋を一人で使っている。二人部屋にしても広々としており、温泉が入り放題だが、部屋にもバスとトイレが付いている。明るく清潔な雰囲気の中で、床の間には趣ある置物が飾られていた。
今日で3泊目のため、多少生活感はあるが見られる部屋だ。
少々涼しいが、森に囲まれているために直射日光が当たりづらいのだろうと橙子は考えていた。
だが入室した久次は、部屋を見回したかと思うとまっすぐ窓に近づく。そうして窓に向けて二本の指をそろえるとざっと、振り抜いた。
どこからか、悲鳴が響いた。
ざあざあと生理的嫌悪感を覚えるような風が通り抜けたと同時に、橙子はふ、と空気が軽くなった気がする。
夏らしい暑さを感じる。この部屋がこんなに暑かったことがあっただろうか。
「え、え?」
橙子が混乱している間にも、久次はあっさり戻ってきた。
「この程度で逃げていくのなら、あまり強くはない浮遊霊だな。もう大丈夫だろう。……たまたま橙子さんに目を付けただけにしてはちょっと多いが、なんであんなに集まってたんだ……?」
「まってまって何がいたの。というかまだいたの?」
どうしても聞かずにはいられなかった橙子の問いに、久次はちょっと言葉を詰まらせるとごまかすように親指を立てた。
「まあもういねえから!」
「やめてその言い回し窓に付いた手の数でおおかた察しちゃうから」
「霊に手の数なぞ大した問題ではないぞ」
「静真さん追い打ちかけないでくれるかなぁ!?」
入り口で興味なさげにたたずむ静真に、半泣きで言い返した橙子だった。
「に、してもだ。橙子さんが無事で良かったよ。駆けつけるのが遅れて悪かったな」
久次が申し訳なさそうにしながら言うのに、肩で息していた橙子は少々気を落ち着かせたが、徐々に申し訳ない気分になる。
「むしろ、あっけなく終わったぽいのに、こんな遠くにまで来てくれて申しわけない気分よ」
「いいや、俺たちだったから対処できたが、橙子さんじゃ無事に帰れたか分からねえ。それに俺たちも正式な調査で来ることになったからな」
久次のその言葉に、橙子はごくりとつばを飲み込む。
彼らの言う、調査というのはすべてこの世あらざる者にかんするもの。つまり。
「……まさかこの島おばけがいるの」
「おばけだったら良いんだけどなぁ」
橙子が震える声で問いかけると久次は苦笑しながら応じたが、その声音に若干の緊張と苦々しさがにじんでいる。
その反応は今まで初めてで、橙子は少々戸惑った。
「橙子さん、あとどれくらいここに滞在するんだ」
「一応あさってまで、だけど。早めに帰ることも考えてたけ、ど」
橙子が素直に答えると、久次は難しい顔をした。
「すまん、状況がわかるまでは帰らないでいてくれるか。なるべく早めにあんたの安全は確保するつもりだが」
「ど、どういう」
「久次」
静真の端的な呼びかけに、久次はぴったりと口をつぐんだ。
何が何だかわからないまでも口をつぐむと、間を開けて。
こんこん、と扉を叩く音がした。
「おそれいります。旅館の者です。深田様はいらっしゃいますか?」
その声に橙子は覚えがあった。いつも掃除をしてくれる旅館の仲居だ。
橙子はあ、と立ち上がりかけたが、久次に押さえられる。
従業員であれば出てもかまわないんじゃないか。と思った橙子は困惑だ。
しかしながらドアを見ていた静真が、久次を向いて軽く頷いた。
久次が扉を開くと、予想通り橙子の見知った中居だ。
久次が出たことで軽く驚いていたが、客相手の柔和な笑顔を浮かべて会釈して見せた。
「ご友人もいらっしゃったんですね。花を飾らせていただこうと思いまして」
「いつもありがとうございます! どうぞどうぞ!」
橙子が部屋の中から返事をすると、四十代くらいの女性従業員が入ってきて、床の間に飾られていた置物を、自分が持ってきた花瓶を交換する。
彼女が橙子の脇を通ったとき、百合に似たオリエンタルな香り鼻腔をくすぐった。
南国風の花が多かったが今回のものは今まで見たことがない花で興味を引かれる。
「あ、きれいなお花ですね。彼岸花、みたいですけど」
花の形が似ていたからそう思ったのだが、女性従業員はあっさりと言った。
「いいえ
女性従業員はてきぱきと花瓶を入れ替えると、橙子達を振り返った。
「ご友人を招いてくださるほど気に入ってくださったなんて、島民としては嬉しい限りですよ」
久次と静真については、チェックインの時に軽く話していたが、男女の組み合わせも不審がられていないことに橙子はほっとした。
むしろどことなく上機嫌そうにも見える。
「むしろこちらこそ、急な話だったのに受け入れてくださってありがとうございました」
「いえ最近はどうしてもお客さんが減ってる時期だからねえ。こうして来てくださるの嬉しいんですよ。それにしても皆さん仲がよろしいんですね」
人当たり良く答えてくれる仲居は、あっと思いついたように話し出した。
「皆さんは仲がよろしいのですねぇ。あ、そうだ、深田様、ご友人方もいらっしゃるんでしたら、良いところがあるんですよ」
「えっ」
唐突な提案に橙子は戸惑ったが、仲居はそのまま続けた。
「深田様にはまだご案内していませんでしたね。地元の住民しか知らない入り江がありましてね。クラゲ侵入防止ネットなどは無いので遊泳には向きませんが、とてもきれいな場所なんですよ。昔から幸が訪れる地として、大事にされているんですよ」
「へえ、
「ええ、祠がありましてね。内緒ですけど、そこにお参りするとドザエ様に幸福を分けてもらえるって言い伝えがあるんです。ちょうど浜木綿もみごろですし、ここから歩いて行くのもちょうど良い観光になる距離ですから、よろしければ行ってみてくださいね」
橙子は神社の方には行ったことはあったが、祠については初耳だった。
少々仲居の切り出しかたに唐突さは覚えたものの、橙子は興味を引かれる。
が、ふ、と目に入った久次の表情が目に入った。
ほんの一瞬だけだが、緊張が走った気がした。
どうしたんだと内心で橙子が首をかしげていると、すぐに表情を戻した久次は質問していた。
「へえ、神社はあると聞いてたんですけど、別に祠があるんすね。俺古いものとか大好きなんすよ! 良かったら云われとかって分かりますか」
「祠は私が小さい時から合ったからよくは知らないけれど、神社なら由来をまとめたパンフレットがありますよ。祠までの道のりも書きますね」
「それはめちゃくちゃありがたいです! なあ、今から行ってみようぜ」
「え」
久次が興味津々と言った体でこちらを振り向くのに面食らう。一見、本当に観光客のようでなんの含みもなさそうだが。橙子は覚えていた。神社や祠には近づかないようにと。
橙子は明確に久次の様子のおかしさを感じたが、さらにおかしいのは。
「俺もかまわないぞ」
と、静真まで言い出したことだ。橙子にとっては晴天の霹靂だ。
橙子がぽかんとしていると、久次が橙子を見る。
「橙子さんも行こうぜ!」
「本当に仲が良いんですねえ」
驚きと困惑はまだあったが、久次から若干必死さを感じ取ったため、橙子もにっこり笑った。
「良いかもね!」
橙子たちの少々不自然なやり取りに仲居は気づかず、ほがらかな笑顔で地図を軽く紙に書いて教えてくれたのだった。
*
「で、どういうことなの」
燦々と南国の日差しが差し込む田舎道を連れだって歩く中、橙子は久次達に真顔で聞いた。ここまで空気を読んできたが、絶対に何かがあるとわかるくらいには感づいていた。
「あなたたちは何を知っているのかしら」
橙子に迫られた久次は、もっともだ、といわんばかりに頷いた。
「この佐茅島の噂は知ってるな、主にスピリチュアル方面で、幸福をもらえる島と言わている」
「え、ええ。私は主に安さで選んだけど。就職も決まらないからね」
「そうなのか」
「そうなのよ」
現実を思い出して橙子は肩を落としていると、久次は戸惑った険しい顔で言った。
「で、だ。最近佐茅島から帰ってきた観光客達が、悪霊に憑かれた結果体調を崩したり、事故に遭遇してしているんだ。入院したり……死人も出てる」
ぞっと橙子の背筋が凍った。
普通なら偶然だ、と笑い飛ばすことだろう、橙子だって少し前なら信じなかっただろう。
だがしかしこの数ヶ月間で遭遇した出来事で、それが実際に起きていることなのだと理解できてしまった。
「……ここにいるおばけのしわざ、なの」
「それを突き止めに来たんだ。それぞれ別件で相談が来たんだが、それぞれに憑いた悪霊は別物だった。だから気づくのが遅れたが、調査を進めていくうちに佐茅島での旅行中に悪夢を見ていたんだ」
「うみのあくむ」
橙子の脳が早くも思考停止する中、久次は淡々と語り始めた。
「眠っている最中に金縛りに遭って全身がずぶ濡れの化け物に覗き込まれる夢らしい。起きた後海水まみれになっている。そのあと、多くの悪いモノを引き寄せるようになるんだ」
ざあ、と風が潮の生臭いにおいを運んできた。
朝になったら、あるはずのない海水で濡れているというのは言いしれぬ不気味さを覚えた。
が、少し違和を覚えた。
海の夢は橙子も見ている。見ているのだが。
「おばけには遭遇したけど。私がみた海の悪夢は、化け物も出てこなかったし、海水でずぶ濡れにもなっていないわ」
「そこなんだ。橙子さん」
橙子が青ざめていることに気づいたのだろう。久次は少し申し訳なさそうな顔をするが、それでも続けた。
「橙子さんが遭遇しているのは別物の可能性も捨てきれない。けど、事態が動いている可能性の方が高いんだ。だから調査する絶好の機会だと考えている」
「……私、なにか呪われてるの」
「……そろそろまじめに見える人にみてもらったほうが良いと思うけど。まあ」
久次の生ぬるい優しさに橙子は内心半泣きだったが、少々久次になにか今までよりも別の熱意を感じた。
兎にも角にも自分の身を守るには、今回も彼らを頼るしかないようだ。
深く息をはいて、橙子は意識を切り替えた。
「久次くんは何が関わっていると思っているの」
「この島で奉られている神、ドザエ様だな」
あっさりと言った久次に、橙子は面食らった。
「ドザエ様って、幸を授けてくれるこの島の神様でしょ。どうして原因になるの?」
「橙子さん、この島の逸話、どんな感じで知ってる?」
「ええと配ってたパンフレットで……」
久次に問われた橙子は、トートバッグに入れてきたコピー用紙に印刷されたそれを見ながら話した。
”昔々、この島に一人のマレビトが訪れた。
マレビトは様々な知識で島の人々を豊かにしてくれた。
島人は大いに感謝し、様々な感謝の品をマレビトに贈った。
やがて島一番の美人な娘と祝言を上げることになったが、マレビトの表情は浮かない。
どうなさったか。
島人が尋ねると、海向こうに帰らなければという。
それはどうしてもかと問われても、マレビトはそうだと応えるばかり。
「我は海の彼方より来た。ならば海に帰るのが道理。だが海に帰ってもこの島は守ろうぞ」
とうとう祝言を上げる当日に、マレビトは海に帰ってしまった。嘆き悲しんだ村一番の娘も海に身を投げて死んでしまう。
だがしかし、その日から雨も嵐もないのに島の道が海水で濡れている。
これは不思議なこともあるものだと考えていると、島で捕れる魚が増えた。飢えに悩まされることもなくなった。子供も死なぬようになった。
島民はこれはマレビトのご加護に違いないと喜びドザエ様と名付け、ひとりでに海水で濡れる道を幸通りと言ってありがたがるようになったのだ。
ゆえに、島民はみな、外から来るマレビトを丁重にもてなすようになったのだった。”
「よくある話、といえばそうだなぁと思ったけど。昔話とかこんな感じよね?」
この島には、人通りもあまりないため、こうしてのんきに話しながら歩いても車に轢かれる心配をしなくてよいのがありがたい。
田舎ならではだなぁと橙子はのんきに考えていたところで、久次の表情が苦々しいことに気がついた。
「いい悪いははともかくな、こういうのはその土地で実際あったことで、後悔や恐怖を美談に変えられてることが多いんだ。本当は怖いグリム童話みたいに。神としてまつることで罪悪感を緩めようとしている」
「緩める……?」
「まあ、要するに。俺が調べた逸話は全く違った」
そう言うと、リュックの中から資料らしき紙を取り出して橙子に向けて差し出した。
「これが本土で調べてきた逸話だ。これを手に入れるのに時間を食っちまったけど」
「いやどう考えても最短で来たと思うわよ」
橙子が言うと、久次はほっとした顔をする中、橙子は久次から貰った何かの本のページのコピーを読んだ。
旧書体だったが、なんとか読める。
しかし、読み進めた橙子はものすごく苦いモノを飲み込んだ顔になる。
「あの、久次くん。ドザエ様になるまえのマレビトさん、この島に流れ着いた所までは一緒だけど。村人に搾取されて虐げられたあげく、唯一愛した長者の娘さんとの仲を許されずに、村人に殺されたってあるんだけど。さらに娘さんが後追い自殺をしているんだけど」
「まあ、そうだな。と言うわけで。俺は本来祟り神であるドザエ様が何らかの原因になっていると考えてんだよ」
予想外に救いのない内容に橙子はゴクリとつばを飲み込んだ。
血濡れた島を歴史を知った後では佐茅島の名前に薄ら寒さを覚えた橙子は、さらに久次へ聞こうとする。
と、前を歩いていた静真がくるりと振り返った。
「目的地についたぞ」
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