とうみん
ひとまず久次を見送った橙子だったが、今日は起きているつもりだった。
久次は何せあのおぞましい物が徘徊する中を外に出たのだ。心配にもなる。
「とはいえ、お布団元に戻しておかなきゃ」
橙子は腰が引けながらも、久次達の部屋から無事な自分の布団を持って戻ろうとする。
久次は行く前に橙子の部屋へできる限りの対策を施していってくれたのだ。
だから一晩は絶対に大丈夫である。
しかし、自分の部屋にたどり付いた時、ふと風を感じた。
「あら、深田様」
大いにびくついた橙子は布団を取り落とした。
心臓がばくばくと早鐘を打っているが、再び声をかけられる。
「あら、お布団を持ってどうなされたのですか」
その声と言葉で、橙子はようやく素直に振り返ると、声をかけてきたのは女将の池上だった。
不思議そうに首をかしげてる池上にようやく息をつくが、そもそも浜木綿の花を活けたのは池上をはじめとする旅館の人間だ。
もちろん表情筋は動かさなかった橙子だったが、しかし別のことに気づいてだだ焦りする。
普通に考えて布団をこんな夜中に持って歩いているのは不審者以外の何者でもない。
そもそも、久次の部屋の海水まみれの布団をどう説明すればいいのだ?
「ええっとすみません。あの友達のところに布団を借りに行っててそれであの、部屋がびしょ濡れになってるんですけど」
「ああもしかして、ドザエ様のお渡りがあったのかしら? 大丈夫よ片付けるのは慣れているから」
「……え」
あっさりとこちらの事情に理解を示されて、橙子は戸惑った。
今の時刻は深夜だ。橙子は悲鳴は全力でこらえていた。フロントからも少々距離はある客室に、騒いだ覚えはないから様子を見に来たのか。
じっとりと、嫌な汗が橙子の背に伝う。
気のせいであってほしい。あってほしいが。
橙子の目は穏やかな表情で微笑む池上に薄ら寒さを覚えた。
重くなっているポケットに手をかける。
「あの、池上さん」
「ああ、それよりも深田様、これからお祭りに参加していただけませんか」
「……今からですか」
池上の提案に橙子はいよいよ様子のおかしさを明確に感じ出す。
「はい、今から例大祭があるんです。ようやく条件がそろってほっとしたんですよ」
「池上さん、あのそろそろ眠っても」
橙子が部屋に入ろうとすると、池上に手首を捕まれた。
さらに廊下の向こうから複数人歩いてきた。それは旅館の従業員だ。
しかし全員一様にこぎれいな白い着物を身につけている。
異様な従業員……島民に挟まれた橙子は、あきらめた。
そもそもこの島にいる時点で、橙子は詰みなのだ。
「ぜひドザエ様の大祭にいらしてください。ドザエ様を鎮めるために協力してくださいね」
ああ、そうか。と橙子は明確に理解した。
かもしれない。ではなく実際に島民全員グルなのだ。
「……せめて、まともな服に着替えさせていただけませんか」
かろうじてそう言った橙子に、うなずいた池上の微笑みに一点の曇りもなかった。
*
着替えた橙子は、池上とはじめとする島民達に囲まれながら外へと出ると、車に乗せられた。
運転手は、日中に自転車を乗せてくれた島民の男性だ。
池上ともう一人の従業員に挟まれながら後部座席に乗せられた。
それでも縛られることがないのは、橙子に逃げ場がないことを島民達もわかっているからだ。
橙子は嫌な汗を手に感じながら、橙子は流れるように過ぎていく島の中を眺める。
真夜中にもかかわらず町中には煌々と篝火がともされ、一様に白い着物を身にまとって居る。
まさに祭りそのものの雰囲気に満ちていたが、橙子の心臓はばくばくと脈打っていた。
おそらく顔は紙のように白くなっているだろう。
その道中、傍らに座る池上は蕩々とこの島についての話を語っていた。
「この島は海流の影響か、本土から悪い物が流れ着きやすくてね。ずっと貧しかったの。でもドザエ様が生まれてから、この島に蔓延している厄を引き取ってくださるようになったのよ。幸を授けてくださるのですけど、ドザエ様にも限界があってね、集めた厄に耐えきれずすり切れてしまうの。マレビトさんに引き取ってもらっていただくのよ」
「やっぱり、あの浜木綿はわざとだったんですね」
「そのぶんだけ、精一杯おもてなしさせていただいてるつもりですよ」
確かに、彼らのもてなしは十分過ぎるほどだった。しかしその代償が大きすぎる。
橙子が見た限りでは池上の表情には申し訳なさはあれど、やめる気は一切ない。
「それでもドザエ様に限界が来るから、数十年に一度、依り代を変えるのよ」
「依り代を変える……?」
「ええ。今代は27代目だったかしら。新たにドザエ様になっていただけそうなマレビトさんを見つけて、伝説を再現するのよ」
だが池上の言葉が橙子の頭にうまく入ってこなかった。
久次達との対話でにわか知識が付いていた橙子は、強烈に嫌な予感がしていた。
伝説の再現、と言われて思いつくのはマレビトの入水の話だ。そして久次に話聞かされた本来のマレビトの話からすれば。
言いあらわせない怒りと理不尽さに頭に血が上った。
「まさか、飛び降りさせて殺してるんですか!?」
「だって、島の幸のためには必要なんですもの」
うっとりとした池上だったが、しかしその瞳はぞっとするほどうつろだった。
「そう、ドザエ様さえ代替わりすれば、またこの島にも幸福がやってくるわ。若い人だってどんどん来るし、島も潤って私たちは幸せになるの」
池上の朗らかな表情はずっと旅館で世話になっていた時と変わらないように見えるが、むしろ変わらないことに、橙子は薄ら寒さを覚えた。
この人には話が通じない。自分とは全く違う価値観の下で回っているのだ。この島は。
「この数年、ドザエ様の厄が予想以上に集まりすぎて十年くらい代替わりが早くて焦ったわ。そういうときに限って、依り代に最適なカップルが来ないんですもの。でもあなた達が来てくれて本当に良かった」
「……カップル、じゃなきゃいけないんですか」
おうちかえりたいおうちかえりたいと脳内でリフレインしながらも、必死に状況把握をしていた橙子は、その単語が引っかかる。
終始上機嫌な池上は、軽く応じてくれた。
「ええ、ドザエ様にはずっと妹背を探していただかなければならないんですもの。固い絆がなければだめでしょう? だから、ご夫婦や恋人が最適なんですよ。見つからないまま海にお戻りいただいてまた入り江に流れ着いて繰り返すんです」
あまりにもあまりな内容に、橙子はもう許容量を超えていた。怒れば良いのか悲しめば良いのかよくわからない。
あのまがまがしいドザエ様の姿が、かつてこの地を訪れた人間で、多くの恋人や家族が、引き裂かれ、理不尽に殺されてあんな物になる。率先して生み出していたのが島民だった事実のおぞましさに、吐き気すら覚えた。
橙子が黙り込んだのにいっそいたわるような感情を浮かべた池上だったが、その口からこぼれる言葉は絶望を助長させるものでしかなかった。
「初代のドザエ様の妹背様は海に入水されてしまいましたが、その後の妹背様は、万が一にでも見つからないよう、ドザエ様の代替わりがすんでから火葬散骨しますから安心してくださいね」
安心要素がない事実に思い切り泣きそうになったが、絶対に余計なことを言ってはいけないと橙子は全精神力を動員して口をつぐんだ。
だから今殺されていないのだということを理解したが、久次の方も心配だ。
やがて橙子を連行する車は、神社前へと止まった。
神社へと上がる石段の両脇の灯籠には、明かりが点されており、海風に吹かれて怪しく陰を落としている。
そして上がりきった先はさらに煌々と明るく、なにやら活気のある祭り囃子が響いている。
一度観光で訪れていた橙子は、日中とは違う異様な圧迫に圧倒されるが、傍らに居る池上や島民達に囲まれて石段を上がるしかない。
重い足を上げながらたどり着くと、そこは様変わりしていた。
広々とした境内の中央には簡素な椅子がもうけられ、真白い着物を着た島民達がずらりと座っていた。全員年齢が高いのは、この島に若い人間がいないことを改めて感じさせる。
そして神社本殿の前には白木の舞台が設置されており、その上では祭り囃子に合わせて踊る島民が飲めや歌えの大騒ぎをしていた。
それだけを見れば、盆踊りや夏祭りのような陽気さを感じさせただろうが、今の橙子には白々しいまでの異様さしか覚えない。
しかし、それでも一番釘付けになったのは開けはなたれた本殿で、ごちそうに囲まれながら祭り囃子を眺める人物だ。
秀麗な美貌をここまでつまらなさそうに出来るのかという勢いでひん曲げている。
それは、つい数時間前に失踪し、久次が探しに行ったはずの静真だった。
短時間とはいえ、孤立無援で命の危機を間近で感じていた橙子は、その優美な明らかに平和な静真を見て一気に決壊した。
「何してんですか静真さん!?」
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