かいい

 橙子にとっては全力でご遠慮申し上げたい案件であったが、残念なことに彼らの案内が本日の業務である。

 総務部に確認を取ったところ、ようやく今回の業務内容について把握することができた。

 橙子が知らないだけで山のように怪現象が記録されていたのだ。泣いた。

 橙子はあの一件以降常識外のオカルトは作り事でもなんでも全力で遠慮していたのに。

 だが仕事である。仕事であるからにはやり遂げなければならない。

 仕事を言いつけてきた上司に談判して会議室の一室に陣取った橙子は、久次たちに怪現象のリストを差し出す。


「ごめんなさい、うちの会社の手際が悪くて。とりあえず、このリストに載っている内容を語った社員を呼び出す、ってことで良いかしら」

「あ、ああ助かる」


 言いつつ橙子はぱぱぱと、社用のスマホで連絡を回していく。ついでに他にも遭遇した人間がいないか聞くことも忘れない。こういう調査になにが必要かわからないが、ひとまず集められるだけ集めよう。

 覚悟を決めた橙子が個人的に知っている連絡先に「お願い」をまわし切って顔を上げると、戸惑った顔をした久次と目が合った。


「どうかしました?」

「あ、いやその。深田さん、すごく優秀なひとですか」


 神妙な顔をして聞いてくる久次に橙子が面食らう番だった。


「こういう調査じゃまともに話を聞いてもらえる方が少ないから、今めちゃくちゃ助かってるんすけど」

「ある程度横のつながりがないと、仕事が回りませんからね。こういうことって書類だけじゃなくて人に実際に聞いた方が早いと思いますし。……まあこれ、総務が手配しとかないといけない奴だったんだけど」


 最後に関しては橙子はため息をつきたい気分で言えば、久次は尊敬のまなざしをむけてきた。


「こういうの、俺じゃ全然できないもんだから、ここまでスムーズなのは初めてだ」

「……調査、解決業、なのよね? 普段はどうしているの?」

「調査解決とは言ってるけど、俺たちは解決のほうが主なもんで。俺も言葉遣いあんまり良くないし、なかなか信用されないもんだから、現場を回って怪異に遭遇したら取り除いていくのが基本なんすよ」

「ちなみに、あなたたちいくつ」

「俺が21歳で、こいつは……静真は25だったと思います」


 どちらも24の橙子と年が近い。

 確かに、彼らの実力は間近で見ていた橙子ですら信じがたい現象であったのだ。わらをもすがる思いで依頼をするのだろうが、その中で若い彼らがくれば信用できないと思うのも無理はないかもしれない。

 事実、燈子が話を通しに行った社員達は、頼んでおいて総じてうさんくさい顔を向けてきていた。

 久次はだが、すぐに表情を引き締めた。


「じゃあ、まずあん……あなたに聞きとりをしたいん……ですけど。確実に怪異に遭遇しているはずなんで」

「私だけなら言葉を崩して良いわよ。努力はした方が良いと思うけど」

「すんません、助かります」


 所作は丁寧なぶんだけその荒っぽさが目立つが、気に障るほどでもないのだ。

 ただ困ったことに橙子には聞かれても話せることが何もない。


「いやでもほんとうに心当たりないわよ。あんな駅みたいな変なことはなかったし。そんなことあったら近づかないし」


  怪奇現象はアレで懲りきっているのだ。好んで近づこうと思わない。


「じゃあ、この数日で変わったことはないか? いつもしないことをしたでもいい。あんたに静真がみえた、ってことは確実にこの場で起きてる怪現象の中で一番深いものに関わったはずなんだ」

「と言っても、知らない同僚の残業につきあったくらいで。まあどの案件だったか全然覚えてないんだけど」

「まってくれあんたなんで雨に降られた程度のテンションで死にかけた話してんの」

「え?」


 死にかけた?

 思わぬ所に食いつかれた橙子が戸惑っていれば、久次は思いっきり息を吐いた後、真顔になって言った。


「『見知らぬ同僚に残業を頼まれる』それが今回の俺たちの調査解決対象なんだ」

「なにその仕事熱心な社員」


 あんまりにも普通にあり得そうなことで、ぴんとこなかった橙子は眉をひそめる。

 だが、久次の深刻な表情は変わらなかった。


 「相談内容のトップにされてる、このビル限定で流行っている怪異だよ。同僚や部下から残業を手伝ってくれってメールが来たと言い残した社員が、翌朝から行方不明になってるんだ。もう5人だぞ」


 その話を聞いて、橙子は一昨日から出社してきていない同僚を思い出した。

 この会社は自社ビルを構えられることからそれなりに大きい上に、体を壊して療養に入る社員もそれなりに多く、いつもの顔ぶれが居ないというのに慣れきっていたのだ。


「もしかして『同僚、部下の残業を手伝うことは禁止する』なんて注意喚起が回ってきたのはそのせい」


 橙子が口走れば、久次に微妙な顔をされたので焦って言いつのる。


「でもほんとに仕事を手伝っただけなのよ!? そりゃあめちゃくちゃ無口で陰気だなあとか思ったし、なんか息苦しかったし、暖房効いているはずなのにすごく寒かったけど!」

「すべて霊威に遭遇した際に起きる典型的な現象だな」


 リストを眺めていた静真がこちらを見向きもせずに言うのに、橙子はさあと青ざめた。


「で、でも終電には帰るねっていったら、間に合うように帰れたもの」

「じゃあ深田さん、仕事した同僚の名前、聞かなかったか。顔は? 思い出せるか」


 久次に淡々と問いかけられた橙子はそんな簡単なこと、と笑おうとして。

 その記憶がすっぱり抜けていることに気がついた。

 名前は聞いた覚えがある。なのに思い出せない。名前だけならまだ良い。隣で仕事をしたはずなのに顔もおぼろげなことに今更気がついた。そもそも男だったか?女だったか?


「で、でもほら、こうしてメールも残っている、し」


 橙子がアプリを起動しておとといのメールを呼び出そうとすると、その日付にあったはずのメッセージがない。

 震えそうになる指で送信済みメールを呼び出せば、橙子が返信したメールは残っていた。しかしアドレスの部分が、文字化けを起こして読めなくなっている。

これを初めて開いた時にはきちんと読み取れていたにもかかわらず。

 思わず取り落としたスマホの画面をのぞき込んだ久次が、神妙な顔で告げた。


「思いっきり怪異ごとだな」

「う、そ。確かに案件が間に合わないので、仕事につきあってくれませんか、って書かれてたのに。翌朝には約束してた栄養ドリンクも置いてあったし!」

「あんた幽霊相手に何を要求してんだよ」

「ランチ代要求しなくて良かったと思ってるところよ!」


 ほとんど逆ギレの面持ちで橙子は言い返した。自分の知らないうちに得体の知れない存在と接触していたのだ、震えたくもなる。

 顔をこわばらせていれば、静真がふん、と鼻を鳴らした。


「この女は周囲に対する鈍さによって危険を回避したのだろう。愚鈍と言うのもたまには役に立つものだな」


 静真の尊大で高慢な仕草は、すがすがしいほど良く似合っていた。

 怒る気すら起きずあっけに取られていると、久次が腰を浮かして怒鳴った。


「あんたなあ!? もうちょっとオブラートにつつめってどこに行く」

「いつも通り、ある程度穢れを払ってくる。ついでにこれに乗っていた怪異の真偽を確かめてくれば良いな」

「いやそれはそうだけど、おい!」


 久次が引き留める声にも応じず、袖を払って立ち上がった静真は、すたすたと歩いて会議室を出て行ってしまった。


「ああもうあの自由人め! ほんとすんません。でもあいつが言うのもわかるんです。このビルは穢れが強い。陰の気……負の感情がかき立てられやすい場になっちまってるんだ。これじゃあ妙な霊が居着いちまう。多少祓っとかないと仕事にならないのも本当なんだ」

「そりゃあ、そうよ。この会社の労働環境ブラックだもの。恨んで疲れている人は多いでしょうよ」


 橙子が半ば無意識に言えば、久次はちょっと驚いたように目を見開いた。


「まあ、あいつの姿は見えないんで迷惑はかかんねえと思うけど、話が聞けるまでに一回りしてきます。深田さんはどうする」

「怪現象が起きているフロアは案内して良いことになっているけど、いちおう部外者を勝手に歩かせる訳にはいかないの。もの、すごーく嫌だけどついて行きます」


 最後の言葉に力が入るのは仕方がない。だが、橙子が立ち上がるのに久次はきょとんとした。


「深田さん実は、怖がってるのか?」


 そのぶしつけな言葉に、橙子の頬が引きつった。


「自分が毎日長時間過ごす場所で意味のわかんないことが起こってたって分かったのよ。あんまりお近づきになりたくないのは当然じゃない?」

「あ、いや馬鹿にしたつもりはなくて。深田さんは本当に普通の人なんだなあと安心したというか、ほっとしたというか。普通はそうだよなと言うのを確認できてありがたかったんだ」


 平坦な声で念を押すと、久次が言い訳のように慌てて言いつのってくる。

 そういえば、おぼろげにだが、彼が妙な駅でも似たようなことを話していたことを思い出した橙子は、理由が知りたくなった。しかし、スマホに通知がきたためにそちらを優先した。

 話を聞かせてもらえる社員からの場合、早めに返信したかったからだが。


「三階の逃げる男が写る鏡の前で、超絶イケメンの天狗が目撃……?」


 橙子が読み上げた文面に、久次の顔が固まった。


「……そういや、ここ、怪現象山のように起きてたな」

「天高さんの光学迷彩っぽいやつって、怪異? に遭遇するとみえやすいのよね」


 つまり、あの天狗の姿が目撃される確率が恐ろしく高い、と言うことで。

 橙子と久次は、同時に会議室から飛び出したのだった。




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