こちら怪異専門解決会社
道草家守
見知らぬ駅に迷い込んだ話
見知らぬ駅に迷い込んだ話。はじまり
がたんごとんと、電車が走る音に、
なんだか頭がぼんやりしていてはっきりしない。たしか、今日も今日とて残業を乗り越えて終電一本前に滑り込んだはずだ。それなりに混み合う車内で、珍しいことに確保できた席に腰を落ち着けた所までは覚えている。
別に仕事の要領が悪いわけではない、どう考えても三人分の作業を押しつけられたせいである。帰宅が深夜になっていたため寝不足でもあり、そのせいか体も心もいつも以上に疲れていた。
「残業代も雀の涙のくせにぃ……こんちくしょう、いつか絶対やめてやる……」
入社から3年たった今でも業務環境が改善される気配はないため、転職も考えた方が良いかもしれないと、考えつつ顔を上げて。
橙子は車内に誰もいないことに気がついた。
深夜とはいえ、橙子が乗り込んだときには立っている客もいるほど混み合っていたはず。
もしや寝入って乗り過ごしたかと窓の外を見れば、民家の明かりすら見えないのっぺりとした夜の闇があるばかりだった。
がたん、がたんとただ車両が走る音だけが響いている。これほど大きく響くものなのだと初めて知った気がした。
「やっば。こんな田舎までくるなんて……折り返して間に合うか……?」
数年前から他路線との接続で、一本でずいぶん遠くまで行けるようになっていた。おそらく他県をまたいだ終点駅付近まで来てしまったのだろう。
だがそれでもかなり利用者の多い路線だ、たった一人になるだろうか。
一瞬、背中を冷たいものでなでられたような不安な心地を覚えたが、なにも気づかず寝入っていたことには変わりない。
己のうかつさを気恥ずかしく思いつつ橙子はスマホを確認しようとしたとき、アナウンスが入った。
『まもなく、----駅、----駅』
さび付いてくぐもった様な音で、駅名がうまく聞き取れなかったが、どうやら駅につくらしい。
タクシーを使うにしても傷が浅いうちがいいだろうと、橙子はひとまず降りることにした。
ただ、異様に空気が生ぬるく、張り付くようだと思った。
たどり着いたのはずいぶん暗く寂れた駅だった。
深夜なのだから暗いのは当たり前だが、屋根はついているものの、照明がついているはずなのに妙に暗く感じられる。しかも自動販売機の一つもなく駅員も見当たらない。
ちょうど見えた駅看板に、はかすれた印字で「行き、かたす駅」「戻り、やみ駅」。中央には「きさらぎ駅」と書いてあるが、どの駅も見覚えがなかった。
ようやく、橙子はおのれが陥っている異常に気がついた。自分の乗っている路線に無人駅はなかった。ひたひたと忍び寄る様な不安にさらされつつも、なんとなく電車に乗っているのも嫌で、ホームに降り立つ。
と、隣の車両から騒々しく降りてくる青年二人組がいた。
「あー、くそここまでやってようやくかよ……もうやりたくねえ」
「お前が未熟だからだろうが」
「は、何言ってんだよ八割原因あんたのせいだからな? しかも試行錯誤したの全部俺だぞ。めんどくせえって言ったの覚えてるからな?」
剣呑に言い合いをしていたが、橙子は自分以外にも人がいることに心底ほっとして、そちらに視線をやった。顔がチベットスナギツネのようになった。
なぜかその二人は頭に夏祭りの出店でよく見るキャラクターのお面をひっかけていたのだ。
いい年した青年達が、しかも男の子が好む戦隊ものやスーパーマンではなくかわいい魔法少女の面をつけているのはシュールだ。
お面がこちらに向いていると言うことは、頭に引っかけているだけなのだろうが、それでも普段なら回れ右して逃げたくなる人物である。
あれだけ緊張感のない会話をしているのなら、ここがどんな駅か知っているかもしれない。だがあんなファンシーなお面をかぶっている人間に全力で話しかけたくないという自分がいた。
それでも、正直見知らぬ場所で一人ではないのはほっとしてもいたために、橙子は声をかけようとする。
「橙子ちゃん!」
後ろから名を呼ばれた橙子は驚いて振り返った。
ホームにいたのは、橙子と同年代の女性だった。橙子と同じようにオフィスカジュアルに身を包み、ビジネスバッグを持ったその女性に橙子は戸惑った。
「え、美奈? 同級生の!?」
「そうだよー。橙子ちゃんもこの路線使ってたんだね。会えて嬉しいよ……こんなところじゃなければ」
はつらつとした笑顔で駆け寄ってくる美奈は、苦笑して周囲を見回した。
どうやら彼女もこの異常事態を感じているらしく、困惑した様子で駅を見回している。
「高校以来かな……美奈もこっちに就職してるなんて知らなかったよ。うたた寝してたら、知らない駅だし」
橙子は妙なしゃべりづらさを覚えつつも知り合いに出会えた懐かしさに安堵を覚えていれば、美奈も同意するようにうなずいた。
「私も私も。はーでも本当に橙子ちゃんに会えてほっとした……ってなんであの人達お面かぶってるの?」
橙子が触れるかどうか迷っていた現実に美奈はダイレクトアタックを決めたので慌てた。
しかもその声は駅に大きく響き、魔法少女のお面が振り向いて青年達がこちらを見る。
忌々しそうにぼやいていたほうは大学生ぐらいだろう。今時のカジュアルな服装に身を包んでおり、顔立ちは精悍に整っているが少々目つきが悪く口がわるい。短めに切った髪といい、こちらを鋭く見るまなざしといい、ヤンキーという言葉を当てはめたくなった。
その隣の青年は、橙子が今まで見たことがないほどイケメンだった。24歳の橙子と同年代だろう。柄の悪い青年よりも拳一つ分は背の高い体をジャケットとスラックスに包み、顔立ちは冷たい印象を受けるが人気俳優などよりもよほど整っている。女性の様に長い髪を一つに結んでいるが、それが異様によく似合っていた。
世代も方向性も全くかぶらず、接点がなさそうに見える異様な二人を、美奈は警戒心をあらわに見ている。
美奈の様な警戒心満載の反応をするのが正しいのだろうが、橙子はお面が気になりすぎてちらちらと眺めるにとどめた。
それもまたぶしつけだったらしく、青年二人のうち目つきの悪い方が焦ったように相方を見ていたが、イケメン青年はだんまりを決めこんでいるのに、あきらめたようにこちらを向いた。
「これはその、ハロウィンの仮装だったもんで」
答えるのか。と橙子は妙に感動した。柄が悪そうに見えるのに、無視するでもなくぎこちないながらも会話を成立させてくれたことに妙に育ちの良さを感じて、橙子はすこし警戒心を解いた。確かこの沿線はハロウィンの時期になると仮装した若者が繁華街で馬鹿騒ぎをするのが慣例になっていた。この気まずそうな様子だと、友人に誘われて断るに断れず仕方なくお面で体裁だけ整えたのかもしれない。
少なくともちゃんと話せる人間の様だ、と安心した橙子はスマホで次の電車を検索しようとした。
しかし、ひらがなの「きさらぎ駅」など検索候補にあがってこず、無理矢理検索しても新幹線で行くような場所にある飲食店がヒットするばかりだ。やがて電波も圏外になってしまった。
これでは地図アプリも使えない。困った橙子は眼前の青年達に声をかけた。
「あの、私たち気がついたらこの駅についていたんですけど。この駅がどこにあるかわかります?」
「なんだ貴様らしら……もご」
「いや俺もぜんっぜんわかんねえ。俺達のスマホも使えないみたいだし、ここも妙なところみたいだから、情報交換しねえか」
イケメン青年の恐ろしく偉そうな口ぶりをふさいだ目つきの悪い青年が、精一杯丁寧に提案してくるのに、橙子は苦笑しつつうなずいたのだ。
*
目つきの悪い方の青年は久次、美青年のほうは静真と名乗った。
「俺もこいつもこっちの方が呼ばれ慣れてるんでそれで。ただ俺たちも電車に乗っていて気がついたらここにいたんだ」
「あーつまり、ここに関しては誰も知らない。と」
「とりあえず、ホームを一周してみないか。何かわかるかもしれねえし」
とりあえず、向かい側に見える戻りのホームに行くための道を見つけなければならないため橙子は同意して、ホームを回ってみたが。
まず壁に見つけた時刻表が、奇妙に文字化けをしていた。時刻表と評したもののそのようなものというだけで漢字は意味を成さず読めないものだった。
数字のところが電子メールで時々見る読めない漢字に置き換わっているのに薄気味悪さを覚えながら、橙子は難しい面持ちで見つめる。
「……これ、待ってても電車来るかしら」
「……来ないと思うぞ」
久次に神妙に言われて、橙子は早々に電車を待つことをあきらめた。
駅は真ん中に二列並ぶ線路をホームが挟んでいる形で、ホームは壁に囲まれていたがふきっさらしのホームには風が流れ込んでくる。その風が妙に背筋を寒くさせるようなもので、気味が悪かった。
駅に下げられている案内板もことごとく読める文字ではなく、あの駅看板が特殊だったのだと納得せざるを終えない。
かたす駅方面へ歩いてみると、途中で屋根が切れたが、暗い線路が続くばかりだった。
真ん中あたりまで戻ったところでようやく改札口を見つけたが、駅員室は閉め切られて人の気配はなく、ただ真白く照らされる電灯の下で、ICカード対応の真新しいタイプの改札が妙に主張していた。
「良かったね。改札口は使えるっぽいよ!」
「そうだね」
美奈が安堵しながら言うのに、橙子はとりあえずうなずいたが、今までが奇妙だっただけにこの「当たり前」の雰囲気に逆に違和を覚えた。言うなれば、そこだけ紙を貼り付けて塗り変えたようなちぐはぐさだ。
だがそれを言ってどうすると、橙子が口をつぐんでいると、静真と名乗った青年が険しい顔で改札の向こうを眺めていた。
「どうかしましたか?」
「暗すぎる」
「え?」
橙子が問いかければ、意外に答えが返ってきたが、意味が全くわからなかった。
ふいと、静真がこちらを向いた。
その顔は見とれるほど美しかったが、硬質な表情には嫌悪がこもっている。
「貴様にはわからんのか。夜はこんなに暗くないぞ」
なぜこんな単純なことがわからないのか、と言わんばかりの高慢な口調に橙子はむっとした。しかし隣の久次は、難しい顔で背に負っていたリュックから懐中電灯を取り出すと改札口の向こうを照らし出す。
強烈なライトはスマホのそれよりもずっと強力にあたりを照らすはずだが、その光は建物から出たところでふっつりと途切れた。
「100メートル先まで光が届くやつなんだがな」
久次がつぶやきに少しだけ橙子の背筋が冷たくなった。
「そ、そんな怖いこといわないでくださいよ。駅なんですから何かあるに決まってるじゃないですか」
おびえるように言う美奈に久次はちらっと目を向けた後、静真にライトを放り投げた。
「静真、屋根に上がって外見れるか」
「造作もない」
「えっ屋根に上がるの!?」
橙子が驚いている間にすたすたとホームに戻った静真は、腰のベルトに懐中電灯を挟むと、軽く助走をつけて飛び上がる。
予想外に身軽に浮き上がった静真は屋根の端をつかむと、逆上がりでもするように気楽な動作で屋根の上に消えていった。
「え、雑伎団とかサーカスに所属でもしてるの?」
「ただ単に頭まで修行が詰まってるだけだ」
ぽかんと見上げていた橙子が思わずつぶやくと、即座に久次に否定された。
美奈もあっけにとられて屋上をみている。
屋根の脇からくるりくるりと光が見えた後、静真はまた身軽に屋根から降りて、ホームに戻ってきた。
「やはり光は通らん上、建物は何一つ見えん。俺でも見えんものはお前でも見えんだろうな。閉ざされているぞ」
「そうか」
「え、つまり外には何もないってこと?」
橙子が言えば、放られた懐中電灯を受け取った久次が肩をすくめた。
「見えないだけであるかもしれないし、ないかもしれない。だがこれだけの光源で照らせない何かがまともなものとは思えねえな」
「でも、いつまでもここにいるわけにもいきませんよ」
橙子が久次の言葉にぞっとしていれば、美奈が言い出した。
彼女は感情をこらえるようにぎゅっと両手を握りしめながら、こわばった顔で続けた。
「ねえ、改札口があるのなら出て人を探してみるのが良いんじゃないですか。だってないかもしれないけどあるかもしれないんでしょう」
「いや、境界を越えるのは最後の手段にすべきだ」
しかし久次が即座に否定する。その声は恐ろしく厳しい。橙子が理解できるほどかたくなだった。
「良いか、境界を越えるというのは一種の意思表示だ。越える人間が分かっていても分かっていなくても決定的に変化しちまう。ましてや改札口なんてあからさまな『出口』だ。一度踏み出してひとまず安全なここに帰れる保証はない」
「帰ってくる……って、帰ってこなきゃいけない状況になると思っているの?」
その単語が妙に気になって橙子が聞けば、久次がこちらを向いた。
「かたす、やみ、って言うのは、どちらも死後の世界にある堅州の国と黄泉の国に通じる言葉だ。そんな二つの駅に挟まれた『きさらぎ』の改札を出るって言うのは嫌な予感しかしねえな」
「なにわかんないこといってるんですか!? ……もしかしてあなたたち、ここについて何か知っていて私たちを填めようとしているんじゃないですか!」
「美奈、言い過ぎだよ」
こんなに強固に主張できる子だっただろうか、と橙子は驚きつつもなだめようとすれば、美奈は震えながらこちらを向いてきた。
「ねえ、橙子ちゃんもそう思うよね! こんな変な駅にずっといるの嫌でしょ!」
「ああまあ、うん。そうなんだけど……」
いいよどんだ橙子はもう一度改札口を振り返る。もしかしたらあの向こうには、ただ街灯が乏しいだけの普通の街並があるのかもしれない。
けれどあの暗闇を突き抜けるのはなんとなく、最後の手段にしておきたい気がした。
だが、根拠がない物を理由として言っても彼女は納得させられないだろう。
「とりあえず、ちょっとおちつ……」
ここで険悪になっても全く良いことはないと、橙子がどうにかしてなだめようとしていると、我関せずとたたずんでいた静真が歩き出した。
突然の行動に全員の視線が集まってもなお静真はとまらず、ホーム脇に設置されていたベンチにたどり着く。
「おい静真、どうした」
「腹が空いた」
うせやろ、と橙子は彼の正気を疑った。
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