ライバル

 風が強く吹いている。和歌山全域にはとっくに暴風警報が発令されていた。このままではバスも動かなくなるので、慌てて駅前へと向かう。


 その最中だった。


 わたしの耳朶を、撫でるように歌が聞こえた。ぞくっと肌が粟立つ。心地良い歌のはずなのに、今のわたしにはホラー映画の主題歌のように聞こえた。


「ヒバリマント……」


 駅前で、ギターを鳴らしている彼女の姿があったのだ。どうやら、路上ライブの最中らしい。こんな非常時なので、足を止めて聞いている通行人はいない。

 ただ一人、わたしを除いて。


「あらあら? ゆめみさん?」


 わたしに気付いたヒバリマントが演奏を中断し、柔和な笑顔で手を振ってくれた。


「ごきげんよう。これから事務所に戻るところでして?」

「えっはい。それより、ヒバリマント……さんは、なぜこんなときに路上ライブを」

「こんなときだからですわよ。台風のときに歌うと、すっごく気持ちがよくなるのでして」


 そうだろうか。わたしはやっぱり日の恵みを受けたときに歌ったり踊ったりしたほうがいい。そしてそのあとのお風呂で汗を流すと極楽気分を味わえる。って、こんな考えはどうでもいい。


「プリンさんの調子はどうでして? わたくしと会ってから、少し顔色が変わったように見えたのですよ……?」


 少しどころではないのでわたしはむっとする。


「これからよくなりますよ、きっと……」

「ゆめみさんが言うなら安心ですわね。わたくしも、プリンさんがいないファンキーズとフェスに出るのは残念でしてよ」


 やはり、彼女はわたしたちに敵意はないようだ。


「あの……ちょっと、お話いいですか。ヒバリマントさんについて……」


 ちょうどいい機会だ。謎の多い彼女の素性をここで聞いておこう。


「はい。なんでしょう?」

「えっと、その。ギターが上手ですけど……いつから始めたんですか?」

「ふふ。実はこれは最近なんですのよ。わたくし、子供のころはお琴を習っていましたから。琴だとパフォーマンスとして弱いので、ギターに持ち替えたのですよ」

「最近……?」


 とてもそうは思えない腕前なんですけど……。やはり彼女には何か力があるんだろうか。


「他に聞きたいことはありまして? わたくし、同志としてファンキーズとは仲良くしたいのですよ。答えられることには、何でも答えましてよ」


 にこりと微笑むヒバリマント。


「……では、和歌山のどこ出身でしょうか、ヒバリマントさん」


 その声は私の声ではなかった。神出鬼没。そんな四字熟語が頭の中を過ぎり、我らが鬼屋敷さんがわたしの背後に立ち、ヒバリマントと向かい合っていた。


「鬼屋敷さん……いたんですか」

「あらあら。もしかしなくても、ファンキーズのマネージャーさんですか?」

「マネージャーでもあり、プロデューサーでもあり、ダンスコーチでもあり、センセイでもある鬼屋敷崇です」


 そう言って鬼屋敷さんは堂々と名刺をヒバリマントに差し出した。さりげなくセンセイって認めちゃっているけど、わたしは突っ込まなかった。


「これはこれはご丁寧に。ええと、質問は、和歌山のどこか……でしたわね。そうですわね……厳密には、わたくしは和歌山の生まれではないのでしてよ」

「え、そうなんですか」

「実は奈良の生まれなのですわ。けれど、十三歳のころ、いろいろあって家出して……今の有田市でお世話になったのよ。ですから、和歌山は第二の故郷なのでしてよ」

「なるほど……ってヒバリマントさん、家出していたんですか」

「ええ。義理の母がとても意地悪で……シンデレラみたいな?」


 全然想像できないが、彼女も相当苦労していたようだ。


「和歌山での生活はわたくしの人生を大きく変えましたの。ですから、恩返しをしたくて歌を送っているのでしてよ」

「それは素晴らしい考えです」


 鬼屋敷さんが静かに頷くと、ヒバリマントも首を傾げる。


「他に質問はありまして?」

「いえ、もう充分です。ヒバリマントさんが、我々の同志でよかった。フェスの結果に関係なく、今後もよき関係を築けたらと思います。では……空の機嫌もよろしくないので、僕たちはこれで失礼します。次に会うときは、砂の丸広場で」


 ぺこりと鬼屋敷さんが腰を曲げ、わたしも釣られて頭を下げた。


「ヒバリマントさん、いろいろ話してくれてありがとう。じゃあ、また」

「はい、ごきげんよう」


 わたしは鬼屋敷さんと歩調を合わせ、駅前から離れる。近くの駐車場に鬼屋敷さんのバンが停められており、二人で乗り込んだ。


「鬼屋敷さん、迎えに来てとは言ってなかったはずですが」

「失礼。式神を飛ばしてゆめみさんの行動を見ていました。そして、ヒバリマントさんも」

「式神って……」


 それは陰陽師の使い魔のことだ。わたしが唇を尖らせていると、バンの窓を潜り抜けて一羽のカラスが飛び込んできた。カラスはカアッと鳴くと、その姿が黒い霧となり、一枚の札へと変化した。


「……わあ」


 手品を見せてもらったみたいだったので、自然と拍手していた。


「って、早く帰らないと。わたし、プリンを応援しないといけないんです」

「ええ。僕も収穫がありました。ヒバリマントさんの正体がわかったのですから」

「え……正体って……」


 ハンドルを握る鬼屋敷さんの手に血管が浮かぶ。彼女との会話で手応えを感じたと言外で語っているようだった。




 和歌山は暴風圏内となり、雨足も強くなってきた。叩き付けるような雨を浴び、鬼屋敷邸の雨どいからは大量に水が流れていく。

 わたしたちは再び鬼の間に集まった。鬼屋敷さんからヒバリマントについて話があるからだ。もちろん、その正体の件について……である。


「ヒバリマントさんはやはりただの人間ではありませんでした。そして、あやかしでもありません」

「で、何人だったんだ? 鬼屋敷」


 えぐみが身を乗り出して鬼屋敷さんに詰め寄ると、その体は「どうどう」とTAZUに引っ込められた。


「言葉にするのは難しいのですが……」


 一呼吸置いてから、鬼屋敷さんがヒバリマントの正体を暴く。


「『仏』です」


「ほ?」

「と?」

「け?」


 鬼の間がしんと静まり返った。


「それは確かに……あやかしとは言えないわね」


 TAZUがあったか~いお茶を飲んだあと、冷や汗を流す。

 わたしだって信じられない。仏とは雲の上の存在である神様仏様の仏だ。それがヒバリマントなのだという。


「いやいや。仏って言われても……普通に人間の姿した女じゃねえか、鬼屋敷ィ!」


 えぐみがドンっと大きな音を出して座卓を叩く。


「ええ、正確には成仏を果たした人間ですからね。では、世に知られている彼女の名前を告げましょう。ヒバリマント……仏性を宿した彼女は……」


 こほんと空咳すると、鬼屋敷さんは説明を続けた。


「彼女は……『中将姫』です」

「ちゅっ、中将姫えええええええええええええええええええええええええええええええ?」


 その名を聞いてTAZUが卒倒。殺虫剤を浴びたゴキブリのように畳の上でもがくと、泡を噴き出しそうになってしまっている。


「えっと……すごーく久し振りに言ってもいいですか?」


 おそるおそる手を挙げてからわたしは質問する。


「なんですか、それ……」

「中将姫とは日本の伝説上の人物で、大化の改新の中心であった藤原鎌足の血を引く人物です。美貌と才能に恵まれ、幼いころから琴を演奏し賞賛を得るなど、実力を発揮していました。しかし、継母である照夜に疎まれ、殺されそうになってしまうのです」

「こ、殺されそうになるって……」


 いじめってレベルじゃないんですけど!


「そこで彼女は奈良を離れ、今の有田市にある……『雲雀山ひばりやま』へと身を隠すのです」

「雲雀山だって! それってもしかして?」

「きっと……ヒバリマントの……名前の由来……」

「それだけ思い入れがあったということだな」


 さらちゃんたちの言葉に頷き、鬼屋敷さんは話を続けた。


「彼女は雲雀山で仏功に励み、『称讃浄土佛摂受経しょうさんじょうどぶつしょうじゅきょう』の写経を成し遂げました。その功徳からやがて五指から光を放ち『浄土大曼陀羅』を織られることとなったのです」

「曼荼羅って……」


 まさかとは思ったけど、ヒバリマントが身に着けていた幾何学模様のマント。あれは曼荼羅だったの?


「その後、仏に迎えられ、生きたまま極楽浄土へと旅立ったとされていました」

「……だけど、現世に帰ってきた……ということですね」

「はい。そして、この和歌山に……」


 あのプリンとは違う歌の力の正体がようやくわかった。仏の力を持つから、人の魂を救うような感覚を抱かせたんだ。ついでに、今TAZUが倒れたのは彼女が正真正銘のお姫様。それも由緒正しいみやこの姫だったからか。


「で、ヒバリマントが中将姫だからって……なんでプリンが苦しまなきゃならないんだ」


 まだ全てに納得していないえぐみが口端を歪める。


「それは、プリンさんが元は御詠歌を歌う巡礼者だったからでしょう」

「なるほどな。御詠歌とは、仏教の教えを歌にしたもの。言わば中将姫はプリンの上位存在……」


 ななきさんが頷き、さらちゃんが小首を傾げた。


「えーっとつまり……ヒバリマントはプリンちゃんの上司?」

「それだけではありません。プリンさんは歌女……人を滝壺に引き込むあやかしとなってしまいました。明らかに仏道に背く行為です。その罪の意識を、ヒバリマントさんの仏の力が引き金となり苦しませているのでしょう」

「裏切り者には……死を……」

「って、怖いこと言わないでよ、みらいちゃん!」


 さらちゃんが戒めるようにみらいちゃんのほっぺたをぎゅーっと抓る。だけど、物騒ながら今のプリンの状況を的確に表しているように思えた。


「だけど、それがオレたち、あやかしなんだ……」

「…………」


 鬼の間がまたまた静まり返った。暴風雨の音がはっきりと聞こえるくらいだ。

 わたしは湯呑の中で揺れる自分の顔を見つめながら、思いを述べる。


「ヒバリマントの正体が中将姫で仏の力を持つことはわかりました。だからって、わたしたちは怯んじゃいけないと思います。目標を達成するためにも、『和歌山ドリームフェス』で勝たなくちゃ、未来へ羽ばたけない……」


 そのためにも、プリンを再起させないといけない。

 ぎゅっと膝の上で拳を握りしめたあと、立ち上がる。

 そう、わたしたちファンキーズは立ち上がらなくちゃいけないんだ。座ったままじゃ羽ばたけないんだから。


「ゆめみさん?」

「プリンの元へ行きます。彼女に、ヒバリマントに立ち向かう勇気をわたしが与えます!」


 実家から持ってきた袋を手に取ると、わたしは鬼の間から出てプリンの部屋へと向かう。

 一刻でも早くプリンを元気にさせたい。きっと、「わたし」ならできるはずなんだ。


「プリン……」


 あのとき宝石箱に閉まった宝物のような笑顔をもう一度見たい。いろんな思いを胸に、廊下を賭ける。

「何事だ?」とえぐみたちもわたしの様子が気になったらしく、どかどかと廊下を歩く音が聞こえた。そうだよ、みんな付いて来て。奇跡の目撃者は一人でも多いほうがいいのだから。

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