ときめいてるよ

「ゆめみ、これから少し時間いいかしら」


 道場でのレッスンを終え、鬼屋敷邸にある自室に戻ろうとしていたとき、わたしはプリンに呼び止められた。


「プリン? 別にいいけど、どうしたの?」

「ゆめみとデートしたくなったの」


 しっとりとした微笑を湛えながら、何の恥じらいもなくそう発言され、わたしの頬は梅干しのように赤くなってしまった。


「デ、デートって……」

「二人で街中を歩くことをデートだとさらから聞いたのだけれど、間違っていたかしら?」


 あのカシャンボ、わたしをからかわせるために冗談で教えたんだな……。


「まあ、仲のいい女の子同士でもデートって言うかもしれないけど、基本は男女でするのがデートだから……」

「なら、私たちの仲が深まれば、デートで間違いないのね?」


 真顔でプリンがそう尋ねるものだから、


「あっはい。そうですね」


 わたしは観念して、抑揚のない声を絞り出した。


「でも、なんで急にデートを?」

「アイドルとして活動する以上、今の時代の文化により触れる必要があると思ったからよ」


 美しく長い髪をその華奢な指先で梳りながら歌女は答える。

 なるほど。プリンはプリンで、この時代の社会勉強をしてみたかったようだ。


「わかったよ。とりあえず、市内に行く?」


 わたしも和歌山に帰ってきてすぐ鬼屋敷さんに捕まったから、じっくりと買い物などをしたことがなかった。気分転換にもなるだろうと思い、プリンとのデートを了承したのだった。


「ありがとう、ゆめみ。頼りにしているわよ」


 蠱惑的な笑みを向けられ、わたしの胸が再び高鳴った。




 鬼屋敷邸の近くのバス停からバスに乗り込み十数分。わたしたちは馴染みのある場所へと到着した。

 ターミナルビルや百貨店、銀行やホテルの文字が目に飛び込んでくるここは、和歌山駅。

 昔から女友達と遊ぶときは、ここが集合場所だったことを思い出す。今、隣にいるのは友達ではなく、あやかしの仲間なのだけれど。


「和歌山の中心は、新宮より人が多いわね」


 夕暮れ時となり、辺りは家路に就く人々で溢れている。プリンはきょろきょろと正真正銘のおのぼりさん状態で辺りを見回していた。本宮の山奥にいた彼女にとって、刺激になっているのは間違いない。

 ちなみに、プリンの姿は当然ながらレッスン時のスポーツウェアではなく、宣材写真撮影のときにも使ったワンピース姿だ。加えて、長い髪は頭の両端で纏められている所謂ツインテール。これもまた妙に似合っており、道行く人々の視線を奪っていた。


「東京の渋谷なんかは、ここよりももーっともーっとたくさんの人がいるよ」

「まあ、それはそれで息が詰まりそうだわ」

「それで、どこへ行く?」

「……とりあえずその辺を歩いて……気になったものがあったら止まるわ」

「わかったよ」


 特に目的地のないデートがこうして始まった。目に映るもの全てが新鮮な歌女さんをリードしてあげよう。

 和歌山駅前から大きく伸びる道路――けやき通りを歩く。左手側にはうどん屋さんやお土産屋さんがあり、さっそくプリンは足を止めて頬を緩ませていた。途中音楽教室を見つけた彼女は、建物の中に乗り込もうとしたが、会員ではないのでわたしが制止した。

 そのまま進み続けると、右側に大きな建物が。プリンは興味深々となって、声を弾ませた。


「ゆめみ、あれは何かしら」

「あれはショッピングセンターだね。全体はホテルなんだけど、一階から三階までは中にいろんなテナントが入っているんだよ。本屋に、スイーツショップに、へアーメイク、ドレスサロン。歯医者にフォトスタジオなんかもあるよ」

「楽しそうね。行ってみましょう」


 プリンは早足になって、ショッピングセンターへと突入。まず目に映ったのは、クリオネを模した像の噴水がある広場だった。


「まあ、気持ちいい空間。少し水浴びしてもいいかしら」

「だめ」


 本気で噴水の中に入ろうとしていたプリンの肩をわたしは掴んだ。この奇行がSNSで晒されて炎上したら、ファンキーズも活動できなくなるだろう。


「とりあえず、そこの本屋から行ってみようよ」

「本屋……。いい匂いがするわね」


 広場から近くの本屋へと入店する。入ってすぐにプリンはベストセラー書のコーナーで足を止めた。


「これは……写真集……」


 プリンが手にしたのは、アイドルグループの写真集だ。沖縄の海を背景に、水着姿のアイドルたちがきらきらと眩しい笑顔を放っている。


「日本全国で人気のアイドルの写真集だね」


 彼女たちは超有名な音楽プロデューサーの手によって結成されたアイドルグループ。オーディションによって多くの少女たちが集められ、多くの楽曲はどれも大ヒット。テレビドラマやバラエティにも多く出演しており、姉妹グループも多くあるという日本でもトップクラスの人気のアイドルたちだ。さて、わたしは何回多くと言ったのやら。

 そういうことをプリンに説明してあげると、


「ゆめみ、やけに詳しいわね。もしかして、そのオーディションというのに、参加していたのかしら?」

「え、い、いや。それだけ大人気ってことだよ! あはは!」


 いかん、自分で作った落とし穴に嵌った気分だ。


「彼女たちもアイドルなら、私たちの宿敵ということになるのかしら」

「うーん……」


 今のままじゃ相手にもならないと思うし、何より活動拠点が違い過ぎるけどなぁ。

 ぽりぽりと頬を擦っていると、プリンは写真集を抱えたまま神妙な顔で頷いた。


「この写真集、買うわ。私たちの活動の参考になるかもしれない」

「……あはは。ま、そうかもしれないね……」


 わたしはこのグループのことが嫌いではないけれど、プリンが察したように苦い思い出もまたあるので、あまり視界に入れたくない。でも、彼女のためなら、ま、いっか。

 その後も店内をうろつき、ファッション雑誌や漫画雑誌を立ち読みしたりしていると……。


「ここは……和歌山特集……」


 和歌山県の関連書籍を集めているコーナーに辿り着いた。


「和歌山の観光名所紹介に、熊野古道や南方熊楠関連。浅見光彦の熊野古道殺人事件なんかも置いてあるね」

「待って、これは……」


 その中からプリンは一冊の本を手に持ち、立ち読みを始めた。


「和歌山妖怪大図鑑……!」


 それは和歌山の作家が描いた、タイトルの通り和歌山の妖怪たちの逸話をイラスト付きで紹介している本である。

 なんというか、扇の的を射抜いたようなピンポイントな本だ。


「カシャンボ、畳叩き、一つ目狸、こんにゃく坊……。聞いたことのある名前もあるわね」

「なら、どこかに歌女が……!」


 離れていてもプリンの心臓の音が聞こえた気がする。そして、期待を風船のように膨らませた彼女は、ぱたんと本を閉じると、


「なかった。丹鶴姫はあったのに……」


 溜め息とともに肩をすくめた。その背中にはどよんとした影が浮かんでいるように見える。


「まあまあ、気を落とさないで。第二弾で出るかもしれないし……」

「そうね。ありがとう、ゆめみ」


 そう声をかけると、影はどこかへ消えていった。


 こうして書店デートを終えたわたしたちはその後もアパレルショップで試着したり、へアーメイク店やフォトスタジオでおしゃれをしたりしてショッピングセンターを堪能。


「楽しかったわ、ショッピングセンター。また来てみたいわね」


 店を出たときにはもうすっかり夜だった。

 もう時間が時間だし、鬼屋敷邸に戻ろうと言おうとすると、


「ねえ、ゆめみ。あれはもしかして」


 プリンは向かいにあるその歴史的建造物を指差した。

 そこにあるのは、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城でもあった史跡。

 伏虎城という異名も持つ、和歌山城である。


「行ってみましょう」

「あっうん」


 白くほっそりとした手がわたしの手に絡まる。わたしと繋がったままプリンは和歌山城へ向けて駆け出していく。

 城跡となっていた丹鶴城とは違って、こちらは天守も残っており公園も広大だ。緑が多く、公園の南には動物園まである。


「どうしたの、ゆめみ。なんだか、力が抜けていない?」

「え、そ、そだね」


 プリンが手を繋いだまま話しかける。そりゃ、だって、そうだよ。和歌山城公園はデートスポットとしての顔もある。だから、公園のベンチには男女のカップルなんかがいるので、そこへ女同士がきつく絆を結んでいると、余計に恥ずかしくなってしまうのだ。

 しかし、プリンにわたしの気持ちが気付いている様子はなく、


「綺麗なお城ね。TAZUもあんな城で暮らしていたのかしら」


 ただの観光客と化していた。


「…………」


 ちょっと顔を俯かせて、わたしはプリンとともに公園を歩く。

 するとどこからか祭囃子のような音が聞こえてきた。


「何かやっているわね」


 プリンの好奇心は最高潮。わたしは今回のデートをリードするつもりだったけれど、すっかりペットの犬のようになってしまった。

 やがて、ある場所でぴたりと四本の足が止まる。


「ここって……」


 わいわいがやがやと、数えきれないほど多くの人々で溢れ、喧噪に包まれていた。昼間のように眩い光があちこちから漏れ、なんだかいい匂いが鼻腔をくすぐる。

 ここは和歌山城公園の中にある、イベントスペース――砂の丸広場。

 わたしたちも参加する「和歌山ドリームフェス」が予定されている場所だ。


「『紀州よさこい祭』……」


 近くに立てかけられていた看板に書かれていた通り、今は「紀州よさこい祭」というイベントの真っ最中のようだった。設営されたステージには、法被姿の人たちが踊りを披露している。観客たちも熱狂しているようで、たびたび歓声が轟いた。


「今度あそこに、私たちも立つのね」


 プリンが感慨深くステージを眺める。それと同時に、「こきゅう~」と可愛らしい音が響いた。


「プリン、お腹空いている?」

「……そうね。レッスンが終わってから、何も食べていなかったわ」

「屋台で何か買って、よさこい見ようか」

「ええ、そうしましょう」


 せっかくなのでわたしたちはこの祭に観客として参加する。屋台でたこ焼きやフランクフルト、ジュースを購入するとその足でブルーシートの敷かれた観客席へと向かった。

 人が多く狭いので、わたしたちは肩を寄せ合いながら座る。


「私たちとは趣向が違うけれど、これもまた音楽……。人々を歓喜させ、熱狂させ、楽しい時間を提供する……」


 ステージの上で様々なチームがよさこいを披露する。みんな楽しそうで、緊張している様子が微塵も感じられない。


「わたしたちも、こうなるといいね」

「できるわ。私とゆめみ。それに、ファンキーズのみんなの力を合わせれば……」

「うん……」


 プリンがまたぎゅっとわたしの手を握った。もうすっかりプリンに気に入られてしまったのかもしれない。彼女の手は触れたときこそひんやり冷たいけれど、ほんの少し時間が経てば温もりを感じることができる。

 あやかしとはいえ、一つの命の持ち主であることを実感する。


 だけど、なんだろう、この気持ちは。

 サバンナで百獣の王を前にしたように――

 本能的に、わたしはプリンには逆らえないような印象を抱いてしまっている。

 当然ながら、恋愛の感情ではない。うん。それは間違いない。

 だけど、たぶん、似たような感覚だ。


「ゆめみ。ありがとう。私の我が儘に付き合ってくれて」


 よさこいを見ながら、プリンがぽつりと言う。


「どういたしまして」

「いい刺激になったわ。明日からも『清姫物語』の練習をがんばれそう」


 わたしの顔を見つめてから、プリンは笑った。惚れ惚れとするようないい笑顔だった。

 クールビューティーが印象的な彼女が心の底から見せたその顔をわたしは一人占めし、心の中の宝石箱に大事に入れて鍵を掛けたのであった

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