アイドル水泳大会in清姫淵
降り注ぐ陽光を存分に乱反射させる川。
蒼穹へと響いていく蝉の鳴き声。
ときおり吹く風は山の呼吸。
このときこの瞬間。「いかにも」な夏の自然の中に、わたしたちはいた。
ここは和歌山県田辺市中辺路町真砂。清姫生誕の地だ。
あれからカレンダーの日付の上を、慌ただしく走るように時間が過ぎた。
鬼屋敷邸の道場でわたしたちは創作ミュージカル「清姫物語」の練習を続け、とうとう本番の日を迎えることになったのだ。
わたしたちは「清姫祭り」が始まる午後六時までの時間を惜しむことなく「清姫物語」に使う――
ということはなく――
「あはは! それそれ、水張り手! ぶっしゃー!」
「やったな、さら! オレのビッグウェーブを喰らえ!」
川の中で水を掛け合っている少女たちがいるように、束の間の休息を楽しんでいた。これもまた鬼屋敷さんの提案であり、本番前にリラックスさせるつもりなのだ。
そういうわけで、わたしたちは真砂河川敷で絶賛川遊び中だ。ななきさんは岩の上で瞑想しているし、みらいちゃんは木の影でお昼寝中だけど。
「やはり、水の気があると落ち着くわね」
そう言うファンキーズのメインボーカル不歌滝プリンの今の姿は巡礼服でもワンピースでもない。水着だ。水玉模様のビキニであり、白い肌を露出させて太腿やお尻、お腹を強調させていてとってもビューティフル。
甘い電流が背中を駆けあがり、わたしの全身が震えあがった。
「プリン、水着姿とっても似合っているね。さすが、歌わずの滝の歌女!」
「別に、巡礼服で泳いでもよかったのだけれど。そうして滝に身投げしたのだから」
「おお、急に雪女にクラスチェンジしたのかと思うほどの寒気が……」
「ふふ、歌女なりの冗談よ」
とても冗談には聞こえなかったんですけど。
「フフ、いっちょ前にアイドル気取りとはやるじゃない。ケド、アタシの方が超抜群のプロポーションを持っているんだからね!」
挑戦的な声を轟かせたのはもちろん、丹鶴姫であるTAZU。
自信たっぷりな発言はハッタリではない。黒を基調としたフリル付きのビキニはキュートかつセクシーで、引き締まった腰のくびれが陽光を反射して輝いて見えた。
「TAZUも似合っているよ、水着! 写真撮ろうか?」
わたしがそう言うと、頼んでもいないのにプリンがポーズを作り始める。
「……この間の写真集で勉強したの。アイドルとは、こういうポーズをするみたいね」
桃に朝露を垂らしたような瑞々しい唇が緩む。
「ノンノン。そんなステレオタイプなポーズじゃ目立たないよ! こう、倒立したポーズなら……バズること間違いなし……!」
そう言うとTAZUはおもむろに逆立ちを始め、両手だけで体を支えて見せた! おまけに全然苦しそうに見えないほど笑顔作っている。すごい! わたしはすぐにスマホで写真を撮った。ファンキーズのツイッターにも載せておこう。
「水着姿で逆立ちするなんて……才能の無駄遣いね」
プリンにそう言われ、TAZUはガン飛ばしとしか思えないほど眦を上げた。
「無駄とは何よ! だったら、プリン。水泳で勝負するわよ! どっちがあそこの岩まで早く泳げるか、ガチマッチ!」
「私を歌女と知っての果たし状、確かに受け取ったわ」
対抗意識を燃やしまくりのプリンとTAZUはそのまま川に飛び込み、ばしゃばしゃと泳ぎ始めてしまった。
微笑ましい光景に頬を緩ませていると、
「みなさん、楽しんでいるようで何よりです」
白シャツ姿のこれまた涼しそうな姿の鬼屋敷さんが隣に立った。
「この川であやかしである彼女たちが泳ぐと、その美しさに磨きがかかりますね。これも縁でしょうか」
「どういうことですか?」
引っ掛かる言い方だったので首を傾げる。
「ここは『清姫淵』とも呼ばれています。かつて、清姫が黒髪をなびかせながら泳いでいたという伝説があるんですよ」
「……やっぱり、生誕の地だからそういう話もあるんですね」
わたしは何百年もの昔の少女に思いを馳せる。愛を憎しみに変え、姿をも変えた少女。
彼女もまた、わたしたちと同じように川遊びをする普通の少女の面もあったのだろう。
清姫の想いを伝えるためにも、今晩の「清姫物語」は成功させないと!
ぎゅっと手を握った瞬間だった。
「うおーい、さらちゃ~ん!」
一帯に声を響かせ、二人の老人が姿を現した。ほっかむりを被った農作業着。ほんの少し前まで畑にいたことが簡単に想像できる。
「あっ、じっちゃんばっちゃん!」
川の中からえぐみと一緒にさらちゃんが飛び出し、老人のもとへ駆け寄る。
「じっちゃんばっちゃんって……」
「ええ。さらさんのお世話をしていた老夫婦です。さらさんを孫のように可愛がっていたのですよ」
なるほど。さらちゃんは自然の中で一人過ごしていたわけではなく、あの老夫婦たちと一緒に暮らしていたわけか。
「えぐみちゃんも、今日もぷるぷるしとるのう」
「おっす。お世話になってます、じっちゃん」
そして、同郷であるえぐみも老夫婦とは顔見知りのようだ。
「聞いたで~。安珍様の役をやるんやってな。ほな、これ喰って精付けんと」
そう言ってじっちゃんがスーパーの袋から取り出したのは、新鮮なキュウリだった。
「わあい、キュウリ! うち、キュウリ大好き!」
さらちゃんはキュウリを受け取ると、大きな瞳を爛々と滾らせ、白い歯を剥き出しにして遠慮なく齧った。しゃきっとした歯応えがわたしにも伝わってくる。さらちゃんの恍惚な顔を見ていると、わたしまで幸せになりそうだ。
「みんなの分もあるかんな。意地悪せんと分けるんやで」
「うん、わかってるよっ!」
スーパーの袋を受け取り、さらちゃんが微笑む。
「ほな、鬼屋敷さん。さらちゃんを頼んます」
「はい。お任せを」
老夫婦は皺を増やしてにこにこ笑うと、河川敷から離れて行った。
爽やかな風がわたしのボブカットを撫でていく。
「空気もおいしいし、人も親切だし、この辺りは落ち着くね」
「フッ。そう思うだろ? けどな、清姫の話を始め、中辺路はいろんな逸話がゴロゴロしているんだぜ?」
わたしの肩に腕を乗せて、えぐみが語る。
「そうです。熊野詣で最もよく利用されたのがこの中辺路の道……」
鬼屋敷さんもいつもの解説モードのスイッチが入っていた。
「今でこそ中辺路は平坦ですが、かつての熊野詣では道が険しく、熊野を目指して歩くこと自体が修行となっていたのです。貴族も庶民も関係なく、たくさんの人が中辺路を通り……そこに、伝説が生まれました。中辺路は紀州備長炭の産地でもありますからね。昔から人々は山に入って、あやかしと出会ったのです」
「そ、そうなんですね……」
「一つ目で一本足のイッポンダタラ。鍬などの鉄を引き寄せる磁石岩。熊野の神の化身と言われる三体月。強力無双の大男
「もちろん、このオレこんにゃく坊と……」
「うちみたいなカシャンボもいるよ!」
二人が肩を組む。違うあやかしなのに仲睦まじい姉妹のようだ。
「本当に、ここはあやかしの聖地って感じ……」
「オレたちみたいに人間に化けるあやかしももちろんいる。さっき会ったじっちゃんばっちゃんも、実はあやかしかもしれないぜ?」
そんなことを言われて、わたしは手にしていたキュウリを落としそうになってしまった。
「冗談冗談」
これはわたしの経験則だが、あやかしは冗談を言う子ばかりだ。
「でもま。こういう土地だからこそ。人が出入りする場所だからこそ。オレはこうしてあやかしとして生まれることができた。さらやゆめみたちと会うこともできたんだ。だからよ、オレはこの中辺路に感謝している」
「えぐみ……」
「せっかくゆかりのある安珍って大役をもらったんだ。故郷に錦を飾る……とまではいかねえが、今晩は活躍させてもらうぜ」
にししと笑うえぐみの顔を見て、わたしもふっと息を吐いて笑った。
「うちだって! じっちゃんばっちゃんが見てくれるんだもん。張りきっちゃうよ!」
気炎万丈。二人は話を盛り上げると、キュウリを齧り出す。瑞々しい果汁が弾け飛び、美味しそうだ、
「そうだ。他のみんなにも分けてあげなきゃ」
さらちゃんからスーパーの袋を受け取り、川で激しい飛沫を上げているプリンとTAZUのところへ向かう。
その最中――
「ん?」
視界の端で影が動いていた。何かと思えば、エメラルドの輝きを放つ川の中に黒い何かが見え、すっと消えたのだ。
当然ながら、水泳勝負中のプリンでもTAZUでもないし、岩の上で精神統一中のななきさんでもない。
「……中辺路は、あやかしの聖地……」
何かはわからないけど、きっとそうだ。
神秘と幽玄が混じるこの地に立つことの意味を噛み締めながら、わたしは歩き続けた。
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