Keep on running
「では次のファンキーズのお仕事内容ですが……」
ハッピーモールでのモールウォーキングの呼び込みをした次の日。道場で鬼屋敷さんはわたしたちに向かって次なるミッションを告げる。
「お、やっと単独ライブでもやるのか?」
えぐみが身を乗り出して鬼屋敷さんの次の言葉を待った。
しかし、
「ええ。みなさんには走ってもらいます」
「……走る?」
鬼屋敷さんの口から飛び出たのは、まったく想定外の言葉だった。
走る。わたしたちが? なんで? チャリティーの一環か何か?
頭の中でサライが流れる中、鬼屋敷さんは詳細を語ってくれた。
「来月、『和歌山リレーマラソン・パンダラン』というイベントが田辺で行われます。それにみなさんで出場してもらい、優勝を狙うのです」
そう言いながら、鬼屋敷さんがわたしたちにチラシを一枚ずつ渡してくれた。
「パンダラン」というイベント名の通り、タスキを通し走っているパンダのイラストが特徴的なチラシだ。マラソン以外にもフライングディスクやビームライフルを体験できるスポーツ体験会や巨大迷路のあるキッズエリア、県内外の「うまいもん」が大集結するグルメエリアまである。子供からお年寄りまで楽しめるスポーツイベントだそうだ。ちなみにここまでパンダが推されているのは、田辺市のお隣白浜町にパンダが飼育されているアドベンチャーワールドがあるからだろう。
わたしはまじまじとチラシを見つめた。
リレーマラソンと謳っている通り、マラソンのコースを四~十人までのチームで分担し、タスキを渡して完走を目指すマラソンらしい。部門はファミリーマラソン、ハーフリレーマラソン、フルリレーマラソンの三部門存在し、もちろんそれぞれ走る距離が違う。
ファミリーマラソンは1.5キロメートル。
ハーフリレーマラソンは21キロメートル。
フルリレーマラソンはもちろん42.195キロメートル。
チームの組み合わせは男女混合でもOKとかなり自由度が高く、禁止されているのは複数のチームに参加するという点だけだ。
「和歌山の誰もが注目する大イベント! さらに優勝すれば自分をPRをする時間が与えられるのです。職場のPRをしたり、過去には愛の告白をした優勝者もいました。これはファンキーズを躍進させるにふさわしいイベントと考え、もうエントリーを済ませました」
「え、わたしたちの意見を聞かずに……?」
「ま、いいんじゃないの? アイドルって、こういう企画にチャレンジするものでしょ?」
TAZUはこういう日が来るのを知っていたかのように、嫌な顔をせずに状況を受け入れた。
「あはは! うちも大歓迎だよ! 体を動かすのは大好きだもん!」
「まったく、先日の『清姫祭り』と言い、血の沸く行事ばかり待っているものだ」
「しゃーねえ。こうなったからには、オレも覚悟決めるぜ、鬼屋敷」
さらちゃんたちも「パンダラン」への出場をむしろ楽しんでいるようだ。
「プリンはどう思う?」
「そうね。はっきり言って、私は足が遅いほうよ。だけど、だからこそ、この行事は試練のように思えるわ。私の力を高めるための試練。これを乗り越えたとき、ファンキーズは更なる力を手に入れるでしょうね」
プリンもやる気の炎を燃やしていた。こうなったら、わたしだって負けていられない。
ただ、
「……はぁ……」
ファンキーズの中でみらいちゃんだけは盛大な溜め息を吐いていた。やはり、引き篭り気味な彼女は、走りたくないんだろう。
「それで、出場する部門はどれなんですか」
「もちろん。フルリレーマラソン部門です」
なにがもちろんだと心の中で鬼屋敷さんに突っ込んだ。
「妥協は死です。せっかくなので高みを目指しましょう」
心を読んだかのように鬼屋敷さんがそう告げる。
「42.195キロを七人で走ることになるのかぁ。えっぐいねえ」
「競技ルールによると、一人で何周走ってもいい。回数も順序も自由。つまりは、個人の体力に合わせて走る割合を決めればいいみたいよ」
TAZUはチラシにしっかり目を通していたようだ。
「なるほどな。体力に自信のあるワシやさらが、他の者を補うように走ればいいのだな」
「では、まずはその走力テストを行いたいと思います。みなさん、外に出てくださいっ!」
鬼屋敷さんがぱちぱちと手を叩き、わたしたちを立ち上がらせた。
かくしてわたしたちは「パンダラン」の出場を決められ、それに向けて走り出すのだった。
鬼屋敷邸周辺は閑静な道。ときどき車が走ったとしても、それはバスか農家のトラックくらい。この地域の人々はとても穏やかで、わたしたちと顔を合わせればいつも笑顔で挨拶してくれる。
そんな道を、わたしは走っていた。
「はあ……はあ……」
「パンダラン」に出場するための走力テスト項目は単純明快。鬼屋敷邸周辺を五周し、そのタイムを計測するというものだった。
「ただ……いま……」
完全燃焼し、わたしは鬼屋敷邸の門の前で立ち止まる。汗でスポーツウェアがべったりと体に張り付き。体の線が浮かび上がっていた。
「お疲れ、ゆめみ」
すかさずプリンがペットボトルに入ったスポーツドリンクを手渡してくれた。それを浴びるように飲み干す。とても甘い恵みが五臓六腑に染み渡り、疲れが吹き飛んでいく。
「お疲れ様ですゆめみさん。五周でタイムは十分……。まずまずですね」
ストップウォッチを片手に、鬼屋敷さんがタイムを報告する。
短時間でこんなに走ったのは高校時代以来だ。だけど、アイドルというものは体力勝負でもあるのだから、このくらいで疲れてはいけない。歌いながら、踊りながらステージに立つということは、ある種のスポーツに匹敵するカロリーを消費するはずなのだから。
「では続いて、プリンさん。お願いします」
「わかったわ。私の走り、見ていてちょうだい」
「ファイトだよ、プリン」
わたしが声をかけると、プリンはシュシュを長い髪に通し、ポニーテールに仕上げて駆け出した。スポーツウェアを着て、しっぽを揺らして走るプリンの姿は凛々しく、美しかった。
ただ……。
「プリンさん、五周で十五分……ですか」
鬼屋敷さんが少し残念そうにそう呟いたように、足の速さはわたし以下だった。
こうして、わたしたち七人全てが鬼屋敷邸周辺を走り終え、「パンダラン」に向けてのデータ収集は完了した。
扇風機が豪快に首を振る道場。そこで涼みながら鬼屋敷さんの話を体育座りで聞く。
まるで、試合のレギュラーメンバーを発表するバスケ部になった気分だ。
「では、みなさんの成績を発表します。もっとも好タイムだったのは……ななきさん」
「うむ」
さすが武人めいた姿のななきさん。その鍛え上げられた肉体は飾りではない。
「フォームもしっかりしていて、安定していました。続いて、TAZUさんです」
「ま、当然よね。アタシだって伊達に丹鶴城の階段を何度も昇り降りしてこの脚力を身に着けたわけじゃないよ」
「続いてさらさん、えぐみさん」
「あはは! 陸じゃなくて水の中ならうちは一番なんだけどなっ」
「それで、あとは言わなくてもわかるぜ、鬼屋敷。ゆめみ、プリン、みらいの順だろ?」
えぐみがそう言うと、鬼屋敷さんは静かに頷いた。
「この結果を参考に、リレーの走る順番と配分を考えました。約42キロあるコースを、ななきさんには6キロ、TAZUさんには4.5キロ、さらさん、えぐみさんには3キロ、ゆめみさんとプリンさんには1.5キロ、走ってもらいます」
わたしが担当するのは1.5キロの距離。高校のときにやった持久走一回分と考えればそんなに苦しくはない配分だ。
ん?
あれ、ちょっと待って。おかしい。何かがおかしい。
わたしは鬼屋敷さんから聞いた配分を頭の中で足し算する。
えっと、6+4.5+3+3+1.5+1.5だから、合計19.5だ。
みんなも異変に気付いたらしく、穏やかではない気配が漂い始める。
「オイオイオイ、鬼屋敷。一人忘れてるぜ」
冷や汗を流しながら、えぐみがまだ名前の呼ばれていない〝彼女〟をつんつんと指差す。
その度に〝彼女〟はびりびりと放電する。
「……僕は忘れていませんよ。みらいさん。あなたには、残りの20キロ以上を走ってもらいます」
「え……え……?」
わたしは狐に騙されているんだろうか。それともこれも陰陽師の呪術なのだろうか。
走力テストで最下位だったみらいちゃんに、マラソンのほとんどを走らせる。
鬼屋敷さんはそう言っているのだ。
みらいちゃんを一瞥する。
彼女は口を閉ざし、俯いたまま道場の床の木目を目で追っていた。
「鬼屋敷、それは本気で言っているのか?」
「あれはマジもマジ。大マジ王という顔よ。みらいにそんなに走らせる理由、聞かせてもらうわよ!」
えぐみやTAZUに詰め寄られ、鬼屋敷さんは少しだけ頬を緩ませるとその理由を語った。
「もちろん、彼女が走ることに特化しているからですよ。この中の、誰よりもです」
わたしたちの疑問の霧を晴らすように、鬼屋敷さんは付け加えた。
「彼女が雷のあやかし『ミズガミナリ』だからです」
「雷のあやかし……」
「なるほどな。『ミズガミナリ』は雷の速さで大地を駆けると聞いたことがある。みらいならば、このマラソンも余裕というわけか」
わたしたちの鋭い視線が、みらいちゃんへと向けられる。
しかし――
「……み、みらいは……」
ぶるぶると、体を震わせたミズガミナリの少女は――
「走りたくなーい!」
鼓膜を揺さぶる甲高い声でそう叫ぶや否や電光一閃。
「うわっ、眩しいっ!」
閃光弾というものを今まで浴びたことはないが、たぶんそれに相当する光が視界を塗り潰す。そして次の瞬間には、みらいちゃんの姿は消えていた。
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