みらいちゃんのユウウツ

「逐電したかっ」とななきさんが噛み締めるように呻く。


「オイオイオイ、やっぱあいつ足速いじゃん!」


 やはりみらいちゃんは実力を隠していたのだろうか。道場の床の上には焼き焦げた足跡が残っていた。相当の力がなければこうはならないはずだ。


「みらいちゃん……うちよりずっとはやい!」


 だけど、こんなに足が速いのに、体力がないフリをしていたのはどういうことなんだろう。疑問が山積みになるけれど、


「みらいさんを追い掛けましょう」


 鬼屋敷さんのその声に応じ、わたしたちは一斉に頷いたのだった。


 道場を飛び出て、鬼屋敷邸の庭に注目する。砂利はみらいちゃんの脚力で吹き飛ばされ、辺りに散らばっていた。まさに、雷が落ちた直後のようだ。


「みらいちゃん、いったいどこへ……」

「ゆめみ。……彼女の、ミズガミナリの習性を思い出したらどうかしら?」


 プリンの言葉に、わたしは冷静になってぴたりと足を止めた。

 思い出せ。ミズガミナリについて。初めて会ったとき、鬼屋敷さんは何と言っていた?


〝――雷鳴とともに現れてはスノコに隠れるという恥ずかしがり屋な性格で〟


「隠れる……。そうだ、みらいちゃんは逃げるんじゃなくて、隠れる癖がある……?」

「だったら、この屋敷の中ね! さあ、みらい。御用よ!」

「かくれんぼならうちだって負けないんだからっ」


 わたしたちは屋敷の中に入ると、散り散りになってみらいちゃんの消息を追った。さすがに家の中では力を抑えたのか、足跡は見つからなかった。

 台所、各メンバーの部屋、居間、鬼屋敷さんの寝室……。

 ある程度探し回ったあと、わたしが目を付けたのは、


「『鬼の間』……」


 もしやと思い、鬼の間に入ると、すぐさま押入れを開けてみる。

 はたしてそこには、座布団を頭から被って怯えているみらいちゃんの姿があった。


「みらいちゃん、見いつけた」

「ひっ……ゆめみ……」

「そ、そんなに怯えなくても……」


 まるで人喰い鬼を目の前にしているような形相に、わたしは困惑する。


「落ち着いて。ただ、理由だけ教えてほしいんだ。どうして、こんな力があるのに、内緒にしていたのか」

「…………」


 深呼吸するみらいちゃん。小さな胸が何度も膨らんでは萎むのを確認した、


「み、みらいは……」


 数秒後、勇気を振り絞ったのか、みらいちゃんの顔つきが変わり、こう言った。


「目立ちたくないから……」


 みらいちゃんの常套句だ。目立ちたくない。恥ずかしい。引き籠りたい。裏方に徹したい。


「それは何度も聞いていたけど……どうして目立ちたくないの?」

「……だって、目立ったら……人間に捕まる……」

「へ?」


 ずいぶんと想定外の答えが飛び出し、わたしは呆気にとられてしまった。


「……ゆめみは知らない。みらいの今の姿は、妖力で人間に化けている姿。だけど、本当の姿は……獣」

「…………」

「昔、ずっとずっと昔。みらいたちは雷と一緒に天から落ちては地上を駆け回った。とても、とても楽しかった……。だけど、人間たちはみらいの仲間を、捕まえた。みらいたちがあやかしだから、珍しいから……」


 声のトーンを低くして、彼女は語った。その瞳には懐旧の色が濃く浮かんでいる。


「雷獣の逸話だな」


 いつの間にか、鬼の間に入り込んでいたななきさん。ゆっくりと畳の上を歩くと、わたしの隣に立って言葉を接ぎ穂する。


「江戸時代、雷獣は各地で目撃され、多くの百科事典や随筆に記録が残された。その物珍しさから懸賞金も掛けられ、乱獲されたという」

「そうだったんだ……」

「……みらいには、お姉ちゃんがいた。ミズガミナリとは違う……『イガミナリ』のお姉ちゃん……」

「イガミナリ……?」


 知らないあやかしの名前にきょとんとしていると、


「イガミナリもまた、和歌山のあやかしですよ」


 鬼屋敷さんが颯爽登場。まるでこの瞬間を待っていたかのような堂々とした姿にわたしは痺れてしまった。


「ミズガミナリとともに有田川町に伝わるあやかしです。イズガミナリは雷鳴とともに地上に落ちたあと、爪で木をひっかきながら天へと昇ると言われています」


 その解説を聞き、みらいちゃんは涙を浮かべながら頷いた。


「大昔に、お姉ちゃんは人間に見つかってはぐれてしまった……きっと、お姉ちゃんも人間に捕まったんだと思う……。だから、みらいも、目立ちたくない……。きっと悪い人間に捕まって……見世物にされて……そんなの……いや……」


 みらいちゃんの壮絶な過去を知り、わたしの胸がちくりと痛んだ。

 あやかしにもいろんな種類がいる。人間を襲う者もいれば、人間と共存する者もいて、さらには人間に追われる者もいるんだ。

 重い空気が漂い始めた。みらいちゃんの目立ちたくない理由を聞いてしまっては、「パンダラン」のアンカーを託すなんて言いづらくなってしまう。

 だけど、


「なら、みらいはなぜここにいる?」


 ななきさんの冷たく鋭利な声で、鬼の間の空気が一刀両断された。


「目立ちたくないのなら、ずっとスノコの下にでも隠れていればいい。だが、みらいはこうして鬼屋敷のスカウトに応じ、ファンキーズの一員となっている。これは矛盾というものだ」

「……そうだよ。どうして、みらいちゃんはアイドルになろうとしたの?」


 憂いの瞳が揺れ動く。


「それは……」


 みらいちゃんが気まずそうにちらちらと視線を逸らした。


「……みらいさんの心の中で二つの思いがぶつかっているのでしょう。仲間たちのように目立ちたくないという思いと、アイドルとして大成したいという思いが、天秤のように常に揺れ動いているのではないのですか?」


 鬼屋敷さんにそう言われ、みらいちゃんは唇を歪めた。


「……そうだよ。みらいだって、アイドルになりたかった。有名になったら、どこかにいるお姉ちゃんにもみらいのことが伝わるかもしれない。また、会えるかもしれないと思って……。でも、やっぱり怖い……。みらいが目立って、何が起こるかわからないから……」


 泥を吐くような声が耳朶に突き刺さる。みらいちゃんは怯え切り、体を震わせていた。彼女はずっとこの小さな体で、どうしたらいいかわからず活動をし続けていたんだ。

 みらいちゃんの気持ちはわからなくもない。出た杭は打たれるとも言うし、芸能人は有名になればなるほど快く思わない人たち――いわゆるアンチも出るかもしれない。けど、だからと言って、怯えてばかりじゃ何も始まらない。わたしたちを待っている人たちがいるのも確かなのだから。

 ふと、モールで出会ったわたしたちのファンの女性が頭に浮かんだ。

 彼女の慈愛に満ちた笑顔に、わたしは救われた。まだまだがんばって行こうと思えた。そのときの思いを胸に、わたしはみらいちゃんに語りかける。


「……何事も、中途半端なのはいけないと思う。全力で挑んでこその、人生だと思う。だから、みらいちゃん。初志貫徹だよ。何事にも怯えなくて、ありのままの自分を見せたほうがいいと思う。待っている人だって、応えてくれるよ」

「ゆめみ……?」


 ミズガミナリの少女が、涙を止めてわたしの顔を見つめる。


「目立つのが怖いなら、誰かに攻撃されるのが嫌なら、わたしたちが守ってあげる。だって、わたしたちは仲間だもん」


 小さく息を吐いてから、隣に立つななきさんも援護してくれた。


「だな。ワシも、万が一みらいの身に危険が及べば、全力でそのことごとくを打ち破ると誓おう。おヌシはワシらに欠かせない存在なのだからな」


 うんうんと二人揃って頷くと、みらいちゃんはまた涙を浮かべた。ご主人に愛想を尽くされ、それでも仲直りをしたい犬のような顔をわたしたちに向けると、


「……信じていいの……? みんな、みらいを裏切らない……?」

「裏切らないよ。絶対に」


 わたしはそっとみらいちゃんを抱き締めた。みらいちゃんは抵抗せず、電撃を放つこともしなかった。愛らしい彼女の体がそこにある。熱を、魂を体越しに感じることができる。


「だから、みらいちゃんのお姉ちゃんのためにも、がんばろうよ」


 ほっぺを擦り合いながらそう言うと、


「……わかった。みんなを信じる……。もう、みらいは怯えない……」


 みらいちゃんはわたしから離れ、体を動かし、押し入れから出て行く。

 そして、その細い足からぴりっと電撃が生じた。


「この力、全て使い切る……。それで、『パンダラン』を勝ち抜く……。みらいが、未来を切り開く……!」


 珍しいみらいちゃんの叫び。雷音のように突然で大声だったけれど、わたしの耳には心地良く届いた。


「お姉ちゃん……見ていて……」


 その小さな願いのような言葉も、わたしは聞き逃さなかった。


「……これで解決ですね」


 鬼屋敷さんがしみじみと胸を撫で下ろし、ななきさんも口端をほんの少し緩めた。

 かくして、「パンダラン」のアンカーであるみらいちゃんは迷いを払い、再起してくれた。わたしたちファンキーズはトップを狙い、駆け出すのであった。

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