止まらないで

「和歌山リレーマラソン・パンダラン」


 その開催日が訪れ、わたしたちは会場である和歌山県田辺市のスポーツパークに訪れた。


「くう~、ついに着いたぜ! ファンキーズの戦場に!」


 駐車場に着くやいなやバンから飛び出し、えぐみが両手を挙げて体を伸ばす。


「フフ。アタシの華麗なフォームを披露し、みんなを魅了する瞬間が楽しみね!」

「ふふふ! うちらなら優勝間違いなしだよっ」

「祭りとあらば血が騒がずにはいられん。さあ、楽しもうじゃないか」


 自信に溢れたファンキーズの面々。緊張感もまったくなく、ただこのイベントに遊びに来たような感覚だ。

 ポニーテール姿のプリンが、その隣に立つ小さな少女の頭を撫でながら声をかける。


「……みらい。体調はどう? 少しでも悪かったら、私に言ってほしい。ゆめみが20キロ走ってくれるから」

「って、プリン! さりげなく無茶振りしないでっ! ……で、みらいちゃん、大丈夫だよね?」


 あたふたと泡を食いながらみらいちゃんと顔を合わせる。


「……大丈夫。体調万全。今なら百キロだって走り切ってみせる」


 そう答えたみらいちゃんの顔つきは、初めて会ったときとはかなり違って見える。すっきりとした目鼻立ちは野性味溢れる戦士の貌。もう、どこにも怯えていた彼女はいない。


「では、出陣ですよ、みなさん!」


 ずっとコーチ役に徹してきた鬼屋敷さんも瞳の中に炎を燃やして激励。わたしたちは大声で「おおーっ!」と叫んだのだった。




 会場のスポーツパークはその名の通り、スポーツの聖地だ。体育館やテニスコート、野球場に室内練習場などが揃っている。チア時代に通っていた和歌山の球場に似ており、わたしは少し親近感を覚えた。

「パンダラン」の舞台となるのは陸上競技場と野球場までの道を使った一周1.5キロメートルのコースだ。陸上競技場のレーンが八つある一周四百メートルのトラックを目にすると、世界陸上やオリンピックの中継で見ていた世界に足を踏み入れたのだという気分を味わった。

 受付を済ませ、現在時刻は朝の八時半。陸上競技場にはすでに多くの参加者で溢れていた。キャッチコピー通り老若男女揃っておりバラエティ豊か。募集人数が最大千人となっていたが、軽く五百人は超えている。ちなみに、その参加者のほとんどはパンダのメイクをしていた。これは「パンダラン」という大会名の通り、大会で推奨されている仮装ドレスなのだ。希望すれば、無料でフェイスペイントをしてくれるコーナーもあり、わたしたちも目の周りに墨を塗ってもらった。

 このパンダメイクも含め、「パンダラン」の最大の特徴は仮装したまま出場できるという点にあった。もちろんわたしたちもこの大会用の衣装を着て参加することになっている。

 その衣装とは――


「……まさか、ライブより先に走るためにこの衣装を使うとわね」


 フリフリのドレスを揺らし、準備運動をしながらプリンがぼやいたように、ファンキーズのライブ衣装でそのまま出場するのである。


「アイドル衣装でマラソンを完走すれば、最大級のPRになりますからね」


 仕掛け人である鬼屋敷さんの目が光る。だけど、わたしたちは嫌な顔などしていないし、羞恥心など欠片もない。そんなのがあっては、もうアイドルなんてやってられないんだ。

 鬼屋敷さんの思惑通り、わたしたちはこの会場で注目の的になってみせる!

 そう意気込んだのだけれど、


「ケド……女装しているランナーに、着ぐるみもいるわよ。ま、目立ちたいって気持ちはみんな同じなのかも」


 周囲を見回したTAZUがそう言ったように、考えることはどこも同じのようだった。


 やがて時計の針が進み、オープニングが開催された。

 まさに体育祭のときの気分で、わたしたちは大会実行委員会のみなさんの言葉や田辺市市長の激励を受ける。

 その後、最初にファミリーマラソンがスタート。コースを一周するだけの簡単なマラソンだ。子供と一緒に走ったり、赤ちゃんを抱えながら走ったりしている参加者を眺めると、緊張の糸も自然と解けるというものだ。

 ファミリーマラソンが終わると、大会実行委員会からリレーマラソンのルール説明を受ける。ついにわたしたちが参加するフルリレーマラソンスタートの瞬間が近付いてきた。


「ななきさん、ファイトだよ!」

「ああ、任せておけ」


 第一走者であるななきさんをスタート地点に残し、わたしたちは陸上競技場内にあるフルマラソンのタスキ受け渡し地点へと向かう。

 何十人もの人々がスタート地点に立ち、ピストルの音を待つ。

 衣装を身に着けても、堂々とした姿のななきさんはさすがにオーラが違っていた。

 どくどくと心臓の音が聞こえる。

 やがて、


「よーい、スタート!」


 合図の音が鳴り、走者が一斉に陸上競技場を駆け出す!

 まさにバッファローの群れを目の前にしているような状態だ。絶えず地鳴りが響き、わたしたちは興奮した。


「ななきさーん!」


 声を張り上げて、ななきさんを応援する。彼女は好スタートを切り、先頭ランナーに喰らい付いていた。ちなみに、トップを走っているのは、短いシャツとパンツであるジョギングウェアを着た青年。なんと、仮装もパンダメイクもしていないガチ勢だった。


「……トップは超本気みたいね。これは、強敵かしら」

「それでも、諦めることは許されないよ!」


 冷静に状況を見定めているプリンに対し、TAZUが声を大にして言った。


「アタシたちはこの日のために特訓を繰り返した。もともと鍛えていたアタシはともかく、アンタたちの足もたくましくなったでしょ? この経験を大事にして、最後まで走り抜くのよ!」

「ああ、そうだぜプリン。仲間を信じて、タスキを繋ぐ!」

「あはは。なんだか、青春爆発って感じだねっ!」

「……がんばろう。みんな」


 アンカーを任されているみらいちゃんもしっかりとななきさんの雄姿を見つめる。わたしの脳裏には、押し入れで怯えるみらいちゃんを一刀両断したななきさんの姿が浮かんだ。たぶんだけど、これもまた「陰陽五行説」の効果かもしれない。「金剋木」――みらいちゃんはななきさんには弱いのだから。


 その後、ななきさんはコースを四周近く走り、いよいよタスキを渡すときとなった。

 先頭ランナーを追い抜けなかったものの、好ペースを維持し、ななきさんからTAZUへとタスキが渡される。


「頼んだぞ、TAZU」

「さーて、いっちょ追い抜いてやりますかっ!」


 そう意気込み、タスキを受け取ったTAZUが陸上競技場を駆け抜ける!

 ダンスの申し子が体を躍動させ、まさに踊るように軽快な走りを見せつけた。観客席からは彼女を称賛する声や口笛が鳴り響く。


「うーん、追い抜けなかったよっ。メンゴ。それじゃ、さら、よろしくっ!」


 が、結局のところトップに躍り出ることはなく、さらちゃんへとタスキを繋ぐことになってしまった。


「まかせてっ。仇はとるよ!」


 笑顔を絶やさず、泳ぐようなフォームでさらちゃんが駆ける!


「とれなかったー!」


 しかし、やっぱり先頭には追い付けず、タスキはえぐみに。


「よっしゃ、オレの本気、見てろよ!」


 なお、えぐみも全力疾走で健闘したものの、我らがファンキーズは上位に陣取ることで精いっぱいだった。

 さて、次のランナーはわたしだ。


「ゆめみ! 頼んだぞ!」

「うんっ!」


 いよいよ出番だ。衣装を着てのマラソン。わたしは精一杯、陸上競技場を走った。リズミカルに腕を振り、姿勢を崩さず、的確に足を動かす。チアのときの経験も、ダンスレッスンの時間もこの瞬間に活かし、力に変える。


「くおおおおっ!」


 口元が震えるほど歯を食い縛り、ひたすら走る。このタスキは五十グラムもない軽さだけれど、みんなの思いが詰まっている。その重みを感じながら、大地を踏み締め蹴り飛ばす!

 だけど、やっぱり先頭には立てない。わたしはガチ勢の背中を見つめたまま、第六走者であるプリンにタスキを託すことになってしまった。


「プリン、ガンバ!」

「ゆめみ、あなたの熱い思い、無駄にはしないわ」


 長い長い髪の毛を鯉のぼりのように揺らしながら、歌女が走り始めた。胸を弾ませ、青色の衣装がトラックに映える。苦しい表情も見せず、凛々しく美しいそのスタイルに、わたしの胸も思わず跳ねた。


「プリーン! がんばって!」


 わたしの声援を受けて、プリンが加速する!

 ということはなく……。


「……あれ?」


 プリンのスピードが徐々に落ちて行き、その隣をコスプレ姿の参加者たちが華麗に駆け抜けていく。


「あちゃー、やっぱり走るの苦手みたいだぜ」

「プリーン! ファイト! フレフレ、プリン!」


 それでもわたしはプリンを励まし続けた。やがて彼女はペースを維持し、そこからは誰にも追い抜かれることなく、担当コースを完走。


「ごめんなさい。不甲斐ない結果ね。だけど、私は信じているわ、みらいの力を。あなたの走りを見せてちょうだい」

「うん……」


 プリンがタスキをアンカーであるみらいちゃんへと渡した。


「みらいは逃げない。だけど、止まることもない!」


 タスキを掛け、表情を引き締めると、みらいちゃんは雷になった。

 それは比喩でもデタラメでもない。本当に、雷を纏って陸上競技場を駆け抜けたのだ。


「おおっ、あの子、やるね!」

「速すぎて、雷みたいなのが見えるけど、気のせいだよね?」


 観客席がざわつく。早くもみらいちゃんは注目されることになった。


「……みらいの本気、みんなの心に届いたようね」


 全身汗だくのプリンがタオルで体を拭きながら、この光景を目に焼き付ける。わたしは彼女にスポーツドリンクを飲ませながら頷いた。


「まさに、電撃級の衝撃だね」

「これなら行けるぜ、みらい、ぶっちぎれ! 追い付け、追い越せ、シビれさせろ!」

「はは。さすがにそれは反則だよえぐみちゃん」


 全速力で走り抜け、みらいちゃんは次々と他の参加者を抜いていく。その荒々しい姿はまさにあやかし。ミズガミナリの本能が漏れているかのようだった。


 一周、二周、三周、四周、五周――

 三十分、一時間、一時間三十分――


 ペースを落とすことなく、みらいちゃんは走り続け――

 そして――

 わたしたちが見守る中、トップランナーであるガチ勢チームを追い抜いたのだった!


「やったぜ、みらい!」


 その瞬間のガチ勢チームの青年の驚く顔が印象に残った。無理もない。今までトップを独走していたのに、自分よりも小柄な少女。それもアイドル衣装の子に追い抜かれたのだから。

 やがて、みらいちゃんは二十キロ以上を走り切り――

 その小さな胸でゴールテープを切ることに成功するのだった。

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