ささやかな交響組曲

「和歌山には多くの滝があります。最も有名なのは落差133メートルが日本一の那智の滝。その荘厳な姿はまさに神のようで、僕も父に連れられあの滝を見ていました。他にも、有田川上流の金剛の滝、高野山の五光の滝などがありますね」

「はあ……はあ……」


 くたくたになって近くの岩に座り込んだわたしに向かって鬼屋敷さんが解説する。その溢れる言葉の数々はまさに飛沫を上げる滝のようで、わたしの頭に涼しく知識を注いでいく。

 心地良い薫風が漂うこの空間。霞みそうになる目にはしっかりと、岩場から滑り落ちる水が映っていた。


 ここが「歌わずの滝」だ。

 わたしたちヤタガラスエンタテイメントは、ついに和歌山の秘境に辿り着いたのだ。はたして、鬼屋敷探検隊はここで幻のあやかし歌女と出会うことができるのだろうか!


「それで、歌わずの滝はどのくらい有名なんですか」

「下から数えて一番目ですね」

「ドマイナーすぎる!」

「僕もこう見えて感動しています。水害などの影響で滝が無くなっているかもしれないと言われていたので」

「……確証もないのにわたしたちを連れてきたんですか……」


 わたしは重い息を吐いた。


「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、だな」


 ななきさんが言うとシャレにならないんですが。


「けど、オレたちまだ何も成していないぜ。歌女に会わないとな」

「そうだよ。どこにいるのかな、歌女さーん! 出ておいでー!」


 さらちゃんの叫ぶ声が山々へ響き、だんだん小さくなっていく。


「……引き籠っていたいんじゃないの……。みらいみたいに……」

「やはり滝壺の中か。なら、ワシが探して来よう」


 宣言して間もなく、ななきさんは滝壺の中へとダイブした。さっきからアイドルとは思えないほど行動力に溢れていてたいへん羨ましい。

 しかし、一分も経たないうちに――


「…………」


 ざばっと滝壺から飛び出し、神妙な顔をしてコサメ小女郎は帰ってきた。


「ななきさん。その様子だと……」

「ああ。あちこち泳いで探したが、歌女なるあやかしは確認できなかった」

「おいおい。それじゃあ、オレたちは無駄足だったのか?」

「そんなー。会いたかったなぁ、歌女さん……」


 落胆の色を濃くして、目に涙を浮かべるさらちゃん。

 言い伝えは所詮言い伝えだったのだろうか。

 わたしはぎゅっと手を握った。汗が顔から落ちて、太ももを滑っていく。

 でも――

 わたしだって、あの山道をなんとか歩いてここまで来たんだ。このまま帰りたくはない。

 じっと白い布のような滝を見つめると、記憶の蓋が開いた、鬼屋敷さんの言葉を思い出したのだ。


〝――和歌山の本宮の武住谷上流に『歌わずの滝』というのがあります。その付近で歌うと滝の中から若い女が現れ、滝の淵に引き込むと言われています〟


 頭の中で着想の光が迸った。


「そうだ。歌だよ、みんな! ここで、言い伝えを再現すれば、歌女が現れるかもしれない!」


 ぱあっと希望の花を咲かせて、みんなに言い聞かせる。


「ナイスですよ、ゆめみさん!」


 鬼屋敷さんがサムズアップ。ここまで案内してくれた鬼屋敷さんのためにもがんばらなきゃ。


「歌! そうだね、ゆめみちゃん! うちらはアイドルだもん! ここが腕の……ううん、口の見せどころ!」

「試してみる価値はあるってか。いいぜ、ゆめみ」

「……それで、何を歌う? ワシの知っている歌なら嬉しいが」

「ええと……とりあえず楽しげなやつ?」


 わたしは彼女たちと相談して歌を決めた。即興の打ち合わせを終え、わたしたちは滝に向かって並び立つ。


『おかを こえ ゆこうよ くちぶえ ふきつつ』


 声が重なり歌になる。

 さらちゃんの無邪気な声。

 えぐみのアルトな声。

 ななきさんの鋭い声。

 みらいちゃんのか細い声。

 そしてわたしの、ハツラツな声。


『そらは すみ あおぞら まきばを さして』


 これがわたしたちの初めての合唱。

 祈りと願いを込め、まだ見ぬ仲間へと歌を届ける。

 精一杯、がむしゃらに、だけど未来を信じてわたしたちは歌い続ける。


『うたおう ほがらかに』

『ともに てをとり』

『ラララ ララ ララ ララ』


 こうして歌い続けているときだった。

 わたしたちが目にしている歌わずの滝に変化が現れたのだ。


 ほんの一瞬だけ風が止み、空気が顔に貼りつく。

 滝壺に波紋が浮かんだ。同心円状にゆらゆらと。それが伝説の始まりの合図だった。


「熊野路を」


 歌が――


「ものうき旅と」


 歌が聞こえた。


「おもふなよ」


 とても清らかで、心を冷やすような歌声。


「死出の山路で」


 聞いているだけで永遠に眠っていたくなるような心地良さ。


「思ひしらせん」


 これが、の「歌」!

 滝壺の中から、まさにステージの真ん中からセリで登場する歌手のように「歌女」は現れた。

 息を呑む。

 人形のように均整の取れた目鼻立ち。

 すらりと細く長い手と足。

 白い肌は陽光で輝き、陶器のようだ。

 色素のない髪は足元まで伸びており、水面に浮かんでいた。

 身に纏っているのは、巡礼者が着るような白衣。ぴったりと体に貼り付いており、豊満な胸の持ち主だとはっきりわかる。


 綺麗だ。


 わたしは彼女に見惚れていた。その完璧な容姿は街中を歩けば百人中百人が振り返るに違いない。


 歌女――彼女は水面を優雅に歩くと、わたしの目の前で止まった。

 細く秀でた眉に、透き通った瞳。そして長い睫。瞬きをせず、その美貌をしっかりと見つめる。


「……私を呼んだのは、あなたたちね」


 桃のように甘い息を吐きながら、歌女が言った。その声も、天上のハープの音色のようだった。彼女は完璧だ。


「ねえ、今は昭和何年かしら?」

「え……。もう令和だけど……」

「レイワ……? そう。昭和はもう終わったのね」


 氷のような表情で歌女は呟く。昭和どころか平成も終わってますけど。でも、それだけ彼女が世間から切り離されているという証拠なのだろう。

 歌女は透徹した眼差しで、わたしたちの顔を見つめる。


「ずいぶんと賑やかな子たち。あなたたち、人間じゃないわね」

「……わたしは人間だけど……」


 反射的にそう答えると、歌女は不思議そうな顔。


「そう? 私と似た力を感じるわ」

「…………」


 どうやら、彼女もわたしを普通の人間だと思っていないようだ。


「まあいいわ。それで、私に何の用かしら?」

「失礼、僕はこういう者です」


 歌女を前にしてもビジネスモードで鬼屋敷さんは名刺を差し出す。


「ヤタガラスエンタテイメント……やしきたかじん……?」

「いえ、きやしきたかしです」

「冗談よ、鬼屋敷」


 鬼屋敷さんはこほんと空咳して本題に入った。


「和歌山再生計画……この和歌山を盛り上げるために、アイドルグループを結成したいのです。そして、歌女さんにはぜひともメインボーカルを務めてほしいのです」

「アイドル……。それって、スパーク3人娘のようなものかしら」

「……えっ、なんですか、それ」


 あとでググっておこう。っていうかこのあやかし、昭和もアイドルも知っていたし、何十年か前に滝の外に出ていたんだろうか。


「ねえねえ、歌女さん! うちたちと一緒にがんばろうよ~」

「おヌシの力が必要なのだ」


 ヤタガラスエンタテイメントの仲間たちの声を受け、歌女はその美貌を神妙なものにする。どう答えようか考えているのだろう。

 ほんの数秒後、その黒曜石のような瞳にわたしのきょとんとした顔が映り込んだ。


「あなた、歌って何だと思う?」


 そよ風が吹くような自然な問いかけだった。どくんと胸が打つ。


「歌……」

「そう。アイドルの武器である歌よ……」


 予感がした。歌女はわたしを試している。返答次第で全てが決まる。そんな気がした。

 彼女は歌に関するあやかし。プロと言っても問題ない。

 だから、答えは慎重に考えなければならない。


 歌。

 アイドルに欠かせない歌――

 合唱コンクールにカラオケと、この人生の中で何度もわたしは歌ってきた。

 そして、高校時代は野球場でチアになって、声援とともに歌を送った。

 思い出す。あの熱い日々を。

 少しでも選手が活躍できるように、力になるように。

 祈りを込めて、お腹の底から声を出して歌った。

 歌が届いて選手がヒットを出したときは、身が震えるほど嬉しかった。

 空振りをしてしまったときは、声援が足りなかったのかと自分を戒めたこともあった。

 それでも、自分は無力じゃないと実感ができた充実の時間。

 アイドルとてそれは同じ。

 聞く人に喜びを、活力を与えるために。

 聞く人の世界に彩りを与えるために、身を削って活動しているはずだ。


「歌は、愛。歌えば愛の力は大きくなって、力と誇りを与えてくれる」


 わたしは胸に手を置いて、歌女に訴えるように言った。


「春の喜びのように心を満たしてくれるのが、歌なんだ」


 その矢のような言葉を受け、ほんの少し歌女の顔が和らいだ。


「……あなたは歌の力を信じているようね。面白いわ」


 仮面のような表情が微笑に変わる。この人、笑う顔も綺麗だ。少し、哀愁さえ感じさせるけれど。

 なんて、思った直後――


「なら、どんな状況でも歌える覚悟はあるかしら?」

「え……?」


 ヤゴがオタマジャクシを食べるように一瞬だった。

 歌女の細い腕がわたしの体を抱き締め、バックステップ。


「ゆめみ!」


 ヤタガラスエンタテイメントの仲間たちがわたしの名前を呼んだのがわかったときには、体は滝壺の水面にあった。ぶわっと全身の毛が逆立ったが、それらはすぐに濡れてしまった。


「ぶ、ぶわっ! な、何を!」

「私は歌女。歌を歌った人を、滝壺に引き込むあやかしだからよ」

「ええっ?」


 わたしの体が歌女とともに沈んでいく。これこそが歌女の本性!

 やはり、人に危害を加えてこそあやかしなんだ!

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