第一章 情熱をなくさないで―歌わずの滝に歌は響く―

熊野の風

 緑、緑、緑。たまに青。

 山々に囲まれた国道の中を、一台のバンが走る。

 ここは国道311号線。和歌山の真ん中を横切る国道だ。

 バンの助手席で頬杖をつき、あくびをしながらわたしはこうなった経緯を思い出していた。鬼屋敷さんから、メインボーカルを務めるあやかしの名を聞いたときのことだ。



「……うた、おんな? なんですか、それ」


 鬼屋敷さんから聞いたその名に、わたしは目を小さくして口をあんぐりと開けた。

 そのまんまなネーミングだ。いや、あやかしと言うのはわかりやすい名前ばかりなのだが。


「あれ、知りませんでしたか? 歌女」


 鬼屋敷さんはわたしの反応が気に入らなかったのか、微妙な表情を見せた。


「初耳です」


 そもそも、カシャンボやこんにゃく坊すら知らないわたしが、そんなあやかしを知っているはずがない。鬼屋敷さんはこほんと息を吐いたあと、さらちゃんたちを紹介したときと同じようなあやかし知識を披露した。


「和歌山の本宮の武住谷たけすみだに上流に『歌わずの滝』というのがあります。その付近で歌うと滝の中から若い女が現れ、滝の淵に引き込むと言われています。この女こそ、歌女。和歌山で一番歌の逸話がある女性。つまりは、メインボーカルにもっともふさわしいあやかしなのです!」

「って、滝に引き込む? めちゃくちゃ凶暴なあやかしじゃないですか!」


 もっと歌を愛するあやかしかと思っていたけど、恐怖度は五段階評価で五だ。


「そもそも、歌女さんって今の話を聞いた限りまったく歌っていないんですけど」

「ええ。歌女の正体は、かつて巡礼していた人間。歌を歌いながら滝壺に身を投げたことから、歌女へと生まれ変わったのだと言われています。そして、歌を歌うと命を狙われるので、その滝が『歌わずの滝』と名付けられたんですよ」

「……そうですか」

「あやかしとなった経緯はどうあれ、歌を愛するあやかしには間違いありません。ですから、スカウトに行きますよ、ゆめみさん!」

「ええ……」



 …………。

 そういうこともあり、わたしはヤタガラスエンタテイメントに入所して早々、鬼屋敷さんたちと一緒に和歌山を横断し、歌女の元へと向かっているのだ。

 ちなみに、実家の両親には鬼屋敷さんのお宅でお世話になることは連絡済み。「ゆめみの夢だったんだから、好きにしなよ」と快く送り出してくれた。


「ここが本宮なんだ」


 山々を見つめながら、わたしは呟いた。ビルどころか民家も見つからない道をバンは走っている。


 和歌山県田辺市。それは和歌山県の南部にある街だ。平成の大合併を経て和歌山でも最大の広さを誇る街へと急成長。都市部は海岸沿いにあり、他は山、山、山。その中の地域に本宮がある。本宮は熊野三山の一つ本宮大社があることで有名だ。


「青いなぁ」


 空はあの世に繋がっているかのように煌めいていて綺麗だった。


「あはは! ゆめみちゃん、だーれだ!」


 空を見上げていると、後ろの席から伸びた手がわたしの目を隠した。


「……さらちゃんしかいないよ!」


 手を避けて、わたしは後ろの席の少女に向かって口を窄める。


「あはは! あたり~!」


 ムードメーカーなカシャンボさらちゃんの隣の席にはえぐみが。最後部席にはななきさんとダンボール箱が座っている。もちろん、段ボール箱の中にはみかんではなくみらいちゃんが隠れている。今回の遠征には留守番希望だったけど、所属アイドルを歌女に全員見せたいと鬼屋敷さんが主張し、無理矢理連れていくことにしたのだ。


「ねえねえ、ゆめみちゃんはこの辺りに来たことがあるの?」

「うーん、わたしはあんまり和歌山の南の方へは来たことがないんだ」


 そもそも、行く理由もあまりない。

 確かに和歌山南部には観光地がいっぱいあるけれど、和歌山の生まれだからいつでも行けると思っていたし。


「えっと、さらちゃんとえぐみはこの辺り出身だっけ?」

「そうそう。だから、山の中で迷ったり、川の中で溺れたりしたらうちを頼りにしてね!」


 白い歯をとても眩しくしてさらちゃんが言った。いやいや、なんで危険な目に遭うこと前提なの。だけど、河童の一種のカシャンボだけあって、さらちゃんは泳ぎが得意そうだ。


「この近くには温泉もあるからな。もし山の中で泥だらけになったら、温泉に入ろうぜ」

「……どうか穏やかに事が進みますように……」


 わたしは手を合わせ、そう祈った。

 すると、バンは山に囲まれた道から長いトンネルの中へと吸い込まれていく。とても長い長いトンネル。大瀬トンネルというらしい。トンネルを抜けるとそこは雪国だったという名文があるように、異界に通じているかのような雰囲気が漂っている。

 そして――七百メートルもある大瀬トンネルを抜け、夏の陽光がわたしたちを照らした。

 眼が眩むような光に「うっ」と声を漏らしていると、鬼屋敷さんはすぐ近くで車を止めた。


「さて、ここからは歩きです」


 にこっと笑い、鬼屋敷さんはシートベルトを外す。


「ここから歌女のいる滝を目指すのだな、鬼屋敷P」

「そうですよ、ななきさん。山道ですから、くれぐれも足を挫かないように」

「おーい、着いたぞみらい! いい加減隠れるのやめろよ」


 えぐみがひょいとダンボール箱を持ち上げると、コタツの中で丸くなっている猫のような姿のみらいちゃんが現れ「ひゃあっ」と声を出し、雷撃を飛ばす。


「うう……外、眩しい……」

「オレはお前の雷のほうが眩しいと思うけどな。ほれ、行くぞ」


 駄々をこねる子供のような泣き顔のみらいちゃんを抱えて、えぐみが外へと出た。

 愉快な仲間たちに頬を緩ませたり冷や汗を流したりしながらも、わたしも大自然の中へと降り立つ。空気は新鮮だし、近くを流れる川のせせらぎも心地良く耳に残る。爽やかな香りを運ぶ風が吹き、葉が重なる音も交響曲のようだ。

 だが、そんなイメージをぶち壊すかのように――


「さ、こちらですよ」


 鬼屋敷さんが指差したのは……悪路だった。


「え……これが、歌女のいる滝への道ですか?」


 登山道や遊歩道といった言葉とは無関係だと主張するかのように、道は整備されておらず、石や岩がごろごろしている。薄暗く、凸凹で、醜い道だ。 


「通る人がいなくなって、こうなっちまったんだろうな。ま、オレもこういった道には慣れてる。行くぞ、ゆめみ」


 スニーカーを履いたえぐみがひょいひょいと岩を踏み、山の中へと入っていく。小脇にみらいちゃんを抱えたままだ。


「待ってよ、えぐみちゃん! あはは! アスレチックみたいで楽しいね!」

「これも修行の一環と思えば苦ではあるまい、ゆめみよ。アイドルとは歌だけではなく、踊るための足腰も武器だと聞く。この道を歩むことは決して無駄な経験ではないはずだ」


 ぽんとわたしの肩に手を置き、ななきさんが励ましてくれた。そんな彼女が履いているのは、靴ですらなくわらじ。古風にもほどがあると思う。


「これもわたしたちのため……がんばれ、がんばれ西川ゆめみ!」


 叱咤するように自分で自分を応援し、覚悟を決めたわたしは彼女たちに続いて山へと進んで行った。


 とはいえ――


「ううっ……疲れる……」


 山の中に入って十分も経たずわたしは疲労困憊となってしまった。

 進めば進むほど体が上下に揺れ、膝が熱くなり、汗も滝のように流れる。心臓はばくばくと唸り、メルトダウン寸前だ。これだけ苦労して、歌女がいなかったら、わたしは鬼屋敷さんを幻滅する。


「大丈夫ですか、ゆめみさん」

「鬼屋敷さん……」


 わたしの顔色を伺った鬼屋敷さんはとても涼しげな顔をしていた。アイドルの体調管理も鬼屋敷さんの仕事のうち。疲れ切ったわたしをおぶってくれたりするだろうかと思っていると、


「和歌山特産の梅ジュースです。これを飲めば元気になりますよ」

「あ、ありがとうございます……」


 ペットボトルで冷やされていた梅ジュースをもらった。ありがたくいただくと、体に活力が満ちた気がする。うーん、飴と鞭。

 そうしてしばらく悪路を進んでいたときだった。


「わー。とうせんぼしてるよー」


 目を皿のようにしたカシャンボが感嘆の息を吐く。

 わたしたちの目の前には、折り重なるように木が倒れ込み、道を塞いでいたのだ。


「これは……おそらく、かつての台風や水害で倒れた木ですね」


 さすがの鬼屋敷さんも厳しい顔をする。


「これじゃ進めない……」とわたしがへなへなとその場に座り込んだときだった。


「自然がワシらを拒むのなら、自然から生まれたワシらが打ち砕くまで」


 悠然とななきさんが倒木へ向かって歩き出した。


「ななきさん。この木をどうかできるんですか?」


 まさかななきさんは怪力の持ち主で、この倒木を持ち上げることができるのだろうか。


「ああ、ワシはコサメ小女郎だからな。任せろ」


 コサメ小女郎だから?

 どういうことかわからず、ただ茫洋とした目を向けるしかない。

 すると、ななきさんはカッと目を開いたあと、


「ハアアッ!」

「ぎょぎょっ!」


 吃驚仰天。口の中からボロッと刃物を吐き出したのだ。

 痛くないのだろうとか、口の中はどうなっているのだろうとか、様々な疑問が浮かぶが、彼女はあやかしなので大丈夫なんだろう。たぶん。

 ななきさんが慣れた手つきで刃物を握り締める。よく見るとそれは林業や狩猟で使われるような鉈だ。ななきさんはそれを正眼に構えたあと、


「アイドルとは、道を切り開くことと見つけたり!」


 豪快に振り下ろす!


 すると、轟音とともに道を塞いでいた木がばっくりと割れたのだ。


「わー! ななきさんすごーい!」


 さらちゃんたちの拍手や口笛が鳴り響き、まるで祭囃子のように聞こえた。


「さあ、これで進めるぞ」


 ななきさんは平然と鉈を飲み込むと、そのままてくてくと歩き出す。


「……鬼屋敷さん」

「はい。解説しましょうか?」

「お願いします」


 救いを求めるようにわたしが呼びかけると、AIのような反応速度で鬼屋敷さんが返事をしてくれた。


「ななきさん……コサメ小女郎は人を誘惑して食べたあやかしという話はしましたね」

「ええ……」

「その食べられたという人は、木こりだったのです。龍神村の言い伝えでは、コサメ小女郎は小四郎という男に、『七年飼い続けた鴨には敵わない』と漏らしたため、オエガウラ淵に鴨が放たれました。すると、目を抉られたコサメが浮かんだというのです。これがコサメ小女郎の正体で、腹を割くと七本もの鉈が見つかったそうです」

「なるほど。だから鉈を口から出せるんですね」


 って。

 なんだそりゃ。和歌山のあやかし、わけがわからない……。


 ふと、鬼屋敷さんの話を反芻してからわたしははっとして声をあげた。


「でも鬼屋敷さん。今の話だとななきさん、死んでませんか?」

「そこはあやかしですから。いろいろな想念を糧として、現代に蘇ることは造作でもありません」


 敏腕執事のようにすらすらと答えてくれる鬼屋敷さんであった。


「はあ……?」

「考えすぎると、お腹が空きますよ。さ、行きましょう」


 ななきさんの力で道を突破できたわたしは鬼屋敷さんに導かれ、再び悪路を進むのだった。

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