君がENERGY~引き込まれる思い~

「がばっ……」

 必死にもがいて拘束を解こうとしても無駄だった。歌女の腕は知恵の輪のようにがっしりとわたしに絡まってしまっている。思考は黒く塗り潰されようとしていた。まるで、上映寸前の映画館のように。


 脳裏に様々な情景が浮かび上がる。

 あの球場での日々。汗を流して、ポンポンを振って、足を上げた熱闘の日々。

 これは走馬灯? いや、生きるためのヒントだ!


「メロディーを歌おう できるだけシンプルに」


 不思議だった。自然と口が動き、言葉が発せられ、それはメロディーになっていた。


 これは小学校のときの教科書に載っている、外国の歌を訳したものだ。

 わたしはこんな絶体絶命の状況でも歌っていた。

 誰のためかと聞かれたら、わたしのためでもあり、歌女のためと答えよう。

 何のためかと聞かれたら、生きるためであり、生きている証だからと答えよう。

 どんな困難も乗り超えられるのが歌の力だと信じ、歌女に答えたのだから。

 わたしはそれを実践しなければならないのだ。


「いくつかの言葉と 心地良いハーモニーを」


 口の中に水が入っても、声にならなくても、わたしは歌い続けた。

 歌のあやかしである彼女に聞かせるように。その心へ近付くために!


「声高らかに」


 そのフレーズを絞り切るように歌ったとき。

 わたしの意識は暗い水の底に沈んでしまっていた。




 短いような、長いような暗い意識の中で――


「わっ!」


 びたん! っとわたしの体を大きく打つ音が響いた。 

 台風のときの雨戸のように閉ざされた瞼をこじ開ける。

 すると、目の前にはにししと可愛らしい笑窪を作る小柄な少女の姿があった。


「あはは! 起きた起きた! おはよう、ゆめみちゃん! もう夕方だけど!」

「さらちゃん……って、ここは……」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返し現状確認。

 茜色に染まる空に温い風が吹くここは、和歌山の大自然。

 歌わずの滝だ。


「そうだ、わたしは歌女に滝壺に引きずり込まれて……それから……」

「ええ。また陸へ戻したわ」


 そう答えたのは、白い髪が滝のように伸びた女の人だった。


「歌女……」

「おいしいわね、この梅ジュース」


 わたしを滝壺に引き込んだ張本人の歌女が、梅ジュースを飲みくつろいでいた。 その傍らにはにこにこと微笑む鬼屋敷さんの姿もあった。


「ああっ。起きましたか、ゆめみさん。体は大丈夫ですね」


 呼吸を整えてからわたしは訊いてみる。


「えと、すっごくリラックスしてピクニック気分なのはどういうことなのですか?」

「見てわからないのかしら。私は、あなたたちの力になると決めたのよ」


 すっと歌女がわたしに近付き、頬に触れた。水のように冷たい手。

 だけど、優しかった。歌女の本性を現したときと同じ手なのか疑わしいほどに。

 ……おっと。

 この仕草で、彼女の言葉を一瞬忘れてしまっていた。

 わたしたちの力になるということは、ヤタガラスエンタテイメントのアイドルグループの一員になるということ。

 つまりは、スカウトに成功したということだ。


「え、どうして……」

「ゆめみの歌に心意気が打たれたからだとさ。それにしても、えぐい演出だねえ」


 くいくいっと肘鉄を軽く浴びせながらえぐみが答えた。


「あなたは私に捕まっても、溺れ死にそうになっても歌い続けていた。アイドルとはどんなにつらいときでも歌を届けなければいけない。その覚悟が、あなたにはあった」

「どんなにつらいときでも……」


 また記憶が蘇る。

 球場で母校が追い込まれていたとき、諦めムードが漂っていたときのことだ。それでも、わたしたちは応援していた。歌を送っていた。あの状況を変えられると信じて。そして、信じ抜いた先で、白球が空を割ったのだ。


「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、だな」

「……その言葉、気に入っているんですかななきさん」


 頬を搔いていると、歌女はあざとく首を傾けてから、


「あなた、ゆめみと呼ばれていたわね。今後ともよろしく」


 手を差し出してくれた。


「あっはい! よろしく、歌女……さん……」


 そう答えてから、背中を虫が這うような気持ち悪さを覚える。


「ゆめみちゃん、固まってどうしたの? 呪われちゃったー?」

「えと。歌女を歌女さんって呼ぶのはどうかと思って。それって、犬を犬って呼ぶようなものだよね?」

「なるほど。他のみなさんのように固有の名前が必要と言うわけですね」


 鬼屋敷さんはわたしの言いたいことを理解してくれたようだ。


「……私に名前はないわ。ただ、歌女が出たぞと人が言うだけで」


 歌女は髪を一房掴むと、ぐりぐりと指に巻き付け始めた。

 そして、少しだけ空を映したように頬を赤らめる。


「でも……。あなたたちが不便だというのなら、私に名前を付けてもいいわ」

「名前……」


 歌女の名前……。ヤタガラスエンタテイメントの一員となるのだから、それはアイドルとしての芸名でもある。その命名権をまさかわたしたちに与えるとは。

 うーん。思いつかない。ペットに付ける名前なら、すぐに浮かぶのだけれど。


「なら、僕に任せてください。彼女に相応しい名前が浮かびました」


 ぱんっと柏手を打つかのように音を鳴らして鬼屋敷さんが歩み出た。


不歌滝うたわずのたきプリン……というのはどうでしょう」

「うたわずのたき、ぷりん?」


 わたしと歌女の声がユニゾンした。

 どう見ても日本人の彼女にプリンという名は不思議な響きだ。

 だけど、その分彼女の神秘性を高め、魅力的にも思えてしまう。


「プリン……確かに、アイドルっぽい名前ですね。お菓子みたいで、可愛らしくて、キャラクター感があって、プリンセスって意味も込められてそう!」


 ぱちぱちと拍手をすると、鬼屋敷さんは神妙な顔。


「いえ。プリンは『引き込む』を意味する英語『プル インpull in』を略したものです。滝に引き込む歌女ですからね」

「うわっ、こわっ」

「ですが、歌を聞く人を彼女の世界に引き込むという願いも込めているのですよ」

「私は気に入ったわ。プリン。私は不歌滝プリン……」


 歌女もとい不歌滝プリンは宝石を愛でるように、与えられた名前を何度も呟いていた。その顔はあどけない少女そのものであり、まさにアイドルの原石のようだ。


「プリン、かあ……」


 わたしが彼女の名前を呟くと、プリンが小さく微笑む。その愛らしさにわたしの胸がきゅんっと鳴った気がした。


 こうして、わたしたちは、メインボーカルを加えることに成功した。

 わたしにとってもかけがえのない存在――不歌滝プリン。

 この強力な追い風を受けて、ヤタガラスエンタテイメントはさらに羽ばたくのだった。

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