つれもて湯ートピア

 天には絢爛たる星の海。

 地には重奏たる虫の音。

 大自然の恩恵をこれでもかと受けながら、わたしは湯船に体を浸かっていた。

 ここは和歌山県田辺市本宮町の渡瀬温泉。歌女ことプリンがいた歌わずの滝から東の熊野川方面へほんの少し車を走らせただけで着くことができる温泉郷だ。わたしたちは無事にプリンを勧誘できたので、歓迎会も兼ねて渡瀬温泉の宿で一泊することになったのである。もちろん、お金は全部太っ腹な鬼屋敷さんが出してくれた。


「ふうう……極楽極楽……」


 ぽかぽかの天然温泉に身を委ね、月並みな言葉が自然と漏れた。今日一日の疲れが全て吹っ飛ぶ心地良さ。体を張った甲斐があったというものだ。

 広大な露天温泉の中には、もちろんヤタガラスエンタテイメントのメンバーがいた。


「あははー! たーのしー!」


 温泉をプールと勘違いしているのか泳いでいるのは、河童の一種であるカシャンボのさらちゃんだ。そんな彼女とは対照的に、瞑目して大人しくしているのはななきさんである。精神を統一し、心も温泉で癒している。そんな雰囲気があった。


「へへ。本当にお疲れさん、ゆめみ」


 彼女たちを眺めていると、えぐみがわたしの元へ身を寄せてきた。


「ありがと、えぐみ。この温泉はがんばったわたしへのご褒美みたいなものだよね」

「そうそう。この温泉はな、美肌効果があるらしいから、十分堪能するんだぞ」


 にっこり微笑むえぐみの肌はきらきらしていて、この温泉の効能を存分に物語っていた。

 よほど温泉が気持ちいのだろう。えぐみはリラックスすると、タコのようにふにゃふにゃになって、湯船に顎を浸け、少しずつ顔を沈めて……


「って、えぐみー! 沈んでる沈んでる!」

「んがっ? ああ、そうか。なんだか気持ちよくて……」


 沈没船のようになろうとしているえぐみの体を引き上げようとして、違和がわたしを襲った。


「え?」


 ぷるんっ。そんな音が聞こえそうなほど、えぐみの体から弾力性が生まれていたのだ。不思議に思って彼女の体を見れば、ぷるぷると震えている。


「えぐみ、体が……なんだか、すごく柔らかい……」


 彼女の体を引き摺り出して、近くの岩場に休ませる。


「ん? ああ、そうだ。オレはこんにゃく玉から生まれたこんにゃく坊だからなぁ」

「まさか……」

「灰汁を吸う以外にも、汗を大量に搔いたり、温泉に浸かったりすると、体が『こんにゃく』になるえぐい体質なんだ。面白いだろ?」


 つるつるしこしこのほっぺでそう言いながら、えぐみは両腕を絡め、ぐりぐりと動かした。まるでしめ縄のように何重にも絡まった腕にぎょっとする。


「こうなったらスーツケースにも入れるぜ。オレの持ちネタの一つだな」

「ええ、そんなアイドル、ニッチすぎるよ」

「さあて、肌も綺麗になったし、オレは先にあがらせてもらうぜ。じゃあな」


 ぺったんぺったん。そんな音を出しながら、えぐみは岩場を歩き、宿の中へと戻っていく。その奇妙な姿はまさにあやかしとしか言いようがない。


「ねーねー。みらいちゃん、うちが体洗ってあげるよー。引き籠ってばかりだから、汚れているでしょー?」


 泳いでいたさらちゃんが、桶で顔を隠しながら湯船に浸かっていたみらいちゃんに声をかける。


「ひっ……みらいに構わないでよぉ……」

「いーから、いーから!」


 天真爛漫かつ邪気豊満なさらちゃんが勢いよく桶を取り上げ、金髪の髪を晒させた。

 その瞬間、ぴりっと空気が緊張し――


「いやあああっ、恥ずかしいっ!」


 放電。小さな雷は温泉に放たれ、わたしの体も痺れてしまった。天然即席の電気風呂だ。


「あっ……うっ!」


 さらちゃんの悪戯とみらいちゃんの放電のコンボだったが、これはこれで刺激になって気持ちがよかった。またまた表情が緩み、目を閉じれば雲に乗った天女が手招きしているような光景が浮かんだ。

 そうしていると、


「……愉快な子たちね」


 ハープの端の糸を弾いたような清らかな声が耳に届いた。

 まるで女神像のごとき神秘を宿し、温泉にプリンが現れたのだ。

 一糸纏わぬ裸身。光を浴びて肌理細やかな体がさらに煌めき、わたしの頬に熱がこもる。

「髪を纏めるのに時間がかかったわ」と本人が言うように、足元まで伸びた髪は全てまとめられ、頭の上でだんご三兄弟となっていた。


「プリンも愉快な子だと思うけれど……」

「ふふ。褒め言葉として受け取っておくわ」


 湯船に浸かると、プリンの美貌も骨身に染みたのかふにゃふにゃと柔らかくなった。艶めかしい白いうなじも露出しており、ものすごく色っぽい。


「これから本格的に私たちはアイドルへの道を進むわ。だけど、待っているのは十中八九過酷な道」

「過酷な道……」


 そう聞いて頭に浮かぶのは、歌わずの滝へと続いたあの悪路だ。


「私たちはあやかしだから……。何も起きない気がしない。だけど、この困難を乗り越えた先に、輝かしい未来があるのも確かよ」

「うん、そうだよね。決して何事にも屈しないのが、アイドルだと思う」

「そのためにも、歌の力を磨くのよ。私も、ゆめみも……」


 女性的な優しさに満ちた声で、自分自身にも言い聞かせるように重くプリンが言った。

 そして――


「メロディーを歌おう できるだけシンプルに」


 歌った。

 プリンに捕まったときにわたしが歌った歌を、彼女はより強く、美しい声音で歌い出したのだ。とても清らかで、厳格に満ちた声だ。わたしはすぐに、彼女の世界へ「引き込まれ」た。


「……私は人間だったとき、御詠歌を歌う巡礼者だった。仏に仕え、より功徳を説き、賛嘆を得るために歌の力を研ぎ澄ませていたのよ」


 そして、彼女はその口で自身の過去を語り始めた。その言葉の一つ一つに重みがあり、思いが込められているようだった。


「だけどその結果、私を巡って争いが起きた。血が流れ、人々は荒れた。それに耐えられなくなった私は、あの滝へと身を投げ、歌を封印した。私に会おうと歌を歌いに来た人たちには、残念だけど滝壺に引き込ませてもらったわ。そうして私はあやかし『歌女』として人々に恐れられるようになった」

「プリン……」

「……けれど、不思議ね。何年も、何十年も、何百年も経って……私の胸は燻り始めたわ。やっぱり私は……歌に未練があったの。黙っていたら、。それが、この私だった」


 プリンが妖艶な笑みを浮かべたので、どきっと胸が跳ねる。


「実を言うと、私だってアイドルを志したことがあった」

「え、そうなの?」

「……ときどきだけれど、私は滝から抜け出して、この温泉に遊びに来たときもあったの。そのとき、テレビで歌番組を見ていたわ。あなたたちから見れば、昭和のアイドルと言うのだけれど」


 意外と適応力のあるあやかしだ。


「……それで、どうなったの?」

「……とあるアイドルグループがマイクを置いて引退するのを見て……傷心してしまったわ。それで、滝に引き籠った。そうしたら、あっという間に時間が過ぎていた。滝への道も廃れ、私に会おうとする人もめっきり減ってしまったのだから」

「……プリンも一度は諦めていたんだね……アイドル」


 まったく意外だったが、彼女もわたしと同志。アイドルへの道を再び歩き出した者だったのだ。


「だけど、あなたの歌声が私を滝から引き摺り出してくれた。私の歌の力が現代でどれだけ通用するのか、試してみたい。その機会を与えてくれたあなたたちには感謝しているわ」

「こちらこそ。プリンの歌、頼りにしているよ!」

「試して悪かったわね。お詫びとしてはなんだけれど、体を洗ってあげるわ」


 プリンの優しく温かな手がわたしの肩を揉む。せっかくの温泉。プリンと仲良くするためにも、わたしは彼女の好意を受け取り、洗い場へと一緒に歩いて行く。


「……綺麗な満月ね」


 見上げる空で星々が煌めく。プリンの瞳も負けないように輝いていた。

 そう、わたしたちもアイドルとなり、輝かなければならないんだ。




 鉄板の上で焼かれる牛肉に茸に人参。船型の器に盛り付けられたぷりぷりの鮪。そして多種多様な山菜。

 この山と海の旬な食材が全員参戦した会席料理がわたしたちの夕食だった。


「いただきます!」


 さっそく箸で牛肉をつまみ、ぱくり。

 これは一か月に数頭しか出荷されない熊野牛だった。絶妙な焼き加減で、一口咥えただけで舌の上で肉がとろける。思わず笑顔になってしまう魅力的な味だった。ビバ☆熊野!

 和歌山の幸に舌鼓を打ち、温泉と合わせてわたしの心は完全に癒されようとしている。


「ヤタガラスエンタテイメントの大きな一歩です。みなさん、存分に味わってくださいよ」


 妙に似合っていて色っぽくなった浴衣姿の鬼屋敷さんがこの場の幹事と化していた。


「……で、鬼屋敷さん。次の一歩は何なんですか?」

「話は聞いたわ。『和歌山ドリームフェス』というのに、私たちは参加するのよね?」

「そうだぜ。いよいよ歌やダンスのレッスンを始めるのか?」


 えぐみと一緒に鬼屋敷さんに尋ねると、


「ええ。それらももちろんアイドルとして欠かせないものですが、まだ大事なことがあります」

「大事なこと?」

「人々があなたたちを調べられるように、公式サイトやSNSを準備中なんです。それに使う宣材写真を撮影するために、明日からは和歌山県内を巡ることとなります」

「わーい、楽しみっ。かわいく撮ってね、鬼屋敷さん!」

「はい。皆さんの撮影用の服も用意していますので、ご安心を」


 写真撮影か。ちょっと照れるけれど、わたしを前面に押し出すチャンスだ。

 それにしても……。


「公式サイトとかも作れるんですね、鬼屋敷さん。本当に、一人でなんでもできるなんてすごいですよ」

「いえ、作っているのは僕ではありませんよ、ゆめみさん」

「……じゃあ、どこかに依頼しているんですか?」

「ええ、彼女に」


 鬼屋敷さんの目線を辿ってみれば、部屋の隅で座布団を被りながら、タブレットを操作している少女の姿があった。


「え、みらいちゃん? まさか……」

「そのまさかですよ。彼女はネットに精通していまして、今までも引き籠っているように見えて作業していたんです」


 意外! なかなかわたしたちと交流したがらず、顔を隠してばかりのみらいちゃんにはネット社会を生き抜く力が備わっていたのだ。


「ああ、そうです。大事な話がまだ残っていました。皆さん、食べながらでいいので聞いてください」


 ぱんぱんっと引率の先生のように手を鳴らして、鬼屋敷さんは声を張り上げる。


「次は何だ、鬼屋敷P」と鮪の刺身を食べながらななきさんが目を研ぎ澄ませた。


「もちろん、あなたたちのグループ名です」


 ああ、そっか。確かにそれは大事だ。


「あーそっかー。あはは! 今まで全然気にしてなかったよー!」


 山菜料理を食べながらさらちゃんが笑えば、箸でこんにゃくを除けつつえぐみが尋ねた。


「で、肝心のグループ名は何に決まったんだ?」

「決まっていませんよ」


 あっけらかんとした顔で鬼屋敷さんが答える。プリンに名付けたときのように何か案があるかと思ったら本当に無いようだった。


「なので、みなさんで相談して決めてください。体の一部とも言える、自分たちのグループ名ですから、慎重に、納得できるように……」

「わたしたちで……か」


 その後、夕食を食べ終えると鬼屋敷さんは自分の部屋へと戻っていった。


 夜も更けてきたのでわたしたち六人は布団を敷き、就寝準備。まるで修学旅行みたいだけれど、一緒にいるのはクラスメイトではなくあやかし少女たちという大きな違いがあった。そして、布団に入った状態で始まるのは恋バナなどのガールズトーク……ではない。


「なあ、ゆめみ。グループ名、何にする?」


 暗い部屋の中で、天井の木目を眺めながら、わたしはえぐみに答えた。


「……うーん、それが全然思いつかなくて。プリンなら何がいいと思う?」

「そうね。『あやかしまし娘』というのはどうかしら。私たちはあやかしだから、ぴったりと思うわ」

「なるほど。いい案だと思わないか、みらい」

「……だめだよ、ななき……。昭和感がある……。それに、アイドルというか漫才グループみたい……」

「あはは! プリンちゃん、昭和! 昭和!」

「……なら、他のみんなにはいい案があるのかしら?」


 むっとした口調でプリンが聞くと、部屋に沈黙が下りた。


「…………ないのかしら?」


 明らかな怒気を感じた。びくっとしてわたしが言葉を紡ぐ。


「やっぱり、和歌山に関係する言葉が入ったほうが親しみやすかったりするのかな」

「なるほど。なら、『きのくに幕府』というのはどうだ、ゆめみ」

「アイドル感が完全に消えましたよ、ななきさん」

「むう。やはりワシも戦力外か」


 この後も、グループ名についてあーでもないこーでもないと話し続け、気がついたら全員口数も少なくなってしまった。


「しゃーねえ。まだまだ和歌山を移動するんだ。何か刺激を受けて、思いつくかもしれないぜ。だから、ほら。寝るぞ!」

「えー、枕投げはしないの? えぐみちゃん!」

「しない! そして、グッナイ!」


 えぐみがそう言って布団を被ったように、結局この夜のグループ名会議は終了となってしまった。

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