第二章 DANCING ANGEL―バズがたりないぜ―

君の街~ふるさと紀南

 山間に爽やかな日差しが注がれる絶好の撮影日和。

 わたしたちは渡瀬温泉の宿を出ると、そのまま熊野川に沿った国道168号線を進む。

 最初に訪れたのは、熊野三山の一つで知られる本宮大社だ。

 何十段もある階段をひいひい言いながら登り、辿り着いたのは檜皮葺の荘厳な社殿。立っているだけで身も心も清められそうな空気はまさに聖地。熊野の神様をわたしたちを見守っているんだろうか。


「ではここで、一人ずつ撮影していきましょう。まずはゆめみさんから」

「あっはい」


 カメラを手にした鬼屋敷さんと向かい合う。被写体であるこのわたしは当然、撮影用の衣装を鬼屋敷さんから借りていた。薄いオレンジのシャツにデニムパンツと、少し活発そうな印象を与える姿だ。


「でも、ポーズってどんなのを?」

「……両手をお腹の前に置いて、顎を引き微笑む……。いわゆる声優ポーズでやればいいと思うよ」


 意外なことにわたしの疑問に答えてくれたのはみらいちゃんだった。彼女の言葉を聞き、わたしたちは一人ずつ鬼屋敷さんが持つカメラを前にポーズを決めていく。


「私の服、似合っているかしら?」


 その最中、涼しげな顔をしているプリンに尋ねられた。今の彼女は巡礼服姿ではない。鬼屋敷さんが撮影用として提供した真っ新なワンピースに袖を通しており、さらにはレース付きのカットソーを羽織っている。これがまたまた見目麗しい姿で、宣材写真とは言わず個人的にブロマイドが欲しくなる姿だ。


「似合っているよ、プリン。夏の美少女って感じで!」


 プリンはほんの少し頬を赤らめたあと、「ありがとう、ゆめみ」と小さく口にするのだった。その表情も可愛らしくて、わたしの胸がきゅんと鳴った気がした。

 境内で参拝したあと、わたしたちはその足で次の場所大斎原へと向かう。

 本宮大社からそう離れていない大斎原には、巨大な鳥居がどんと構えられている。高さ33.9メートル、幅42メートルものある大鳥居はこの本宮のシンボルだそうだ。鬼屋敷さんの話によれば、もともとここに大社があったがかつての水害で流されてしまい高台に移設されたのだという。また、近年大斎原はパワースポットとしても注目され、若い女性たちが訪れているらしい。わたしたちが活躍すれば、もっと増えるかも……。

 青い空と白い雲を背景に、灰色の鳥居が立つ姿はインパクト大。わたしたち六人はそれを背中にして並んで立ち、撮影した。


「みなさん、いい画が撮れましたよ。さっそく、ツイッターにみなさんの写真をアップしましょう」


 ここで撮影された写真が全世界へと発信。わたしは鬼屋敷さんに教えられて、ツイッターにあるヤタガラスエンタテイメントの公式アカウントをチェックした。

 フォロー数は二十人程度。フォロワーも三十人程度のできたてほやほやアカウントのようだ。しかも相互になっているのは、紀州観光協会や和歌山のゆるキャラなど、地元に縁のあるアカウントばかり。それでも、わたしの写真が添付されたツイートは何人かにリツイートされ、拡散されていった。


「ところで鬼屋敷さんよぉ。オレたちあやかしなのに、神社で撮影していいのか?」

「いいんですよ。熊野の神は全てを受け入れてくれる寛大な神ですから」


 屈託のない笑みで答える鬼屋敷さん。援護攻撃をするかのようにプリンも湿った唇を拓く。


「それを言ったら、私だって元は仏に仕える身だったのよ、えぐみ」

「んー、よくわかんねえが、御利益はあるんだな」


 納得したようにけらけらと笑うえぐみ。けど、本宮大社を訪れて、何かしらの力が備わったような気がしたのは確かだ。


 鬼屋敷さんのバンに乗り込み、わたしたちは熊野川を左手に眺めながら国道を再び進む。

 エメラルドの水を湛えた雄大な熊野川にはウォータージェット船が上流へと向かっているのが見えた。他にも、カヌーを楽しんでいる人や、川で泳いだりバーベキューをしたりしている人も。

 大自然でのドライブを楽しんでいたのも束の間。トンネルを抜け、都市部に到着する。


 ここは和歌山県新宮市。三重県と隣接する、和歌山の端っこの街だ。ここにも熊野三山の一つ、速玉大社があることで知られている。

 また、神武天皇が大和へ侵入するために上陸したのがこの地であり、熊野の神々の使いである八咫烏に導かれたという。古事記にもそう書いてある。また、古代中国で不老不死の薬を求め旅立った徐福が訪れたのも新宮だ。それだけ、人を引き付ける何かがあるのかもしれない。


「新宮にも名勝はたくさんありますからね。宣材写真撮り放題ですよ」

「なんだか、観光に来ている気分ね」


 そう漏らしたプリンと同意見。


 さて。

 その後どうなったかというと、本当に観光気分を味わうこととなった。


「ではまずは、浮島の森で撮影ですね」

「浮島の森?」


 情報量の多い言葉だ。島なのか、森なのか。これがわからない。


「はい。国の天然記念物にも指定されている植物群落です。浮島は植物遺体由来の泥炭層が筏のように折り重なって構成されていて、その名の通りぷかぷかと水に浮いているんです」

「あっ、見えてきたよー! あれじゃないっ?」


 さらちゃんが指を差すと、市街地の中に忽然と森が現れた。きっと、浮島の森が貴重なのでこの周辺だけ大昔から保全されてきたのだろう。

 公園にもなっている駐車場にバンを停め、鬼屋敷さんは管理事務所の中へと入っていった。この浮島の森はさすがに誰でも自由に行けるわけではなく、入場料が必要らしい。


「では、森の中へ行きますよ、みなさん」


 すぐに鬼屋敷さんが戻り、わたしたちは浮島の森へと足を踏み入れた。

 ゆらゆら揺れる桟橋を渡り、様々な植物が生える浮島へ。鬼屋敷さんの話では、東西85メートル、南北60メートル、面積は約5000平方メートルもあるらしい。


「あはは! 本当に浮いているよ!」


 好奇心旺盛そうな瞳を輝かせたさらちゃん。浮島に着くや否や、大興奮して足踏みをし始めた。


「さら、遊びに来たわけじゃねえんだから、はしゃぐんじゃないぞ」

「そう言うえぐみも、なんだか嬉しそうだね」

「ま、オレもこんにゃく玉から生まれたあやかし。こう、昔から変わらない植物の姿を見ると、心が騒ぐっつーか、まあ、そんな感じだ」


 えぐみがにっと歯を剥き出しにして微笑むと、シャッター音が炸裂。


「いい笑顔でしたよ、えぐみさん。これは使えます」

「おっと、もう仕事が始まっていたぜ。ささ、がんばるぞ、ゆめみ」

「うん!」


 こうしてわたしたちは島の中を散策しながら、木々を背景に写真撮影を続けた。

 ドームのように覆われた木々から漏れる日差しが宝石のように地面で煌めく。和歌山にもこんな場所があったんだと、胸の中で感動が生まれた。

 移動している最中のことだった。


「これは何かしら?」


 島の中央辺りでプリンが足を止め、曲げた指を顎へと添える。


「なになに、蛇の穴じゃのがま?」


 プリンが見つめていたのは泥の一帯。だけど、その近くには蛇の穴という名前の看板が立っていたのだ。それによると、


「その昔おいのという名前の美女が、浮島で木を伐っていた父親に毎日弁当を届けていました。ある日、おいのが弁当を届け、父親と一緒に食べようとしていたところ、箸を忘れたのを思い出し、カシャバの枝で箸を作ろうと森の奥へと行きました。そのとき、おいのはこの穴から現れた大蛇に引きずり込まれてしまったのです」

「……この泥の中に引き摺り込むなんて、怖い話ね」


 どの口が言う。わたしはじとーっとプリンを睨んだ。


「おいの見たけりゃ 藺の沢いのどへござれ。おいの藺の沢の蛇の穴へ」

 プリンは看板に書かれていた歌を読んだ。初めて見た歌のはずなのに、昔から知っている子守唄のように歌い上げたのだ。かつて大蛇に連れ去られたというおいのの魂も、これで安らかになるだろうか。


「ん?」


 などと思っていると、蛇の穴に異変が起き始めた。泥の中からぽつぽつと、泡が出て来ては割れていくのだ。

 そして、ざばんと泥が飛沫を上げ――


「ぎょっ!」


 ものすごいデジャブがわたしを襲った。わたしの目の前には、大きな蛇が出現していたのだ! さらに驚いたことに、その蛇の頭の上には着物姿の女性が正座していた。

 この人、どう考えても只者じゃない。まさか……。


「ゆめみさん、プリンさん。どうかしましたか?」


 異変に気付いた鬼屋敷さんたちも、蛇の穴に集結。鬼屋敷さんは蛇と美女を目にすると、


「まさか、おいのさんですか?」


 そう叫んだ。


「妖気を感じて来てみれば……ふふ、面白い人たちがいますね。そうです。私はおいの。この蛇神様の妻でございます」

「えっ。やっぱり、この人がおいの……さん?」


 見たところごく普通の人。だけど、普通の人は大蛇に乗ったりはしない。

 たぶん、プリンと同じように人間からあやかしへと変質してしまったんだ……。


「まさか、こうしてお会いできるとは。失礼、僕はこういう者です」


 鬼屋敷さんは平静を取り戻すと、名刺を取り出しておいのさんに渡した。


「ヤタガラス……エンタテイメント……?」

「はい。この和歌山を大いに盛り上げるための、あやかしアイドルグループを活躍させる……その準備のためにこの浮島の森を訪れたのです」

「ま! 見れば、確かに魅力的な方々ばかり。私もあなたたちを応援させていただきますね」


 プリンに負けないくらいの美貌で笑顔を見せるおいのさん。


「おヌシ。出会ったばかりだというのに、信頼が厚いな」

「ええ。私が棲むこの浮島の森の保全には、お金が要りますから。和歌山が盛り上がれば、観光客も増え、入場料も潤うことでしょう。そのお金で、この森は未来へと生き続いていくのです」


 わりと現実的な理由でおいのさんはわたしたちを応援してくれた。


「私はもう人ではなく、蛇性を含んだあやかし。私の生きていた時代は遠い過去となりました。けれど、この浮島だけは私が生きた時代とほぼ変わらない姿をしているので、とても嬉しいんですよ。だから、私はこの浮島で生き続けたいのです」

「おいのさん……」


 彼女のこの地を思う気持ちの重さがずっしりと伝わった気がした。人であることを捨てても、ここがおいのさんの故郷であることには変わらないんだ。


「にしても驚いたぜ。こんな市街地の中にもあやかしがいたなんて」

「あはは! うちらは山里出身だもんね」

「そう珍しくありませんよ。この地には他にも、街中に溶け込んでいるあやかしがいますから」


 妖艶な笑みでそんなことを言われたのでぞっと背中に寒気が走る。


「……本当に和歌山って奇の国なんですね。あちこちにあやかしがいるなんて……」

「では、私はおいとまさせてもらいます。えっと……」


 優雅に微笑んだおいのさんだが、言葉を詰まらせてしまう。


「アイドルグループと言いましたが、名前は何と言うのかしら?」

「……すみません、考え中なんです」


 わたしはあははと照れ笑いを浮かべながら答えた。


「あら、そうでしたか。では、決まったら教えてくださいね。ごきげんよう」


 そう言うと、おいのさんは大蛇に乗ったままずぶずぶと沼の中へと沈んでいった。

 浮島の森には鳥の囀りだけが聞こえる。今起こったことはまるで夢だったかのようだ。


「応援してくれる彼女のためにも、グループ名を早く決めなければいけないわね」

「オレ、思いついたぜ。やっぱおいのさんみたいな伝説がたくさんあるんだからよ。『きのくにレジェンディア』ってのはどうだ?」

「……ださい……」

「んだと、みらい! ならお前も意見を言えっつーの!」


 和気藹々とする仲間たちの姿を見て、わたしも微笑んだ。

 わたしたちを応援してくれるおいのさんのためにも、もっとがんばらないと。

 心の中でそう決意し、浮島の森を後にするのだった。

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