YOU目を覚ませ

「プリン」


 眠っていた彼女にわたしは優しく名前を呼んだ。悪夢に魘されているような顔のプリンが瞼を開け、黒曜石のような目にわたしの姿を映す。目を何度か瞬かせたあと、


「ゆめみ、その格好は……?」


 今のわたしの衣装に困惑していたようだった。


「これが高校のときのわたしの姿。これで、わたしはみんなを――野球部のみんなを応援していたんだ」


 手に持っていた〝それ〟をひらひらと動かしながら、わたしはこの場で一回転。


「フレー、フレー! ってね」


 英字で書かれた母校の名前が特徴的なシャツを着て、太ももを大きく露出させるスカートを穿き、手にはポンポン。これがわたしの三種の神器。

 そう、チアの衣装を身に纏っていたのだ。


「どうしたの、急に……」

「もちろん! プリンを応援しに来たんだよ!」


 ポンポンを振り、その場で足踏みしてポーズを決め、ぱあっと笑顔の桜を咲かせる。もう二、三年振りに着た衣装だけど、やっぱりわたしの体には馴染んでいて着心地がよかった。


「……何か荷物を持っていたかと思えば、チアの衣装でしたか」


 部屋に駆け付けた鬼屋敷さんの驚く声が背中から聞こえた。


「プリン、元気を出して、一緒にがんばろう!」


 声を張り上げる。歌を歌っているときとはまた違う声色で、わたしはプリンにエールを送る。


「飛ばせプリン! グラウンド、狭し走り回れ! 今、あなたの力で、奇跡を呼び起こせ!」


 即興で考えた応援歌を歌いながら、わたしはポンポンを振って踊った。


「ゆめみちゃん、かっこいい! アイドルのときとは、また違う魅力を感じるよっ!」

「んー、でもよ。それ、野球じゃん?」


 えぐみが突っ込んだので、頬を赤くして歌い直す。


「歌えプリン! ステージ踊り舞い上がれ! 今、あなたの歌で、みんなを引き込め!」


 胸を熱くして、思いを込めて声を届ける。


「ゆめみ……」


 わたしの声を聞いて、プリンの目頭に熱が篭った。それがはっきりと感じられた。


「プリン! あなたはあなた! もう、巡礼者でもなく、ファンキーズの一員、メインボーカル! 生まれ変わったんだから、もっと自分に自信を持って! ヒバリマントの歌に負けないで!」

「ゆめみ……あなたも気付いたのね。あの女のこと……」


 唇を噛み締め、プリンが眉を顰めた。


「それに、プリンが言ったんだよ。わたしたちはあやかしだから何も起きない気がしない。この困難を乗り越えた先に、輝かしい未来があるって! このまま自分に負けたら、恥ずかしいでしょ!」

「……そうね。そうだったわね……」

「プリンの痛みはわたしが癒す! わたしも苦しんでもがいてあげる! だから、一緒に歌おう、踊ろう! 不歌滝プリン!」


 どんな暗闇をも照らすような声を届ける。プリンの心に光を灯すために、わたしは力を振り絞った。


「そう……私はもう、あやかしの歌女。不歌滝プリン……」


 プリンが布団を剥ぐと、膝をついて立ち上がろうとする。


「歌えプリン! ステージ踊り舞い上がれ! 今、あなたの歌で、みんなを引き込め!」


 わたしはプリンを応援した。生気に満ち満ちた笑顔のまま、何度も何度も応援した。


「プリンちゃん! がんばれー!」


 他のみんなも応援してくれて、わたしの勇気が、熱い思いが倍増する。


「滝の中からこの世界へ『引き込んで』くれたゆめみのためにも……歌をもっともっと届けなければならない……! 相手が神だろうと仏だろうと……!」


 生まれたばかりの馬のように足をぷるぷるさせながら、プリンは立ち上がる。


「私は諦めない。夢見ていた世界へ……!」


 プリンが立ち上がった。その声にも活力が戻っているように思えた。


「プリン!」


 強靭な意思の炎を灯し、プリンがふわりと長い髪をかき上げる。それは彼女がいた歌わずの滝を連想させる美しい姿だった。そんな彼女を、わたしは咄嗟に抱き締めた。


「ありがとう、ゆめみ。あなたの声が、わたしの闇に光を与えてくれた……。本当に、魔性の女よ」


 プリンもまた優しく抱擁。彼女の胸からは命の鼓動をしっかりと感じることができた。


「プリンちゃん! よかった、よかったよー!」

「ま、アタシはこれくらいでへこたれるような女とは思っていなかったわよ」


 そして、奇跡は終わらない。わたしたちの顔に温かな光が差し込んだ。

 さっきまで暴風雨で荒れ狂っていた空がドーナツのように穴を空け、そこから九月の太陽が顔を出していたのだ。


「急に晴れた……? 台風の目か?」

「いえ、ななきさん。まだ台風の中心ではないはずですよ」

「あはは。お日様もゆめみちゃんたちを応援しているのかも!」


 プリンが雲の隙間の青空を見つめ、わたしも涙の雨を止ませた。


「とても熱い……日差し……。まるで、ゆめみの心のようね」

「そうかな。でも、わたしもすっごく胸が熱い。球場での記憶が呼び覚まされちゃったかな……」


 でももう確信している。これが「火」の気を秘めたわたしのあやかしとしての力なんだ。

 活力を与え、奇跡を起こす力。今回だってプリンを立ち直らせることに成功した。


「……ゆめみさん。前から気になっていたのですが、『球場』と言うのは……」


 声をかけられ、わたしはプリンと一緒に鬼屋敷さんへ向き直した。


「え、もちろん『紀三井寺球場』ですよ」


 正式な名前は和歌山県営紀三井寺野球場。和歌山県民なら誰でも知っている、和歌山市の球場だ。高校野球の予選に使われ、優勝高校を甲子園へと送り出すまさに夢の舞台への入り口。それが紀三井寺球場。


「なるほど」


 何かに納得したように、鬼屋敷さんが呟いた。


「……それがどうかしたんですか、鬼屋敷さん」

「なんとなく見当が付いたのです。ゆめみさんが何のあやかしなのか……」

「……へ?」


 どういうことだろう。わけがわからない。紀三井寺球場が、わたしのあやかしとしての力と関係があるのだろうか? 見当も付かない。


「ゆめみさん……あなたは……」


 心臓がばくばくと唸る。熱く熱く燃え上がる。オーディションの合否の封筒を手にしたときと同じような緊張感に、わたしは眩暈を起こしそうになった。だけど、しっかりと聞かなければならない。やっと、謎だったわたしのあやかしとしての正体が明らかになるのだから――

 鬼屋敷さんは真剣な眼差しを向け、その名を呼んだ。



「『』です」



 瞬間、世界が凍り付いたかのように静かになった。熱くなっていたわたしの胸の絶対零度。宇宙空間に放り出されたような気分だ。

 わたしは一瞬だけプリンを見つめた。彼女は無言で首を傾げる。ああ、可愛いなこの顔。

 愛しい人よありがとう。ちょっとだけ冷静さを取り戻したゾ☆


 だから言おう。いつものように――


「なんですか、それ……」

「おそらく、紀三井寺球場に伝わる奇跡のあやかしです? たぶん、その名の通り、野球の試合などで劇的な展開を起こし、人々を熱くさせるあやかし? きっと、夏の風物詩とも言えると思います?」

「めっちゃくちゃ不明瞭な説明じゃないですか!」


 今まではっきり解説してくれていたのに、「紀三井寺球場の魔物?」に関してはふわふわしていた。ウィキペディアに項目を作れば、[要出展]の嵐になりそうだ。


「なにぶん、データ不足でして。しかし、そうだとしか思えません。あやかしの一部には噂や風評、誤認など、無辜から生まれるものもあります。たとえば、和歌山には『モクリコクリ』という嵐を起こし船を転覆させる海のあやかしがいますが、その正体は単なる大波や海の生物の誤認とされています。しかし、人々がこの自然現象に『恐れ』た結果、モクリコクリというあやかしとなり存在しているのです」

「はあ……」

「『紀三井寺球場の魔物』もそれと同じ。野球場は、多くの人の熱き思いが結集する場所。ヒバリマントさんが仏功に励んだ結果仏性を宿したように、ゆめみさんの声援が多くの奇跡を起こした結果魔性が宿り、確固たるあやかしの力としてゆめみさんに身に付いたのです」

「へえ……」

「きっと、誰よりも熱心に応援していたんじゃないですか?」

「ふうん……」


 わたしは頬を引き攣らせてしまい、どんな顔をしたらいいかわからなくなってしまった。


「……ゆめみ。私は、あなたがどんなあやかしだろうと構わないわ。だから、胸を張って、前を向いていきましょう」

「いいじゃない。『紀三井寺球場の魔物』……確実にウィキペディアに載っていないから、アタシもマウントを取ることができるわ」

「でも、これでやっとスッキリしたね! ゆめみちゃんは、現代のあやかしになったんだ!」

「ファンキーズが球団みたいな名前だったのもその影響だったのか? ま、これからもがんばろうぜ、ゆめみ」

「いずれにせよ、おヌシの笑顔と声は立派な武器だ。これからも磨き上げれば、それは快刀乱麻となろう」

「……ゆめみはきらきらしていて……雷よりも輝いて見えた。まさに、太陽の子……」

「みんな……」


 わたしが「紀三井寺球場の魔物」だとわかっても、ごく普通に接してくれるその優しさが胸を打つ。まだ戸惑わずにはいられないけど、これでいいんだ。絆を結んだ彼女たちと、ようやく同じ「あやかし」という土俵に立てたと意識できるようになったんだから。


「……とにかく、これで問題は解決ですね」


 ヒバリマントのことも、プリンのことも、わたしのことも全てが片付いた。ほっと一息吐くと、鬼屋敷さんがぐっと拳を握る。マウンドに立つ高校球児のような仕草だ。


「……和歌山再生計画。自分でも途方の計画だとは思っていましたが、みなさんのおかげで夢に近づくことができました。本当にありがとうございます。みなさんの個性を爆発させて、和歌山はまだまだ元気だということをアピールしましょう。もう、近畿のオマケとは言わせないためにも……。あとは『和歌山ドリームフェス』に全力投球するだけです」


 未来のミットに向かって全力投球。それがわたしたちファンキーズにできること。

 力強く、速く、誰かの目に届くように投げるんだ。

 精一杯がんばって、奇跡を呼び起こすために――


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