第五章 全力投球―夢をありがとう―

君の元気を守りたい

 太平洋上で発生した台風は強い勢力を維持しながら紀伊半島へ向かって北上中。そのため、和歌山は今日も曇り空。次第に、雨が降り始め猛烈な勢いになると予報されていた。

 このぐずついた天気は、わたしの心を映したかのようだ。


「プリン……」


 ここは鬼屋敷邸のプリンの部屋。シンプルなほどに装飾品がない和室だが、部屋の真ん中には布団が敷かれ、そこにはプリンが瞼を閉じて眠っていた。

 こんな日が、もう三日以上も続いている。

 その原因となったのは、「パンダラン」でフルマラソンリレーを終えたあと――

砂浜で出会ったヒバリマントの歌を聞いてからだ。

 あれ以来プリンは活力を失い、風邪を引いたかのように体調が悪化してしまっている。

 顔色も真っ青。こんな弱々しいプリンを見るのはもちろん初めてだ。


「……ゆめみ。迷惑をかけるわね……」


 上半身を起こしてプリンが虫の羽音のような声をかけた。歌女としてのあの力強い声は、どこにも感じられず、わたしは頬を引き攣りそうになったけれど、彼女に余計な心配などさせたくない。できる限り笑顔で、プリンの心を傷つけないように対応する。


「ううん。そんなことないよ。プリンは大事な仲間だもの。どんどん迷惑かけて。わたしが面倒見るから」


 そういうわけで、わたしはプリンの看病をしていた。少しでも彼女の力を取り戻させるためにお粥を作り、食べさせようとする。ほくほくの湯気が立つお粥をスプーンで掬い、プリンの口元へ。瑞々しかった桃色の唇も、今は萎んだ朝顔のようだ。


「ありがとう……ゆめみ……」


 プリンは瞼を閉じ、うっすらと涙を流した。

 あのときから、プリンはよく泣くようになった。人間らしくはあるんだけれど、プリンらしくはないと思う。いつものようにクールでビューティーで、どこかとぼけているほうが彼女らしいと、わたしは思う。

 ああ、わたしはもうプリンのことを考えると、理性を失いそうになってしまう。


「早く元気にならないとね」

「……そうね」


 ちらりとプリンが部屋の隅に置かれたアイドル写真集を一瞥。あのデートのときに本屋で買ったものだ。プリンはあの本を聖典であるかのように大事にし、アイドルとしての姿を確立しようとしている。

 なのに――このままでは――ステージに立つことができない。


「私も、早く良くなって……フェスの練習をしなければ……みんなに……迷惑を……」


 そう呟くプリンの顔色がまた悪くなった。苦しそうに顔を歪めると、その頭は枕の上へ。


「プリン……?」

「ごめんなさい。フェスのことを考えたら……『あの女』の顔が浮かんで……」

「…………」


 プリンも体調不良の原因がヒバリマントだと気付いている。プリンは雷に怯える子供のように口元を歪め、息を荒くした。


「プリン……どうしてこんなことに……」

「ゆめみ、こうなった原因に……見当が付いたわ。考えられるのは、ただ一つよ……」


 目を閉じながら、うわ言のようにプリンは言葉を絞り出す。


「『あの女』も普通の女じゃない……」

「まさか、ヒバリマントもあやかし……?」


 愕然として呟くと、プリンがぶるぶると首を振る。


「いいえ。……きっと……」


 言葉は続かなかった。彼女はすうすうと寝息を立て始めてしまったからだ。

 プリンは何かに気付いたようだけれど、無理をさせるわけにはいかない。わたしはそっと彼女の部屋から退室し、鬼の間へと向かった。


「ゆめみちゃん、プリンちゃん、どうだった?」


 溌剌さが十全ではない声がわたしを迎える。鬼の間には座卓を囲んでファンキーズのメンバーと鬼屋敷さんが勢揃いしていた。わたしは小さく息を吐く。


「まだ、快復していません。彼女のことがトラウマになっているのか、フェスのことを考えると苦しみます」

「そうですか……事態は深刻ですね……」


 どんな窮地も戦局を変える軍師のように乗り越えてきた鬼屋敷さんだが、その表情は芳しくない。


「だーもう、わけわかんねえ! なんでそのヒバリマントってやつの歌を聞いて、プリンの体調が悪くなるんだ? 呪いの歌だったのか?」

「……呪いじゃない……現に、こうして彼女の歌を、みらいたちも聞くことができるから……」


 みらいちゃんがタブレットを操作する。そこに映し出されていたのは、ヒバリマントのツイッターアカウントだった。彼女も歌の動画を投稿するのが趣味だったらしく、収録した歌は好きなだけ聞くことができた。


「強烈な歌だ。プリンの歌声と互角……いや、何かが違うような気もするが……」


 あぐらを掻き、ななきさんが眉間に皺を刻む。


「ケド、このヒバリマントもアタシたちと同じ新参ね。ツイッターアカウントも最近できたし、ツイートも全然バズった感じがしない。まさに、彗星のように現れたのね」


 TAZUがタブレットを操作しページを切り替える。


「ご丁寧に、ファンキーズのアカウントをフォローしているわ」


 ヒバリマントがフォローしていたアカウントは、大道芸人やお笑いコンビ、そしてアイドルグループの数々。いずれも、和歌山県出身のエンターテイナーだ。つまりは、「和歌山ドリームフェス」の参加者だけをフォローしている。


「プリンだけを苦しめる歌……。やっぱこいつはあやかしなのか?」

「……プリンは何かに気付いたみたいだったけど、あやかしじゃないらしいよ」

「じゃあなんだ? 宇宙人か超能力者か異世界の魔法使いか?」

「それは、わからないけど……」

「やっぱ、フェスに参加するのを妨害するために、呪いの歌を歌ったとしか考えられねえ」


 腕を組んでフンスと鼻を鳴らすえぐみ。彼女が憤るのも無理はないけど、ここは冷静にならないと。


「……そんな気はしないよ。そもそも、彼女が歌っているところにわたしたちから向かったんだから。それに、ヒバリマントは……」


 あのときの光景を思い出し、確信を込めて言った。


「とても楽しそうに歌っていたんだ」


 悪意など感じられない歌。危害など加えているとは思えない歌。

 ヒバリマントはとても自然体で、この和歌山と一体化するような心地で歌っていた。

 決して、プリンを陥れるために歌ったわけではないはずだ。


「プリンと仲の良いゆめみがそう言うのだ。ワシもこのヒバリマントに、敵意はないと信じよう」

「そうだよ! 和歌山を盛り上げようとする、いわば同志だもん。悪い人じゃないよ!」

「……結局、何もわからない……」


 みらいちゃんがぺたーと座卓に頬をくっつけ、スライムのようにとろける。もう考えることをやめたという顔だ。


「センセイ。これからアタシたち、どうするの? このままじゃあ、プリン抜きでやるしかなくなるわよ」

「でも、せっかく今まで七人でがんばってきたんだから……うちは一緒にやり遂げたいよ!」

「そうですね。プリンさんが欠けてしまっては、士気に関わります」


 鬼屋敷さんがそう言うと、さらちゃんがにっと笑い、TAZUも不敵に微笑んだ。「和歌山ドリームフェス」には何としてでも七人で参加するという強い意思が漲っていた。


「ヒバリマントさんに悪意も敵意も見られない以上、これはプリンさんの心の問題でしょう。二人に関係する『何か』が。そうさせているとしか思いません」

「センセイ?」

「僕の方でも何か探っておきましょう。みなさんは、進展があるまで休んでいてください」

「……わかったわ。アタシも、心が落ち着かないから……練習もできやしないんだから」


 悄然とした面持ちで、TAZUが唇をほんの少し吊り上げた。なんだかんだで彼女も仲間思いだ。

 わたしがふっと息を吐いたときだった。スマホにラインの通知が入った。

 見れば、相手はわたしの母。


「ゆめみ。どうしたんだ?」

「あー、母さんから。台風の準備の手伝いに来てだって」

「おー、オレたちも手伝おうか?」

「ううん。みんなはプリンを看ていて。それじゃっ」


 わたしは手を振り、鬼屋敷邸から市内の実家に向かうのだった。




「はい母さん。ティッシュにトイレットペーパーに、カップラーメンと……その他」


 わたしはショッピングセンターの袋に入れられた備品をごっそり母さんに渡した。


「ありがとね、ゆめみ」


 ニシカワ酒店の自称看板娘である母さんは、買い出しに協力したわたしに笑顔という代価を払ってくれた。当然だが、わたしに似た顔だ。


「お父さん、急に屋根を補強するんだって言って、車を出してくれないから困ってたのよ。近くにいて助かったわ。せっかくだからお茶でも飲んでいきな」

「あっうん」


 自宅だというのにお客さん扱いされ、遠慮なくわたしは出された麦茶を一杯飲んで心を落ち着かせた。


「それで、どうなのよ。ヤンキースだって? あんたらの活動は」

「ファンキーズ」

「ん? ヤンキーズ?」

「ファ・ン・キ・ー・ズ! えりかと同じ間違いしているよ、母さん」

「あら。そう? ごめんなさいね。もう、私の友達にもヤンキースって紹介しちゃっていたわ」


 まったくこのオバさまは。


「それはさておき……ちょっと困ったことになっているんだ。メインボーカルの子が、体調不良で……このままじゃフェスもどうなるか……」

「病気なの? その子」

「さあ……」

「じゃあ、気の問題かしら」

「……確かに、そうかも」


 プリンのことを話したらまた水分が欲しくなった。麦茶をおかわりする。


「だったら、何とかするのがゆめみの役目だね。ゆめみの声には、何と言うか、励みになる力があるんだから。そうやって、高校のときも球場でがんばってきたじゃない」

「んー、ああ。そうだったね」


 母校の応援のために、球場で体を張って、声を出して――

 偶然だろうけど、わたしの声で試合の流れが変わったようなことも何度かあったっけ。


 偶然……偶然……?


 そう言えば、プリンが言っていた。わたしの声援を聞いてから胸が熱くなって力が湧いたって。

 まさか――

 わたしの中にある不思議な――あやかしの力の正体は声で――そのルーツは高校のとき?


「どうしたの、ゆめみ。考え込んで」

「……母さん、わたしがあやかしだって言ったら信じる? きっと、わたしの声には、あやかしの力が込められているんだ」

「あっはは。何言ってんの。あんたは正真正銘、私がお腹を痛めて産んだ子だよ」

「……だよね」


 わたしに不思議な力が宿ったのが高校時代だとしたら、何かに憑かれてしまったのだろうか。だけど、高校時代に打ち込んだものと言えば、アイドルの真似とチアくらいで……。

 わたしはそこでぶるぶると顔を振る。


「……考えるのはやめた。あの子を『応援』するのが先だ」

「ゆめみ?」


 わたしは居間を飛び出して、自分の部屋へと向かった。勉強机とアイドルのポスターが貼られた、馴染みのある部屋。押し入れにまだあるはずだ。あのときの勝負服が。


「プリン……わたしが、あなたを……」


 目当ての物を袋に詰めると、わたしは母さんと屋根の上の父さんに別れを告げ、鬼屋敷邸に戻ろうとする。曇り空にはカラスが羽ばたき、カアカアと鳴いていた。これから何かが起きそうな予感を胸に、わたしは歩き続けた。

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