CRAZY NIGHT
ホテルの廊下を見渡し、階段を下り、ロビーに出たときだった。
まるで幽霊のように朧な影を纏った白い髪の女性を見つけた。
「プリン!」
「ゆめみ、どうしたの?」
プリンが髪を揺らし、粒子のような物を撒きながら振り向いた。ああ、幽霊じゃない。ちゃんと彼女がそこにいる。まあ、あやかしなんだけど。
「どうしたって……。プリンがいなくなっちゃったから、追いかけてきたんだよ」
「そうだったの。心配させてごめんなさい。私、寝付けなくて、少し夜風を浴びようと思ったの」
「寝付けない……? わたしはすっかり寝ちゃってたけど」
「ええ、胸騒ぎがして……きっと、マラソンとライブのせいね」
しっとりと濡れた声音でプリンが呟く。
「ハイになっているのかな。わかった、じゃあ、わたしも付き合うから、少し散歩する?」
「ありがとう、ゆめみ」
わたしたちは浴衣姿のまま、ホテルの外に出る。すると、潮風が優しくわたしたちの肌を撫でた。
現在時刻は午前二時。いわゆる草木も眠る丑三つ時だ。
わたしたちを見ているのは夜空の女王くらい。
「月が綺麗ね。深夜だというのに、海も明るく見えるわ」
「そうだね。誰もいない海。静かで、とても落ち着く。波の音は子守唄みたい」
わたしたちは道沿いに歩き続け、砂浜へと辿り着いた。
ふと、プリンがわたしの手を握った。
「プリン?」
まさか、海の中へ引き込んだりしないだろうか。ちょっと冷やっとしていると、
「私が胸騒ぎをするのは、ゆめみのせいかもしれないわね」
液体窒素をばら撒いたようなことをプリンは言ってくれた。
「ど、どういうこと?」
「マラソンの最中……私は他の参加者に抜かされたけど、あのときゆめみは私を応援してくれた。その声を聞いてから、わたしの胸は熱くなり……力が湧いた」
「…………」
「あなたといると、私の心は燃えてくる。あのとき、滝で会ったときからそうね。やっぱりあなたには不思議な力がある」
「……不思議な力か……」
ファンキーズとして活躍し続けたけれど、わたしに眠るあやかしの力の正体は依然謎が多い。わかっているのは、「火」の気を持つということだけか。
「ゆめみ、私が言うのも何だけれど……あなたは魔性の女ね」
「本当にどの口が言ってんだか……」
わたしはプリンの手をちょっとだけ締め付けるように握った。
そうして笑い合っているときだった。
【あり きの なま】
波の音に混じって、何かが聞こえた。
「プリン、聞こえた?」
「……私にも聞こえたわ。何かしら。まさか、お化けでもいるのかしら?」
「…………」
プリンの笑えない冗談は置いといて、わたしは音の正体を探る。
ギン、ギイン。何か、弾く音。これは、楽器だ。糸が張られた、ギターのような楽器。
【これからも きのくに 】
「歌だ……」
歌が聞こえた。女の人の声で、歌が聞こえた。
「誰かが歌っている。こんな夜中に?」
「……解放感があるものね。歌の練習には、最適かもしれないわ」
そう言ってプリンはわたしと手を繋いだまま砂浜を駆け出した。やはり、歌女だからか、他人の歌も気になって仕方が無いようだった。
やがて――
わたしたちは、この歌の主を見つけた。
「彼女」は海に向かって、アコースティックギターを弾きながら歌っていた。
もっと近付いてみようと、砂浜に足跡を綴っている最中だった。
「っ……」
陶器のような顔にヒビが入ったかのように、プリンが苦しみ出したのだ。
「あ……ああっ……」
「……プリン?」
彼女は目を見開き……泣き始めた。
緊迫感が全身を駆け抜ける。初めて彼女の涙を見たからだ。プリンはダムが決壊したように、涙が溢れて止まらなくなっていた。ぽたぽたと、涙は頬を伝って砂浜に落ちていく。
歌女であるプリンの心を揺れ動かしたように、「彼女」の歌の力は絶大だった。
魂を洗浄するどころか、無に帰すような力を持った歌。
考える力を失わせるような、桃源郷にいると錯覚させるような心地良さ。
プリンとは違うベクトルを持った歌だった。
「プリン……そんなに感動しているの……」
「……ゆめみ……」
軋むような声で名を呼び、プリンがわたしにしがみつく。額には青筋がいくつか立っているように見えた。まるで熱にうかされ、立つ力すら失ったかのようにプリンは衰弱していた。
「……あらあら?」
わたしたちの気配に気付いたのか、「彼女」は歌を止め、振り向いた。
月明りを浴びて亜麻色の髪がふわりと浮かぶ。
夜風を受けて不思議な模様のマントがなびく。
「あっ」
まじまじとその顔に見入り、思わず喉を鳴らしてしまう。そこにいたのは、わたしの知っている顔だった。
そして、まったく想定外の人物でもあった。
「あなたは……」
「ゆめみさんにプリンさんではなくて?」
どこか気品のある声が弾む。「彼女」は、この前ハッピーモールで出会った女性だったのだ。お化けと出会ったほうがマシかもしれないほどわたしの顔は引き攣った。「彼女」は首を愛らしく傾けると、ぱんと手を叩き、小気味よい音を立てる。
「そうですわ。得心しましたわ。ファンキーズも近くのホテルに泊まっていらしたんですね?」
「え、ええ……。あなたはどうしてここに……」
わたしたちと会えたことに感激しているらしく、「彼女」は声を弾ませる。
「わたくしも『パンダラン』を観戦していたのでしてよ。そして、ファンキーズの見事な走りと、ライブをしっかり味わい……それで……それで……わたくしも負けていられないと思い……」
おっとりとしていた声が次第に熱を帯びていく。そして、「彼女」はギインと弦を鳴らして、わたしたちに告げた。
「歌わずにはいられなくなったのでしてよ」
「……え?」
胃の辺りが嫌な汗を掻く。
負けていられない? 彼女は、そう言った……の……?
ぽかんと呆けていると、
「ああっ。わたくしとしたことが。そう言えば名乗っていませんでしたわ」
こほんと小さく息を吐いて、彼女は慈愛に満ちた笑みを見せてから、
「わたくしはシンガーソングライター・ヒバリマント……」
そう名乗った。
「あなたたちと同じく、『和歌山ドリームフェス』参加予定でしてよ。よしなにっ!」
優しく温かく、品のある笑みを浮かべてそう付け加える。そこには慈愛に満ちた笑顔でありながら、鮮烈な言葉が含まれていた。
「えっ……?」
雷に打たれたような気分をわたしは味わった。
ファンキーズのファンだと思っていた彼女は……わたしたちのライバルだった。
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