TAZUの挑戦状

「ここがアタシのテリトリーだと知ってのコト?」

 振り向けば、城跡の石垣の上に太陽の光を浴びて、その少女が立っていたのである。

 夏風を受けて肩まで届いたセミロングの髪が緩やかに波打つ。細く秀でた眉に、透き通った瞳。鼻筋もすらりとし、柔和な笑みを湛えた唇は湿っていた。良家のお嬢様然とした繊細な美貌の持ち主だけど、どこか冷たさも感じる。着ているのはショート丈のシャツであり、美しく引き締まったお腹が陽光を浴びてダイヤのように煌めいていた。穿いているのは黒いデニムのショートパンツ。これまた引き締まった足を存分に見せつけている。太ももには黒い兎を模したタトゥーのようなものが刻まれていて、その肉体美を注目せざるを得ない。

 ちょっと見ただけでわかった。この子、運動能力が高そう。

 それを証明するかのように――

「とっ」と掛け声を出すと、くるりと前回転し、芝生に着地したのである。まるで特撮ヒーローだ。そして、反動も感じさせないほど自然にすっと立ち上がった。


「誰だ、あんたは」


 えぐみが一歩前に出て誰何を飛ばした。

 謎の少女は瞳の奥に幽かな憤りの色を湛える。


「アタシ? フフ、このアタシを知らないなんて、よほど情報から隔絶されたド田舎で暮らしていたのかしら?」


 おお、煽りおる。さらに少女は扇子を取り出すとパタパタと自分の顔に風を送り始めた。おお、扇ぎおる。


「アタシはTAZUタヅ。この丹鶴城公園で活動しているユーチューバーよ!」


 ふふっと自慢げに胸を反らすTAZU。その扇子も相まって女王様のように見えた。


「ユーチューバー……だと?」


 ななきさんは眉間をぴくぴく動かしたあと、


「ユーチューバーとは何だ?」


 そう言って首を傾げた。


「……いわゆる動画配信者。ユーチューブに動画を投稿して、その視聴回数などで利益を受ける人のこと……」


 世間に疎いななきさんをフォローしたのはネットに強いみらいちゃんだった。


「フフ。アタシを知らないどころか、ユーチューバーすら知らないなんて、今までよく生きてきたって感じ! 尊敬と驚嘆に値するよ!」


 居丈高な態度はそのままに、TAZUは手足を巧みに動かし、ポーズを決めた。


「アタシはダンス系のユーチューバー。この体をウリにして、動画を投稿し、視聴者を熱狂させているのよ!」


 華麗なステップを踏んで、TAZUが踊る。まるで、この城跡がステージであるかのように。いや、本当にここは彼女のステージなんだ。


「テリトリーっていうのはもしかして、動画の撮影場所がこの城跡ってこと?」

「YES! この丹鶴城はアタシのモノなの! わかったら余所者はさっさと帰ってユーチューブでアタシの動画を見なさい!」


 くるくると体を動かしながら勝ち気な顔を見せるTAZU。わたしと同じくらいの歳に見えるけど、生意気さは格段に上。どうやら、この子は丹鶴城公園でレッスンしているわたしたちが気に食わないみたいだ。


「聞き捨てならないわ。この城跡は、もう主がいない……。つまり、誰のものでもないのじゃなくて?」


 プリンが氷柱のように張り詰めた怜悧な輝きを目に灯す。


「OK、ロングロングヘアガール」

「ロングロングヘアガール……」


 プリンはTAZUに言われた言葉を繰り返した。


「ここがアタシのホームでありステージであることは、アタシのファンも認めているのよ! このアタシに意見できるあなたはどれだけ偉いの? 領地何万石?」


 石って。そんな言い方するユーチューバーっている?


「……まあまあ、落ち着いてください。みなさん」


 バチバチと火花を散らすプリンとTAZUの間に鬼屋敷さんが割って入る。不思議そうな上目遣いでTAZUが尋ねた。


「アンタがこの子たちの引率のセンセイ?」

「いえ、先生ではなく、こういう者です」


 またまた華麗にすっと名刺を取り出す我らがプロデューサー。


「ヤタガラスエンタテイメント、鬼屋敷祟……? フフ、まったく聞いたコトのない事務所ね。ゴッコ遊びかと思ったじゃない。まさか、こんな子たちで芸能界目指そうとしているの?」

「この子たちは和歌山再生計画のために集められたアイドル……ごっこ遊びではなく、真剣なんですよTAZUさん。今日も朝から宣材写真を撮影したり、ツイッターに上げたり……そしてここでダンスのレッスンをしていたのですから」


 TAZUが唇を窄め、値踏みするような目をわたしたちに向けた。


「だったらアンタたちが芸能界でも生きていけるか、このユーチューバーであるTAZUが試してみようじゃない」

「……どういうこと?」


 ぱちんと閉ざされた扇子の先をわたしの顔に向け、TAZUは、


「勝負よ! ダンスバトル! アンタたちとアタシがそれぞれ動画を投稿して、一時間以内にどちらが多く注目されるかの勝負!」


 太平洋にまで響くような大声でそう宣言したのだった。


「な……ダンスバトル?」

「ええー何それおもしろそう!」

「……決闘というわけか、ワシの血が騒ぐな」


 戸惑うわたしと違い、何人かは心を躍らせたようだった。

 わたしたちの反応を堪能したTAZUは、口の周りをぺろりと蛇のように舐めると、


「そう。TAZUとヤタガラスエンタテイメントとのバトル。この一流のユーチューバーであるアタシと戦えるのよ。光栄に思うコトね!」


 TAZUは再び扇子で風を送り、ぶわっと髪をかきあげた。この少女の体から、強者のオーラが滲み出ている気がした。


「もちろんタダで終わらせないわ。もしアンタたちが勝ったら、アンタたちヤタガラスエンタテイメントをアタシの動画に登場させてあげる。いい宣伝になるわよ。そして、負けたらアタシはアンタたちに謝罪してあげる」

「おいおい。一方的に挑戦状叩き付けやがって。オレたちはデビューも何もしてない素人なんだぞ。不利に決まってんじゃねえか」

「そうね。アタシだって新参をボコって愉悦に浸るようなクズじゃないわ。できるだけ公平にしましょう。さっき、センセイがツイッターって言っていたわよね。動画付きのツイートをして、そのリツイート数といいねの合計で競うようにしましょう。それが得点よ」

「ツイッターって言われても……」


 フォロワー数まだ三十人なんですけど。そう口にはできなかった。


「まだハンデが必要って顔ね。わかったわよ。一対六になるんだから、あなたたちの得点を六倍してもいい。それでいい勝負になるんじゃない? それとも、自分たちに自信がないのかな~?」

「こいつ……!」


 競走馬のように鼻息を荒くするえぐみの肩に、鬼屋敷さんの手が優しく置かれる。


「我々はいずれ和歌山を背負うアイドル。テレビ和歌山の看板番組を持つことになるアイドルなのです」


 そうなの?


「将来的には、こうした『企画』も行うようになるはずです。その予行演習としましょう」

「フフ……ネット全盛期の現代で、まーだテレビ局にしがみつこうとしているアイドルがいることには驚いたケド、アタシの挑戦を受けてくれるということで無問題ね?」

「はい。よろしくお願いします。TAZUさん」


 鬼屋敷さんは案件を扱うかのように丁寧かつ冷静な物腰で対応。腰を曲げ、TAZUからの挑戦状を受け取ったのだった。




 わたしたちの宣材写真を撮るために訪れた街。

 山も海も綺麗で風光明媚。様々な伝説も眠る街。

 しかし、わたしの目にはタンブルウイードや新聞紙が飛び交う西部劇の世界のように見えてしまった。

 何せ、この街のユーチューバーTAZUと決闘することになってしまったのだから。


 あの後、TAZUとわたしたちの間でダンスバトルの詳細が決められた。

 動画の撮影場所は城跡なら自由。動画の長さは五分以内。その後、お互いの目の前で午後六時にツイートすること。


「せいぜいがんばってみるコトね!」


 詳細が決まると、TAZUは女王のように優雅な足取りでわたしたちの前から消え、城跡にはまた涼しい風が吹くようになった。


「鬼屋敷~。本当にいいのかよ、オレたちがあんな生意気な奴とダンスバトルなんてよ」

「はい。これもまたあなたたちの才能を伸ばすための試練だと思っていますので」

「あはは! うちはやる気満々だけど!」


 ぎゅっと両手を握り意気込むさらちゃんを見て、えぐみは濃い溜め息を出すのだった。


「この街にもあんなユーチューバーがいたなんてなぁ」


 わたしはあのTAZUの鮮烈な姿を瞼の裏に映していた。

 王者の風を纏ったかのように堂々としていて、声にも、もちろん体にもその修練が感じられる少女。悔しいけど、都会に行けばそれこそ大手芸能事務所からスカウトをされるに違いない。

 彼女はいったいどんなダンスを見せるのだろうか。胸の中で早鐘が打たれ始める。

 そんなことを考えていると、


「……検索終了。TAZUが投稿していた動画が見つかった……」


 タブレットを操作していたみらいちゃんが、わたしたちにTAZUのページを見せてくれたのだった。


「すごいわね。今では、こんな薄っぺらい板がテレビのようになっているのね」

「あんだけ自信満々だったんだ。視聴回数は一万桁くらいあるんじゃねえのか?」


 文明の利器に興味津々のプリンと、算数が苦手そうなえぐみとともにわたしも画面に目を通した。

 そこはTAZUちゃんねるという名前で、彼女の眩しい笑顔のアイコンが特徴的なページ。


「こ、これは……!」


 その凄まじい内容にわたしは驚愕したのだった。


 TAZUちゃんねる

 チャンネル登録 168

 動画本数 10


「チャンネル登録者数……ひゃ、ひゃくろくじゅうはち……!」


 ななきさんが歯をガタガタ言わせた。


「あの子、そんなにも信者を……いえ、ファンを従えているのね……」


 プリンは口元に手をあて、顔色を悪くしてしまっている。


「ちっ……あいつ、伊達でも酔狂でもなかったってわけかよ」


 えぐみは舌打ちして頭をぐしゃぐしゃと搔き始めてしまった。

 いやいやいやいや。

 みんな、冷静になろうよ。


「あ、あの……はっきり明確に有体に言ってなんですけど……」


 わたしは恐る恐る手を上げてから、みんなに告げた。


「……たいした数字じゃないよ、これ」

「は……?」


 あれだけ戦々恐々としていた少女たちが口をぽかんと開けて真顔になる。

 ユーチューバーすら詳しくない彼女たちなんだから無理もないかもしれない。


「……一流のユーチューバーのチャンネル登録者数は、それこそ何百万人もいるし、視聴回数もすごい……。でも、彼女の場合は、ぶっちゃけ底辺……」

「うんうん」


 みらいちゃんの解説にわたしは何度も頷いて見せた。


「なんだよ。やっぱり見かけ倒しだったのか」


 掌をくるくる回してばかりのえぐみである。体が柔らかいのだから、本当に回せそうだけど。


「こうして彼女のダンス動画があるのなら、実際に見てみたらどうかしら」

「そうだね。敵情視察にもなるから」


 わたしはTAZUの上げている動画の一つをタッチし、再生させる。

 登録者数が伸び悩んでいるからには、実はダンスが下手なのでは。

 または、動画が不鮮明で評価されていないのでは。

 憶測が泡のように浮かび上がる中、タブレットの中で彼女は動き出す。


『おハロー! TAZUでーす! 今日もTAZUちゃんねるに来てくれてサンキューありがっとうっ!』


 わたしたちと会ったときと変わらない彼女の姿がそこにあった。

 挨拶のセンスはいまいちだけど、そのぶん愛嬌のある笑顔が特徴的で、自然体なTAZU。

 彼女は簡単に近況を終わらせると、本題に入った。


『それじゃ、アタシのオリジナルダンス! いってみよーうっ!』


 可憐なウインクを決めると、TAZUは忍者のような身のこなしでバク転。


「あ……」


 そこからわたしは息を呑んで彼女のダンスを見つめた。

 手や足をありったけ使い、リズムに乗って華麗に踊る。

 セミロングの髪が舞い上がり、胸も揺れ、肉体が躍動する。

 風のように、爽快に――

 花のように、可憐に――

 雪のように、綺麗に――

 月のように、輝いて――

 とても幻想的で力強いダンスが、五分にも満たない動画に凝縮されていたのだった。

 言葉を失うほど圧倒され、目の端が滲むほどだ。

 間違いなく、TAZUはトップクラスのダンスの才能を持っている。

 この力を付けるために、ひたすら練習をしてきたに違いない。

 だけど、それだけど同時に疑問も生まれてしまう。

 なぜ、評価されていないのだろう。

 手を抜いたわけでもなく、真剣に全力でダンス動画を投稿しているのに、TAZUは注目されていないのだ。


「ゆめみ」

「あっ」


 物憂げな表情を作っていると、プリンが顔を覗き込んできた。


「すごかったわね、彼女。まるで、ダンスをするために生まれてきた感じだわ」


 歌女の彼女はただ純粋にTAZUの実力を評価していた。


「わたしたちも負けていられないわ。時間までに、ダンスを完成させなければいけないのだから」


 そうだ。今わたしたちが考えなければならないのは、彼女のことではなく――

 まだバラバラでぎこちない、半熟卵なダンスについてだ。

 それに、肝心のダンスバトルのツイートが爆発的に増える可能性も否めないのだから。


「して、鬼屋敷Pよ。TAZUの挑戦を受けたからには、ワシたちのダンスが上達するような秘策があるんだろうな」


 ななきさんに尋ねられ、鬼屋敷さんは不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、もちろん。あなたたちのダンスを上達させてみせますよ」


 さらに一言をデザートのように付け加える。


「陰陽師的に、ね」

「陰陽師的に?」


 ダンスがバラバラなわたしたちも、このときばかりは息を合わせてそう言ったのだった。

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