第20話 炎の巨人ムスペル2
「折角こっちがやる気を見せたっていうのに、他の相手を追うなんてナシだろ?」
右腕で槍を放ったままの体勢だが、左腕にはもう一つの光の槍を掴んでいる。より攻撃的な形体を持った、回復魔法のエネルギーそのものだ。
左腕の槍を、今度は頭蓋骨めがけて撃ち放つ。
「『ヒーリング・ジャベリン』ッ!」
光の槍に穿たれた右前頭部の一部が炸裂し、その破片が灰になって周囲に飛び散る。
ヒーリング・ジャベリンはアイザックが習得した中でも特に攻撃性能の高い魔法だ。元が回復魔法でありながら、アンデッドでない魔物に放ってもそれなりにダメージを与えられるほどの威力がある。
炎の巨人も、これで脅威判定を更新したようだ。さきほどとは違い、全身を使って猛烈な勢いで襲い掛かってくる。その巨体での接近は、それだけで攻撃に等しい。
「近接戦は御免だ」
アイザックは壁を蹴って大きく飛び上がる。無論、その先には何もない空間が広がっているだけだ。本来なら再び地面に落ちてしまう。
だがそうはならなかった。
「『プロテクション・パネル』――」
透明の床が、ちょうどアイザックの飛び上がったその位置に形成されていた。アイザックはそのまま更にジャンプする。するとまた別のところに床が配置され、アイザックが着地する。
防御魔法で自重を支え、空中移動に用いる応用技だ。
アイザックはそのままムスペルの横合いへ逃げ込み、去り際にヒーリング・ジャベリンを放った。
しかし今度は、炎の腕によって振り払われる。
「チッ――!」
やはり、あの腕はあくまでムスペルの魔法によるもの。アンデッドの身体そのものに当たらなければ、ダメージを与えられないらしい。
アイザックはそのまま背後へ回り込もうとするが、即座に殺気を感じ、身をかがめる。炎の一薙ぎが頭上を掠め、背中を晒していたはずのムスペルは正面を向いていた。
身体の大きさが違いすぎるのだ。
アイザックが跳躍を駆使して死角に入ろうとしても、巨大な肉体を持つムスペルはくるりと振り向くだけでそれに対応できる。
あの炎の腕だってそうだ。ただ横に大きく振るだけで、広範囲に火炎魔法を放つような真似ができる。
それでもアイザックは諦めず、今度は正面に飛び込んだ。あの巨体は脅威だが、懐に入ってしまえばこちらに分がある。
だがそれを予期していたかのように、突如ムスペルの口が
はっとしてアイザックは叫んだ。
「――『
それと同時に、ムスペルの口から激しい炎が吹き出した。肺も声帯もない骨組みだけの身体が、まるで息を吐くように灼熱の業火を放つ。
尋常ならざる火力。アイザックの身体は、一瞬にして炭化するはずだった。しかし彼に火が届く寸前のところで、それが阻まれている。小さな透明の壁が集まり、何層もの障壁になっているのだ。
それはプロテクション・パネルの密集形体。本来防御魔法であるこの技は、ある程度の数を配置しておけば緊急の防御策としても機能する。
そして、アイザックの仕掛けはそれだけではない。
「ビビったぜ。あと少し遅かったら死んでたかもな。だがお前も、隙を晒した。――そう、攻撃の瞬間は一番無防備なタイミングになる」
その時、アイザックから見てムスペルの身体は光を放っていた。もともと赤熱化によって仄かに発光しているのだが、そうではない。
空洞内を照らすライト・ピリングの何割かが――もっとはっきり言えばアイザックの作った光源全てがムスペルの背後に配置されていたのだ。
無論、全ては意図的に。動き回りながら不審でない程度に位置を動かしていた。
「『ライトピリング・シェイプシフト』」
光の球が、一斉に形体を変化する。太く、長く、鋭く、より攻撃的な姿に。
そう、それは正にさっきまでアイザックが繰り返して使っていた魔法だ。
「『ヒーリング・ジャベリン・レイン』!」
無数の光の槍がムスペルに向かって放たれる。ムスペルも反応しようとしたが、あまりに遅すぎた。
巨人の身体が無数の白い光に呑まれる。
輝き、瞬き、その度にムスペルの骨格が破壊されていく。
自慢の炎腕も、事ここに至っては意味がない。散弾の如くに無数に放たれる魔法に対して、二本の腕では到底防ぎきれない。アイザックはそれだけの数を用意したのだ。
目が眩むような光の点滅の末に、ようやく攻撃が止む。
ムスペルの身体は無残なほど崩壊していた。
頭蓋骨はもはや下顎が残っているだけで、あばら骨も殆どが砕けている。
右肩は元からなかったかのように破片一つ残っておらず、それに伴って炎の右腕も消滅していた。
元々上半身だけの亡骸だが、今ではそれが人型の骨格であったことすら判別が難しいだろう。
だがそれは、アンデッドとしての死を意味していない。
ムスペルは再び全身に炎をまとい、攻撃態勢に入る。
どれだけ身体の損傷が激しくても、彼らは動けなくなるまで動くし、戦えなくなるまで戦う。それがアンデッドの宿命だ。
「……流石は古代の怪物、大したもんだよ」
アイザックはぽつりと呟く。その声色には本当に素朴な、敵対者への称賛が込められていた。
無論、アンデッドにその言葉は響かない。彼らには意思がない。知性がない。優れた個体は合理的な戦術行動を行うが、それは死体に蓄積された経験を呼び起こしているだけだ。
しかし、それを一番よく知っているはずの彼が口を開く。まるでそれは、動く死体として冒涜された死者へ、改めて敬意を払うかのように。
「こんなところで使う予定はなかった。だけどそれじゃお前を倒せない。……使うしかなかったんだ、切り札を」
すっと指をさす。
向けられた指の先、ムスペルの胸骨に何かが刺さっていた。
それは杖だ。アイザックの愛用していた両手杖だった。後方からの攻撃とは別に、彼はこの杖をヒーリング・ジャベリンで撃ち放っていた。
「殆どの魔法使いにとって杖は必須道具だが、俺の流派では補助的にしか使われない。だがこれは、俺が修業時代からずっと使い続けてきた杖だ。回復魔法一種類だけで十年以上も使い続け、既にその魔力が染みついている」
そう、それは最早、杖そのものが蓄積装置だと言っても良い。
普段は奥底で封印されているが、一度それを解き放てば、培った時間の流れに等しい膨大な力が迸る。
「『
今までで一番激しい煌めきが、空洞全域を照らす。アイザックも、そしてずっと後方で行方を見守っていたカタリナやヘレナにまで届く光だ。
光度は高いはずなのに目が眩むこともなく、何の激しさもない。ただ全てを包み込んでいくような光が彼らを照らしていた。
やがてそれも収束すると、そこにムスペルの亡骸はない。ただ灰の積もった山が残るだけだ。
アイザックはその灰の山に手を突っ込み、杖を抜き出す。杖は真ん中で綺麗に折れていた。
「お疲れさん」
修行の日々、ルカとの記憶、全てを共にした過去の思い出に、心から感謝の言葉を送った。
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