第22話 古きエルフの里


 アイザックは幻視した。


 森の奥深くにある、自然と調和した小さな村を。

 大樹のうろに作られた家や、見たことのない家畜らしき獣たち。蝋燭など火を使った灯りはなく、その代わり村中を発光する虫たちが舞い踊っている。


 住民たちは人間のようで人間ではない。耳が長く、みな金髪で美しい容姿をしている。話に聞く『エルフ』の姿だ。


 ページをめくるように、映像が切り替わる。


 同じ村、同じ住民、しかし全てが無残に破壊されていた。

 木々は焼かれ、あらゆる物が壊され、人も家畜も血に塗れて倒れている。

 蹂躙を行ったと思わしき者たちの姿も見えるが、その輪郭は何故か曖昧な影になっている。異形と人型の中間といった印象で、おそらく彼らより強い魔物の集団だったのだろう。


 襲撃者たちにはあまり抵抗を受けた様子がない。それは、強者には服従するという魔物の本能があるからだ。初めから力量差が明白で、相手が自分たちを弄ぶ目的でやってきたのなら、弱者はそれに抵抗することはできない。


 襲撃者たちは存分にエルフたちをなぶって、暴れて、しばらくすると満足したのかそのまま去っていった。


 しばらくして、ある小屋の奥からエルフの子どもが一人出て来る。彼だけは倉庫の奥に匿われ、声を殺して隠れていたのだ。

 そんな彼も、村の惨状を見て嗚咽を上げ、やがては大きな声で泣き出した。


「ガルラ……」


 泣きわめくその子に、弱々しい声が投げかけられる。

 呼びかけたのは、腹に無数の木片が突き刺さり、口からおびただしい血を流す女だった。身体がもう動かず、口を開くのがやっとの様子だ。


「母さん!」


 ガルラは慌てて駆け寄るが、その傷があまりにもひどく、触れることすら躊躇われた。手当ての仕方など分からないし、それ以前にもう助からないように見える。

 どうすることもできず、やはり泣き出してしまう彼に、母はまた話しかける。


「ガルラ……私たちは、何が正しいのかをずっと考えてきたの」

「……え?」


 自らの死におびえるでもなく、さりとて子どもを慰めるわけでもない。独白めいたその言葉に、彼は困惑した。

 しかしそんな彼を気にかけるでもなく、彼女は話し続ける。


「私たちエルフは長命だから……何度もこんなことを目の当たりにしてきた。どれだけ争いから遠ざかっても、どれだけ調和を求めても、魔物としての本質がそれを砕いてしまう」

「そう……。グループの内からも外からも、支配することへの欲求から誰かが牙をむく」


 彼女の言葉に続くように、倒れている他の誰かが口をはさむ。

 そしてそれは、どんどん波及していく。


「そんな不和のたびに我々は引き裂かれて、同胞を失った」

「それでも細々と血を残し続け」

「綿々と、何世代も答えを探し続けた」

「魔物にとっての調和、自己と本能が衝突しない社会の形を」


 倒れている人々の中には、完全に意識を失っている者もいた。

 喉が潰されている者も、もう息をしていない者もいる。しかし彼らは言葉を紡いでいた。

 それはもう声ではない。魂の波長とも言うべきものが、直接ガルラの意識に語り掛けてくるのだ。


「だけどそれももう終わり。私たちは死に、あとはあなた一人が取り残される」


 母のその言葉に、ガルラ少年はビクッと強張る。


「そ……そんなの嫌だよ。嫌だ!」

「……ガルラ、貴方に重荷を背負わせることを、どうか許して」


 彼女はそこで初めて、感情のこもった声を発した。悲しみと苦悩に満ちた、深い自責の声だ。


「もはや論じる猶予はない。我らが滅びる前に、この共同体から結論を出さなければ」

「計画は古くから存在していた。だがそれは長い間保留にされていた」

「あまりに短絡的で、かつ一度実行すれば後には引けないからだ」

「逆にそれは、今なら何の憂慮もなく決断できるということでもある」

「な、何……? みんな何を言っているの? 僕分からないよ」


 ガルラはただ戸惑いの中にいた。

 両親やみんなが死に、弱い自分が一人で取り残されるという恐怖。それとはまったく別の、何か言い知れる恐怖を感じる。

 目の前の母親が、彼を安心させるように語り掛ける。


「不安にさせてごめんなさいね。……大丈夫よ、ガルラ。何も難しいことはないの」


 だがそこには、どこか絞り出すような、気持ちを堪えるような、悲痛な印象があった。

 幼いガルラはそれに気付かず、母にあやされて幾分か安堵を覚えてしまう。


「……ガルラ、大事なのは受け入れること。これから私たちがすることを、抵抗なく受け入れるの。そうすれば全てが理解できるし、この先もずっと一緒よ」

「本当? ……じゃあ僕、受け入れるよ。一緒にいられるなら、何でもいい」


 少年がそう答え、母親も決心したようにうなずく。

 何か呪文のようなものを呟いたかと思うと、彼女の身体からすうっと魔力を伴った幻影が浮かび上がってくる。


 それは霊体だ。

 他のエルフからも、同じようにそれが肉体から解き放たれる。そして霊体同士が同化を繰り返し、一つのかたまりに変化していく。

 魂というエネルギーが、膨大な魔力によって成形されたものだ。


 "魂喰らい"。禁呪とされしその魔法は、必ずしも一方的に奪うばかりではない。両者の同意を得て、被食者が捕食者に自分の魂を与えることもできる。

 だがおそらく、これほどの規模のものは今までに例がないだろう。


 ガルラ少年はその光景を見て思った。

 こんなものを受け入れてしまったら、僕の意識はどうなるんだろうか。

 それが結局、ガルラという人格の最後の記憶となった。


 魂の総体が彼に流し込まれていく時、その負荷によって精神は攪拌された。

 強大な力の代償に、幾人もの自我、知識、経験が小さな少年の内側で混ざり合う。母の言葉を無垢に信じた少年は、その奔流に抵抗せず打ち砕かれた。

 やがて無数にあった人格は統合され、新しく誕生した『ダークエルフ』がつぶやく。


ヴァンの村のガルラガルラ・ヴァーナよ、誇りに思え。お前の名はいずれ歴史に刻まれる」


 その小さな肉体に、尋常ならざる魔力があふれていた。

 彼はこの数時間後、村を襲った魔物たちを皆殺しにする。そして数年後には人類に宣戦布告し、魔王戦争とも呼ばれる争いを引き起こす。


「我は魔物たちの一なる王となる。我という頂点の元、魔物の世界に調和が訪れるのだ」

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