第14話 まどろみ


 修業時代、アイザックはよくルカに昔の話を聞かせてくれるようせがんだ。勇者パーティーにいたからにはさぞすごい冒険をしてきたのだろう。そういう子供らしい純粋な憧れがあったのだ。


 ルカのほうははなかなか自分のことをしゃべらなかったが、素朴な質問であれば気まぐれに答えることもあった。


「魔王ってどんなやつだったんだ?」


 この時も、おそらくそんな感じだったのだろう。二人して夕飯の支度をしているときの会話だったか、ふとアイザックはそんなことを聞いた。


「魔王ガルラ・ヴァーナか――。そうだね。まあ一言でいえば、人格破綻者かな」

「それは人間に戦争を仕掛けてきたから?」

「それは半分正解だが半分間違い。戦争ぐらい他の国同士でもやるだろう?」

「魔王だって魔物の"王"なんだろ?」

「あれは単なる俗称だよ。そもそも魔物たちは国なんか作らない」


 たんたんたん、と軽快に包丁を扱いながら答える。

 今となっては有名な話だが、子どもだったアイザックはビックリして言い返した。


「うっそだあ! 俺の村だって魔物の軍隊に焼かれたんだぜ?」

「軍隊……と呼べるかどうかは疑問だけど、指揮官を持つ魔物の群れというのはよく聞くね。多くは人型の魔物が、魔獣のような知能の低い魔物たちを従えていることが多い」

「そいつらは黙って従ってるのか? 魔獣は凶暴だって聞いたぞ」

「そうだね。でも人間のように高い知能を持つ魔物は、知能を持たない魔物を支配できるんだよ。頭の良さそのものが"力"の一つだからね」


「チカラ?」

「魔物は自分より優れた力を持つ魔物に無条件で奉仕するものなんだ。ルールや礼儀ではなく、本能レベルでその性質が染みついている」

「強ければなんでも命令できるってことか?」


「そうとも、必要とあらば命すらかけるほどのね。……これが中々難しいものなんだ。動物と同レベルの魔物なら気にならないだろうが、人間と同じぐらい頭のいい魔物同士では自意識とのせめぎあいが起こる。つまり『強いだけのやつになぜ従わなきゃいけないんだ』という疑問を抱いてジレンマに囚われてしまう」


「なんか、大変そうだな」

「実際彼らにとっては厄介な問題なんだと思うよ。だからか知性のある魔物はあまり他種族と関わらない。大抵は近親者中心で数十名ぐらいのグループを作って暮らしているらしい」

「じゃあ、魔王ってやつも実はそういうグループだったのか?」

「……ところがそうではなかった。ガルラ・ヴァーナは『エルフ』という種族の魔物でね。飛び抜けた魔術的素養を持つ人間に近い種族だったんだが、ある禁忌を犯してしまったんだ。……それは、同族殺し。自らのグループ内で殺戮を働いたんだ」

「……」


 アイザックは沈黙した。両親を失ってしまった彼には、親兄弟や親類同士で殺しが行われる理由が分からない。何があったらそんなことをする気持ちになるのか想像もつかない。


「エルフは生命の理を感じ取り、その特殊な感性をもって魔法を行使する生まれながらの賢者。だがそれ故に時として危険な魔法を扱うことがある。例えば、同じ血筋の縁者を殺すことで、血族の魔力を我が物にできる"魂喰らい"の魔法。当然ながらどんなエルフのグループにおいても禁術とされているその魔法を、若い彼は使ってしまった」


「どうしてそんな……誰かが力を持ち過ぎないように小さなグループで生活してたんだろ? わざわざ誰かを殺してまで強くなる必要がないじゃないか」

「ガルラ・ヴァーナにとっては、そもそも問題が逆だったんだろう。誰もが同程度の力しかないのであれば、最初に自分が出し抜けば一番になれる、と。まあこれはあくまでも想像だけどね。そもそも彼が殺したのは直系の縁者だけじゃないし」

「どういうこと?」

「グループの者全てが魂喰らいの魔法の餌食となっているんだ。自分の世話をしてくれた大人も、一緒に育った友達も関係なくね。そのあと野に下り、手あたり次第に支配圏を広げていったという感じらしい」

「そんな……」


「僕たちの知っているのは事実だけで、そこに至った理由は不明だ。あるいは不幸な偶然が重なったのかもしれない。しかし魔王として人類の前に立った彼は、支配欲に溺れた狂人でしかなかった。人に対して戦争を仕掛けながら、その目的は人類を蹂躙することでより多くの魔物に力を誇示することだったぐらいだからね。……禁術によって力への妄執にとりつかれた者を、同族では『ダークエルフ』と呼び忌避するらしい。ガルラ・ヴァーナはまさにそのような存在だ」


「そっか……じゃあやっぱり強かったのか?」

「いや、別に。少数精鋭だったから奇襲で倒したんだ。うちの戦士様がスパッと一撃で葬ってくれたよ」

「ええ……」

「さっきも言った通り、ガルラ・ヴァーナは名ばかりの魔王で何の戦術的視点も持っていなかった。"奴隷"と"猟犬"はいても"臣下"がいない孤独な王さ」

「なんだ、ガッカリだなあ。もっと激しい戦いとかがあってもいいのに」


 不意にルカの手が止まる。

 どうしたのかと彼を見上げる。ルカは目を細めて、どこか彼方を見ていた。


「実際に正面から戦っていれば、僕らは負けていただろうね」

「! ちょっと、そんなこと言わないでくれよ」


 驚いてアイザックがそう言うが、ルカはそのままぶつぶつと呟き始める。


「いや、そうでなくても魔王に最後の呪いを発動させてしまったのは僕たちの失態だ。"生命の流れ"を逆流させる魔法……おそらく命の神秘を知るエルフだからこそ使えた術なんだろうが、それを解消する方法は結局つかめなかった。この魔法はとても危険なんだ。アンデッドは広義の魔物であり、その本質ゆえに知性を持たない。かつて強大な力を持った伝説的な存在であっても、アンデッドと化した後では知性を持つ魔物にとって従えることのできる弱者なんだ。もし魔王が生きていたら、この魔法を使って支配欲のおもむくままに最強の軍勢を作っていただろう。だから――」


「ルカ!」


 アイザックは背伸びして彼の肩を掴み、こっちを向かせた。

 遥か遠くに向けられていた双眸が、現実のアイザックの顔をはっきり捉える。


「しっかりしてくれよ。あんたは魔王戦争を終わらせた英雄の一人で、俺の師匠だ。誰も知らない将来のアンデッド被害のために、俺を鍛えてくれている、そんな立派な人だ。だからさ、弟子の俺にそんな弱音を吐いちゃ駄目だ。自分は凄いんだって、もっと偉そうにふるまってくれ」

「アイザック、君は……」

「あんたが強くて誇れる師匠である限り、俺も弟子として師匠を越える人間になってみせるよ。だから、どんと構えていてくれ」

「……善き弟子は師を育てるものですね。ありがとうアイザック」


 そういって、ルカはアイザックの頭を撫でる。アイザックは照れ臭いやら、誇らしいやら、なんともむず痒い気持ちになった。


「ねえ、アイザック」

「なんだよルカ」

「早く起きてください」


「……は?」

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