第15話 ヘレナ
「早く起きてください、アイザックさん。……ちょっと、起きてくださいって」
「なんだよルカ……ルカ?」
ゆさゆさと肩を揺さぶられる。
テーブルに突っ伏していたアイザックは、その振動でようやく目を覚ました。寝ぼけ眼で顔を上げると、自分を起こしたらしいヘレナが怪訝そうな顔で立っていた。
「ルカって……誰と間違えてるんですか」
「……師匠だよ」
「師匠?」
「いや、寝ぼけてただけだ。えっと……」
一瞥してあたりを見回す。テーブルは食べ残した料理と酒で散らばっていて、対面ではカタリナが自分と同じように眠っている。
酒場で小腹を満たしたのは良いが、結局飲み食いしている途中で寝てしまったらしい。まあ昨日も徹夜だったし、疲れがたまっていたのだろう。
「カタリナ、起きろ。俺たちにお客さんだ」
ちょっと大きな声で呼びかけると、うめき声をあげながらも彼女は顔を起こした。目をこすりながらそばに立つ人影を見上げ、それが教会のクレリックだと気づくとぎょっとした表情になる。
「あ……! え、えっと、おはようございます。確か……ヘレナさん?」
「ええ。おはようございますカタリナさん」
麗しい女性だが、凝視されると中々怖い。カタリナも苦笑いだ。
まあしかし、わざわざモーニングコールをしに来た理由は分かる。
「お二人とも、昨晩の事件について話を伺っても?」
「何のことだ? 俺たちはここでずっとここで飲んでたから、酒場の外の事情は分からないんだが」
あからさまにとぼけるアイザックの姿を、ヘレナは歯痒そうににらみつける。
「私の仲間たち数人が、この付近の路地裏で倒れているのが見つかりました。暴行を受けたあとがあり、目下犯人を捜しているところです」
「へえ、教会の僧兵たちがね。常日頃からアンデッドと戦っているような人間が簡単に倒されるなんて、相当な手練れにやられたんだろうな」
「……っ」
「おっと、もちろん俺たちは関係ないからな。領主様から直々に揉め事を起こすなと注意されたばかりだ。それを簡単に無視するほど馬鹿じゃないさ。なあカタリナ」
同意を求められた彼女は、焦ったようにぶんぶんと首を縦に振る。怪しいことこの上ないが、ヘレナはそれを追及できない。
なにせ立場的に弱いのは彼女ら教会のほうだ。協会は領主とのつながりを持ちたいと思っているので、ここで乱闘が起こったことが知られると自分たちも困る。
おまけに騒ぎを起こした傷顔の連中は、教会にとっても重大な背任行為を行っていた者たちだ。いっそうやむやにできないかという気持ちだろう。
しかしそれはあくまで教会という組織の都合であり、個人の気持ちではない。
「……彼らは本部に送還されたのち、しかるべき処分を受けるでしょう。しかし本来なら私も責任を取るべきことです」
「? 何の話だ」
「……謝罪したい、ということです。自分の仲間たちの横暴を諫めることもできず、あまつさえ罪を犯していたことにも気付けなかった。全ては私の未熟さゆえのこと。あなた達の手を煩わせてしまって申し訳ありません」
そう言って彼女は、本当に頭を下げてきた。
アイザックもカタリナも、流石にそこまでは予想外で唖然とする。彼女が免罪珠の売買に関わっていないのは事実だろう。直属のヘレナが見逃していたなら、彼らももっと派手にやっていたはずだ。
しかし彼女はもっとプライドが高くて自らの非は認めないタイプだと思っていた。
「……まあ何の話かは分からんが、別に俺たちに謝る必要はない。こっちはもともと協会内のいざこざとは無関係な立場だしな」
「あくまで関わっていない、と言い張るのですね。分かりました。もとより言葉一つで許されるようなことではないのも承知の上。ここからは行動で示すことにします」
「……行動?」
「ええ。私が教会から派遣された理由がこの地域の調査であるという話は致しましたよね? 実はあなた方が退治したアンデッドの群れの他に、もう一つ"生命の流れ"が澱んでいる場所があるのです」
「……それって、まだ近くにヤバいアンデッドがいるってこと?」
カタリナの言葉に、ヘレナはうなずく。
アイザックもこの話には表情を険しくした。自分たちの倒したトロールゾンビを含む群れは、実際のところ村一つを襲っただけだ。しかし全数が動員されていれば、被害はおそらく都心部にまで広がっただろう。あれと同等の危険が潜んでいるのであれば、それは見過ごせない事実だ。
「対応が遅れて近隣の方が危険にさらされるのは、私にとっても本意ではありません。先の襲撃を受けた村のことも鑑みて、すぐにでも調査に向かおうと思っています」
「いや、それは無意味だから辞めたほうがいいな」
「……今、なんと?」
「中止したほうがいいと言ったのさ。犬死にがいいところだ」
再び、二人の間に緊張した空気が流れる。
しかしどちらかが声を発する前に、カタリナがおずおずと口を挟む。
「あのね、別に実力を疑問視してるとかじゃなくて、単純に心配だってことだと思うの」
「……心配、ですか」
「ほら、アイザックが倒した……じゃなかった、暴行を受けた僧兵たちはしばらく動けないでしょ? それを考えると戦力が足りないんじゃないかなって思うの。クレリックは僧兵かサポーターといっしょに戦うのが普通だから、それを無理に変えようとしても危険じゃないかなって」
ね? と同意を得ようと目くばせをしてくる。アイザックは別にそこまで彼女を慮ったつもりはないが、今の状態での行動することを無謀だと思ったのは事実だ。いや、断じてそこまで慮ったつもりはないが。
「確かに彼らはまだ動けませんし、今後も僧兵としての職務を期待すべきではないでしょう。しかし私の仲間はまだ二人残っています。……人数として不安であることは否定しきれませんが、勤めを果たさずに戻ることもできません」
「なら他の選択肢を取るべきだろう」
「他の選択肢とはなんです?」
「古式ゆかしい、冒険者への依頼だよ。俺をサポーターとして同行させろ。こっちで戦力の溝を埋めてやる」
ヘレナは驚いたように目を見開く。
しかしアイザックは、他の群れがいると知った時点でこのことを考えていた。自分の拠点とも言えるこの地で、危険の種をのさばらせておくわけにはいかない。
話を聞いていたカタリナが、慌ててアイザックの言葉に付け足す。
「俺たち、でしょ! 私も参加するからね、その依頼」
「いいのですか? あまりに急なことですし、その、あなた方は私に良い感情を抱いていないのでは……」
「つまらないことを言うな。俺たちが第一に考えるべきことはアンデッドを倒すことだ。人間関係の些末な噛み合わせなんて、共通の目的をもって行動しているうちに、なんとでもなるだろう」
「おー、今の発言は冒険者っぽいね。戦士系のむさいオッサンが言いそう」
「なんだと」
がしりとカタリナの頭をわしづかみにして制裁を加えようとしていたところ、ヘレナが深く頭を下げる。
美しい黒髪が垂れさがるのを直そうともせず、真摯に感謝の気持ちを表していた。
「感謝します、お二人とも。……未確認アンデッドの調査同行、どうかよろしくお願いいたします」
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