第16話 坑道の戦い1
「この場所、一度来た覚えがあるな」
アイザックはぽつりとつぶやいた。
彼はカタリナ、ヘレナ、そして彼女の仲間である僧兵二名とともに、街から少し離れた丘陵地帯を歩いていた。
噂のアンデッドはこの方角にいるらしい。アイザックとカタリナは少し前に仕事をこなしたばかりというのものあり、準備に一日だけかかってしまった。現在はややペースを上げて進んでいるところだ。
「ここって何かあったの?」
アイザックの言葉にカタリナが聞き返す。
「何かある……と思われていた。行商人がここを通った時に、たびたび腐敗臭を感じていたらしい。だが実際に襲われたという話はなく、調べに来てもアンデッドは見つからなかった」
「その人の勘違いだったってこと?」
「現時点では、そういう結論になっている。今この道を通る必要があるってことは、必ずしも無関係じゃない気がするが……ヘレナ、どうなんだ?」
アイザックの呼び掛けで、先頭に立っていたヘレナが振り返る。
彼女の額には白く光る紋章が浮かび上がっていた。
「『ディバイン・マインド』はここより更に先へ反応しています。少なくとも付近にアンデッドはいないはずです」
「そうか。ならそれでいいんだ」
ディバイン・マインドというのは教会独自の魔法らしい。
全ての生き物に"生命の流れ"があるのなら、それを読み取ることで"逆流"を身に宿すアンデッドを見つけることができる。そのようなコンセプトから生まれた索敵魔法だ。
教会本部ではこれを複数人が同時に行うことで、大陸規模のセンサーを発揮することができるという。ブレッシングも同じく教会の魔法だ。ルカとは異なるベクトルだが、アンデッド対策の新しい魔法自体は開発を進めていたのだろう。
「職業病ね。アンデッドのこととなると考えすぎなんだから」
「考えすぎて損ってことはないだろ。忘れたか? お前もその恩恵を受けてるってことを」
そう言ってアイザックは彼女の帯革につけたホルスターを指さす。それは先日、彼女と徹夜で過ごした日に考案した秘密兵器だ。
「わ、分かってるわよ。これがあれば私もアンデッドと互角に戦えるのよね……」
「ひとまず、今回でテストはできるだろう。あとはお前次第だ」
彼女も大舞台だということを自覚したのか、いささか緊張しながらも頷く。
気を紛らわせるように同行してくれた僧兵たちを見やる。ごつごつと歩きにくい道が続く中、カタリナは遠慮がちに彼らへ声をかけた。
「あの、大丈夫ですか? 私たちは身軽なほうですけど、そっちは大変なんじゃ」
「……気をつかわんでも良い」
「ええ。俺たちはこれでも鍛えてますから」
二人の僧兵――壮年で寡黙そうな男と、はつらつとした青年が答える。彼らがあの傷顔と繋がっていないことは、ひとまず調べがついている。壮年のほうは純粋に彼らとそりが合わず、青年のほうはまだ新人だったために仲間にすべきか探っている段階だったようだ。
彼らは、アイザックたちに比べるとかなり重い装備を着ている。兜に甲冑、背中にはなんとタワーシールドを背負っている。
「一応、荷物ぐらいなら持ちますけど」
「いやいや、女の子に持ってもらうなんてできないっすよ。トロールゾンビの群れを倒したというお二人の腕は、この先に控えている敵にこそ使って貰わないと。本当の意味でアンデッドを倒せるのは俺たちじゃないですから」
「そういう意味では……ヒーラー、お前がもっとも重要な役割だぞ」
壮年の男が、アイザックに向かって言う。教会に属するヘレナは情報を持って帰るという義務を背負っており、危険を顧みずに行動するというわけにはいかない。だから一番自由に動けて、一番戦闘をこなせるのはアイザックだというわけだろう。
アイザックは笑って答えた。
「この期に及んでまだ俺の実力が信用できないか? さては倒れていた同僚の顔を見ていないな」
「……」
男は袖口から何かを取り出し、アイザックの前に差し出した。のぞき込むと、それは小さな木の実のようだ。
「滋養強壮に効く植物が生えていたので、少し摘んでおいた。食べておけ」
「……何のつもりだよ」
「奴らが何かよからぬことを企んでいたのは知っていた。だが問い質しても無駄だと諦めていた。お前のように決断し、行動できるものは少ない」
「……」
「信用も、信頼もしている。万全に戦うために鋭気を養ってくれ」
言うだけ言うと、壮年の男はくるりと向き直って行進を続ける。
アイザックは何となくきまりが悪くなって、手渡された木の実を少し口に含む。
「うっ」
強烈な酸味と仄かな苦味にくらくらする。しかし、不思議と元気がでるような味だった。
険しい道を延々と歩き続け、やがて一行はどうやらここらしい、という場所に行き当たった。
「これは……坑道か?」
アイザックがつぶやく。より正確に言うなら、それは放棄された採石場であった。
本来は坑夫が住んでいた村が近くにあったのだろうが、今は周囲に荒廃した大地が広がるばかりだ。
「ここにこんなものがあるなんて知らなかったな」
「おそらく、魔王戦争の初期から中期の間に封鎖されたのでしょう。あの時期はあらゆる都市が混迷を極めていましたから、資料が散逸されてしまったものも多いと聞きます」
「でも、まだ設置された魔法が動いてるみたい」
端っこで座り込んでいたカタリナが不意にそう言った。
どうしたのかとヘレナとアイザックがのぞき込んでみると、彼女の前に二つの卵型の石が積んであった。普段なら気が付かないような素っ気のない積み石だが、意識して視ると魔力が流れているのを感じる。
「これは?」
「要石。場所にかけられた魔法を維持する基礎みたいなものね。属性はそれぞれ風と土」
「風か……なるほどな。採掘場といえば粉塵爆発やガス突出の危険と隣り合わせだ。定期的に"換気"を行わなければ仕事にならないと聞いたことがある」
「では、先ほどあなたの言った異臭騒ぎはここが原因である可能性が高いですね」
ヘレナの言葉に、アイザックは無言でうなずく。
土の匂いに紛れて微かにだが、腐臭が漂っていた。換気のタイミングで一気に放流された腐敗ガスが、山風とともに下降してあの辺り一帯に流れていたのだろう。
運悪くそれに当てられ、アンデッドの恐怖を呼び起こした者がいても不思議ではない。
「土の要石は要するに崩落対策ね。年代的に風化している可能性もあったけど、これがまだ動いてるってことはあまり心配しなくていいと思う」
「それは幸運でした。本番はこれからですが、不要な心配事がなくなるのはありがたいです」
ヘレナが目で合図すると、僧兵の二人が背中に背負っていた盾を構えた。彼らを最前列に、一行は坑道を進んでいく。
内部は無論、真っ暗で何も見えない。
「『ライト・ピリング』」
ヘレナが小さく唱えると、球状の小さな光源がいくつか現れ、辺りを照らしてくれる。回復魔法の白く発光する作用を応用した簡易的な照明だ。
ある程度周囲が見えるようになると、入り口付近は多少の広さがあることが分かる。しかし道はところどころが細くくびれて分岐路も多い。
「手筈通り彼らが前を歩きますので、二人は背後を警戒してください。横穴から何か出てくるかもしれません」
「ああ、分かってる」
僧兵の二人に、アイザックとカタリナ。両端でヘレナを守るような陣形で進んでいく。
中に入ったことで、匂いはよりはっきりしたものになった。おそらくここにアンデッドがいるのは間違いない。唯一疑問があるとすれば、何故この採石場にこもっているかだ。
風下の道を通った行商人たちは結局襲われていない。襲撃の拠点とするわけではないのなら、何かここで別のことをしていたのだろうか。
アイザックはしばらくそのことを考えていたが、すぐに頭を切り替えた。もとより知性はないとされているアンデッドの習性を、わざわざ考察する意味はないだろう。
それよりも気を付けるべきは目先の問題だ。少数で内部を調べなければいけない今の状況は、徒党を組むアンデッドに対してより危険な行動だとも言える。警戒を怠らないようにしなければ。
と、そのまま進んでいくと、早速足音が聞こえてきた。複数だが、普通よりやや軽い印象の足音だ。
すぐさま僧兵たちが盾を構え、曲がり角から走ってきた者たちを足止めする。
それは骨のアンデッドだった。白骨化した古い遺体が蘇った存在、いわゆるスケルトンである。ゾンビなどより多少身軽だが、生前に比べて身体の損傷が酷いため、あまり体内に魔力を蓄えられない。
アンデッドは魔力によって"流れ"の逆流状態を維持しているので、比較的倒しやすい手合いだと言える。
それでも数体で勢いよく体当たりをされたらのけぞるぐらいしそうなものだが、僧兵たちは不動のままだ。
彼らの周囲は浸水した地下水が溜まっており、足場にならない。押し切られさえしなければヘレナやその後ろのアイザックたちが襲われることはないだろう。
「ヒール!」
ステッキを取り出したヘレナが鋭く唱える。すると僧兵に襲い掛かっていたスケルトンたちがガクンと崩れ落ちた。
回復魔法は生命の流れ――"正の流れ"を促すものであり、逆流、つまり"負の流れ"の化身であるアンデッドはその影響を受け続けると少しずつ肉体が崩れていく。
アイザックのヒーリング・ブロウも込められた威力によっては肉体の灰化を引き起こすが、これは同じ作用の極端な例だと言える。
ただ既存の回復魔法は、戦闘魔法としてみると出力が低い。崩れると言ってもすぐさま行動不能になるわけではないので、彼らが完全に動けなくなるまで前衛が食い止めることになる。
これがアンデッド戦における一番の問題点だが――彼女は今、単発のヒールだけでスケルトンの攻勢を止めた。
「……なるほど、言うだけはあるな」
別に彼女は今、スケルトンたちを一瞬で倒したわけではない。単に、ヒールを敵の下肢部に狙って放ったのだ。
崩壊作用を足に集中すれば自重に耐え切れず砕ける。そしてそれは前衛への負担を軽減し、次の一手をさらに容易にする。ヒールを回復魔法ではなく戦術の一つだと割り切った戦い方だ。
僧兵たちには第二陣が襲い掛かって来たが、二人に動揺はなかった。
スケルトンは足を失った仲間を踏みつけて、大きな盾をかいくぐるように横合いから手を伸ばす。そこで彼らは武器を抜いた。
あの傷顔の男も使っていたマシェットだ。あんなもの重装の兵士が使う武器じゃないだろうと思っていたが、二人の僧兵はその刃で盾をかいくぐるスケルトンの腕をスパッと切り落とした。そしてそのまま攻勢に転じるでもなく、ただ淡々と盾を乗り越えた身体の一部だけに対応する。
彼らにとっての主武装はあくまであのタワーシールドなのだ。刃が太くて短いマシェットは取り回しが良いため、盾でカバーし切れない面を補っているに過ぎない。自分はできるだけ戦わず、攻めはクレリックに任せる。そういう徹底した役割分担があった。
例え時間はかかっても、少数だけで――つまりは僧兵たちとヘレナだけで対処できる戦法。そう判断したアイザックはあえて援護をしないことにした。
別の危機に備えるという役目があるからだ。
「――ハァッ!」
数分後、ヘレナはスケルトンの最後の一体をヒールによって片付けた。前方からはもう気配はしない。
どうだ、自分たちの実力は。そう言わんとしてアイザックたちのほうを振り向くと、彼はいつのまにか彼女たちに向けて杖をかざしていた。
「プロテクション」
意表をついて発動されたのは結界の魔法だった。ドーム状の障壁の中に二人の僧兵とヘレナが閉じ込められる。
すぐにヘレナは抗議する。
「どういうつもりですか!」
「一仕事終えたんだ、そこでしばらく休んでいろ」
「そんな暇はありません! すぐにここの探索を済ませなければいけないというのに。大体なぜあなた達が結界の外側にいるんですか」
「――どうやら俺より早く、カタリナが察知していたようだったからな。折角だしあいつも自分の力を試したいだろうと思ったのさ」
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