第9話 魔法使いの吐露


 結局ロレンズとの談義はなあなあのまま、大した収穫もなくアイザックは宿屋に来ていた。彼はこの宿と長期の契約を交わしていて、普段依頼がないときはここで生活している。角の一番景色がいい部屋だ。


 しかし扉を開けると、そこにはいつもはいない人物の姿があった。


「なっ……! あなた何勝手に入ってきてるの!?」

「……そりゃこっちのセリフなんだけどな」


 カタリナがいつも自分の寝ているベットに寝そべっている。流石に驚いて上体を起こしているが、随分くつろいでいたようで、周りには食べかけの食事の皿やページを開いたままの本などが散乱している。

 じろじろと見ていると、はっとしたようにカタリナが散らかった品々を脇に押しやる。


「わ、私はちゃんと宿の主人からこの部屋を案内されたのよ!? 領主様から話は聞いていますって!」

「じゃ、あいつの仕業だな」


 脳内に下品なおっさん顔のロレンズが浮かび上がり、うんざりとため息を吐く。

 こんなことをして一体何が起こるのを期待したのやら。


「……あっそ。じゃあいいわよ。別の部屋が空いてないか聞いてくるから」

「待て。ちょうどいいからそのままベッドに寝てろ。そして服を脱ぐんだ」


「は、はぁ!?」

「この前の依頼の負傷を確認したい。緊急だったし傷をふさぐことだけを優先させたからな。傷跡が残ってるなら治しておこう」

「……へ、変なこと考えてるんじゃないの?」

「俺はヒーラーだぞ? 傷口を見せるのにいちいち恥ずかしがってもしょうがないだろ」


 カタリナはしばらく口をもごもごさせて言い返す言葉を探していたようだが、結局諦めたようで力を抜いた。

 ゆったりした上着を脱ぎ、インナーの下から柔らかい肌が見えてくる。


「上だけでいいわよね?」

「ああ。傷が見えるように横向きに寝転んでくれ」


 胸だけを隠して上半身裸になり、ごろんとベットに転がる。こちら側からは顔は見えないが、耳を赤くして緊張しているようだった。

 傷のあった場所に目を移すと、やはり痕が残っている。当然だ。肉を大きく削ぐような傷だったし、下手な回復魔法では破傷風を起こしていたかもしれない。

 そっと傷口を触ると、ビクンと身体が震える。


「ヒリヒリするような感覚はあるか?」

「わ、わかんない。……敏感になってるような気はする」

「そうか。これから『ヒール』で傷跡を修復する。しばらく敏感なところに触るが我慢してくれ。」


 傷跡をなぞるアイザックの指先に、小さな白い光が灯る。やや強張っていた身体から、少しずつ力が抜けていくのを感じた。


「……回復魔法で治療されてる時って、なんだかあったかい気がする。ちょっと安心するというか」

「ああ、そう感じるらしいな。別に熱を発しているわけじゃないんだが、感覚的にそういう印象を与えるんだとよ」

「じゃあ倒されたアンデッドも、こういう気持ちで消えていくの?」


「さあ、それはどうかな。そもそも意識なんて残ってないだろうし、流石に状況が違いすぎる」

「そう……」


 カタリナの声色には、何か言いよどむような気配があった。

 アイザックは得に追及せず沈黙を貫いていたが、やがてカタリナのほうが我慢できずにぽつりとつぶやく。


「友達がね、アンデッドになったことがあるの」

「……そうなのか」


「子どもの頃から仲が良くて、幼馴染っていうのかな。彼女の両親は商会の人で、ときどき隣町まで馬車を出していたの。でもある日嵐の夜に出かけていって、馬車は崖から落ちてしまった。遺体は何日も見つからなくて、ようやく見つけた時には御者や家族ともどもゾンビになっていた」


 運の悪いことだが、たまに聞く話だ。

 他のアンデッドに襲われて死のうが、適切に火葬が行われれば問題はない。あるいはヒーラーやクレリックがいれば回復魔法の応用で弔いができる。

 しかし何らかの理由で遺体が処置されずに残されれば、それがどんな死因であろうがアンデッドになる可能性はあるのだ。


「あの子は街まで帰ってきて、人を襲おうとした。でも街にはクレリックの人が滞在していて、その人のおかげで街は守られた。私はその人が街のみんなを守ったのと当時に、彼女が人を殺めてしまうことを止めたんだと思っている」


「それが今アンデッド退治の仕事を請け負っている理由か?」


「そう。まあ現実は想像してたほど立派な仕事じゃなかったけどね。クレリックのサポーターとして呼ばれる時は命令されるがままに必死で魔法を撃ち続けて、魔力が切れたら前衛で盾持ちの代わりをさせられる。回復魔法を使える人がいない時はもっとひどくて、二、三体のアンデッドを十数人ぐらいで囲んで、動けなくなるまで斬ったり叩いたり潰したりして、暴れる亡骸を火葬炉につっこむ。終わった後はみんな傷だらけで汗びっしょり。自分の無力さを思い知るばかりよ」


「それなら教会に加入すればいいだろう。専門のサポーターになれば保証もあるし、無謀な仕事を押し付けられることはなくなる」

「それはそうだけど……言ったでしょ? 私は特殊な魔法を使っている。教会の一員として働くなら、教会の基準にのっとった動きができないといけない。つまり一般的な魔法をまた一から覚えないといけないらしいの」


 確かに、彼女の魔法には触媒となる水が必要だ。それはつまり不測の事態で水が用意できなければ、ただのお荷物になるということ。

 アイザックは彼女がそんなヘマをするような人間とは思ってないが、組織だって動く場合にはイレギュラーが歓迎されないのも事実だ。


「もともと家族にも反対されてたのよ。自分たちの魔法は戦闘ではなく研究のために使うものだって。そういう引け目もあって、あんまり強く出れなくて」

「研究のための魔法? そうなのか?」

「ええ。私は普通の水だけじゃなく、どんな液体でも元となる触媒さえあれば増やすことができる。希少な溶液を増やして、科学的な実験に使うこともね。もっとも魔力で作ったみせかけだけの液体だから、時間が経てば消えちゃうんだけど」

「へえ、そう考えると便利そうだな」


「ところが戦いになればそうでもないの。毒液、硫酸、油……どれも効果的なものを厳選するなら元手が必要だし、そもそも死人のアンデッドにはまったく効果なし。魔力の出力を高めるほうがよっぽど実戦的だわ」

「なるほどな。でも俺と一緒に戦ってくれたお前は心強かった。そう卑下するものでもないんじゃないか?」

「……そういうこと言われるの、初めてよ。ありがと」


 はにかんだカタリナは、ひどく愛らしい。

 アイザックは柄にもなくそんなことを思い、集中しなおすように傷跡を確かめる。皮膜が形成され始め、少しずつもとの肌が戻っていた。


「あーあ、私も回復魔法が使えたらな」


「それは考えても仕方ない。知ってるか? 実際に魔物と争っていた時代ではヒーラーは軽んじられていた。彼らは傷ついた戦士を癒すが、戦うのはその戦士のほうだからだ。それが今やヒーラーギルドは教会という大きな存在となり、それ以外の多くの冒険者が無力感に苛まれている。誰もこんな未来は予測していなかっただろう」


「生まれてくる時代は選べないってことね。そういえば私の両親も、今の時代は平和じゃないから自由な研究ができないって言ってたわ」

「平和じゃない、か。なんとかしなきゃな」

「なんとかって、魔王討伐でも目指す気? 人類は未だに木っ端のアンデッド相手で苦戦してるんだけど」

「そうだな。そりゃそうだ。……でも俺を弟子にしたのは、案外そのためだったのかもしれない」

「え?」


 カタリナはきょとんとした顔で問い返す。アイザックはなんでもない、と苦笑した。

 傷もいい具合に消えてきたので、『ヒール』を解除する。カタリナは傷があった脇腹を見て、感心したように手で撫でる。新しい皮膚はまだ少し弱いが、すぐに周りと区別がつかなくなるだろう。


「ところでカタリナ、今すぐ簡単に強くなる方法があるとしたら、お前はどうする?」

「……なによその質問。そりゃ、強くなるのは勿論歓迎だけど」


「いやなに、俺からも少し協力できることがあると思ってな。もしその気があるなら、お前だけの戦う術を伝授してやるよ」

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