第10話 教会の来訪者


 コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。鍵はかけていなかったのでそのまま入ってきた宿の主人が、部屋の様子を見て眉をひそめる。


「お二人とも、昨夜はお休みにならなかったんですか?」

「ああ? そんな余裕あるかよ」


 机に突っ伏したまま、アイザックはやや不機嫌そうに答える。


 部屋の中は散乱していた。ページの開いたままの魔導書がいくつもあり、水をこぼしたあとやそれを拭いた布切れが無造作に置かれている。スペースを作るためか、据え置きの家具を動かした形跡すらあった。


 昨日は完全に徹夜だった。新しい戦法が実際に使えるかどうか、試してみることが山ほどあったからだ。体系の異なる魔法のすり合わせというのは中々難しい。


「ていうかあなた、よくも抜け抜けとそんなこと言えたわね。二人部屋だなんて聞いてなかったわよ」


 ベットで横になっていたカタリナはアイザックより一層機嫌が悪い。部屋を一緒にされたことを根に持っているからというのも事実だろうが、ちょうど仮眠を取ろうとしていた時に起こされたという苛立ちのほうが大きいようだ。


「いやはや、私はただ領主様のご指示の通りに案内しただけですので。……そうそう、ちょうどその領主様から一度城に来るようにとの連絡があったのでお呼びしたんでした」

「ロレンズが? 昨日の今日で話すことなんかないだろ。俺は知らんぞ。寝る」

「私も寝る。ふて寝する」

「いえ、しかしお二人を馬車が待っていますので」


 宿の主人の困り顔を見て、アイザックはひとまず窓を開いてみる。確かにロレンズが所有する馬車が止まっていた。同じように窓からのぞくカタリナも怪訝そうな顔をする。わざわざ迎えに来るということは、何か明確な理由があるのだろう。

 二人は手早く身支度を済ませ、宿を出ていった。




 屋敷についた二人は再び客室に通されるが、そこにはロレンズの他にも先客がいた。


 まず兵士と思われる男たちが数名、彼らは部屋の隅に並んでいる。

 そしてロレンズの向かいの椅子に座っているのは、美しい黒髪の女だった。身なりが良く気品があるが、目つきは鋭い。戦いに身を置く者の佇まいだ。そしてもっとも目に付くのは、彼女の身に着けているケープ。左胸のあたりに模様があり、それは教会のシンボルマークをかたどっていた。


「もしかして、教会のクレリック……?」

「あなたたちがアイザックとカタリナですね」


 振り向いた彼女の表情は険しい。嫌疑、不信、そういった感情が顔に浮かんでいた。

 取りなすようにロレンズが彼女を紹介する。


「あーえっと、この人はヘレナさん。カタリナくんの言う通り、教会の人だね。あちらの皆さんとともに対アンデッド戦闘を行う実働部隊らしいよ」


 あちらの皆さん、とは後ろの兵士たちのことだ。『僧兵』などと呼ばれている教会のサポーターである。

 ヒーラーギルドが教会として台頭したことによって、他の冒険者ギルドは衰退し、そのメンバーの大部分が教会に吸収された。彼らの多くはその際の人間だ。もともと傭兵のような者たちなので、ガラの悪いやつも多い。


 もっとも、対話の姿勢を取っているヘレナというこの神官でさえ、心中ではアイザックたちを快く思っていないのだろうが。

 ヘレナは軽く会釈をしてからこちらに話しかけた。


「私たちはここでアンデッドの群れが発生することを事前に予見し、調査のために参りました。しかしあなた方がその件を解決したと聞いてお呼び立てしたのです」

「トロールを含むゾンビの群れなら、確かに俺たちで退治した」


 アイザックの返答に、眉をひそめる。


「それは間違いなく全数ですか? はぐれた群れの一部などではなく?」

「数十体で行動していた。あの森の規模的に、それ以上の数では群れを維持できないだろう。あの後領主の兵に周辺を捜索させたが、はぐれも見つかっていない」


 説明の途中で、僧兵の一人が吹き出して笑みを浮かべた。

 頬に傷をつけた、いかにも荒くれ者という感じの男だ。


「たった二人で魔物までいるアンデッドの群れを全滅させましたってか。ふかしも程々にしとけよ」

「それは危機感か?」

「あん?」

「俺たちのほうが効率よくアンデッドを倒せる。それだと教会も困るんだろ?」


 男が一変して険のある表情をする。

 剣呑な雰囲気になってきたところで、ヘレナがそれを手で制した。


「皮肉の応酬は私たちの望むところではありません。そもそもあなたの活躍については、教会でも知られている話ですので」

「ほう」


「教会に属さずアンデッド退治を請け負っている人間は相応の人数がいます。しかしその中でも、圧倒的に実績を持つのがあなたです。他の退治屋が敬遠する大勢の群れや協力な個体が相手でも赴き、必ず解決して戻ってくる、教会に属さないヒーラー」


「アイザック……そんなに有名だったの?」

「さあな。少なくとも教会で噂になってるとは初耳だ」


 カタリナの横やりに相槌を打つが、ヘレナのほうは気にせず話を進める。


「私も実際に会うまでは噂に尾びれがついたものと思っていました。……いえ、正直まだ疑わしいと思っています」

「だがもうお前たちが倒すべきアンデッドはいない。さっきアンデッドの存在を予見したと言っていたな。理屈は分からないが、ならもうあそこにアンデッドがいないことも察知できるんじゃないか?」

「……」


 それが図星だったか否か、ヘレナは口をつぐんだ。

 アイザックはそれについて追及はしなかったが、代わりに問いを投げかける。


「今こっちにいる教会の人間はお前たちで全員か?」

「そうですが、何か?」

「少ないな。あの群れをお前たちで倒すことができるとは思えない」


 ある意味自分のことを棚に上げた発言だったが、これは彼らも特に反論はしなかった。

 傷顔の僧兵が答える。


「言っただろ、調査だって。俺たちはあくまで威力偵察。そのあとこの町を拠点に兵を動かすのさ」

「暢気すぎるな」

「なんだと?」


「俺にはお前たちのようなアンデッドを見つける術はない。いつも後手だ。あの時も村が襲われたのを知ってから向かうしかなかった。だがそうじゃないお前らが俺よりずっと後に来て、これから調査を行うだなんて言っている。暢気にもほどがある」

「身軽なあなたたちとは違い、私たちは大局を見て動かなければならないのです」


「大局とはなんだ? "ガルラ・ヴァーナ"のことか」


「……!」

「……? なにそれ」 


 ヘレナはその名前が彼の口からでたことに顔を強張らせ、カタリナは聞き覚えのない単語にきょとんとする。

 両者の反応が違うのは当然のことだ。それは、必ずしもこの場に突然現れた名前ではない。だが普段はある仮称でしか呼ばれることはない。


「……知っているんですね。市井では魔王としか呼ばれていない、あの魔物の名前を」


 魔王。その言葉を聞いてカタリナの顔が蒼白になる。

 おそらく彼女の反応こそが普通なのだろう。だがアイザックは平然としたままだ。


「そうだ。それがどうした? 有力者でも教会関係者でもない者の口から魔王の名前が出てくることがそんなに恐ろしいか?」


 その名前ならは師匠であるルカから聞かされていた。なんてことのない武勇伝で、思い出話だ。しかし彼女にとってはそれは警戒すべきことらしい。

 アイザックはふんと鼻を鳴らした。


「お前たちはいつもそうだ、危機に対処するのではなく、危機を遠ざける道しか選べない。現状のアンデッドには回復魔法以外殆ど対抗手段がない。そんな中でヒーラーを手元にかき集めて神官クレリックの名を与えて遊ばせておくことが大局を見ることか? お前ら教会の連中が見るべきは現実のほうじゃないのか?」


「なっ……無礼ですよ!?」

「誰に対する無礼だ? 神か? 教会か? しかしお前たちの実態は冒険者ギルドを合併した義勇軍だ。今となってはその本質さえ見失っている。怠惰を覚えた組織に、はたして状況を打破しようなんて意思は残っているのか?」


 ここまでくるとアイザックの言動は、教会に対する明確な侮蔑であった。

 僧兵たちは今にも掴みかからんと歩み寄り、ヘレナももはやそれを止めない。


 一瞬即発の空気が今まさに破裂しようという時、客間に大きな手拍子の音が響く。先ほどまで無言を貫いていたロレンズが、厳しい目で双方を見つめていた。


「君たち、仮にもここが我が屋敷の中だということを忘れてないかい?」


 廊下に繋がる両開きの扉が開き、控えていた数名の使用人たちが入ってくる。彼らは腰に剣を佩いていた。


「ひとまず今回は退出願おう。まだ何か要件があったら日を改めて来なさい。ああもちろんアイザックくん、君もだよ」


「……無礼があったことをお詫びします、領主様。しかし我々も謂れなき誹りを甘んじて受けることはできません。我々教会は近頃多発するアンデッドの群れの合流に対応するため、各地方とも協力していきたいと思っております。そのためにももう一度ちゃんと……」


ヘレナは頭を下げて弁明するが、その言葉をさえぎってロレンズが応える。


「いやいや、だからそういったことも含めて日を改めなさい。我が領地での無用な諍いは控えて貰わねば。乱闘騒ぎは厳しく処罰するのでそのつもりでね」


 ロレンズのきっぱりした口調に、ヘレナはしばらく憮然としていた。しかし扉を開いたまま退出を促す使用人たちの目もあり、兵士たちを連れてしぶしぶと帰っていく。

 アイザックは屋敷を出るヘレナたちをじっと見つめていたが、そのうちカタリナが


「何やってるのよ、私たちも出るの」


 と急き立てるので彼女に引っ張られるように外に出た。

 自分でもどうかしていると、内心では思っている。ロレンズの怒りは本当のものだったろうし、この口論に益がないことも分かっていた。


 ただ教会という組織には反目し続けなければならない。その気持ちだけが胸にくすぶっていた。

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