第6話 交戦


 アイザックが答えに窮している短い間の中で、不意にかすかな物音が聞こえる。

 瞬間、二人は素早く身構えた。


 彼らは会話している間も気を抜いていたわけではない。木陰の中で身を隠しながら、会話とは別に周囲へ耳をそばだてていた。少なくとも目視範囲に敵はいない。

 慎重に聞き耳を立て、音のした方へ歩を進める。やがてその姿が見えると、カタリナは息をのんだ。


 人型だが、人間のそれより明らかに大きな体躯。特に発達した両腕と脂肪の貯えた腹部が特徴的で、確かにずんぐりとしたシルエットに見える。魔物の名はトロール。アンデッド化して長いのか、腐敗した腹からは内臓がはみ出ている。


 アイザックは魔物がいるという不安が的中し、内心で舌打ちする。どうやらトロールゾンビは、三体の人間のゾンビとともにこの一帯を巡回しているようだった。


「どうする?」

「全員まとめて相手をすると時間がかかる。カタリナ、取り巻きのゾンビを何とかできるか?」

「倒さなくていいなら、一分間ぐらい動きを止めておくことができるわ。でもあのトロールは?」

「トロールゾンビは俺がやる。他のゾンビに邪魔されないなら三十秒もあれば何とかなるだろう」

「なっ、無茶でしょ!? いくらアンデッドへの対抗手段だといっても、回復魔法はあくまで補助魔法なのよ?」


 カタリナの知るアンデッド退治とは、護衛が常にクレリックを守りながら戦うことだった。例え回復魔法によって身体が灰になっていく間であろうが、アンデッドはそれを恐れたりしない。他の様々な攻撃手段を取った場合と同じく、痛みを感じないのだ。


「あの巨体で襲われながら、ヒールを使っていられるの?」

「……回復魔王は補助魔法、か。おそらくそれが最大の欠点だったんだろうな」


 戦闘のあと、あるいは敵の相手を前衛に任せた状態で使う魔法だったから、戦時の魔法としては少々丁寧すぎた。術式の細部ばかりが緻密で、即応性に欠けている。だから師匠――ルカはよりシンプルで、応用の幅があり、なにより攻撃的なイメージが乗せられる回復魔法を編み出したのだ。


「何言ってんの? ねえ聞いてる!?」

「大丈夫だ。俺は仲間を盾にして、安全圏から戦うようなやり方はしたくないからな」

「いやでも……」

「信じられないのも無理はないが、一つ俺にかけてみないか?」


 アイザックはにやりと笑う。その笑みがあまりに余裕にあふれていたからだろうか。カタリナはしばらくじっと睨むも、やがて意を削がれたようにため息を吐く。


「私はゾンビどもを食い止めていればいいのね?」

「ああ、ついでにさっきのスキムって魔法をかけてくれないか。できればボード状がいい。そのほうがバランスを崩しにくそうだ」

「いいわ。あとこっちでも魔法を使うから、スキムの制御権はそっちに移しとく。くれぐれも無理はしちゃだめよ」


 カタリナは水を垂らして楕円形のスキムボードを作り、次にアイザックの手を取って魔法の感覚接続を行った。これで彼も神経が通っているかのように、この魔法を操れるようになった。


「俺がトロールゾンビと接敵したらそっちも始めてくれ」

「分かった」


 打ち合わせを短く済ませ、アイザックはすぐスキムボードに乗って滑走した。

 三体のゾンビとトロールゾンビの目があるので、大きく迂回するように移動する。水の層でできたボードが足を地上から浮かせる形にするので、靴音を消してくれる。おまけに魔力推進は普通に走るより遥かに機敏な動きを発揮してくれた。


 アイザックはトロールゾンビの背後に回り込み、そのまま全速で突撃する。手にはすでに杖を持ち、先端に白い光が収束していく。トロールゾンビはぶつかる寸前に気が付いたのか、こちらを振り返る。しかし同時に、アイザックは大きくジャンプしていた。


 驚異的な脚力で、身の丈より高いトロールの頭上に飛び上がる。体術と武術、そしてより効率的にダメージを与えるための術式と、計算された魔力コントロール。様々な戦いのノウハウから組み上げられた対アンデッド用戦術回復魔法。その基礎こそが――


「『ヒーリング・ブロウ』ッ!」


 トロールゾンビの脳天に、白い光を放つ杖が叩き込まれる。不安定な空中で、見事なほどに力の入った一撃。そこには"癒し"なんて要素はなく、例えアンデッドでなかろうとモロに食らえば頭をかち割られただろう。そしてアンデッドであるこのトロールも、一撃のもとに頭を破裂させる。


 しかし、身体はまだ動いていた。トロールの肩に足をかける状態になっているアイザックへ、両腕を広げて捕まえようとする。


「チッ、まだ足りないか」


 アイザックは背中を蹴ってトロールから飛び降り、またぐらを通して待機させておいたスイムボードへと飛び乗る。その先には一瞬遅れて反応したゾンビたちがいたが、ここで茂みに隠れていたカタリナが飛び出す。


「『ウォーター・ベルト』!」


 腰の水袋から激しい水流が迸る。それは三体のゾンビを撃つと同時に、太い縄のようにしなって彼らの体に絡みついた。ゾンビたちは構わずそれぞれに動こうとしするが、逆に引っ張り合ってどこにも行けない。


「ナイスだ、カタリナ!」


 アイザックはその隙に、彼らの間をかいくぐる。そしてすぐ旋回して、トロールゾンビに再び突撃をしかけた。頭をなくしたトロールは少々足がおぼつかないようだが、それでもアイザックへ手を伸ばそうとする。


 アイザックはこれを回避し、今度は右脇にそれてすれ違いざまに膝を叩く。関節部分が灰となって散らばり、足が吹き飛ばされる。今度こそバランスを崩したトロールゾンビは、うつ伏せになって倒れた。


「これで決めるっ!」


 地面に広がるトロールの背中は恰好の的だ。アイザックはもう一度飛び上がり、杖を槍に見立てて垂直に飛び掛かる。さっきよりも激しく光るヒーリング・ブロウの一撃が、トロ―ルの身体の中心を刺し貫いた。


 光がそのまま全身に流れ込んだかのように、トロールゾンビの頭の断面や傷口からも白い輝きが迸る。そしてそれが収まった頃には、トロールの骸は灰のかまたりとなって崩れて消えた。


「やったの!?」


 焦り気味の声色でカタリナが声をかける。ウォーター・ベルトはまだゾンビを捕らえたままだが、右往左往する彼らに引きずられないようカタリナ自身も踏ん張っていなければならないようだ。


 アイザックはまだ発光する杖を振りかぶり、ブーメランを投げるように投擲した。「きゃっ」とカタリナの悲鳴。しかし円の動きで投げられた杖の両端が、綺麗に二体のゾンビの頭を砕く。


 そして最後の一体にはそのまま近づき、噛みつきを避けながらそのまま拳を叩き込んだ。トロールのように全身が灰化することはなかったが、ゾンビたちは糸が切れたようにくずおれる。


 倒れてからも慎重にゾンビたちの様子を見ていたカタリナだが、起き上がる様子のないところを見てようやく魔法を解除した。


「はあ……なんとかなったわ」

「当たり前だろ。この程度で苦戦してられない」

「私はさっきまであなたの強さも戦い方も知らなかったの! ヒーラーだなんて嘘じゃない!」

「本当だよ、ただ流派が違うだけだ。癒しの波長を拳や武器に纏わせて疑似的なエンチャントを可能にする。それが――」

「それがあの術ってこと? 回復の要素まったくないじゃない! 名前だって『癒しの殴打ヒーリング・ブロウ』とか、皮肉以外のなにものでもないわ!」

「まあ……いや、術の名前を決めたのは俺の師匠だし。俺は関係ない」


 ネーミングセンスに関する苦言には、内心同意したいところだった。

 カタリナは大きくため息を吐くも、表情はやや緊張がほぐれている。


「まあいいわ。懸念事項だった魔物のアンデッドは倒したし、あとは残党を探すだけね」

「いや、何を言っている?」

「え?」

「さっきのは明らかに"巡回"だった。つまり警備だ。そんなところにリーダーが出てくるわけないだろ」


 カタリナの表情がみるみる青くなる。


「つまり……さっきのは群れの一部に過ぎないってこと?」

「そう。しかもそこにトロールが配備されているってことは、群れの中でありふれた人員だったということだ」


 アイザックは森の奥に目を向ける。この森は意外に広い。ねぐらを必要としないアンデッドがどれだけ潜んでいようとおかしくはなかった。今まで大きく動いてこなかったのか、あるいは知られぬまま被害が広がっていたのかは分からないが、この先の相手が"残党"で済む規模であるはずがない。


「敵はゾンビとトロールゾンビの混成部隊。そう思ったほうがいいだろう」


 カタリナに、そしてなにより自分自身にも気を引き締めなおすように、鋭くつぶやいた。

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